38.母の想い4
シノ視点、現在続きと過去の回想。
本日2回目投稿です。
就寝時間、ブルーナは大人しく子供部屋にいた。
いつもと違う様子に、シノは確信を強める。
案の定、夜更けに子供部屋から抜け出してくる。東司処に隠していた外出用の服に着替え、荷物を手に建物から抜け出していった。
「今晩は。ブルーナ」
シノの声に、月明かりに照らされた小さな影が動きを止める。シノは大股でブルーナの側へ向かった。しかし、そう思い通りにいく子ではない。身体をクルリと回転させ、どぴゅーんと、全速力で走り出した。
追いかけっこが始まった。すばしっこいネズミを捕まえるため、シノは養子院中の庭を走り回る。
「放せ! 邪魔すんな!」
「……っ」
ようやく捕まえたものの、息が切れて、すぐに話せない。やはり子どもの体力を舐めてはいけない。
「……大声出さない方が身のためですよ。代表にバレたら、外出禁止と東司処掃除当番、半年間の罰です」
「えっ。代表に言いつけないのか?」
「事情によっては」
「ちょっと意外。変なもん食った?」
可愛くないのは、いつも通り。意外と元気な逃亡者に、シノはため息をついた。
◇
ブルーナは大人しくシノの仕事部屋についてきた。『お菓子が何か残っていたかもしれません』という独り言に反応したと見て間違いない。
「ばあちゃんが来なくなったから、どうしたかと思ってさ」
ブルーナが言う老婦人は、彼を拾い養子院に預けた人物だ。『老い先短い婆に子育ては無理よー。だからせめて花ぐらい差し入れさせてちょーだい』と、花を持ってブルーナに会いに来る。
「いつも綺麗なお花を届けにいらっしゃるご婦人のことですね?」
「そうだけど、ご婦人って。しわくちゃの婆さんに、よくそんな言い方思いつくな」
シノが入れたお茶を飲みながら、生意気な口をきく。目はきょろきょろと部屋の周りを探っている。そう簡単にお菓子を出すつもりはない。
「確かにここ何月かお見かけしません」
「なっ? おかしいだろう? 毎月俺の顔見に来てたのにさ」
「それで?」
ブルーナに続きを促す。面会が滞ったくらいで脱走するわけがない。
少年はぶー垂れた顔で、ごそごそと小さなものを取り出した。
「……最後に会ったとき、これくれた。俺が捨てられてたとき、履いてた靴下。ばあちゃん、これが気に入って俺を拾ったんだって。ずっと手元に置いてたけど、俺も大きくなったし、そろそろ返さないとねって」
彼の手には可愛らしい大きさの靴下の片方があった。底の部分に奇妙な文字が並んでいる。かなり下手くそなシキビルド現地語で、どうにか読めた。
『この子は何でできているでしょう?』
シノは思わず吹き出した。
今の彼は悪戯心と守銭奴でできている。母親は赤子の彼が何でできている、と思っていたのだろう。
「答えが気になります」
ブルーナは靴下を裏返し、シノに渡す。裏側の底にも文字があった。
『愛しさです 純度100% 私の愛の結晶!』
シノは文字を二度読み返した。
発見された状況から、母親が追い詰められてブルーナを置いていったのは、間違いない。そんななか、彼女は何を思ったのか。
「面白れぇ母ちゃんだよな。どんな人なのか知りたくなった。……ってなんだよ。シノさん?」
シノは潤んだ目を誤魔化そうと、しかめっ面になった。ブルーナは、口を尖らせる。
「変な顔。ユーリも変だったよ……。俺さ、シキビルド現地語読めないから、読んでもらったんだ。これ見て笑ったかと思ったら、急に泣き出しちまって。なあ、俺には良くわかんねえよ」
花屋で平民の老婦人が、ブルーナを拾ったのは五年ちょっと前。真夏の暑い日、荷台に積まれた植木鉢の木陰でスヤスヤ寝ていたという。
暑いなか赤子が靴下を片方だけ履いていたら、思わず目がいく。その靴下にこんな言葉が書いてあったら、多分人は笑う。そしてきっと、赤子を助けてやりたくなる。
シノですら、ロヴィスタという母親に興味が湧いてくる。
「俺を拾った時のこと、もっと詳しくばあちゃんに聞きたくなって、待ってたんだけど全然来ないから。形見渡して消えちゃったみたいで、むっちゃ心配なんだよ。だから俺、全財産持ってばあちゃんに会いに行くことにした。今度は俺が助ける!」
「お金を貯めてたのは、自分のためじゃなかったのですね?」
「いや、自分のためだぜ! お金には力がある。俺が子どもでも、何者でも、その力は変わらないだろ? 俺はたくさんお金を貯めて、俺が気に入った奴を助けて家来にするんだ!」
彼の考えは、やはりシノの想像を超えていた。家来とは一体どういう意味で言っているのか。
ブルーナは、バンっと机を叩いた。茶器がカシャっと鳴る。
「だから、俺を行かせろ! ばあちゃんの顔見たら帰ってくる」
「それはできませんよ」
シノの冷静な声に、少年は『はあ?』と凶悪な顔になる。そして解読不能な罵詈雑言を唱え始めた。シノは呪いでもかけられているような気になる。
「お菓子はもういりませんね」
「いります! 俺が悪かった。謝るからください」
変わり身の早いブルーナの前に、シノは焼菓子を並べる。少年は青い目をキラキラさせ、いただきます、と手を伸ばす。シノはちょっと意地悪な言い方だったと、反省していた。
「ブルーナ。実は、私もご婦人が気になって、花屋に伺ったのです」
「ふごっ、そ、それで?!」
慌てたブルーナの口の中は、大変なことになっていた。
「不在でした。他国の花屋の会合に参加されているみたいで、しばらく戻れないそうです」
「はあ? 他国? ばあちゃんいくつだよ!」
「ご達者なご婦人ですね。花の卸業界では有名な御仁らしいですよ」
「そっか。なんだ。元気なのか……」
ブルーナの浮き上がったお尻は、再び椅子に下ろされた。おもむろに、口にお菓子を頬張る。ニヤニヤといつもの太々しい態度が戻ってきた。
(ユキタリスの予想は外れたな)
思ったよりブルーナは核心に近づいていないらしい。シノは気を抜き、お茶に手を付けた。
「前にさ、芋の畑に行くとき……俺と同じ、赤茶色のくせ毛と青い目の男が、俺のことじーっと見てきた。しかも一緒にいるのは、俺そっくりの顔の男でさ。あれは誰? 俺の何?」
シノは危うく、お茶を吹き出しそうになった。
「代表に聞いたら、外で知らない人間に関わるんじゃないって怒ってくんの。あれ絶対、何か隠してるって!」
シノはナンストリウスの心情を思い、手に胸を当てた。さぞ歯痒いことだろう。契約魔法により、スリンケットが父であることは説明できない。
「靴下の字を読んでもらうついでに、ユーリにも聞いた。そしたら、真っ青になって黙り込んでさ。頼むから教えてって泣き落としたら、『シノなら知ってる』って言うんだ。だからシノさん、おせーて」
ブルーナは悪びれもなく、シノに両手を合わせて拝んだ。本当にこの少年は、人と関わるのを恐れない。知恵も回る。学業はユキタリスに匹敵するほど出来がいい。頭の良さは、秀才と評判の父親譲りかもしれない。態度は少々難ありだが。
シノはふぅと息をつく。
「もう分かっているのでしょう?」
「まあな。髪と目の色合いが同じの兄ちゃんは、服も態度もお高い。かなり上位の特権階級と見た。金持ちそう。血が繋がっているなら、俺にも多少はお金分けてくれるかな」
兄でなく、父親なのだが、この際説明しなくても良いだろう。
「お金が欲しいのですか?」
「うん。お金だけ欲しい。今さら親とかいらない。大事にしたいのは目の前にいる人たちだけ。昔のことなんかどうでもいい」
母親は気になるものの、父親には全く興味がないという。自分の出生は、利用できそうならしたいから、成人して養子院を出るまでに教えてね、とシノに頼んできた。
自分とは全然違う、と悔しく思う。この元気な少年は、どんな逆境でも自分を曲げることはなさそうだ。
「そろそろ、子ども部屋に帰りましょうか」
「えー。目が冴えちゃって眠れないよー」
「私が寝かしつけます」
「げぇー。シノさんはやだ! すぐ眠たくなるんだよ。俺、もう少し遊びたいんだってばっ」
わーわー言い続けるブルーナを、ひょいと抱き上げる。『やだー』と繰り返す声も、部屋に着く頃には寝息に代わっていた。
◇◆◇◆◇(回想)
母と死別し、妹とともに逃亡したシノに、平安は訪れなかった。
逃亡の手助けをする男の部下の一人に裏切られ、孤児院とは名ばかりの醜悪な施設に兄妹で放り込まれる。そこで見目の良いシノは、妹セディの治療費と薬代がかさむからと、毎夜客を取らされた。
その生活から救い出してくれたのは、この国の王子ライドフェーズだった。
しかし、王族が無意味に動くはずはない。セルディーナという懇意の妖精のため、妹セディの身体が欲しかったのだと知る。
(もう。どうでもいい……)
シノは妹が助からなかった時点で、投げ出してしまっていた。もう彼の名を愛情深く呼ぶ者は、誰もいない。すべては無駄だった。
しかし妹が大事に思っていた友人のテルを、路頭に迷わすこともできない。シノは心を失ったまま、ライドフェーズの側人を務めることになった。
◆
「シノ」
凛とした声に、後ろめたいことをしていたシノの手はピクリと止まる。カツカツと近づいてきた声の主は、シノの手から書類を奪い取った。
「これは駄目だ。次見つけたら、処罰する」
前女王グラディアスは、奪った書類を丸め力強く捻じると、ポイッと暖炉に焚べてしまった。
シノは、炎に包まれ蠢くように揺れる黒い文字を見つめる。
(次は見つからないようにしよう)
お茶を所望する前王女のため、シノは準備する。彼女はため息混じりに彼を見つめた。
「ならぬ、と言ったろうが」
見つかったのは二回目。
秘かに調べていたのは、父かもしれない男の身辺だ。古くから王家の警備と森の守護を務める一族で、ペルテノーラ特権階級の最上位の家柄だった。
男は自ら廃嫡を宣言したにも関わらず、気を変え、弟から家督を奪った。しかし病がちで公式の場に出られず、病の床で亡くなったという。
(嘘だ。死亡届は男の弟から出されている。追手は、そいつだったのでは?)
「シノ」
いつの間にか、前女王がシノの前に立っていた。シノの幼い顔立ちが、強ばった。
「もういない人間をどうしようというのだ」
男の弟は家督を継いで、一年もしないうちに亡くなった。皮膚に文様が現れ、謎の死を遂げたという。
恨みたい相手も、問い詰めたい男も、もう生きていない。
「そろそろ気づけ。君を生かしたかった、母の想いがなぜ分からぬ」
「……理由を。父と母が死ななければならなかった理由を教えてください」
「王家に関わる事項だ。部外者には漏らさんよ」
「私は当事者です」
「違うな。父親の認知がなく、家も取り潰されて今はない。平民の母の子シノは、正真正銘、ごく普通の平民だ」
そう断言して、前女王グラディアスはシノに後ろを振り向かせない。そして、にやりと笑うのだ。
「王の許可取れば、調べられるぞ」
シノの顔が僅かに歪む。許可が得られるはずもない。彼女の甥カミルシェーンは、出会った当初からシノたちを毛嫌いしている。
「あいつは甘い物が大好きだからな。胃袋から懐柔するのはどうだ? ……もしくは、そうだな」
グラディアスは美しい紫色の目を、優しげに細めた。
「君が声を立てて笑ったら、びっくりして私の口が滑るかもしれない。せっかく可愛い顔をしているのだ。たまには笑え」
シノは感情が薄く、無表情な子どもになっていた。しかし笑って教えて貰えるなら、安いものだ。思い切って挑戦する。
「ハハハッ……」
「声だけではないか! 不気味過ぎる……」
「……」
「それで、お茶はどうなった」
シノは青くなる。茶葉の抽出時間が長すぎたため、お茶の色は焦げ茶に変わっていた。
「……申し訳ございません。淹れ直します」
「まあ、よい。苦いお茶も淹れ方次第だ。貸せ」
グラディアスは立ち上がり、慣れた様子で、何やら調合していく。おおよそお茶には使わない香辛料まで入れ、不可思議な香りのお茶が出来上がった。彼女は美味しそうに飲むと、ふぅと息をついた。
「シノ。お茶も笑顔も、きちんとできるようになるには時間がかかる。気長にやれ」
結局、彼女が口を滑らせることはなかった。
いつも明るくあろうと努める優しいグラディアスは、シノが笑えるようになる前に、この世を去った。
シノとライドフェーズの関係が深まるのは、グラディウスが亡くなってからでした。
次回はユーリグゼナ視点。夕食会まであと少し。今月中に更新予定。。




