17.戻った男と爺
初登場のお爺さん、連視点です。
今回は平民の町の話です。会話を「共通語」と書き分けるため、二重鉤括弧『シキビルド現地語』にしました。ユーリグゼナ(青)、アナトーリー(累)と平民の名前で呼ばれています。
シキビルドは戦争によって経済も物資補給も大きく傾いたが、一つだけ戦前と変わらぬ賑わいを見せる場所があった。夜の酒場、大人の遊び場である。色彩豊かな建物が並び、音楽が奏でられる路上には着飾った者たちが楽し気に練り歩いていた。
平民の町の中にあるが、色好みの特権階級の者が多くやってきていた。色には当然ながら情事も含まれる。酒以外に性を売りにした店が立ち並ぶ。
そんな町の中にかなり特殊な店があった。女性を店に置かず、音楽の演奏と料理を売りにする。そこは戦前から知名度が高く、他国からの来訪者が絶えない。
その店『楽屋』の主人、連は今日は特に機嫌が良かった。
(青が今夜から店に戻ってくる)
顎に生えた白髭を片手で撫でては、にんまり笑う。店の者たちも、連が気持ち悪い、と言い合いながらもどこか楽しげだ。
『孫でも待ってるみたいな顔だな』
『本当の孫はさっき早々に追い出してたぞ』
(どっちも孫じゃねえ)
しかめ面をしながら、連は先ほどのことを思い出す。さっき来ていた兄の孫は、どうやら本当に平民になろうとしているらしい。正直サタリー家のお坊ちゃんには無理だと思っている。あまりまともに聞く気がしなかった。それより青と鉢合わせをされたら困る。どうやら同級生らしいのだ。
店の中は演奏が始まる時間を知っている常連で少しずつ混んできていた。裏口から誰かが入ってきたようで、店の中に外の空気が入ってくる。店の者たちはみんなサッと舞台の控室に移動していく。
(おい。客置いてそれはないだろう)
そう思いながらも連は自分も覗きに行く。控室の中を見ると、薄汚い布を頭から被った少年の姿をした青が連を見て小さく会釈する。あまり表情を変えない青の精一杯の挨拶だ。青は一緒に演奏する男たちに、ポンポン頭を叩かれて、所在なさげだ。背が伸びたな、などと言われているようだった。
『そろそろ準備しろ』
連の低い声に、給仕するものも厨房のものも、慌てて動き出す。楽器を演奏する三人は音合わせを始める。青はまた声が変わっていた。声変わりを経た若い男の声のようだ。
(まだまだごまかせそうだな)
また連がにんまり笑う。すると近くの席から、懐かしい声が聞こえた。
『相変わらず悪そうな顔してるなー』
『アナ……』
『アナで止めるな。女っぽくて嫌だっていつも言ってるだろう』
『三年ぶりだな。無事に帰れたか』
連の言葉に男は表情を硬くする。
『……無事とはいえない。家族の半分がいなくなった。あいつが普通にしていられるのは、────記憶を失ってるからだ』
そうかすれた声で言いながら、その男は舞台を見る。青が他の二人と一緒に舞台で演奏の準備をしている。邪魔そうに頭から布を外すと、見事な銀髪と青い目がさらされる。常連客達から口笛や拍手が起こる。青はそれには答えず、肩に硬い帯をかけ、弦楽器を前に構えた。舞台にいる他の二人に視線で合図し、奏で始める。目を閉じ他の楽器の音を聞きながら、静かに歌いだす。青の銀髪がゆらりと揺れる。
僕が歌を歌うのは 店の客と僕のため
僕はただの歌い人 愛を囁き 夢語る
ほんとの気持ちは君のため 愛しいと言えない君のため
この店では必ず演奏の希望が出るため、最初に演奏される曲だ。今日は青が半年ぶりに戻って最初に歌う曲なので、常連客でも熱心に見入る者が多い。青の美しさと、声の切なさはどちらも増しているようだった。連は男を見て言う。
『ここでの名前は累だったな。王たちを手玉に取る妖艶な美女の話と、敵国の味方をして自国の王族を根絶やしにした男の話、どっちが聞きたい』
『どっちもだ。酷い話から聞こう』
『じゃ、男の話からだ』
累はチッと舌打ちしながら、詳しく聞くため情報料を連に手渡す。今日の累は焦げ茶色の髪に緑の目だ。汚い服と粗野な動作。中級くらいの平民に見える。店に見事に溶け込んでいた。
『相変わらず見事な馴染みようだ』
『どうも。俺は簡単だからな。あっちの方は大変そうだ』
累はチラリと青の方を見る。連はなんでもないような顔で言う。
『今更だろう? もう何年もあれでやってる。それより驚いただろう?!』
『おい。その顔やめろ』
連は歯を剥き出しにしてニシシっと下品に笑っている。累が本当に嫌そうに観念して両手を上げる。
『分かってるよ。驚いた。そっくりになったよ。……本当になんで母親と同じ髪と目の色にしちゃったんだか』
『今更変えさせるなよ? 青は銀髪青目の少年ってことで通ってる。それより──お前が正式にパートンハド家の惣領になるって噂になってるが……』
『ああ。本当だ。今日は挨拶に来た。俺が不在の間もあいつを見守ってくれてありがとう。出来ればこのまま歌わせてやって欲しいんだ。そのためだったらなんでも協力しよう』
『お前な……。相変わらず自分は後回しだな。このまま協力者なしに惣領になっても眼の役目なんか無理だろう。俺に頭を下げて乞え。手助けしてやってもいい』
いつもの連からは想像できない言葉が出て、累は驚いた顔のまま片手で口を押える。
『じじい。耄碌したのか……』
『失礼な奴め。俺が助けると変か?』
『ぶん殴られた記憶しかない』
『お前がお坊ちゃんだったからな』
連は髭の生えた口でニヤリと品なく笑いながら答える。累は小さく笑う。
『ああ。今なら分かる』
『マシになっていることを祈るぞ。でないと……あいつはお前の心配ばっかりだ』
『この話もあいつの差し金か……』
連の拳骨が、累の頭に飛んできた。累は本当に痛かったらしく、涙目になっていた。
『違うわ!! 俺の愛情と計算高さだ。お前の馬鹿は相変わらずか』
『……』
『あいつはベルンの歌を希望されるたびに、客にベルンに会ったか聞いてた。お前が約束したんだって? 俺はベルンを名乗って歌うから、歌を希望されたら俺が生きている証拠だってな』
『やめろ……』
累は顔を真っ赤にして頭を抱える。連は本当は、彼の気持ちが分かっている。
(累は生きて戻れないと思ってた。ベルンの歌で、少しでも長く自分の生存を信じてもらおうとしたんだろうよ)
累はすくっと立ち上がる。この場から逃げ出すつもりだ。すると、声がかけられた。
『あの、ベルンさん?』
累が人違いを否定しようところに、連は口を挟んだ。
『よく分かったな』
『違う』
慌てる累に、声をかけてきた三十歳くらいの穏やかな雰囲気の男は、分かっています、と頷く。
『本物のベルンはもっと年上のはずで、年齢が合いません。そうではなく、前にいつもベルンの歌を歌っていた方ではないかと。三、四年前に』
それを聞いて、連はニヤニヤと笑う。
『累。もういいじゃないか。素直に認めて歌ってやれよ』
『は?』
累の抵抗もむなしく、他の客からの拍手と口笛が飛ぶ。舞台の青がじっと見てくる。累は大きなため息をついて、舞台へ向かう。連を振り返り言う。
『じじい。覚えてろよ』
『おう』
連はまた意地汚い笑顔で応えた。
累は舞台の上で、仕方なさそうに歌いだす。青は弦を奏でながら、青い目を連に向けてきた。連は顎に生えた白髭を撫でながら、にんまりする。「累を店で歌わせる」という青との約束を果たせたからだ。三年ぶりでも累の声は相変わらず甘やかで切なく心に響く。客たちもうっとりと聞き入る。
連としてはこの逸材をパートンハド家の惣領にするのは大反対だが、たまに歌ってもらえるなら良しとする。この読みにくい時世を渡っていくのに、パートンハド家の情報は必要だ。どんな世界になろうと、音楽の発信地としてこの店を残していく。彼の誇りだから。
(俺とベルンで育てた店だもんな)
連はまた意地汚くニシシっと笑った。
次回「香り」は1月7日18時に掲載予定です。




