33.正しくない人々
会話の多い回となります。
サギリはなんだか拗ねたような、珍しい顔をしている。
「ユーリグゼナ様があのような変態行為をやすやすとお許しになっていることが、なによりショックです」
変態行為とは、飲みかけをシノが飲んだことだろう。ユーリグゼナは思い出してしまい、恥ずかしくてたまらなくなる。
「また。そんな顔されるではありませんか」
「面目ない」
サギリから悋気のような感情を向けられ、ユーリグゼナの頬が緩む。
サギリを側人に迎えた当初、母への慕情に似た想いを寄せていた。ユーリグゼナは未だに、サギリには自分だけを見ていて欲しい。自分は別の相手がいるのに、何とも勝手なものである。
「清らかなユーリグゼナ様になんてことを! まったくもって失礼な奴」
「……何で、シノはあんなことしたんだろうね」
「分かりませんか?」
「えっ。うん。……サギリは分かるの?」
ユーリグゼナはサギリに、ひゅっと抱き寄せられた。思いもしなかった行動で、ユーリグゼナは反応が遅れる。
「そのままのユーリグゼナ様でいて欲しいのですが……。本当に、寂しいです」
「……どんな私になっても、サギリにはずっと側にいて欲しい……なんて、我儘すぎかな」
サギリの腕に力が籠る。
「いいえ。何があってもお側におります。今度こそ」
彼女が今度こそ最期まで、と思い描くのは元主人の事だろう。サギリは最期に立ち会えなかったことを未だに悔いている。お互い、自分の苦しさを分け合って生きていける存在がいるのは、幸せなことだと思う。
二人はふいっと顔を上げる。人の気配が戸の外で立ち止まった。サギリがユーリグゼナの身体を離す。身構えたまま、戸をそっと開けた。
そこには、ぼんやりした顔の王ライドフェーズが突っ立っていた。
「ライドフェーズ様?!」
ユーリグゼナの声に、彼はようやく顔を上げるが視線が覚束ない。
立ち尽くすライドフェーズに、サギリは「お茶をご用意します」と、席へと促す。
ユーリグゼナも彼とともに席についた。
「どうされたのですか? 髪飾りは?」
「ああ。側近に手渡してきた。明日出立だから急ぎでな」
「仕事に戻られたのかと思っていました」
ライドフェーズの栗色のくせ毛が揺れた。
「……お前に言い忘れたことがあった」
「なんでしょう」
「さっきは怒鳴って悪かった」
急に謝られ、ユーリグゼナはハタリと動きを止めた。ライドフェーズはユーリグゼナを嫌ってはいない。それは彼女も理解している。
「私は、お前の父親失格だ。娘より側人であるシノの方が大事だなんてな」
「……それで良いではないですか。ライドフェーズ様が優しい顔をされるとき、いつも傍らにシノがいて、そんなライドフェーズ様を見るシノも穏やかな表情をしていて。見ている私まで、幸せになります」
「それは、お前……」
彼は気が抜けたように、彼女に言う。
「なぜシノを嫌おうとする。そのまま好きでいればいいではないか」
ライドフェーズは、ふうと息がついた。
「さっき、笑いを堪えながら歩くシノを見た」
シノはあの感じのまま行ったのか。大丈夫だろうか。周りの評価が大きく変わってしまうかもしれない。
「何があった」
「……お茶を飲みました」
「私には言えないことか」
「あ、いや。本当にシノはお茶を淹れて、飲んだだけでした」
「しかし、笑っていたぞ」
「そうですね。何がそんなに面白かったのでしょーね」
なんだかもう。本当に何なんだろう。ユーリグゼナは問われるたびに、動揺してしまう。
「シノが人目をはばからず笑うところなど、見たことがない」
「えっ?! ……そ、そうなのですか?!」
「シノは……私が出会ったばかりのシノは、一切感情を見せない少年だった。何をされても、何を言われても、人形のように表情を変えなかった」
ライドフェーズの声が僅かに震えていた。
「今でも時々心を隠す。家族同然の私やテル、セルディーナにすらな。しかし……お前には違うのかもしれない」
シノが幸せになれるなら何でもしたいのだと、彼は言う。
側人一人を特別扱いするのは、王として正しくない。王女であるユーリグゼナもまた、正しい王女にはなれそうになかった。
◇
夕食を終え、ようやく自室で身支度に入ろうとするとき、先触れもなく戸が叩かれ、客人が入室してくる。 ユーリグゼナの部屋に懐かしい声が響く。
「ただいま」
さらっとした見事な金髪が揺れる。旅装束のアルフレッドは、深緑の目を細め、ユーリグゼナに笑いかけた。
彼女は急いで駆け寄る。
「アルフ! どうして。連絡くれたら迎えに行ったのに」
「何時になるか分からなかったからさ。時空抜道って、時間がズレるだろう?」
その後ろから、従弟のフィンドルフが顔を出す。
「……ユーリ。何があった?」
不機嫌な声から、いろいろ勘繰られていることを知る。アルフレッドが彼の肩に手を置く。
「フィンドルフ。荷物重かっただろう? 置いたらどうだ? ユーリ。ちょっと休憩して行きたい。いいか?」
優しい声に、心が弾ける。
「うん。アルフ。あのっ……」
「うん」
「一緒に弾きたい」
「分かった」
疲れているはずだ。それでもアルフレッドは、何でもないことのように頷いた。
彼らが荷物を解いて楽器を取り出す間に、ユーリグゼナは自分の楽器を手に、音合わせを始めた。もう、何を弾こうかということしか考えられない。
◇◇
チャッチャラ チャッチャッチャッチャッ
弦楽器だけで魔樹の花びらの曲を弾くのは、何年ぶりだろう。初めてアルフレッドと演奏を合わせた日を思い出す。フィンドルフは最初こそ不満げだったが、ぴったり二人の演奏についてくる。
誰も一言も口をきかなかった。ただひたすら、ユーリグゼナが演奏する曲に、二人は合わせ続けた。
二時間ほど弾いただろうか。サギリがお茶と簡単な食事の用意を手に、部屋へ入室してきた。それを機に、ようやくユーリグゼナは演奏の手を止めた。暴走していた自分に気づき、恥ずかしくなる。
「……ありがとう。ごめん」
彼女の声はかすれていて、消えてしまいそうだ。
アルフレッドは弦を下ろし、楽器を台に置く。にっと笑うと立ち上がる。
「全然」
彼女の頭をポンと叩いた。
「美味しそうだな」とフィンドルフに声をかけ、サギリの用意した席に着く。
遅れて席に着いたユーリグゼナの前に、サギリが冷やした果実汁を置いた。喉がカラカラだった。そんなことにも気づかず演奏していたことに、ユーリグゼナは驚いた。
両隣りに座るアルフレッドとフィンドルフから、嗅ぎ覚えのある匂いがする。レナトリアの家の匂いだ。ペルテノーラに家出したときにお世話になったことを思い出す。
「アルフ。フィン。おかえりなさい」
唐突過ぎたのだろう。ガツガツ食べていたアルフレッドとフィンドルが顔を見合わせた。
「おう。ただいま。ユーリ」
「ただいま。ユーリ。今ごろか。遅いんだよ」
いつも通りの二人の様子に、彼女の心はゆっくり解けていく。
「二人とも、無事に帰って来て、本当に良かった」
普通に言ったつもりなのに、二人は彼女を見つめたまま強ばった表情になった。
「フィンドルフ。今日のパートンハド家への報告、任せていいか? ヘレントールのところには、明日改めて俺から挨拶に行く」
「構いませんが……。アルフレッドは今夜どうします? サタリー家に戻ります?」
「いや。ここに泊まる」
「は?」
同じ言葉が、サギリの口からも出ていた。
アルフレッドはサギリを見据えて言った。
「ユーリの婚約者として、宿泊する」
「お受け出来かねます」
「部屋は別でいい。客室が用意できるはずだ」
サギリはいつも以上に無表情だった。
「俺が婚約者として守らないといけなかったのに、出来てなかった。だからユーリがこんな顔をしてる。そうだろう?」
何も話していないのに、アルフレッドは不在中の出来事を知っているようだった。
「ユーリの演奏を聴いて、だいたい分かった。俺とユーリの関係が曖昧に見えるのがいけなかった。ここに俺が泊まれば、周りが勝手に話を作ってくれる。それとフィンドルフ」
「……はい」
フィンドルフは固い声で応えた。
「帰国早々で悪いけど、護衛の交代を早めてくれ」
ビクッと反応してしまった彼女を、アルフレッドは見逃さなかった。
「カーンか……」
違う、と言えるほど図太くなれず、ユーリグゼナは黙って俯く。
「ユーリ。明日も養子院行くだろう? 用があるから一緒に行こう。オスニエルに会いたいし」
「えっ……」
「こっちも、か……。ユーリ、悪かった。ほとんど俺のせいだったんだな」
アルフレッドは悔しそうに顔を歪める。
「違う。違うよ。アルフレッド。誰に何を聞いたのか知らないけど、全部私が悪かったの」
「じゃあ、ユーリがちゃんと説明してくれ。演奏だけだとだいたいしか分からない」
「えっ。本当に演奏だけで分かったの?」
「ユーリは演奏の方が雄弁だからな」
「アルフ、凄すぎない?」
「伝えられるユーリの方が凄いと思うぞ」
ユーリグゼナは改めて、本当は心を読めるのではないかと、疑った。
フィンドルフは席を立ち、荷物を背負った。
「アルフレッド。俺は先に失礼いたします」
「ああ。今回は本当に世話になった。ありがとう。これからもよろしく」
「こちらこそ。では明日早朝、護衛交代に伺います。……サギリ。アルフレッドを頼む」
ユーリグゼナは立ち去ろうとするフィンドルフに走り寄る。ずっと表情が固い。こういう時は要注意だ。
「フィン。勘違いしてない?」
「何を?」
「カーンタリスに何かする気でしょう?」
「………………当然だろうが」
「ダメだよ。事実を確認せずに動くのは」
「ユーリを傷つけた時点で、弁明の余地はないんだよ」
「フィンは王女の護衛だよ? 勝手なことをすると、私が責任を取ることになる」
フィンドルフは苦虫を潰したような、ひどい顔になった。
「……くそっ。分かったよ!! また俺は、ユーリを助けられないのか」
「助けられてるよ! フィンはいつも、私に元気をくれてる!」
「そう、だったか?」
「うん。さっきは演奏に付き合ってくれてありがとう。そうだ! ペルテノーラのお土産は? 何かある?!」
彼女が頑張って明るく言葉を重ねるうちに、フィンドルフは「あっ」と動きを止める。一度まとめた荷物を解き始めた。
「アナトーリーから頼まれた。『ユーリなら、価値が分かる!』って無理やり持たされたんだ」
手渡されたのは、折りたたまれた厚紙。ユーリグゼナは不思議に思いながら、開く。
「うわあ」
白い厚紙には、水色の小さな手形が左右一つずつ。桃色の小さな足形が左右一つずつ。
塗料を赤ちゃんの手足に塗り、紙に判子のように押しつけたのだろう。
何も説明されなくても、ユーリグゼナには分かる。叔父アナトーリーとレナトリアの間に生まれた、この世界で最も可愛い従妹のものだ。
「きゃあ──! フィン。見て見て!! 何この小っちゃい手。こんな可愛いもの存在する? 私の指先くらいしか握れないんじゃないかな」
「ああ。そうだな」
「フィンは手、触った?」
「ああ。形を取るとき手伝った。なかなか手を広げてくれなくて、すぐ俺の指を掴んでくるから、塗料でベタベタだ」
フィンドルフの指には、薄っすら水色の塗料が残っている。こんな小さな手に掴まれるなんて、どんなご褒美だ。
「羨ましいっ。いいなあ。いいなあ」
「いきなり元気だな」
「そりゃそうだよ!」
カラ元気ではない。本物の大騒ぎだ。
頬杖を突きながらこちらを見ているアルフレッドに聞く。
「アルフは? 足触った?」
「触った」
「どうだった?」
「ふわふわ過ぎて、壊れそうで怖かった」
「ふわふわなの?」
「そう。足って、生まれたときは柔らかいんだって、初めて知ったよ」
ユーリグゼナの顔は興奮で熱くなる。
アルフレッドとフィンドルフは顔を見合わせ、ホッとしたように頬を緩めた。
来月中には更新予定です。




