30.噂話
遅くなりました。
「思いますよ。会わないよう調整したのは、今日だけではないでしょうね。一体何をやっているのでしょう。そもそも……カーンタリスは護衛の務めを果たせていません。誠意も心構えも無いまま、突っ立っているだけでユーリグゼナ様が守れますか! 本来の主アルフレッドが戻るまで我慢しているつもりでしたが……即、首に追い込みます」
容赦ないサギリの声色に、ユーリグゼナは頭が真っ白になった。
不注意にも、脇に避けていた熱い鉄板に、肘が触れてしまう。
「あちっ」
「ユーリグゼナ様!」
サギリはすぐに立ち上がり、ユーリグゼナの肘を氷水につける。
「だ、大丈夫」
「傷が残ったら、なんとします」
真摯な表情のサギリを見ているうちに、ユーリグゼナは次第に落ち着いてきた。
「サギリ。いつもありがとう」
「……いえ」
「さっきの話だけど、何もしないで欲しい」
サギリは何も言わないまま、氷を追加している。
「アルフの大事な人だもの。私自身を認めてもらえるよう、頑張ってみる。……時間がかかっても」
サギリは不機嫌そうに、顔を上げた。
「……放ってはおけませんよ。許せないからだけではありません。表沙汰になれば、アルフレッド様も責任を問われますので」
「どういうこと?」
「護衛対象の王女の私的情報を外に漏らし、予定を操作したのです。立証されれば、罪に問われる行動です」
「え? 罪?」
ただの意地悪は大事に変わる。
テラントリーが真剣な眼差しで、ユーリグゼナを見つめていた。
「ユーリグゼナ様。兄とシノ様は養子院のため、日夜駆け回っています。子どもたちは二人の不在で手が回らないところをフォローしてくれています。そんななか……オスニエル様は一体何をやっているのですか?! 嫌がらせをする暇があるなら、食事の準備や片付け、洗濯に掃除の一つでもやればいいのです!!」
薄茶色の目は怒りに燃えている。
ユーリグゼナは固く目をつむる。
「分かった。ちゃんと調べて、私が正す。……だから二人は何もしないで。彼らの批判の目が、サギリとテラントリーに向くようなことがあってはならないよ」
事態が悪くなる前に止めるのは、地位を持つユーリグゼナの務めだ。認識の甘い駄目王女だとしても。
テラントリーは静かに告げる。
「ユーリグゼナ様を煩わせるようなことではございませんわ」
「テラントリー……」
「ご心配には及びません。私は何もいたしません。兄に焼菓子を言付けるだけですわ。それだけで兄は何が起こったか、すべて察してくれるでしょう」
彼女はナンストリウスに負い目がある。話すときいつも委縮している。
「二人きりで大丈夫?」
「そんなことを言っている場合ではございませんもの」
テラントリーは鮮やかに笑う。
「部下の動きを把握していないのは、兄の過失です。私は兄の足りない部分を補うために、ここにいます」
薄紅梅色の髪がふわりと揺れる。強い眼差しを眩しく感じた。
側で控えていたサギリは、ふっと顔を上げた。
「王に代理護衛が役目を果たすどころか、害があったと報告するのを、しばし待つことにいたしましょう」
相変わらず厳しい物言いだが、折れてくれる。
「……ありがとう。サギリ」
「いいえ。陰険根暗男がそろそろ動くでしょうから、お手並み拝見と参りましょう」
「陰険根暗男……シノのこと?」
いつの間にか、シノに黒いあだ名がついている。サギリには、嫌いな相手に別名をつける習性がある。
「シノは特に何もしないと思うよ?」
ユーリグゼナに会えなくても、彼の業務上は何の支障もない。
テラントリーが口を開け、また閉じるを繰り返す。サギリは優しくふんわり笑う。
「サギリは、男どもの好意を全く解さず、スルーしまくるユーリグゼナ様のことが大好きです」
「へっ?!」
「ですが、今後は周りにどう思われているかを把握したうえで、身を護ることも、必要だと感じました。……根も葉もない噂話ですが、多少はお伝えするようにいたしましょう」
サギリの笑顔が、ユーリグゼナには理解できない。
◇
焼き窯に入る鉄板数には限りがある。二回目が焼き上げる間、三人は初回分の端や、不揃いな形の菓子を摘まむ。厚めのキャラメル地が上手く仕上がっており、ユーリグゼナは満足気に頬張った。
サギリはテキパキとお茶を用意し、テラントリーは簡単な折りたたみ椅子を三脚用意する。ユーリグゼナが席に着いたと同時にサギリは語り出した。
「現在、ユーリグゼナ様のお相手として有力な人物は、アルフレッド様を入れ五名とされています」
「……そう。多いね」
お茶なのに、喉に詰まりそうだ。
サギリは淡々と続ける。
「本命は、幻の王族の末裔の方だそうです」
もう本気で誰? である。
「卒業式にシキビルド王を伴い現れ、ユーリグゼナ様を寮からエスコートされました。その優美で威厳のある姿から、只者ではないと世界中で噂です。正体を探ろうと各国が躍起になっているそうです」
「シ……シノだよ?」
「そうでございますが、あれほどの豪華な衣装を用意できる者など、世界でもそうおりません。しかもあの陰険根暗男は、所作だけは完璧ですからね。元王族という身分なら、しっくりくるのです」
シノは平民だ。元王族を探しても、彼の正体は出てこない。
さらに謎の元王族の噂は独り歩きして、別の疑惑も産んでいる。
「連れて来たシキビルド王が古い血筋を復興させて、何か企んでいるのではないかと、警戒されています」
「……そんな意図、ないと思う」
「承知しております。王は軽慮でございますので。……ただ周りはそのように噂話を流し、こちらの動きを探ろうとするのです」
ユーリグゼナの口から深いため息が漏れる。地位を持つということは、小さな一つ一つの行動に大きな意味を持たされてしまうということ。配慮が足りなければ、足元を掬われる。
テラントリーは茶色の丸い目で、彼女を見つめていた。
「ユーリグゼナ様。一人、厄介な方が噂になっています」
「誰?」
「学校長です」
「うっ」
これはユーリグゼナの失敗といえる。やはり、アルクセウスを連れ添い相手に選んではいけなかったのだ。
「学校長は、これまで独身主義者とされていたのに、初めて女性をエスコートしました。ユーリグゼナ様に本気なのでは、と憶測をよんでいます。さらに────次期ペルテノーラ王アクロビスは、ユーリグゼナ以外とは結婚しないと宣言しています。現ペルテノーラ王カミルシェーン様は、現在ユーリグゼナと婚約中と公言されていますし」
ユーリグゼナは苦い表情で言う。
「テラントリー。事情があるんだよ。それぞれに。三人とも本気で私と結婚したいわけじゃないんだ」
「そうなのですか?…………表沙汰に出来ない事情が?」
テラントリーが問うように顔を傾ける。薄紅梅色の髪がゆらりと揺れた。
「ええと……まあ、そんな感じ」
「私は皆様本気の求婚だと、思い込んでおりました。読み間違い、申し訳ございません」
「いや、全然。私こそ説明しなくてごめん」
アルフレッドとの結婚が進まないよう、わざと周りに誤解させている。そんな真っ黒な事情を、清らかなテラントリーに言いたくない。
「そうなると、本当のことは噂になっていないのかもしれません。……実は噂の発信源は、一部の令嬢たちではないかと推測されています。お茶会で有ること無いこと言い合い、盛り上がり、話を広げているとか」
お茶会は作法に厳しく、参加者の僅かな動作から心の機微を感じなければいけない。ユーリグゼナの超苦手分野である。これまで一度も参加したことがない。
「参加してない私の話で、盛り上がるの?」
「その場にいないユーリグゼナ様のことは、悪く言いやすいのだと思います」
「どんなことを言われているの?」
「その……」
テラントリーの口は重くなる。サギリが僭越ながら、と口を出した。
「『男好きの悪女』だそうです。高い地位の男を誑し込み、その権力と財力で自らの欲望を叶えるらしいです。──本当によく思い付きますよね。令嬢って暇人の集まりですか? 共通の嫉妬対象がいると、途端に結束して攻撃を始める」
もし、お茶会に行かなければならない日が来たら、絶対に病欠しよう。
男好きが何を示すのか、いまいち分からないが、あながち間違いでもない。
婚約者がいながら別の男性を想い、ペルテノーラの王たちの権力を使い、結婚から逃げている。そして自国の金を、自分の音楽のために使おうとしているのだから。
サギリが得意そうに語るのは、ユーリグゼナの思いと全く別のことだ。
「世界屈指の美貌と、可愛らしい性格のユーリグゼナ様に男が群がるのは、仕方がないこと。──無作法な噂話に花を咲かせる余裕があるなら、自分磨きをする方が先決でしょうに。男ごときに影響される生き方しかできない女性たちは、大変ですね」
「サ、サギリ……」
もうどこから突っ込んでいいのやら分からない。話題を変えてもいいだろうか。
「そうすると、サギリは結婚とかは考えない?」
「そうですね。仕事の邪魔そうですし。ただ、子どもはいてもいいと思っています」
「は?」
結婚しないけど、子どもは欲しい?
テラントリーが何度も頷き、参戦する。
「それは最高ですね」
とんでもない言葉に、ユーリグゼナは目を剥く。
「仕事を続けながら子どもを持てたらいいのに、とずっと思っておりました」
「そうでしたか。仕事中の育児が問題ですよね。それをヘレンが……いえヘレントール様がずっと『産んでくれたら、私が育てるから!』と仰っていまして。そろそろ願いを叶えても良いかと思っています」
「まあ。それでは?」
テラントリーが興味深げに、話を聞いている。
「いいえ。特権階級の男では、頭が固すぎて難しいし、平民の男では、どう子どもを作ればいいのか分かりません。今のところ、予定はありません」
テラントリーが、そうですわよねと相づちを打つ。
ユーリグゼナは二人のことが大好きだが、時々話に入れない。
次回「間違っているのは」は4月上旬までに掲載予定です。




