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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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29.お菓子な事態

遅くなりました

 ユーリグゼナは、友人テラントリーとよくお茶をする。妃セルディーナの側人として忙しく働く友人は、その僅かな休憩時間を、ユーリグゼナの部屋で過ごしてくれる。


「たまには一緒に養子院、行きませんか?」


 テラントリーの薄い紅梅色の髪が、躊躇いがちに揺れる。

 この年下の可愛らしい彼女は、休みの日を保護者のいない子どもたちの世話に宛てている。兄ナンストリウスへの罪悪感から始めたはずが、今ではとても楽しそうだった。


 テラントリーはいつも一生懸命だ。労を惜しまず最善を尽くす。

 すぐくじけてしまうユーリグゼナは、その姿にいつも励まされる。今日もまた、彼女のおかげで踏ん切りがついた。


「行く。……その時さ。焼菓子作るの手伝ってくれない? 養子院のみんなに食べて貰おうと思ってるんだ」

「素敵です。もちろん、お手伝いいたします! 私から養子院の担当者に話しておきます。いつにされますか?」

「サギリが護衛担当の日にしたい。二人じゃ大変だから、手伝って貰おうかなって──テラントリー。次のお休みはいつ?」


 テラントリーは興奮気味に答え、今日の護衛担当カーンタリスに、サギリの予定を確認する。


 (本当はシノがいる日がいい。直接渡したら、きっと喜んでくれて……)


 そんな甘い夢が浮かび、振り払うように頭を振った。

 髪飾りのお礼に、焼菓子を作る。そうシノに約束したのは卒業式の日のこと。それが果たされて、会う口実がなくなることが怖かった。でもこれ以上先延ばしにすることに、何の意味があるというのだろう。



 

 シノが留守がちな理由は知っている。

 養子院は今、大きな転機を迎えていた。シノは、代表者のナンストリウスとともに、その対応に追われている。

 

 養子院は本来、身寄りの無い子どもを養育する施設。

 それがこの二年、親が仕事で面倒を見られない平民の子どもたちを、有償で預かるようになっていた。

 シノは預けられた子どもたちを、養子院の子どもと同等に扱う。行儀作法を徹底し、共通語の読み書きを正確に習得させる。親たちの間でそれが評判になり、希望者が殺到している。


(そのうえ、入学前の教育が遅れている特権階級の子まで請け負うなんて。……無茶苦茶だよ)


 王の要請で、すでに三人受け入れたそうだ。階級の違う子が同じ施設で学んでいる。それがどれだけ大変か。

 それでも好機であることは間違いない。ずっと税金を使うばかりだった養子院が、ようやく幾ばくかの金銭を稼げるようになってきた。この局面を乗り切れば、養子院の評価は一気に上がる。


 誰よりもたくさん学校の授業を受けたユーリグゼナは、その授業情報を代表者ナンストリウスに渡した。入学前に修得すべき内容の洗い出しに、使われているらしい。多少でも役に立てているようで、嬉しい。


(シノ、頑張ってるだろうな)


 忙しかろうと、困難だろうと、彼は変わらない。いつも通り、一心にやり遂げようとするはず。




 



 ユーリグゼナは養子院の調理場に近い作業部屋を借りていた。

 簡易的な炉にかけた鍋で牛酪(バター)に熱を加える。溶けたら、甘味の強い材料を次々に投入し、沸騰するまでかき混ぜる。


「子どもたち、お行儀良くなったね」


 テラントリーは冷容魔術機械で寝かせていた生地を、平たく薄く伸ばす。


「はい。元々悪くはありませんでしたが、特権階級の子や親が来るからと、子ども同士で注意し合っているみたいです」

「え……もしかして特権階級が来るから、怯えてる?!」

「いえ。『自分たちのせいで養子院と代表(ナンストリウス)とシノさんが悪く言われないように!』って張り切っているんですよ」

「ふふふ。そっか。心強いね」


 思わず笑い声がこぼれた。養子院が変化していくことを感じても、子どもたちは怯まない。出来ることをして、大人たちを支える。


「よろしいですか?」


 扉の外からの声に、慌ててユーリグゼナは火から鍋を下ろす。

 

「ごめん! サギリ。すぐ開ける!」


 ユーリグゼナが扉を開けると、サギリは厚手の手袋で熱々の鉄板を持ったまま作業部屋へ入る。焼けた生地から、じゅうっという音と湯気が立ち昇る。


「まだ熱いのでお気を付けください」

「うわあ。いい色!!」


 頬を綻ばせるユーリグゼナの目に、扉の向こうから、こちらを伺う子どもたちの姿が映る。おそらく香ばしく甘い匂いが養子院全体に広がっていて、気になってしょうがないのだろう。


 テラントリーがくすくす笑っていた。


「匂いだけさせて、食べさせないのは可愛そうですね」

「じゃあ、とりあえず今焼けた分をすぐ出そうか? おやつの時間早まっちゃうけど」


 時間もそうだが、完成もしていない。本当は先ほど彼女が作っていたキャラメルと炒った木の実を、生地の上に乗っけてもう一度焼く予定だった。

 

 廊下から「やったあ」「いいぞいいぞ」と、調子に乗った子どもたちの声、ひゅーひゅーという変な口笛まで聞こえてくる。

 美味しいものの前では、お行儀とか飛んじゃうよね……とユーリグゼナは苦笑いする。




◇◇




 テラントリーは粗熱のとれた板状の焼菓子を、長い刃物でザクザクと小気味良い音を立てながら、リズム良く切っていく。


 それを見ながら、ユーリグゼナは一人沈んでいた。


(私、また失敗してる!)


 子どもたちの様子を見て、ようやく思い当たった。今回の焼菓子はとても高価だ。原材料だけで、ユーリグゼナが歌い手(セイ)としてもらうひと月分の給金が飛んだ。質素倹約が基本の養子院では、問題になるだろう。


 それに今回、おやつになったのは生地だけになってしまった。完成品を焼く口実がないではないか。目の前のキャラメル生地の素と薄切りの木の実は、お役御免である。


 窯で焼き終わった生地は、用意した分の三分の一。残りは作業場の冷容魔術機械のなかだ。サギリはそれを取り出し、鉄板に広げようとしている。

 

「サギリ。今日はこれで終わりにしよう!」

「まだシノ様にお渡しする分が出来ておりませんが?」


 うっと声が出そうになるのを我慢する。赤らむ顔を手で覆う。


「あのっ。今回、子どもたちのおやつを作るために、場所を借りてるでしょう? それなのに、個人的なものを養子院の燃料を使って焼くのは違うと思う。そもそも……牛酪(バター)と砂糖をふんだんに使ったお菓子なんて、差し入れて良かったのかな。贅沢なものは、教育上良くないと思う人もいる、かなって……食べ慣れないものは、身体に合わない子もいるだろうし……」


 話しながら、情けなくて泣きそうになる。どうしてこうも、上手く贈り物ができないのか。

 テラントリーが「考え過ぎですわ!!」と、焼菓子を切る手を止めてしまう。


「ユーリグゼナ様! 私、事前にきちんと話しを通しています。何の問題もありません!」


 差し入れ、寄付というのは、高価なものから破棄寸前の不用品まで、様々なのだそうだ。それを全て有難く、問題が起きないよう受け入れるのが養子院担当者の腕の見せ所だという。子どもたちも、その辺はよーく分かっているらしい。


「贅沢なお菓子をもらって怒る人なんて、いませんよ。残りは全部キャラメル生地を乗せて焼きましょう。ユーリグゼナ様のお帰り時間に間に合わないようでしたら、焼きあがったあと切る作業くらい、私がいたしますので」


 テラントリーは熱くなっていた。こうなったら後には引かないことを、ユーリグゼナは経験上知っている。


「分かった。作ろう。明日の子どもたちのおやつに出してもらえるよう、頼んでくれる?」

「はい。大喜びしますよ。でも……本当はシノ様にお渡ししたかったのでしょう? すみません。今日は外出されているそうです」

「あっ。いや、その……。いっぱい材料持ってきたからさ。シノだけじゃなく、調理係や世話係、ナンストリウスやオスニエルにも渡したいな、と思ってる。私──夕方前には御館に戻るよ。テラントリーからみんなにことづけてくれる?」


 いつの間にかサギリの目が暗く光っていた。凍るような声で呟く。


「……不在? ユーリグゼナ様がわざわざお手を煩わせてくださるのに? ……探し出して、〆るか」 


 


◇◇◇




 ユーリグゼナは「子どもたちがおやつ待ってるよ!!」とサギリを急かす。切った焼菓子を調理場に引き渡し、作業場の片付け、皿の準備と、次々にやりこなすうちに、サギリのシノへの殺意は薄れたように見える。ユーリグゼナはホッと息をつく。


 新たに焼きあがった生地が気持ち冷めた頃合いに、混ぜ合せたキャラメル生地の素と木の実を上に流し込む。終わりが見えてきて、少しずつ和やかな雰囲気になった。


「私、オスニエル様に兄とシノ様がいる日を伺って、今日にしたのです。それなのに、最初から出かける予定だったと、調理場の方に聞いて……本当に腹が立って仕方がありません!」


 ……全然和やかではなかった。テラントリーの薄茶色の丸い目が、逆三角形に変わっている。


「テラントリー。カーンタリスの妙な動きに合点が行きました。早々に始末しましょう」


 サギリの絶対零度の声が、ユーリグゼナを凍らせる。テラントリーは思案気な顔でサギリに言う。


「サギリも、オスニエル様とカーンタリス様が仕組まれたと思われますか?」


 身分の近い二人は互いに様付けをしない。側人同士の打てば響く会話に、ユーリグゼナはいまいちついて行けなかった。



次話は来月中旬までに更新します。

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