16.パートンハド家は主を選ぶ
日が暮れて森の中はどんどん暗くなってくる。食事の片付けも終わり、ユーリグゼナ達はそれぞれに荷物を抱えながら、家への道を急ぐ。秋も深まり夜間はかなり冷える。軽装で森の中に泊まるのは難しくなっていた。
ユーリグゼナは鍋を両手に抱え、背中には鞄を背負っている。彼女の鞄は森で採集したものでいっぱいだった。アナトーリーは眠ってしまったユキタリスを抱え、背中の鞄には重たい道具をたくさん詰め込んでいた。途中アラントスがふざけて走り始め、止めようとしたフィンドルフと追いかけっこになる。夜の森は危ないので、念のためヘレントールがついて行った。
ユーリグゼナはアナトーリーにずっと聞けなかったことを聞くため、口を開く。彼女の黒曜石のような黒い目は地面を見つめている。
「アナトーリーは、どうやってライドフェーズ様と知り合ったの?」
「……。捕まって牢屋で餓死しそうなところを助けてもらった」
「!」
アナトーリーは戦前に父親から跡継ぎから降ろされ、国外へ追い出されていた。当時紫位階級で何不自由なく暮らしていた彼からは想像もつかない末路だ。
「博打で摩ってしまって」
「!」
「詐欺まがいのこともしてしまって」
「!!」
「何か身に覚えのない罪状まで積まれて、牢屋に入ってた。受刑者の食事は後回しだったから、きつかったな」
アナトーリはよいしょっと、ユキタリスを抱え直す。アナトーリーの薄い茶色のやわらかな髪がふわりとなびいた。ユーリグゼナは仕組まれていたのではないかと考えていて、疑い深そうに彼を見た。その視線に気づいたアナトーリーは言う。
「そうかもな。仕組んだのがシキビルド側なのか、ペルテノーラ側なのかは分からない」
「どうしてライドフェーズ様を信頼できたの?」
「……。ユーリも自分の主を選ぶ時が来たら分かるよ。理屈じゃないんだ」
「選んだんだ……。ライドフェーズ様を」
「ああ」
パートンハド家の者は主を選ぶ。そして一生、主を変えることはない。パートンハド家の惣領が選んだ主は必ずシキビルドの王になる。前惣領のユーリグゼナの祖父は、主を選ばなかった。そして前シキビルド王に処刑されている。恐らく忠誠を誓わなかったことが原因ではないかと彼女は思っていた。
(アナトーリー。嫌な予感しかしないよ)
ユーリグゼナは急速に体が冷えていくのを感じた。アナトーリーは頭もよく、才能にあふれた青年だ。特に音楽に関してかなう人はそういない。だが、あくまで平和な世の中で活かされる才能だ。優しすぎて、家族が大好きすぎて、命の駆け引きをするような場面に耐えられない。そう、祖父が称していたのをユーリグゼナは思い出した。
どうすればいいのか、どう伝えればいいのか分からずユーリグゼナは、黒曜石のような目を伏せ、また俯いてしまう。アナトーリーは苦しそうに笑う。
「ユーリにそういう顔されると、きついな」
「ヘレンたちが助かって今の幸せがある。それは本当にありがたい。けど……。さっきのフィンの話の時に分かった。アナトーリーはシキビルドに味方がいないんだね。そんな状態だったら元敵国のライドフェーズ様の信頼が厚いのも、パートンハド家の惣領になるのも、シキビルドの人からは批判しかされない。孤立する。ライドフェーズ様は一体どんなつもりで……」
「ユーリ! やめてくれ」
アナトーリーは苦しそうに大きな声を出す。ユーリグゼナは固く目をつぶる。そして、ゆっくりと話し出す。
「私はアナトーリーばかりが我慢しなければならないのは嫌だよ。ヘレントールにも相談して、出来るだけ家族で考えていこう。一人で抱える問題じゃない」
アナトーリーは何も答えず、ただ黙々と歩くばかりだ。ユーリグゼナはふうっとため息をつく。
「大好きだから言ってるんだよ?」
アナトーリーが立ち止まる。少しは届いたか、とユーリグゼナはホッとして彼の近くで立ち止まる。しかしアナトーリーは怒ったように言った。
「そういうこと言うな」
「なんで?!」
ムッとしているユーリグゼナの頭上に、アナトーリーはそっと顔を近づけ、目を閉じた。彼の口元が彼女の艶のある黒髪をかすめる。そして何もなかったかのように言う。
「臭い。煙臭い」
「え?! アナトーリーもでしょう?」
「ユーリは特に臭いだろ? 真珠麿を三十個も焼いてたからな」
「そんなの今更言わないでよ!」
ユーリグゼナが食べ過ぎた恥ずかしさから、つい大声になる。あんまり大騒ぎしてしまうと、森の魔獣を刺激してしまう。何とか大騒ぎは心の中だけに留めた。
(もう──! アナトーリーの馬鹿馬鹿大馬鹿!! 家族の心配も考えてよ。頑固者──!!! 絶対ヘレンに言いつけて叱ってもらう)
アナトーリーは先ほどの張りつめた顔を緩ませて、ユーリグゼナの顔を面白そうに見ている。そして身動きするユキタリスを見て、抱き直すと彼の頭を優しく撫でた。アナトーリーの薄い茶色のやわらかな髪がふわりと揺れた。
すっかり暗くなってしまった森はざわめく。獣たちの声があちらこちらから聞こえ出す。こうなるとこのままは返してもらえないのがシキビルドの魔の森である。ユーリグゼナもアナトーリーも頭上の木々と空の色から、のんびりし過ぎたことに気づいた。魔獣や魔樹たちと戦いながら切り抜けるか、森の精霊たちに助けを求めるか、音楽で誤魔化すか。
(もちろん音楽でしょう!)
先ほどまでの不機嫌は一変し、ユーリグゼナの黒曜石のような目がキラキラと輝く。それを見たアナトーリーは嫌そうな顔をした。彼女は嬉々として手に持っていた鍋も荷物も下草の上に置く。そしてアナトーリーからユキタリスを受け取ろうと両手を差し出す。促され仕方なくアナ―トーリーは寝入っているユキタリスをそっと彼女の腕の中に置く。そして自分も背負っていた鞄を下ろし、中から弦楽器を出す。彼の胸の前に構え調音のため軽く弦を鳴らし、ため息をついた。
「ヘレンに叱られるな」
(元々叱ってもらうつもりです)
ニッコリとユーリグゼナは笑った。座り心地の良さそうな切り株を見つけ、よいしょっと座る。ユキタリスを抱き直す。
「アナトーリーの歌が聞きたい」
「ユーリは何をするんだ」
「ユキを起こさない程度に一緒に歌います」
ユーリグゼナが聞きたい曲名を伝えると、アナトーリーが本当に嫌そうな顔をした。よりによって、とつぶやきながら弦を鳴らし始める。その美しい弦の音が響くと、辺りの魔を振り払うかのように、森に清浄な空気が流れ始めた。アナトーリーの甘やかな切ない歌声がそこに加わる。
森の奥で
ほのかな光が 消えそうに光る
なつかしさを覚える 大切なもの
私の中にしみていく
心の奥の渇きを潤すように
優しい嘘で 私を満たす
本当のことでなくても
鮮やかに輝き 私を壊す
アナトーリーの透明でやわらかな声が、暗闇の中にしみるように溶けていく。森の中は静まり返る。人ならざる者も思わず聞き入るほど、美しく儚い歌声だった。ユーリグゼナは知らず知らずのうちに涙がこぼれ、慌ててぬぐう。
彼女の心の中で、小さなユーリグゼナが『おうたをうたって』と言う記憶が蘇ってくる。彼女は小さい頃、アナトーリーを見つけると駆け寄って歌をねだっていた。まだ成人したばかりのアナトーリーはそれを聞くと、決まって心底嫌そうな顔をしていた。でもいつも根負けして歌ってくれる。優しい声で美しい歌を。
(この大事な人どうやって守ろう)
ユーリグゼナは再び歩き出すために荷物を整えながら、強くそう思った。
アナトーリーは無理やり歌わされて、げんなりしながらも少しスッキリした顔つきになっていた。恐らくずっと歌っていなかったのだろう。特権階級は、さっきの歌のような心の中を赤裸々に歌うことをしない。
ユーリグゼナは小さい頃から、人に見えないものを見、聴けないものを聴いていた。家族以外から理解されず、厄介事ばかり起こしていた。そんなユーリグゼナにアナトーリーは、自分の心を歌う術を教えてくれた。思っていることを音楽にのせ、シキビルドの現地語で歌えるようになると、彼女の理解してもらえない苛立ちは減り、他人とも話せるようになった。
そして、彼が人知れず大事にしていた場所に、ユーリグゼナを連れて行ってくれるようになった。そこには音楽を愛する仲間がたくさんいた。彼女が歌や演奏に真摯に向き合うようになると、一人の人間としてみんなが認めてくれるようになった。
家族が消え、ユーリグゼナ一人になると、パートンハド家の邸宅は幾度となく略奪にさらされるようになる。とても一人では守って行けず、ユーリグゼナは家を破壊し更地にした。大事な荷物は森の小屋に納め、一人暮らしを始める。避難場所は学校。そして心の拠り所は、アナトーリーが紹介してくれた場所。『楽屋』という平民の店だった。
(今度は私がアナトーリーを連れて行こう)
そう思いつくと、ユーリグゼナはホッとして足取りが軽くなった。急に表情を和らげた彼女を見て、アナトーリーは顔をしかめた。「何かろくでもない事を考えついた顔だ」と呟いた。
すると今まで大人しく寝ていたユキタリスがモソモソと動き出す。そしてアナトーリーは情けない顔になりつぶやく。
「ああ。これは……」
ユーリグゼナもユキタリスの様子に気づき、残念そうにつぶやく。
「お漏らししちゃったみたいだね……」
「全速力で帰るぞ」
「了解」
二人は大荷物を抱えながら、高速で足を進める。ユキタリスは不機嫌そうに目を覚まし、ヒックヒックと声が漏れ始めた。次の瞬間、森に彼の大きな泣き声がとどろく。魔獣たちを蹴散らしながら帰る家路はなかなかハードなものになった。
次回「戻った男と爺」は1月4日18時に掲載予定です。




