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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部
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27.足りない

やってなかったから出来ない。当たり前ですが。

 成人したユーリグゼナは、正式に王女として公務が始まる。付け焼き刃で身に着けた王女教育は、もう通用しない。

 卒業してシキビルドに戻ってきてからというもの、連日、王の側近から指導を受けていた。



 最年長側近セシルダンテは、落ち着いた様子で手元の資料から目を上げる。


「書類は必ず内容を確認の上、署名してください」


 今日は常識的な内容。難しくなさそうだと、ユーリグゼナは内心ほくそ笑む。


「それでは、現地語で書かれていたり、内容が難しくて分からない場合、どう対応しますか?」


 やんわりと問う翁に、彼女は元気よく回答した。


「信頼のおける賢い側近に、しっかり確認してもらってから、署名します」

「誤りです!!」


 温和な彼の表情は一変し、こめかみがピクピクと痙攣(けいれん)する。


「御自分が理解できないものに署名して、どう責任を取るおつもりですか?! 成人が署名した書類は、正式な契約書になります。学生のときと違い、保護者が庇うことはできません。全責任を貴方が負うのです。それに……臣下の私は呼び捨ててくださいと、何度申しましたか?! 言葉遣い、立ち振る舞いに至るまで王女としての威厳を求められます。そろそろ自覚していただかないと」


 ああ、やはり今日も怒らせてしまう。王女として足りない部分はどれだけある。

 途方に暮れながら、ユーリグゼナは前を向く。穴だらけだとしても、一つずつ埋めていく以外、やりようがないのだ。まずは誤った内容の確認から。


「署名は……公式の場で王女として求められても、理解できないところがあれば、署名しないのですか?」

「もちろんです」

「国の代表としてそれで問題になりませんか?」

「場の雰囲気に流されて署名するなど、絶対にあってはなりません。持ち帰ると仰ってください」


 会合の場合は、先に資料が提出され、前触れがない事項は話されない。しっかり用意していけば、理解に困ることはないという。もちろん前もって勉強して行くことは大前提で……。


「言葉遣い、立ち振る舞いは今……学び直しています。どうにか公式行事の前までに間に合わせます。それまで、誤りは随時指摘してもらえると有難いです」


 シノとテルに習って以来、二年ほど練習を怠っている。成人として求められる水準は高く、習得は容易でない。


「……そのように臣下に腰が低いのも、いえ…………一度休憩いたしましょう」


 セシルダンテは一度本を閉じ、側人に茶の用意を命じる。

 ユーリグゼナは小さく息を吐いた。


 側人たちが準備のため下がる。するとセシルダンテは、まるで世間話でもするように、のんびりと訊ねた。


「アルフレッドとの婚約を破棄したいと、王に願い出られたと伺いました。本当のことですか?」

「……はい」


 彼の目が鋭く光る。空気が瞬間凍結した。全然休憩の雰囲気ではない。


「この結婚があるから、貴方はシキビルドの王女でいられる。解消されれば、各国から求婚者が押し寄せてきて、あっという間に花嫁として国外へ連れ出されるでしょう」


 セシルダンテは、ユーリグゼナがモテるとでも思っているのだろうか。いや。婚期の王女は普通、もっと縁談が絶えないものなのかもしれない。

 彼女はため息混じりに下を向く。


「ご心配なく。婚約を解消したところで、私を欲しがる人なんか、現れませんよ」


 ほうっと翁は笑う。


「おや、お信じになりませんか。ルリアンナ様譲りの美しい面差しに、男心を溶かす可愛らしい笑顔。婚約している今ですら、魅入られた有力者の子弟たちの求婚は数も熱意も凄まじい。円満にお断りするのに、(じい)めらは日々苦心しておりますよ」


 ユーリグゼナには全く実感がない。これまでに本気で求婚されたのは、アルフレッドただ一人だ。


「貴方自身の魅力に加え──音楽を奏で、国土を清め、拡大させる不思議な力を持つ王女となれば、国にとってどれだけ有益か。皆手に入れるため、どんな手段でも取ります」

 

 やはりセシルダンテの話は大袈裟のように思う。ミネランが捕縛され、犯罪を犯してまで彼女を得ようとする国はもはや無い。

 それに成人したユーリグゼナの護衛は強化されている。今はサギリとフィンドルフが交代で四六時中護衛し、彼女自身も剣術の鍛錬を始めた。王ライドフェーズからは護身用魔具をたっぷり持たされている。さらうのはもう無理だろう。

 

 ユーリグゼナの顔を窺っていたセシルダンテは、細い目をさらに細めた。

 

「──先ほど契約書の話。一番被害が多いのが、成人したばかりの若者です。金銭の詐欺ならまだいい。甘言に惑わされ、婚姻の契約をして人生を失う者もいます」

「どうして、おかしいと気が付けなかったのでしょうか」

「……騙される人はたいてい、そう言いますな」


 彼がにやりと笑う。ユーリグゼナはむむっと眉間にしわを寄せる。


「婚姻の契約魔法があれば、ユーリグゼナ様が騙されても結婚相手のアルフレッド様が何とかできます。──貴方は認識が甘い。それを好ましく思う人もいるでしょうが、王女としては欠陥です。婚姻は互いの足りないところを埋め合い、安心して子孫を育む優れた仕組みです。ぜひ利用してください。貴方は素晴らしい王女になれるでしょう」

「私は……結婚しません」


 絞り出すように、どうにか言葉にする。

 セシルダンテは彼女を見つめた。


「王族の結婚は国の(まつりごと)。貴方の義務です。紫位で各国の有力者から評価の高いアルフレッド様が適任ですが、物足りないなら、他に何人か候補を立てますか? 王女なら夫が複数いても問題ありませんし」


 凍り付いたユーリグゼナに、冗談です、と微笑む。


「貴方はシキビルドの至宝です。他国に取られる隙を見せるわけにはいかないのですよ。どうか早期に結婚を。恋愛は…………婚外で行えばよろしい。皆そうしています」


 囁かれた言葉に、全身が硬直する。


 扉が叩かれ、側人がお茶と菓子を運び込む。

 セシルダンテは陣をとき、秋が終わりだいぶ冷えてきたと話題を変えていた。

 ユーリグゼナは、ふわりと湯気を上げる茶と彩り良く盛られた菓子を見つめる。味がしないように思った。









 ユーリグゼナが王女教育でまいっているなか、婚約者アルフレッドと従弟フィンドルフはペルテノーラへ旅立つ。

 

「私も行きたい。後から追いかけようかな。許可出たら」


 時空抜道(ワームホール)の拠点まで見送りに来たユーリグゼナは、俯きがちにこぼす。荷物を背にしたアルフレッドは、ゆっくり首を傾けた。

 

「……難しいだろうな。ユーリは成人した王女だから、他国に渡ると非公式でもいろいろぞろぞろ付いてくる」

「でもほら、カミルシェーン様なんて王なのに一人でシキビルドに」

「それを見本にしていいのか?」


 いいわけがない。あんな変な王族になりたくない。

 ユーリグゼナは深い深いため息をついた。

 

「はあ……会いたかったよ。私の初めての可愛い従妹(いとこ)に」


 アナトーリーとレナトリアに娘が産まれた。間違いなく可愛い。今すぐぶっ飛んで行きたいのに、事実上教育係になっているセシルダンテの許可は取れない。

 アルフレッドは、くっと笑う。

 

「可愛い従弟(いとこ)なら、三人もいるだろう?」


 彼がちらりとを振り返った先に、一番上の従弟フィンドルフが面倒そうな表情で立っていた。


「ユーリ。いつまでも駄々をこねるな。俺たちは遊びに行くんじゃない。アナトーリーから『眼』のお役目の指導を受けに行くんだ。さっさと出発したいから、もう帰れ」


 初仕事に向かう二人を心配する気持ちもあり、見送りに来た。邪険にしすぎではないか、とユーリグゼナはいじけた顔になる。

 

「周りを説得できるだけのことをしてこなかったユーリが悪い。セシルダンテ様の王女用課題が壊滅的な点数だったって? いない間、しっかり勉強しろよ。帰ったらどれだけ進んだか確認するからな!」


 フィンドルフはいつも正論だ。ときに余計なことまで説教を始めてしまう。可愛くない。

 それでも、今回はあえて邪険にしているように思う。彼はユーリグゼナがうまくいっていないのを知っている。内心寂しくてたまらないのだと気づいている。

 

 そっと顔を寄せ「何かあったらいつでも連絡しろ。すぐ帰ってくる」と囁いてくる。そういうことは大声にしないのがフィンドルフらしい。


 アルフレッドは彼女の背後に控えていた護衛に、声をかけた。


「カーン。ユーリを頼む」


 ()()護衛であるカーンタリスが、アルフレッドの足元に進み出て、跪く。


「謹んで承ります。この身に代えて、王女をお守りすると誓います」


 休校中限定で()()()護衛になったフィンドルフが、アルフレッドと旅立ってしまうため、特例処置で護衛対象を交換することになった。

 フィンドルフが期間限定護衛なのもあり得ないが、護衛の交換はもっとあり得ない。それがやむを得ないほど、シキビルドは人が足りない。王族に仕えられるほどの家柄と教養、武術を兼ね備えた人材がほとんどいないのだ。


 アルフレッドは困り顔で友人に言う。

 

「……固いよ。カーン。俺たちだけの時は、今まで通りでいい」

「いえ。アルフレッド様は王族になられます。今後は人目がある環境が普通になります。今のうちから慣れておいた方が良いかと」


 アルフレッドは、小さく息をついた。


 シキビルドに戻ってきてから、ユーリグゼナとカーンタリスとの関わりは増えた。忠誠心に燃える彼の姿に、彼女はモヤモヤしている。


「……じゃあユーリ。行ってくる」

「うん。気をつけて。二人とも無事を祈ってる」


 アルフレッドとフィンドルフが時空抜道(ワームホール)へ歩き出す。

 ところが、アルフレッドだけがくるりと振り返った。


「ユーリ。鍵盤楽器(ピエッタ)の練習は毎日しておけよ。帰ったら合わせるぞ」

「……うん」


 鍵盤楽器(ピエッタ)は養子院の五角堂にある。養子院にはシノがいる。アルフレッドは、彼女がシノと会うことを黙認していた。


 二人の姿が消えていき、寂しさで心がいっぱいになる。気を取り直して、顔を上げると、カーンタリスの目がチクリと彼女を刺した。


 

次話「反発」は近日更新予定。

養子院に向かいます。アルフレッドの友人(音楽狂)登場。

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