18.小さな賓客2
シノ視点続き。更新遅くなりました。
「……妖精王とお呼びしても、よろしいか」
ようやくライドフェーズが答えた言葉に、妖精王は不満げに赤い目を細めた。
「他人行儀な婿殿じゃ」
いや、兄者は古めかしすぎるだろう。シノは頭の整理のため、とりあえずお茶の用意をすることにした。
ライドフェーズは硬い表情のままだ。
「……なぜ、こちらに?」
「せっかちじゃな。……ああ。シノとやら、余の茶は要らぬから、菓子だけ小さく砕いてくれるか?」
急に名前を呼ばれた動揺は、胸の奥に押し留める。妖精王に小さく頷いた。
◇
「非常に具合の良い椅子だ。もてなしに感謝する。小さき姫よ」
妖精王の言葉に、アーリンレプトは目を輝かせた。彼女が用意したのは、彼女の父ライドフェーズと義姉ユーリグゼナが買い揃えた、法外な金額の人形用ミニ応接セット。本物さながらの精巧な椅子と机が、精密な模様の絨毯の上に、置かれている。
アーリンレプトは自慢の玩具を褒められ、満足気だ。気分良くお茶会ごっこ用の小さな陶器の食器をシノに差し出した。シノは内心の困惑を隠しながら、消毒し清める。
通常の食器では大きすぎるとはいえ、玩具を使用することに、気を悪くしないだろうか。アーリンレプトの期待に満ちた眼差しを受け、菓子を盛る。妖精王は優美な笑顔で「頂こう」と口にしてくれたので、ホッと胸を撫でおろす。
「ペルテノーラ王と、時空抜道で来られたと?」
ライドフェーズの苛立ちが、わずかに声に混じっている。妖精王の口調はゆっくりで、要領を得ない。
「そう。謝神祭の時期は聖城区の護りは解かれ、各国もそれぞれ縛めを解く。今なら余のような存在も移動が楽なのだ。ペルテノーラ王が親切にも、同行を申し出てくれてな」
さらさらした長い金髪は、妖精王が動くたびに光を反射させる。
「……それで妖精王。なぜ今頃になって来られた。……セルディーナを一人きり、妖精界から追放しておいて。これまで彼女がどうやって生きてきたか、知りもしないで……!」
ライドフェーズの溢れた思いは、言葉に現れる。
妖精王はフフと笑い、膝に肘を立てた。
「婿殿は率直な人間じゃな。──余の父は妹御前を溺愛するあまり、この世界の理すら破って命を繋ごうとした。そのすべての贖罪を妹御前一人に背負わせ追放したのは、余だ。……婿殿の怒りは的を得ている」
「セルディーナは……あなた方を憎んでいない。だからこそ、私が赦してはいけないと思っている」
「赦しなどいらぬ。憎まれて当然のことをした。余は遠からず報いを受ける」
ライドフェーズは何も答えず、グッと茶器を掴み一気に飲み干した。かちゃっと受け皿に置く音が響く。シノは自分の親指ほどの皿と、ライドフェーズ用の取り皿に、菓子を大盛にする。二人は共に手を伸ばした。部屋でするのはコリコリと咀嚼する音だけだ。
妖精王は穏やかな表情で、シノにお代わりを求め、話に戻る。
「我らは、未来永劫会えぬ契約魔法に縛られている。だが今回は……」
セディの方へ目を向ける。
「友人の助けがあった。セディに意識がある間、妹御前は出て来れない。契約魔法が発動せず、会いに来ることができた。さて、本題じゃ。……『シノとユーリグゼナを娶せたい』という妹御前の願いを叶えるため、参った。ユーリグゼナには、ペルテノーラで焦土の地を癒やしてもらった恩義がある。出来うる限りのことをしよう」
シノは何を言っているのか理解するのに、時間がかかった。
妖精王の金色の頭は、ゆるりと傾く。
「しかし、よく分からぬ。結婚したいなら、すれば良かろう?」
ライドフェーズが答えた。
「シノは平民、ユーリグゼナが王女。身分の違い過ぎる結婚は、周囲に認めてもらえない。反発が起き、生きづらくなる」
「なんとも狭い了見じゃ。余にも身分の低い妻がいるが、結婚の際は皆、祝福してくれたぞ。妻同士の仲も良い」
シノは咳払いをして、二人の話を止める。無礼だろうとなんだろうと、正しておきたい。
「礼を逸して、申し訳ございません。発言をお許しいただけますか」
「構わぬ」
気に留めない様子の妖精王に、シノは深く頭を下げる。
「私は結婚を望みません。お側にいられるのなら……今のままで充分幸せです」
「そうなのか。さほど好いてはおらぬのだな」
「いえ。その……私にとってユーリグゼナ様は、この世界で唯一の女性です。結婚できたなら、どんなに良いかと思います。ですが私の欲で、彼女の未来を損なうようなことは、したくありません」
手に入れたい気持ちは山ほど。でもそれを超える強さで、ユーリグゼナの幸せを願っている。彼女の笑顔が輝くのは、友人たちと演奏しているとき。
シキビルドでの音楽の地位は、未だに低い。仕事だとみなされにくい活動を続けるために、王女の地位を固めていた方がいい。そんなときに平民との結婚はあり得ない。
「……相手が望まぬことはしないと。……そちが、そういう人間になるとはな」
妖精王の目は部屋を通り越し、遥か遠くを見ている。シノは首を傾けた。
「……今までにお会いしたこと、ございましたか?」
「お話中、恐れ入ります」
テルの声が、話を妨げる。
「セディが話があると、申しております……」
全員の足がセディの枕元へ向かう。
セディは、ライドフェーズ、妖精王の姿を赤い目に移しながら、シノの首元を指差す。
「これのお返しをしたいの」
シノはユーリグゼナから贈られたお守りを、首元から引き上げる。紐は青紫色と灰色を基調色に、一束だけ緑色が組まれている。魔法陣の描かれた石は、紐で半分ほど覆われている。立ち動く作業の多いシノが、肌を傷つけない配慮のように思えて、心が温かくなる。
「これはユーリグゼナから? なんと手の込んだ……。シノ。きちんと求婚されておるではないか! 余は、いらぬ差し出口を挟んでしまったのかと、案じておったというのに」
いつの間にかシノの肩に、妖精王が乗っていた。組まれた紐を興味深げに見ている。
「私も持ってるの。セルディーナにくれたのだけど。これのおかげで話せている。……ユーリグゼナに、お礼がしたい」
セディは僅かに腕を上げ、手首に巻かれた紐を見せる。妖精王はうんうんと頷く。
「求婚者の家族にも送るのが礼儀だからな。これは、彼の姫の想いを汲みとってやらねばならぬぞ。返礼すれば求婚を承諾したこととなり、結婚成立だ。周りが認めぬというなら、まずは余が認めることとしよう」
「いえ。それは……」
シノは伝わっていなかったのかと、愕然とする。ライドフェーズが物憂げな様子で口を挟んだ。
「返礼……。そんな形式的なことで結婚できるとは思えぬが。──それより、妖精王。どう検証しても分からぬことがある。お知恵をお借りしたい」
ライドフェーズは、シノの気持ちを読み取り、話題を変えようとしている。
「なんなりと」
「シノが時空抜道を通ると、なぜか毎回故障する。平民用なら通過可能だが、特権階級用を使う私との時差が、ひどいときには半日くらい出てしまう。卒業式に連れて行けなくて、困っている」
実はシノが強く希望した学校行きは、頓挫していた。ライドフェーズの真摯な態度に、妖精王は神妙な表情で答えた。
「うむ。時空抜道は人が作った脆弱なもの。知識が及ばぬこともあろう。余が調査しよう。……ところで卒業式とは、妖精界の成人の儀であろう? 結婚相手は立ち会わなくてはなるまいな。……ああ。衣装も必要じゃ。採寸するために、外に待たせている妖精たちを入室させてもよいか?」
話題は変わらなかった。妖精王の勢いは、止まらないどころか増している。最初の、のらりくらりと要領を得ない口ぶりはどこに行った。
結婚はしないと言ったはずなのに、聞く耳を持たない面々にどう伝えればよいか、シノは頭を悩ませる。
◇◇
ライドフェーズと妖精王は、同時に上を見上げる。ライドフェーズは強ばった顔で呟いた。
「……これは」
「ああ。余も行こう」
妖精王はシノの肩から下り、セディの顔のすぐ側へ近寄った。膝を折って、深く頭を垂れる。
「……心からの敬意を捧げる。大きな犠牲を払って、妹御前を生かしてくれたこと、寄り添って生きてくれたこと全てに感謝する。追放された孤独は消え、愛しい者に囲まれ、幸せに逝くであろう。セディと妹御前との残された日々が、実り多きものであるよう祈っている。──何か余にできることはあるか?」
セディはじっと見つめた。
「……私の大事な人たちを見守って欲しい」
「心得た。婿殿も、小さき姫も。シノもテルも。ユーリグゼナも。これからは余の大切な家族だ。そちが思うように余も思おう。……さらばだ。セディ」
妖精王は高く跳躍して、呆然としていたライドフェーズの肩に飛び乗った。
「行くぞ。婿殿」
後ろ髪ひかれるように振り返るライドフェーズを促す。風のように二人は姿を消した。
◇◇
学校のある聖城区で起こった異常事態は、半日ほどで片がつく。しかし後始末、つまり時空抜道の修理や、国内外の安全点検に時間がかかり、ライドフェーズは御館を留守がちになった。
それでも僅かな合間に何度も部屋に戻ってきては、セディの様子を確認する。
セディは眠りにつく直前まで、アーリンレプトを甘やかした。大好き。愛しい。かわいい子。何度も言っては頬に触れる。
シノとテルを枕元に呼んで言う。
「二人に幸せになって欲しい。私たちのことは忘れていいよ。シノ、自由に生きて。テル、泣かないで。私の好きな人を想ってくれて本当に嬉しいんだよ?」
シノは彼女たちを守ってきた。でもずっと見守られてきたのは自分の方で、それを完全に失うのだと知る。
セディは再び眠りにつき、意識が戻ることはなかった。
次回「手にあるすべて」は8月11日までに掲載予定です。
ユーリグゼナ視点に戻ります。
学校最終日。閉校式、卒業式、演奏会と続きます。




