17.小さな賓客
謝神祭の前後のシキビルド。シノ視点
シノの夢見は悪い。
何もない真っ暗な空間に閉じ込められ、一緒にいた誰かもいなくなり、一人きりで何年も過ごす。そんな気が狂いそうな夢を、繰り返し見てきた。それが……ピタリとなくなった。
代わりに見るようになったのは、口にするのも憚られる夢。
今朝も整った造作の眉間に深いシワを寄せ、寝台から起き上がった。身を清め身支度を終えれば、いくらかはマシな気分になる。自室を出て、洗練された足運びで進む間に、穏やかに微笑むシノが完成する。
「おはようございます」
「おはよーございます!」
高く幼い声が、次々にシノに挨拶を返す。養子院に住みこんでいる彼は、いつものように子どもたちと朝食をとる。彼に休暇というものは存在しない。自室に戻る休憩時間があるだけだ。
昨夜は突然、ペルテノーラ王カミルシェーンが現れた。ブルーナという子どもに会わせろ、と要請され、慌ててシキビルド王ライドフェーズと、養子院代表ナンストリウスに連絡をとる。彼らが到着するまで間、お茶と菓子攻撃で動きを封じた。カミルシェーンは菓子が切れると、養子院内を自由に歩き回ろうとするので、必死だった。
今日は養子院のことを別の担当者に任せ、御館へ向かう。
◇
セルディーナの湯浴みをテルと二人で終え、部屋を整える。アーリンレプトの背が伸びて、着れなくなった服を整理し、採寸し直す。共通語の文字を覚えるための子ども用の本、小さな手にも合う筆記用具など新たな購入項目を作り……。
御館にいれば、いくらでも仕事は湧いてくる。シノはできるだけ御館に立ち寄り、セルディーナの世話と王女の育児を担うテルの負担を減らそうとしていた。テルは楽しそうに言う。
「パンとお菓子、食べてもらえて良かったわね」
シノはガクッと力が抜けた。表情の乏しい顔に赤みが指す。
「なんで知っている」
「『一生のお願いです。ユーリグセナ様が学校に行かれる日を教えてください!』 ってライドフェーズ様に泣き付いたんですって?」
仕事中は見られないはずの彼女のクスクス笑い。シノは睨んで抗議した。
ユーリグセナと別れた朝、何としても新作パンと菓子を渡したいと思いつめ、主であるライドフェーズに情報提供を乞う。ライドフェーズは笑いながら、「そんなことに、一生の願いを使ってくれるな」と、快く教えてくれた。さらにはユーリグセナのお茶会用の菓子を、シノに任せる。
「シノのパンとお菓子、カンザルトルで大流行しているんですって?! 『病みつきパン』に、『恋する菓子屋』、だっけ?」
「だから……なんで知っている」
テルは機嫌良さそうに、黙って仕事の手の早める。
情報源が予想通りなら、心が通いはじめている、ということか。
(それはそれで頭が痛い)
追求されたくなかったのか、テルは話題を変える。
「養子院にもう一人、特権階級の人が入ったんですってね。どんな人?」
「ああ。去年成人したばかりの音楽好きの青年だ。養子院の五角堂での演奏会で興味を持ったそうだ。ナンストリウス様は、その程度の覚悟じゃ務まらない、と断った。それにもめげず、サタリー家の推薦状と連帯保証人にアルフレッド様の署名がある書類を持って、もう一度自分を売り込みに来た」
「……それって、シノの監視じゃない?」
そんな気もしていた。でも、それも当然だし構わないと思っている。
「だとしても、きちんと務めてくれているから、助かってる」
「……あなた、そのうち殺されるわよ?」
テルの少し怯えた声に、シノはふんわり微笑んだ。
「そうかもしれない」
でも、不幸だとは思わない。身分違いの少女に恋をして、恋敵に殺される激しい人生。これまでの生き方からは想像もできない。
「……それでも、アルフレッド様は私を殺さないと思う」
テルは深く息を吐いた。
「シノ…………。ペルテノーラにいるとき、散々思い知ったでしょう? 特権階級の人間にとって、私たちは同じ人間ではないわ。いくらアルフレッド様がお優しい方でも、婚約者に想いを寄せる無礼な平民は、排除されるのが普通よ」
「普通はな。だが……ユーリグセナ様の周りの人間は、特権階級も平民も魔獣も、同じに扱う。それに、アルフレッド様は本気で彼女を愛しておられる。だから彼女が想う相手に殺意は持っても、手を下さないように思う」
彼女の目が、針のように細められた。
「ユーリグセナ様が想う相手って、自分でしょう?! なんか勘違い男みたいな言い草で、気持ち悪い。最近のシノは本当にトチ狂ってるわね」
テルの毒舌は今日も元気だ。真実だとしても、もう少し優しく言って欲しい。
「しかも、パートンハド家に挨拶に行ったんですって?! あなたどういう立場で訪ねていったの?!」
「だから…………どうしてそれを知っている」
訪問の目的はパートンハド家の側人を、長期的に頼める人はいないか、というヘレントールからの相談だ。でも本当に聞きたいのは、それではないように感じた。
意を決してユーリグゼナへの気持ちを伝えたところ、「あら。それ、本人より先に聞いてもいいのかしら」という強烈なカウンターを受け、ユーリグセナの従弟フィンドルフの殺意の籠もった視線に串刺しにされた。
それでもヘレントールから「ユーリが良いなら反対しないわ。でもあったことは全て報告してね」と言われ、想っていること自体は認めてもらえたように思う。
シノは無自覚なまま、人生史上最高に浮かれていた。彼は自分の行動や判断に誤作動が起こっていると、未だに気づいていない。
◇◇
セルディーナの寝台を囲む綾織りの布が動いた。気のせいかと、テルに向き直れば同じ顔をしている。互いにはっとして、セルディーナのもとにいく。
布地を左右に開くと、静かに眠り続けているように見えた。シノが様子をみようと顔を近づける。細い腕がすっと上がり、シノの首元からはみ出ていた組紐に手が触れた。
「セルディーナ様」
綺麗な赤い目がゆっくりと開いていく。微かに唇が動いた。
「シノ……。テル……」
声を聞いたのは、しばらくぶりだ。だからだろうか、何か違和感があった。
「お客様が来るの。ライドフェーズを呼んで」
なぜかセルディーナが、ずっと幼い少女のようにあどけない。
「セディ……?」
シノはずっと呼んでいなかった妹の名を口にしていた。
目を見開いた彼女は幼く見えた。
「さすがシノ。分からないかなーって思ってたのに。テル……ほら泣かないで」
テルは、シノの後ろで立ち尽くしたまま、顔を崩壊させていた。その後ろから、つつっと二人の間をぬって、アーリンレプトがやってきた。ぽてっと寝台に取り付いた。セディは、その小さな頭にゆっくり手を置く。
「ごめんね。お母様じゃないの」
アーリンレプトは、すうっと目を上げ小さな声で言った。
「おかあたまよ。ふたりとも」
セディはじわっと目を潤ませる。力の入らない手を娘の手に重ねる。
「そう……。私、アーリンのことが、大好き」
「わたしもだいすき。おかあたま」
アーリンレプトは、そう言って母の手におでこを擦りつけた。
◇◇
「すまぬ。余は、人の作法を知らぬ。挨拶もなく立ち入ったことを許してくれ」
凛と響く声色。正確だが、少し古めかしい共通語が耳に届く。しかし、声の主の姿がどこにもなかった。
「ここじゃ」
セディの枕元に動く小さな姿に、シノは愕然とする。
アーリンレプトは、にぱっと笑う。新しいお人形か何かだと思って、手を出しそうな気配に冷や汗が出る。
手のひらに乗るほどの、綺羅びやかな紳士は、すっとセディの頬に指先より小さな手のひらを寄せた。
「ありがとう。セディ。そちのお陰で、麗しき妹御前の最期の願いを叶えられそうじゃ」
「ううん。私の願いでもあるの。遠くから来てくれてありがとう」
二人のかすかな話し声が全員に聞こえるほど、部屋は静かだった。
コンコンコン
少し苛立ったような戸を叩く音を聞き、シノは立ち上がる。駆け寄り、戸をわずかに開ける。隙間からライドフェーズの不機嫌そうな顔が覗く。
「なんだ?」
「少々事情がございまして……。ライドフェーズ様だけお入りいただけますか?」
眉間にシワを寄せて入室したライドフェーズは、小さな客人を目にして呼吸を止めた。
「ああ。婿殿。ようやくお会いできたな。余はペルテノーラの妖精王。セルディーナの兄だ。余のことはぜひ兄者と呼んでくれ」
次回「小さな賓客2」は8月4日までに掲載予定です。




