11.越えたい夜2
フィンドルフはごまかす。
ユーリグゼナはさらりと聞く。
「何?」
「…………大したことじゃない。パートンハド家に、住み込みで側人を入れる話だ」
大事な話に思える。惣領代理を務めるヘレントールは、今まで以上に家の仕事を請負うのが難しくなっている。
パートンハド家は本来、『眼』のお役目を担う。それが祖父ノエラントールが亡くなってから、もう何年も疎かになっていた。今、他国の情勢は目まぐるしく変貌している。情報がない国は乗り遅れる。
(今、ヘレントールがおさえられているのは国内だけ。他国はアナトーリー頼みなんじゃないかな)
フィンドルフの顔が不満そうだ。
「母上は、家事一切をあいつに委託しようとしている」
「それは思い切ったね」
パートンハド家は普通の紫位階級と違う。習慣も求められることも一般的ではない。何より家庭内でも機密事項が多い。
「身内でも何世代も務めてきたわけでもない。無茶だ」
フィンドルフの言うことは、もっともだ。しかし、身内も長年勤めた側人も僅か。このまま仕事に支障があるよりは、縁のない人間に頼む方がいい。ヘレントールの選択は、正しいように思う。
「なんであいつなんだ?」
「……養子院の子を側人にするつもりだから、かな?」
「だからって、なんで丸投げ? どうしてそんなに信頼できる?」
多分、フィンドルフの不信感はシノだろうと誰だろうと、ヘレントールが完全に任せようとしていることに繋がっているような気がする。
(なんだ。ヤキモチか)
母親が家族以外に頼るのが嫌なのだろう。フィンドルフもまだまだ子どもだな、と小さく笑う。
「これまでフィンが完璧に支えてきたのに、急に他人に振られたら嫌だよね」
ユーリグゼナは、もの分かり気に何度も頷く。
「他人が家に入ってきて、生活が変わるも不安だし」
彼女自身も側人のサギリを受け入れるまで、本当に大変だった。それが今では、無くてはならない存在になっている。
フィンドルフは怪訝な顔になった。
「必要性は分かってる。家に誰か入ってきたって、別に……そういうものだろう?」
「うんうん」
「馬鹿にしてるのか?」
彼女の同意の軽さが気にいらないらしい。
「してない。してない」
むうっと不貞腐れた顔が、何年かぶりに子どもっぽい。なんだか嬉しくて、ニコニコしてしまう。
その油断した彼女の頬に、フィンドルフは人差し指を突き立てようとした。
「おっと」
さっと避けると、続けて突いてくる。そんな子どもの頃の意地悪も復活とは、ますます珍しい。ユーリグセナが余裕でかわしていると、ついに本気の突きがくる。のんびり座っていられなくなり、双方打ち合いになった。
(とはいえ、フィンもまだまだだなあ)
ユーリグセナより重い突きではあるものの、遅い。そう油断していると、足を払いに来た。ふわっと空中に身体を浮かせる。
その瞬間、フィンドルフは机に揃えていた演奏用の楽譜を、床いっぱいにばら撒いた。彼女は叫ぶ。
「ズルいよ!」
足場が限られ、空中で回転しながらその隙間に下りようとする。当然そこには、フィンドルフがニヤッと笑って構えている。彼の背を蹴り上げて方向転換したものの、足場に迷う。横壁を蹴ったところで、読んでいた彼に捕まった。
彼はしたり顔で、彼女の頬に人差し指をぶすっと突きさす……ところを彼女は、フィンドルフの弱点である背中につうっと指を走らせ、腕から逃れる。
「ユーリ……。今のはズルい」
「どっちが?」
年上として、従姉として、負けるわけにはいかない。二人の仕掛け合いは続く。
前触れもなく、カチャっと扉が開かれる。顔を覗かせた側人サギリのこめかみが、ピクリと動いた。ユーリグゼナに覆いかぶさっていたフィンドルフへ、冷たい視線が注がれる。
「狼藉者は排除いたしましょう」
「待って待って、違う。サギリ」
飛び起き説明するユーリグゼナに、サギリは綺麗に微笑んだ。そしてバタンと戸を閉め、出て行った。
「あれ? 怒られなかったね……」
フィンドルフは頭を抱えたまま言う。
「馬鹿。母上に言いつけに行ったんだ。そして俺だけ叱られる」
ヘレントールとサギリの仲の良さは知っている。同級生の彼女たちは、主従を越えた友人関係だ。
「……私も悪かったって言うね」
「無駄だ。昔からこういうときは、絶対俺のせいになるの。いいから片そう」
二人で散らばった楽譜を丁寧に揃え、倒した家具を戻していく。お互い、物を壊さない配慮はしていたので、すぐに元通りになった。
サギリは戻って来ない。本当に時空抜道の音声伝達相互システム部屋まで行って、ヘレントールに言いつけているのだろうか。
「これだから、ユーリとはふざけないようにしてたのに……」
むくれた顔で新しくお茶を淹れ、何杯も飲んでいる。ユーリグゼナも一緒にいただく。
まだ二人が小さい頃、よく注意されていた。フィンドルフはユーリグセナと一緒だと箍が外れて、とんでもないことするから、と。
遠慮のいらない従姉弟同士。二人きりだと、うっかり調子に乗る。力競べをして他人の家を破壊したり、自作した魔獣用の罠で間違って人を捕獲したり。失敗の規模は常に大きく、そのたびに、ヘレントールの夫は被害者に謝罪し、器物を賠償していた。
それがぱたりとなくなったのは……。
(多分、あの夜から)
フィンドルフはいつの間にか彼女を見つめていた。ユーリグゼナが首を傾げると、大きなため息をつかれる。
「悪かったな。子供じみた真似をして」
ユーリグゼナはあまり悪いことをしたと思っていない。片付いた部屋を見れば、サギリはもう何も言わないだろう。
「私は楽しかったよ? また手合わせしようね」
「ああ。……今回で分かった。三年後は勝てる。今は正規の護衛を断るために、自分を倒したらってつっぱねてるんだろ? 俺が負かしてやるよ。小細工ぐらいでひっくり返らないくらい、完膚なきまでに」
「負けないようにしておくね」
フィンドルフはむっと顔を歪めた。
「そんなに俺の護衛が嫌か」
「ううん」
彼女は微笑みながらお茶を飲む。
彼が守る守ると繰り返し言うのは、守れなかったと思っているから。側にいようとするのは、事件が起こる時、いつも側にいないから。
(私の三年後の目標は、フィンから手を離してくれること。もう守らなくて大丈夫なんだ、と思ってもらいたい)
◇
うっかり二人でお茶しているが、別にサギリを待つ必要はない。
「帰る?」
フィンドルフは謝神祭の四国合同演奏会に参加する。去年から彼がシキビルドの取りまとめ役で、人一倍忙しい。
「待つ。ユーリを一人きりにするのは、良くない」
自室では一人きりの時間が多い、という真実を告げるのは面倒そうなので、黙っておく。
「一度聞いておきたかった。黒曜会は表向き、何の集まりなんだ?」
「表向き? 表も裏も全部、音楽の権利について、真剣に考えている団体だよ!」
肘をついていたフィンドルフは、がくんと頭を落とした。
会の立ち上がりはともかく、今は真剣に音楽の自由で楽しい未来のために、会員たちは話し合う。
「定期的に集まって、活動報告もしてる」
「定期的にユーリも参加してるわけか。餌だな」
餌? 奇妙な言い回しだ。
「確かに会では、美味しいお茶や新作菓子の試食も出してる」
「新作菓子? もしかして、話題の新鋭菓子職人の?」
新鋭菓子職人? 菓子を作ってくれるのはシノだ。ライドフェーズが「感想の聴き取りや嗜好の調査をしてくれるなら、無償で提供してやる」と言ってくれたので、嬉々として協力している。当然彼女の口にも入る。
「それだけ美味しいことがあれば、黒曜会の会員は増えるな」
「いやいや。お菓子だけに惹かれて入るのは無理だよ。どうやったら、みんなが演奏を楽しめる世界になるか、きちんと討論してるんだから」
「なるほど……そうなるとユーリもたくさん発言するわけだ」
「うん……。音楽の話なら、私、あまり緊張しないで話せるみたい。各国の音楽事情が分かって楽しいよ」
彼女がはにかむと、フィンドルフは深いため息をついた。
「上手いな、アルフレッドは」
「え? あ、うん。いつも上手く進行してくれてるね」
参加していなくても、アルフレッドの動きが予想できるのだろうか。
「……次回は俺も呼んでくれ。参加者の顔を見たい」
「分かった。会長のリナーサに言っておく」
「どういう面子なんだ? どうせ男ばっかりだろう?」
「そうだね。でもリナーサの女友達や、謝神祭の演者の女の子もいるよ。ほとんどがカンザルトルとウーメンハンの学生。あっ、そうそう──ペルテノーラは人数が少ないけど、アクロビスとナンシュリーがたまに参加してくれる」
「……おい。それって」
そのまま彼は考え込んだ。
「筋書きは誰が書いてる? アルフレッドだけじゃないだろう」
「筋書き?」
別に何の物語もない。ただ集まって話をするだけの会。
「スリンケット、関わってるか?」
「最初の立ち上げは、ベセルとスリンケットだよ」
「なるほど」
彼女にはどういうことか分からない。フィンドルフは仕方なさそうに言う。
「国を跨いだ組織になり得るってことだ」
「……ただの学生の集まりが?」
会自体、何の力もない。少しでも政に反映できるとしたら、次期王アクロビスくらいか。
「今はな。でもすでに元会長のベゼルは、カンザルトルの若手議員一番の実力者で、スリンケットは王の側近。今後、会員が卒業して仕事につけば、凄い顔ぶれになると思うぞ」
「つまり、どういうこと?」
「有事の際、国を越えて話し合いができる。今は、国の代表者同士しか交渉はできない。でももっと、草の根に近いところで話しができる」
有事といえば、戦争。シキビルドの開戦時、前王はすでに変死していた。
調停者アルクセウスもペルテノーラ王カミルシェーンも、戦争ではなく王一族の断罪を求めていたというのに、何の話し合いもなされないまま、戦争になった。
「戦争が起こる前に止められる?」
「いや。今はそんな力はない。でも、これから先……止められるようになったらいいなと、俺も思うよ」
フィンドルフは切なげに目を伏せた。彼女の心に小さな火が灯る。
「……じゃあ。他国で虐げられている子を、助けられるようになる?」
「それはさすがに……」
他国の個人を助けることは難しい。下手に手を出せば内政干渉。戦争の火種になる。パートンハド家は、そうやって世界から見殺しにされた。今同じことが起こっても、やはり助けることはできないだろう。結局、世界はそんなに変わっていないのだ。
フィンドルフの紺色の目は、痛ましそうに歪んだ。
「そうなると良いな」
「私……頑張ってみていいかな」
小さすぎて聞こえない音も、本当は、確かに空気を震わせている。聞こえる人に届けば、何か変わるかもしれない。ほんの小さな変化だとしても。水滴が波紋を広げるように。
「ああ。俺も手伝う」
フィンドルフの表情が、幼い日の彼と重なる。
誰かの冷たい夜を、一つでも止められたらいい。
本当は冷たい夜を越えて、もっと先の世界に行きたいと、ずっと思っていた。
次回「祭に酔う」は7月4日に掲載予定です。
フィンドルフが誤魔化した内容は、後ほどさらりと出てきます。
7/1大幅修正しました。




