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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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5.婚姻の季節

「ユーリグゼナは、夏生まれだろう?」


 新しい濃い紫色の制服を纏ったペルテノーラ王子アクロビスは、資料に目を向けたまま訊く。ユーリグゼナは、軽く首を傾げた。


「……春生まれです」


 彼は顔を上げて、彼女を見た。


「いや、そんなはずはない。自分が生まれた季節を知らないのではないか?」


 王子の弟ナンシュリーは呆れ顔だ。


「知らないってあり得る? 女の子って、占いで盛り上がるものじゃないの?」


 いったい、生まれた季節が何だというのだろう。一応、合っているはずだ。父ベルンの世界では、子どもの誕生日を祝う習慣があって、ユーリグゼナは毎年春に祝ってもらっていた。


「ユーリグゼナ。春とは、ペルテノーラの季節に合わせて言ってくれているのか? だとすると、シキビルドで秋か……」


 残念そうにアクロビスは呟いた。

 国によって季節の巡りが違う。そのことは知っているが、他国の季節がシキビルドのどの季節と重なるのかまでは知らない。


「あっ」


 ユーリグゼナは大事なことを思い出す。だいぶ前に、叔父アナトーリーに釘を刺されていた。「ユーリ。公式には生まれた季節は『夏』だと言っておけ!」と。


「私、夏生まれです! 思い出しました」


 彼女はにこにこと二人に笑いかける。アクロビスはホッとしたように笑う。その後方にいるナンシュリーは胡散臭そうに彼女を見ている。

 多分、ナンシュリーには本当のことが分かってしまっただろう。兄アクロビスがなぜか夏生まれの方が嬉しそうだから、黙っているだけだ。


 ユーリグゼナはこのどうでも良さそうな季節の話に潜む、恐ろしい事実に気づいた。シキビルドでは、学校の終わる秋から冬が婚姻の季節といわれる。秋に結婚して春生まれは、多分計算が合わない。


 結婚が遅かったと思いたいが、当時シキビルド王に狙われていた(ルリアンナ)は、先手必勝を狙った可能性が高い。形にはこだわらない人だった。


(もしかして、私。みんなより一学年上……?)


 学校は夏入学。無事卒業できても、すでに一年遅れていたという事実。自分がすでに成人していたと、気づきたくなかった……。

 一人、考えに耽っていると、ナンシュリーがコソッと(ささや)く。


「そういえば、ルリアンナは学生寮に男を連れ込んでる。なーんて噂されてたね」

「……」

「ウーメンハンの神獣になった女の子と婚姻していたスリンケットって、この間まで学生だったよね? いくつで結婚したの? シキビルドはさ、無許可の婚姻の契約魔法が横行してるの?」


 ユーリグゼナの頬はひきつる。何も答えられない。婚姻の契約魔法を調べておけと、アナトーリーは言ったが、そのままになっている。


(無理。本当に無理。分からないことに話は合わせられないよ!!)


 彼女は急いでアクロビスに声をかけた。


「アクロビスの生まれた季節は、いつですか?」


 彼は取り組んでいた課題から、顔を上げた。少し赤い。


「冬だ」


 だから何だというのだろう。話をふったものの、彼女にはこれ以上、話を続けることができないのだ。アクロビスは声を落とした。


「生まれた季節に人は影響を受ける。気質の傾向を相性占いに使っているんだ。冬生まれと夏生まれは、互いが足りないものを補い合える良いパートナーになるらしい」


 大切なことのように言うと、急いで課題に戻る。


(……本当は、春生まれです)


 ナンシュリーが余計なこと言うなよ! という顔で睨む。兄の純粋な心を守りたいらしい。



 三人は調停者の名の下、調書の下書きを作成している。雑談しながら出来るほど、容易なものではない。膨大な資料を捲り、調書用の言い回しに苦心し、どうにかまとめていく。必死に取り組む三人は、口を閉ざす。静かに集中力を高めていった。






 下書きをアルクセウスに提出し、しばし休憩になる。特別に飲食の許可が出て、三人はお茶と菓子を前にしていた。自然と気が緩み、会話が弾む。


「ナンシュリーは、結婚されるのですか?!」


 心底驚いた様子のユーリグゼナに、ナンシュリーは苦笑いする。


「……ほとんどの人は、卒業後すぐ結婚するんだよ。毎回そんなに驚くつもり? 普通の反応は『おめでとうございます。お相手は?』だよ。今年は人に会うたび、婚姻の話になる。王女として自然に振舞えるようになっておいた方がいいよ」

「ご指摘、深く感謝いたします」


 なんと大変な年だろう。乗り切れる気がしない。


「大丈夫。アルフレッドが、なんとかするさ」


 落ち着いた様子でお茶を飲むナンシュリーとは反対に、兄アクロビスは緊張が解けない様子だった。


「ユーリグゼナ。調書の手伝いに来て、良かったと思っている」


 ユーリグゼナは、ふわっと微笑む。


「ほっといたしました。迷惑ではなかったかと、心配していました。実際の事案に携わりながら調書を作成する機会は、そうありません。自国に戻ってからも、役立つように思います」


 見ると、王子二人は、お茶の器を持った手が、完全に止まっていた。アクロビスは、取りなすように「ああ、確かに勉強になる」と答えたが、目が泳いでいる。ナンシュリーの紫色の目は、細く鋭くなっていた。


「違うよ。なぜ婚約者を連れずに、一人で来てるの? って話」

「アルフに補習は必要あリませんよ?」


 アルフレッドは賢い。なにより補習費用は高い。アルフレッドを連れてくるつもりは、最初からない。

 それに彼は、休みの間にすることがあるらしい。養子院の演奏会からずっと、何か隠しごとがあるように感じている。


(もちろん。気には、なる。けどアルフの邪魔をしたくない)


 ユーリグゼナは、彼に言えないことばかりだ。言えない彼女をそのまま受け入れてくれるアルフレッドが、秘密を持ちたいというなら、受け入れようと思う。


 ナンシュリーが、ふうぅぅと風でも起きそうなため息をつく。


「なぜピンとこないかな。教授といえども男性と二人きりなのは、問題だよ。ユーリグゼナは、これまで男性に怖い思いをしたことないの?」


(男性に怖い思い)


 すとんと、闇に落ちた。周りの言っていることが遮断される。何か思い当たるわけでもないのに、身体から冷や汗が出てくる。


「ユーリグゼナ!」


 アクロビスの銀髪が目の前で揺れるのを見て、ふと我に返る。「……良かった」と、アクロビスが重く息を吐き出した。


「具合、大丈夫か?」


 そういう彼は、顔色が悪い。


「す、すみません。ぼんやりしてしまいました。ええとその……何の話だったでしょう」


 アクロビスはもう一度息をついた。


「…………ああ、そうだった。二人きりにならないようにするのは、自衛のためだ、と言ったんだ。周りは面白可笑しく話をつくる。気をつけたほうがいい。年が離れていようと、相手が教授だろうと、何を言われるか分からない」

「はい。気をつけます」


 沈んだ表情で頷くユーリグゼナを、アクロビスは紫色の澄んだ目で見つめる。


「肝が冷えた。いきなり精気があふれ出すなんて……。制御はできないのか?」

「いつもはアルフレッドに抑えられているのかな。能力(ちから)無しだから、影響を受けにくいだろうし……」


 二人がそれぞれ話すのを聞き、ユーリグゼナは自分の状況をようやく把握した。精気があふれ出すなんて、異常だ。戦闘や死など非常事態下しかあり得ない。


「申し訳ございません……。自分ではわかっていませんでした。大変なご迷惑をおかけいたしました……。お二人に何か影響はありませんか?」

「いや。大丈夫だ」


 アクロビスの答えに、ナンシュリーは嫌な顔をした。


「アクロビス。血の気の無い顔で、何言ってるの? ちょっと休んで来て。側人呼ぶから」


 音声伝達相互システム(プルシェル)で呼び出すと、アクロビスを部屋に連れていくよう指示を出す。

 静かになった部屋で、疲れた声を出した。


「……アクロビスは今、能力(ちから)が一気に強まって、体調も精神も不安定になってる。今回は、ユーリグゼナの精気にあてられたな」


 暗に責任を突き付けられて、彼女はぐっと息を呑む。ナンシュリーは紫色の目を鋭く尖らせる。


「アクロビスはペルテノーラの神獣に、次代王として認められたんだ」

「そうでしたか。おめでとうございます。ですよね?」


 ナンシュリーの表情は硬い。


「まあ、そうなんだけど……。王の仕事の引継ぎが増えて、兄弟で過ごす時間が減った。僕は妻を二人娶る。兄弟の時間はさらに減る。不安定なアクロビスを一人にするくらいなら、結婚は見合わせれば良かった」


 結婚はそう簡単に延期できないだろう。


「……支えになるような人は、ナンシュリー以外にいないのですか?」


 ナンシュリーは苦い顔で笑うと、机の上に組んだ腕に顎をのせた。ぱさりと朱色の髪が腕にかかる。


「いないようにしてたからなー。兄弟で守り合おうって、こっそり二人っきりで決めてから。ずっと」


 長い間、二人の秘密に、誰も立ち入らせなかったのだろう。


「アクロビスが誰か見つけられたら、それが結婚相手だったら、一番良いかなと思っていたけど。……アクロビスは自分の子どもを持たないつもりなんだ。後継ぎができたら、僕が叔父上(ライドフェーズ)の時みたいに狙われると思ってる」


 王に子どもがいなければ、弟ナンシュリーと、その子どもたちに王位継承権が移る。反対する人々も、簡単に葬ることはしなくなるだろう。


(その通りだけど。国のために、それほど人生を左右されなければならない?)


 王たちの幸せが二の次にされていて、どうも納得できない。


「どうしてユーリグゼナに、こんな話をしているか分かる?」

「……私があなた方を裏切らないように、ですね」


 ナンシュリーは彼女を見上げ、にやりと笑った。


「そう。アクロビスは、ユーリグゼナとアルフレッドを信頼している。──君が、誰とも結婚したくないと言うから、協力だってしている。裏切るような状況になったら、僕は許さないよ」

「はい……」

「明日は他の授業があるのだろう? もしかして一人で受けるつもり?」

「その予定でした」


 ナンシュリーの眉間に小さくシワがよる。


「僕も行こうか。何の授業?」

「『魔獣生態学2』です。森に仮説の検証に行きます」

「森?!」

「魔獣ボルカトリンの繁殖期の生態で、私と教授の説が違うので、確かめに行くのです」

「……君の側人に同行してもらっていい?」


 一気に気持ちが引いたのが分かる。


「僕のときはそんな授業なかったな」

「それは、その……。教授が興味を持ってしまって……。検証に付き合ったら、授業無し。試験だけで単位もらえるという甘言に乗りました」

「へー。魔獣の繁殖ね。人間の結婚や、婚姻の契約魔法は分からないのにねー」


 彼には、婚姻のあれこれを理解していないことが気づかれてしまった。


「周りがユーリグゼナを箱入りにしている理由があるのだろうけど、もう知らないじゃすまされないよ。アルフレッドに言っておくから、ちゃんと教えてもらってね。お姉さん?」


 にっこり微笑むナンシュリーから、ユーリグゼナは顔をそらした。異常に勘がいいのは、父親(カミルシェーン)似だろうか。



 

次回「穏やかすぎる森」は6月9日までに掲載予定です。

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