3.正しさのかたち2
(ユーリグゼナ)
よく通る綺麗な声が頭に響く。
また為政者の授業中に眠ってしまったのか、と慌ててユーリグゼナは飛び起きた。
「すみません!」
寝ぼけまなこに映った情景に呆然とした。尋問を終えたミネランが、退出する扉の前で驚いたように振り返った。議員べセルは震えながら、ユーリグゼナに手を伸ばす。
「射干玉の姫よ。ミネランへの見事な意趣返し。べセルは感服いたしました。あれだけ強気で証言し続けた奴の、呆気にとられた顔を見ましたか?! 胸のすく思いがいたしました。ああ、しかし。この緊張状況下においてなお、眠ってしまう姫の可愛らしさといったら! そしてその度胸。どれだけ私の心をとらえれば、許してくださるのですか? どうか」
晴れ晴れしい表情で彼女を称える続けるべセルは、周りの状況を忘れ、興奮状態にあった。誰も彼を止められない。
叔父アナトーリーは、真剣な表情でアルクセウスに願い出た。
「王女を控室にお連れしてもよろしいでしょうか」
「かまわぬ。休ませよ」
返事を受け、アナトーリーはユーリグゼナの手を引き退出する。
「歩けるか?」
「大丈夫」
多少頭がふらふらするので、ゆっくり進む。アナトーリーは扉を叩き、控室だという部屋へ彼女を入室させた。そこに見慣れた二人が座っていた。
「お姫さま?! 大丈夫か?」
ナヤンの茶色の丸い目が彼女を心配そうに見る。ユーリグゼナは、かえって頭がくらくらしてきた。どうしてここにナヤンがいる?! どうにか頭をもたげて見ると、スリンケットが心配したときにする不機嫌な顔で睨んでいる。
タイミングが良すぎる。ロヴィスタがウーメンハンの神獣になっていると証言した直後に、親族にあたる二人がここに揃っているのはおかしい。
アナトーリーは長椅子を整えると、彼女の手を引く。
「とりあえず横になれ。顔色が悪い」
ユーリグゼナは勧められるままに、身体を横たえた。スリンケットはアナトーリーに軽く礼をする。
「ご無沙汰しています。……少し痩せましたね」
「そうか? まあ、ミネラン捕縛後は飛び回っていたからな。それよりスリンケット。ロヴィスタとの子どもがいたと聞いた……本当か?」
「はい」
アナトーリーは頭を抱えた。
「これは、早急にいろいろ考えなければ……」
さきほどのミネランの供述を簡単に説明する。スリンケットとナヤンは真顔のまま、動かなくなった。現在ウーメンハンの神獣を務めるロヴィスタに一番近いのは、結婚相手スリンケットと弟ナヤン、そして息子ブルーナ。加護とか国を手に入れるとか、彼らもピンと来ていなかった。
「ロヴィスタは生きている、ということですね? 会えるんだ……」
絞り出すようにスリンケットが言うと、アナトーリーは横に首を振る。
「神獣になると、もう人ではなくなる。大きさも存在も時空も違ってしまっている。唯一会えるとしたら……神獣としても死を迎えたときだけだ。体だけ人間の世界に戻ってくる……このくらいで止めておこう」
ユーリグゼナの表情を見て、そう言ったのが分かった。彼女はアナトーリーに手を伸ばし、心の声で話した。
(……ごめん。なんで私、こんなに神獣の話に弱いんだろう)
(ユーリは朱雀とも眷属とも……パートンハド家惣領の契約魔法にも縛られている。神獣との繋がりが強すぎて、特別、死や血に弱いんだ)
前にペルテノーラ王カミルシェーンから聞いたことだ。契約魔法上はユーリグゼナが惣領になっていたこと、そして朱雀とパートンハド家惣領を代々結んでいた古い魔方陣を、アナトーリーが解いてしまったこと。それらを知っているのだと思った。
(カミルシェーン様の言うことを、そのまま信じないで!)
(いや。正しいと思う。つじつまが合うんだ。実際、俺は朱雀の部屋であったことを、全く覚えていない)
アナトーリーは信じやすい。この性格をカミルシェーンに、利用されるような気がする。
スリンケットもナヤンも、これ以上話し合うことができなかった。加護があったとして、今後どうすべきなのか。正しい判断ができない。近々もう一度話し合うことだけを決める。
◇◇
スリンケットとナヤンは、ほとんど言葉を交わさないまま、帰国の途につく。
アナトーリーも戻ろうとするので、ユーリグゼナは引き留めた。
「アナトーリーはミネランの心を覗いているの?」
どう考えても、先ほど供述を始めたミネランの話を、あらかじめ予想していて、スリンケットとナヤンを呼び出したとしか思えない。
「いいや。俺はしなくていいと言われた」
彼の精神浸食の能力は、尋問にうってつけだ。心を読むだけでなく、アナトーリーの知りたい内容を暴くこともできる。ただ、それは探る方も探られる方も互いにひどく精神を消耗するので、ユーリグゼナとしては彼に使って欲しくない。
「じゃあ、アルクセウス様がみてるんだ」
「おそらくな」
「供述させる意味なんてある?」
事実が分かっているなら、わざわざ不快な思いをしてまで話させなくてもいいように思った。アナトーリーはふっと笑った。
「俺も同じこと言ってしまったんだ。そしたら『本人が認めていないことを証拠もなく、権力者が勝手に裁いてしまったら、信頼を失う。永遠に』ってさ。事実かどうかも大事だけど、本人の証言と証拠。どの立場の人間も正しいと納得できるよう、事実と反対の証言や証拠も、同じ熱量で揃えなければならないって」
調停者は信頼されているから、その立場でいられる。交渉技術と情報だけが権力の源泉。とても危ういものの上に立っている。
「あの、さ……」
「おう」
「レナトリアと結婚してないの?」
ユーリグゼナが精いっぱい言った言葉に、返事はなかった。見上げるとアナトーリーは真っ赤な顔をしたまま、口を手で覆い隠している。そんな悪いことを言ってしまったのかと、口ごもった。
レナトリアからもらった手紙の『本当の叔母のように思っている』という言葉が気になった。アナトーリーと結婚してるのだから、もう本当の叔母でいいはず。
「……レナトリアが言ったのか」
かすれる声でアナトーリーは言う。
「いや。何となく感じただけ。レナトリアは正式に結婚したいのかなって。私が深読みし過ぎているかもしれない」
「……俺からちゃんと気持ちを聴く。心配するな」
「ごめん。余計なこと言ったね。アナトーリーが忙しすぎて、結婚式する暇がないなら、私に何か手伝えないかなって思って。本当にごめん」
彼の言う通りだ。二人が納得していることに、外部から口を出してしまった。深く反省していると、アナトーリーが奇妙な顔をした。
「結婚式はしたぞ?」
「えっ」
「ユーリ。……結婚って具体的に何をするのか、知らないんじゃないか?」
ユーリグゼナは、自分の中に答えがないことに気づいた。ぼんやりした表情で動かなくなった彼女を見て、アナトーリーは大きくため息をついた。
「……さすがに、卒業する年で知らないのはマズい」
「教科書にちょっと書いてあった。ちゃんと読むよ」
「いや。教科書はぼかしてあって、大事なことが抜けてる。……ユーリ。『婚姻の契約魔法』をちゃんと調べておけ。人には、あまり、公言するな」
「わ、分かった」
勉強不足がこんなところで恥となって出てくる。使う予定はなくても、全然興味なくても、調べよう。暇だったら。
横たわったまま、顔色を変えているユーリグゼナのおでこを、アナトーリーがぽんと叩く。
「ユーリ。結婚ってさ。本当は決まった形はないんだ。人それぞれに違う。だから型にはまろうとして苦しむ必要はない。周りが思う幸せと、ユーリが求める本当の幸せは同じでなくていい」
次回「補習の活用」は5月30日までに掲載予定です。




