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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第3部

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143/198

1.弱い王女

更新遅くなりました

 ユーリグゼナは、シキビルド王ライドフェーズと二人で、学校までの時空抜道(ワームホール)をたどっていく。

 アルクセウスの調停者としての召集は初めてのこと。緊張感が漂うはずの道のりは、なぜか香ばしく甘い匂いに包まれている。


「アルクセウス様が、焼き立てパンを好まれるとはな……」


 ライドフェーズは、どこか気の抜けた声で呟く。


「カンザルトルのべセル議員から、そう伺いました」

「朱雀の衣装を売った、話し合いのときか」

「はい」


 出発前の検診が、予定よりだいぶ長引いてしまった。終えて部屋に戻ると、シノの新作の焼き立てパンと菓子が届けられていた。

 抱える温かい紙袋から、空腹を呼び覚ます素晴らしい香りが漂い、ユーリグゼナを幸福にする。ただ昨日の今日で、シノがいつ焼いたのかを考えると気が重い。引き続き睡眠不足にさせてしまった。


「まあ、アルクセウス様には渡せないだろうな」

「え?」

「調停者の食事は、厳しく管理されている。世界で唯一の存在に毒でも盛られたら一大事だ。ベゼル議員のパンを受け取っていたというのも、本当は外部に出してはならない情報だろう」


 そういえば、アルクセウスと話はしても、お茶は飲まない。


「渡せないと分かっていたなら、なぜ」

「……せっかくシノが用意したのだ。寮に持ちかえり、お前が食べればいい」


 美味しい予感に顔が緩む。それでも、ライドフェーズの意図を読まずにはいられない。シノへの好意を知っているはずだ……。


「シノのパンを食べてもいいと、そう許してくれたのですか?」


 ライドフェーズは黙ったまま、足を進める。


「ライドフェーズ様は、私を甘やかしすぎます……」

「こんなことが甘やかしになるのだったら、甘やかされておけ。王女になってから、お前には無理ばかりさせている。ユーリグゼナ。お前───シキビルドの王女をやめたいか?」





 今回、ライドフェーズは護衛を同行させなかった。お前がいれば充分だろう、と言われてもそれが本当の理由でないことは感じた。時空抜道(ワームホール)にいるのは二人きり。完璧に秘密が守られる。だからといって、そんな話だと思わなかった。


「ウーメンハンの代表者は捕まった。証拠は調停者の手にわたり、人身売買の関係者も押さえられた。国レベルで敵対する者は、もういない。身の安全はパートンハド家に戻っても確保されるだろう。戻りたいか?」

「…………王女から逃れられると、思ってもみませんでした」


 ユーリグゼナは俯いたまま動けなくなった。何故だろう。解放感より脱力感が勝る。思っていた以上に、シキビルドの王女であることに馴染んでいたらしい。


「なんだ。意外と未練がありそうだ」


 どこかホッとした声に聞こえた。彼女は弱音を吐く。


「……やめたあと、どうしていいか、分からなくなりました」

「だったら、王女を続ければいい」

「え? どっちなんですか」


 ライドフェーズは決まり悪そうに、自分の頭をわしゃわしゃと、かきまわす。


「問題があるときは相談に来いと言ったのに、お前は周りの要望を受け入れてばかり。不幸にするために養女にしたのではない。王女の地位でユーリグセナを守れると、判断したからだ。お前の本心が聞きたい。続けたいか?」

「はい……。望まれる限り務めたいと思います」

「それは、お前に利益があるか?」

「あると思います。演奏旅行も新しい楽器の購入も、費用ばかりがかさみ、最初のうちは収益が出ません。伝手も交渉能力もない、私個人では実現不可能です。王女だからできることです。────もちろん特権を使った分、王女として働く覚悟はしています」


 ユーリグゼナには、口に出さない思いもある。王女である方が、大切な人たちを守れる。特に、妃セルディーナと王女アーリンレプトを守るには、どうしても立場が必要だ。


「やはり、私ばかり都合が良いように思える。だが助かる。お前が幸せになれるよう、最大の努力をしよう」


 先日、ライドフェーズは金属筒楽器の試作費用を支払ってくれた。遅れたけれど、約束通り。ユーリグゼナの開校前の特別補習は、高額な学費が請求されるという。それらをすべて、ライドフェーズの自己資金から出す。養女として、そこまでしてもらえるのか、と驚いていた。


「他人に曲解されたくないから、今言う。────ユーリグゼナが養女になってくれて、感謝している。音楽だけの話ではない。お前は絶対に人を傷つけない。追い詰めない。それは王女として弱みだろう。しかし私とセルディーナとアーリンレプトは、その弱い部分に救われている。お前の側では、息をするのが楽になる。ずっと娘でいてくれたら嬉しい」


 かつてないことを言うので、戸惑う。

 ふわっと風が起こり、ユーリグゼナの肩にトンと留まる。気づいたライドフェーズが、穏やかに言った。


「ベルン。久しぶりだな。私はあなたに誓おう。ユーリグゼナを大切にする。────これからも彼女を頼む」


 黒い鳥は艶やかな羽を閉じたまま、ライドフェーズを見つめていた。







 時空抜道(ワームホール)を抜けると、学校へ向かう。本来、調停者は聖域にある清浄に整えられた建物で政務を行うらしい。


「学校で良かった。あっちだと本当に疲れるのだ」

「どうして、今回は学校になったのでしょう」

「────参加者に学生が二人いるからだろう」


 突然、聞き覚えのある声が間に入る。


「アクロビス」


 銀髪を揺らしながら、アクロビスは彼女との距離を詰めた。紫色の目が細められる。


「ユーリグゼナ。元気そうだな」


 彼とは、体調が戻らないままだった昨年の学校以来。半年ぶりだ。アクロビスは、ライドフェーズとユーリグゼナに礼を執る。王とともに、ユーリグゼナも王女として礼を返す。


「お陰様で。……今日はカミルシェーン様の代理ですか?」

「そうだ。父王は……『もうすぐ退位する私より、アクロビスが行くべきだ』と申されてな」


 彼が力なく笑うところを見ると、カミルシェーンのサボりであるように思える。今日は華やかな捕り物というより、じめじめとした事情聴取。つまらないのだろう。


「あの……アクロビス」


 ユーリグゼナが戸惑いがちに声をかける。


「求婚の件、ご協力いただきありがとうございます」

「いや。こちらも利用させてもらっている。気にするな」


 本当だろうか。求婚したままでは、彼の結婚に差し支えるように思える。暗い表情の彼女に、にっと笑う。


「もちろん。今でも、本気にしてもらって構わない。ユーリグゼナと結婚したいと思っているのは、本当だ」

「────なあ、アクロビス。一度尋ねようと思っていた」


 ライドフェーズが口を挟む。すでに、盗聴防止の陣をひいていた。


「私たち兄弟のせいか?」

「叔父上。『おかげ』の間違いですよ。父王のように、王位ごときで弟を殺されそうになるなんて御免です。俺とナンシュリーは互いが殺されないよう、バランスをとって生きているだけです」

「もしユーリグゼナと結婚するよう、側近におされたら、いや嵌められてどうにもならなくなったらどうする」


 なんてことを訊くのかと、ユーリグゼナはライドフェーズを睨んだ。アクロビスは飄々と答えた。


「そんな真似、俺とナンシュリーがさせませんよ。もっとも、父王に叩き潰されるほうが先でしょうけど。ただ、ユーリグゼナが俺を望んでくれた時だけは結婚します。その場合は」


 アクロビスの紫色の目が光る。


「シキビルドに婿入りします。叔父上の愛娘から王位継承権を奪いますので、ご覚悟ください」

「ほう……」


 ライドフェーズが眉間にしわを寄せながら、器用に笑う。ユーリグゼナの頭痛がひどくなる前に、会合の部屋に到着した。




◇◇




「ライドフェーズ様。アクロビス様。ユーリグゼナ様。今回はご足労いただき、申し訳ございません」


 儀礼的に頭を下げたのは叔父アナトーリーだった。ウーメンハンの捕縛の件の、全体の責任者として挨拶をする。事件後、ペルテノーラとシキビルドと聖城区を飛び回っているらしい。


「先の資料にもあった通り、ウーメンハンの元代表ミネランは、人身売買と薬の販売は認めています。しかし、今回問題になっているのは、実際に販売された子どもの数と、シキビルドの養子院から養子縁組により出て行った子どもの数が合わないことです」

「確かに、乖離し過ぎている。半分の子どもたちはどこから来た?」


 ライドフェーズは手元の資料を捲りながら、こめかみを突いた。アクロビスは、落ち着いた声で意見する。


「販売数は、シキビルドの諜報員が残した顧客リストを基にしています。こちらの信憑性を疑う必要があるのでは?」


 ロヴィスタが命がけで残した資料だ。疑うなら、裏付けを出せ! とむかむかする心を押しとどめる。ここでユーリグゼナが感情的になっては、ここにいる価値は無い。

 アナトーリーは手元の資料から、文字の荒い書きつけを机に出す。


「まだ資料として整っていませんが、販売先一件一件に全て裏を取りました。まだ調べが甘いものもありますが、諜報員ロヴィスタの資料とおおむね一致します。それで……。この裏付け作業で、ウーメンハンとカンザルトルの上級階級の大多数が関わっていたと、明らかになりました」


 今日呼び出しをしていたウーメンハンの上層部も、カンザルトルの議員も購入の疑いがあり来れなくなったという。



コンコンコン



「カンザルトルのべセル議員、いらっしゃいました」


 アナトーリーの返答を受け、扉が開けられべセルが入室してくる。ユーリグゼナの顔に、黄緑の目が貼り付いた。が、どうにか目線を下に落とし冷静さを取り戻すと、挨拶をして席につく。


「アナトーリー様。本来我が国の議長が来るべきところ、若輩の私が代理を務めること、お許しください」

「いえ。急にも関わらずお越しいただき、ありがとうございます」


 カンザルトルの議員たちのほとんどは、本人もしくは親族に購入履歴があった。予想外の関与率に議会では収集がつかなくなった。関与がなかったべセルの父は、謹慎になった議員の代わりに(まつりごと)に奔走しているという。


「遅くなりまして誠に申し訳ございません……。これからお茶休憩に入るところでしたか」


 ユーリグゼナは首を傾げる。来て早々、なぜ休憩の話になるのだろう。

 なぜかみんなの視線は彼女に集中している。


「え? 私?」

「ユーリグゼナ。さっきから良い匂いがしてたまらない。多分みんな、言うのを我慢していたんだ」


 隣に座るアクロビスに(ささや)かれ、彼女は抱えていた紙袋を見た。アクロビスは何度も頷く。

 アナトーリーは目を逸らして誤魔化しているが、絶対に笑っていた。


「……これからミネランの尋問に入りますが、用意が遅れており、調停者もまだお越しになっていません。少し休憩にいたします」


 その言葉とともに側人たちが入室してくる。ユーリグゼナの紙袋は穏やかな笑顔で引き取られる。

 あっという間にお茶が用意され、シノの新作菓子とパンが机に並べられる。そのまま品評会となり、和やかな雰囲気に様変わりした。

 そもそも疑問に思っていたことがある。


「ライドフェーズ様。なぜシキビルドだけ二人出席なのでしょうか。私、必要ありませんよね?」


 ライドフェーズがいるのに、半人前の彼女が同席する理由が見えなかった。捕縛の際の証人であれば、アナトーリーがいれば事足りる。その疑問に、少し席の離れたアナトーリーが答えた。


「ずっと捜査に非協力的だったミネランが、『ユーリグゼナの前だったら、質問に答えてもいい』と言い出したからだ。なぜロヴィスタを殺害したか、子どもたちの数が合わないのか、証言してくれるかもしれない」




次回「愛情の距離」は5月23日まで掲載予定です。

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