《番外編》君在りし日々3──救うには代償がいる
(ノエルは夜の外出が禁止されていると、知っているのだろうか)
きっと知らないのだろうな、とペンフォールドは眉を掻く。
ノエラントールの身体能力は、人並み外れていた。先日は彼の三十倍ほどある魔獣を背負い、今夜は走っているのに気配がない。
ペンフォールドは自分が足手まといになっていることに気づいたが、今さらどうしようもなかった。
「少し情報収集してきます!」
ノエラントールは明るく言うと、すぐそばの真っ直ぐ伸びた高い木に、森の魔獣のような滑らかさで登っていく。てっぺんにつくと背中に背負った小さな弦楽器を手にして、ポロンと鳴らした。さっきまで走っていたとは思えない、のんびりした音でポロロン、ポロンと掻き鳴らす。
透き通るような声が、夜の闇に響いた。
いまだ おぼゆる いとしごは
たらちね ははを おもひける
いくばくぞ ほしめぐりて
あふひぞ かへる
それは特権階級が話す言葉ではなかった。平民が使う言葉のなかでもさらに古いもの。
ノエラントールの声は清らかでどこかもの悲しかった。ペンフォールドの胸の奥が、何やら熱を帯びてくる。
スルスルと音もなく下りてきた少年は、穏やかな表情をした。
「ペンフォールド。森の中で一部緊迫した空気があります。そこで何かあったと思います」
真っ直ぐに目的地へ進む彼のあとを、ペンフォールドは追っていく。
「……ノエル。さっきの歌はなんだ?」
「歌を響かせると、森や生き物の話が聞こえやすくなります。かなり遠くまで拾えます」
「そうか。…………あの、だな。空の上から母が子を思う歌のように思えた」
ノエラントールは息をのんだ。
「分かるのですか?」
「何となく」
ペンフォールドは、シキビルドの古文書を読む際には必要で学んでいた。そして読み解く。地上から空へと願うとすれば。頭文字を反対から並べると……。
「あいたい、か」
ノエラントールは足を止める。
ペンフォールドは慎重に言葉を選ぶ。あまりに一人で溜め込んでいるように見えて心配だった。
「……命はめぐる。いなくなった人ともいつかは会える。生まれ変わりのことだな」
「私のせいでいなくなったとしても、会えるでしょうか?」
そんなこと、ペンフォールドに分かるわけがない。そもそも生まれ変わりなど信じていなかった。少年の心を気遣い口にしただけ。
(死んだ先のことより、今をきちんと生きるほうが大切だ)
なんて、言えるわけない。黙ってノエラントールの手を取り、歩き始めた。一回り小さな手が握り返す。
「……身体の弱かった母は、私を産んで体調を崩し幼いときに亡くなりました。父を失ったのは、私が原因です。────森で見回り中、鳥魔獣の巣が川に落ちそうになっているのを見つけました。どうにか受け止め、巣のなかの雛は助かりました。しかし」
森の王が現れ、四匹の雛のうち一匹だけ、シキビルドに影響を与えすぎる存在になるという。『お前は命の歯車を乱した。あちらとこちらの世界のつり合いをとるため、身代わりに死ね』とノエラントールに死を宣告する。
「四匹の命の代わりが私一人ですむなら、お得かなあって思ったのですけどね……」
ノエラントールは寂しげに笑う。ペンフォールドは、これ以上彼の口から言わせたくなかった。
「代わりにお父上が、あちらの世界へ逝かれたんだな」
「……はい。お祖父様から聞かれたのですか?」
パートンハド家の惣領は、孫にバレないよう入念に根回ししていた。ノエラントールが巻き起こす出来事を予想し、責任が取れる人間としてペンフォールドを選び巻き込んだような気がする。迷惑な御仁だが、今さら言っても仕方がない。
「聞いていた。知らない振りをしていてすまない。でも、惣領がノエルを心配する理由も分かるぞ」
「心配、かけていますか?」
「私は……ノエルを見ていると、いつもひやひやする。良いやつも悪いやつも、同じように接してしまうだろう?」
ノエラントールは魅力的な少年だ。見た目も雰囲気も中身も、その全てでたくさんの人の心を奪う。そして全てを素直に受け入れる。厄介事が起こるのは必然だった。
「もう少し人を見極めた方がいい。危ういものからは距離をとれ」
せっかく持って生まれた最強のパートンハド家の力も、敵を見極められない彼には宝の持ち腐れだ。
ノエラントールは不思議そうに首を傾げた。
「ペンフォールドも同じようなものではありませんか? ケトレストは『あいつの脳みそは、人を疑うことには使えないのか?!』とよく怒っていますよ」
◇
たどり着いた場所に古い井戸の縦穴がある。
「ここか? 何があるというんだ」
ペンフォールドには何も感じられなかったが、ノエラントールはひどく苦しそうな顔をした。
「井戸は空で、空気の流れがあります。底に横穴があって、どこか建物に繋がっていますね。…………森が、胸が詰まりそうなほど緊迫しています。夜なのに魔樹も魔獣も静かすぎです。何かおかしい。……ここからは、私一人で行きます」
ペンフォールドはのんびりと言った。
「私もついて行く。こんなところに一人置いて行かれるより、ノエルといた方が安全だ」
「えっ」
「どうすれば井戸の底に下りられるかな」
井戸を覗き込むペンフォールドを見たノエラントールは、ほんの少しだけ笑った。
まずノエラントールが飛び降り、あとから落ちてくるペンフォールドを受けとめる。
それほど深くはなく、魔法の灯りを頼りに横穴を辿っていくと建物の地下に着いた。
「森の中に、建物なんてなかったはずだ……」
「そうですね。意図的に隠されていたようです」
地下は無音。しかしノエラントールには何か分かっているようで、迷いなく足を進める。そして急に駆け出した。
「ケトレスト!」
灯りで照らされた、がたいの良い男は確かにケトレストだった。鉄格子の向こうで仰向けに倒れている。ノエラントールは金属の分厚い錠前を、まるで脆い玻璃のように砕いた。ペンフォールドはすぐに檻の中に入り、ケトレストの状態を確かめた。胸部を上下に動かし息をしている。意識がもうろうとしているようだった。
「ケトレスト。私が分かるか」
「……っ」
反応はあるが、舌の動きが悪い。知っている知識を総動員して出た答えは……。
(薬物……)
ガシャン
ころころと転がっていく魔法の灯りは、地下の天井や壁や床を順々に照らしていく。ノエラントールは鉄格子に寄りかかるように倒れ込んでいた。
(早くここから出なければ!)
ペンフォールドは治癒の能力を持っている。ケトレストの胸部に手をあて、体内の薬物を消し去った。続いてノエラントールの体内の薬物を取り除こうとする。しかし……。
(弾かれる?!)
ペンフォールドの能力を異物として拒絶し、治療を阻む。ペンフォールドが力を強めても、ノエラントールの能力が強いせいか、全く歯が立たない。
「……ペンフォールド。悪い。どうなってる?」
だるそうに身体を起こすケトレストを振り返り、鋭く言った。
「すぐここを出よう。ノエルが間に合わなくなる」
◇◇
シキビルドの寮に戻り、ノエラントールの治療を求めた。夜中に叩き起こされた寮の担当は、急ぎ学校の休養室担当を叩き起こす。急きょ病人の受け入れ体制が整い、無事ノエラントールは治療を受けることができた。
しかしその一連の行動は、教授たち、そして学校長をも叩き起こすことになる。
「夜中に一体何をやっている!! ペンフォールド。いくら優等生の君でも、許されないことがあると分かっているのか?」
凄まじい怒りに、ペンフォールドの隣にいたケトレストは、身を縮めた。
「学校長。ケトレストも薬物を吸い、一度倒れています。休養室で検査を受けさせてください」
落ち着いたペンフォールドの言葉に、教授がケトレストの背を軽く叩き、ともに退出していく。その間も学校長の怒りは解けなかった。
「なぜ夜中に抜け出した?」
「ケトレストが行方不明と聞き、捜索のため森に入りました。規則を破ったこと、釈明の余地もございません」
ペンフォールドは深く首を垂れる。学校長は、不機嫌そうに顔をしかめた。
「それでなぜ、ノエラントールとケトレストが薬物中毒を起こすような事態になる?」
「……真相は分かりませんが、森にある建物の地下にケトレストが閉じ込められていて、室内は薬物が充満していました。誰かが意図的に行ったことは確かです」
「森に建物など無い」
学校長の言葉にひやりとするものが混じる。ペンフォールドは無表情のまま顔を上げた。
「学校一の天才なら、薬物くらい作れるのではないか」
ああ、そういうことか、と理解し沈黙した。
「なにより、君だけが無事なのはおかしいだろう? 吸わない工夫をしたか、解毒剤を持っていたか、どちらかだと思うのが普通だ」
◇◇◇
そのままペンフォールドは、学校内の懺悔室と呼ばれる部屋に閉じ込められた。真っ暗な部屋のなか、運び込まれる三食の食事だけが時間の感覚を思い出させる。
(本当の意味で、何もしないのは初めてだ)
心配事さえなければ意外と楽しめたかもしれない。
でも最後に見たノエラントールは、青ざめ意識を失っていた。ケトレストは長い時間、薬物を吸っていた。完全に元に戻ったのか、影響が残っていないのか心配で堪らない。
意外と気にならないのは自分のことだ。生きて出られたら何ができるか、と楽観的なことばかり頭に浮かぶ。
(卒業できないとなると、特権階級剥奪。魔法が使えなくなる……。でも能力は奪えないだろう? 人の治療は出来そうだな。平民だったら給金がもらえる。平民の町で病人を治して生計を立てよう)
サタリー家の役目を担うより、よっぽど気楽でやりがいがある。そんな明るい未来が見え始めたときだった。
ガシャン ガシャガシャ
金属の擦れ、鍵が外れる音がする。そしてキィィという軋む音がして、眩しい光が部屋の中に入ってきた。その光を背負い、銀髪の少年が飛び込んで来る。
「ペンフォールド!!」
ノエラントールの整った顔立ちが、少し細くなったように見えた。よく見ようとする前に、しがみつかれた勢いで床に倒れた。
「治療は? ちゃんと治してもらいましたか?」
ペタペタとペンフォールドの顔や身体を触る。ずっと風呂にも入らず、髭も剃らずにいたことを思い出し恥ずかしくなった。
「私は薬物に耐性がある。少々の毒なら問題ない」
「……つまり、治療も検査も受けてないと」
ノエラントールの身体から冷たい精気が放たれ始める。突然の戦闘態勢にぎょっとして、彼の両腕を掴んだ。
「本当に大丈夫だ。心配いらない」
ペンフォールドの顔を探るように見つめる。
「本当だ。それよりノエルは平気か? その後目眩がしたり、吐き気がしたりしないか?」
「……実は昨日まで眠っていました。ペンフォールドが濡れ衣を着せられて閉じ込められていると、知ったのは先程です。助けに来るのが遅くなってすみません」
「私のことはいい。しかし昏睡状態がそんなに続いていたとはな……。しばらくは診てもらったほうがいい。多分ノエルは薬に弱い。後遺症が残らないか心配だな」
切々と語るペンフォールドの顔を、泣きそうな顔でノエラントールは見ていた。
「ペンフォールド……。私はあなたが大好きです。父の代わりに私が生きているのは、あなたを生かすためだったような気がします」
「何を、言ってる?」
ノエラントールはペンフォールドから素早く離れると、外に飛び出した。ペンフォールドはよろけながらも立ち上がり、懺悔室の外を見渡したが、彼の姿はなかった。
────そして何の説明もないまま、無罪放免となる。
次回「君在りし日々4」は5月2日までに掲載予定です。




