80.可愛い子
「青の歌は、僕の慰めだ」
ユーリグゼナの姿で青の名を聞く違和感が尋常ではなく、身震いした。ナンストリウスの薄茶色の目は、静かに彼女に向けられている。
「テラントリーたちが家を出てすぐ、父が亡くなった。戦争が終わったら家名は消され、親戚縁者も処刑。残された僕とばあちゃんは何年も自宅謹慎。……意味が分からなかったよ。これまで紫位を継ぐ者として、厳しい稽古の毎日だったのに、馬鹿みたいだ」
ナンストリウスは乾いた笑いを浮かべる。
彼の美しい所作は、厳しい稽古の賜物。ユーリグゼナは、舞の師匠が彼を「ひい孫」と紹介したことを思い出す。
「……舞ですか?」
彼はぐっと息を詰めた。予想外の問いらしい。
「……そうだよ」
「見てみたいです。とても」
テラントリーの舞は、とても可憐で清らかだ。家を継ぐ予定だった彼は、どれだけ美しく舞うだろう。
ナンストリウスは奇妙な表情のまま、彼女を見た。
「……それだけ?」
「え?」
「青のことは聞かないの?」
「あっ。はい。……ええと」
彼はふうと、気の抜けた顔になった。
「僕は謹慎中も、こっそり『楽屋』に通った」
不思議だった。全く彼に見覚えがない。
「僕だと分からないよう姿を変えてね。君も、とは思わなかった……。青が実は女の子だっていう噂も、特権階級だって話も嘘だと思った。疑うことができないほど、傾倒していたから。なのに……君はっ!」
声に込められた怒りに、彼女の体温が急速に冷えていく。
「ひどいね。こんな裏切りはない。……僕の知る青は必死で生きもがいても、いつも負けてばかりいる。不器用にしか生きられない青が大好きだった。歌を聞けば、僕は理不尽さにも屈辱にも耐えられた。なのに────すべてに恵まれた王女だったなんて、我慢ならない。僕たちを切り捨てた王の一族になったユーリグゼナ。いっそ君を殺したいと思った!」
彼は自分の胸倉を、強く掴んだ。
「…………でも今なら分かる。嘘の存在だけど、歌う心に嘘はない。君はこころの闇を歌いたかっただけだ」
「そうです。……勝手な自己満足。誰がどう思うかなんて、考えませんでした」
シノの誘拐でようやく気がついた。青の歌を聴く人にとって、王女のユーリグゼナは敵だ。好き勝手歌った挙句、何が起こった? ユーリグゼナは余計なことばかりしてしまう自分に、嫌気が差した。
ナンストリウスは「そうか……」と大きく息を吐き出した。
「考えたから『楽屋』で歌わなくなったんだね? 辛いよ。それじゃ辛くて辛くて耐え難いよ。他の人の歌じゃ満たされない。君が良いんだ」
彼は焦れたように顔を歪ませる。
「僕は青が可愛い。ずるさも弱さも汚さも全部愛おしい。全然王女に相応しくない君のまま、歌ってよ。君は本人だけど、青を殺せる存在でもある。だから僕は、君を見張ることにした。歌うのをやめたら、全力でユーリグゼナを潰すから。覚えておいて」
◇
ユーリグゼナは頭の整理がつかない。
ナンストリウスは気負いなく「せっかくだから、ブルーナに会っていけば?」と誘い、彼女を子どもたちの部屋へと連れて行く。
「ナンストリウス。あの」
「子どもたちの前では『代表』って呼んで」
「はい。代表……あの」
「こんなところで何言うつもり? 僕は今のところ、誰にも言わないからご心配なく」
いつかは青の正体をバラすつもりなのかと、冷や汗が出る。そんな様子を気にすることもなく、彼は迷いなく扉を開けた。そこにはたくさんの子どもたちが遊んでいて、一気に視線が集まる。ナンストリウスは、丁寧な言葉で呼びかけた。
「ブルーナは何処に行きましたか?」
「東司処です」
「まだ帰ってこないー」
「遅いの」
ナンストリウスは子どもたちに礼を言うと、なぜか屋外へと向かう。訝しげな顔でついていく彼女の目に、木の下で何かを掘り起こす子どもの姿が入った。
(嘘言って、外に出たんだ)
ナンストリウスは、黙って視線を向けている。
ユーリグゼナは気配を消して、子どもに近づいていく。チャリンチャリンと音がする。金属の筒の中にしまい、再び土の中に戻そうとしていた。
(お金、隠してる?)
そっとしておこう。遠ざかろうとしたとき、振り返った子どもと目が合う。
「なんだ、お前?! どうぼう!」
目が釘付けになった。男の子は青い目をしていて、赤茶色のくせ毛はふわふわ風に揺れた。
(姿だけで出生がバレると思う……)
色合いはそのままスリンケット。彼女をにらんでいる顔はロヴィスタ、いや叔父にあたるナヤンによく似ている。
見つめるばかりで、何も言わない彼女にブルーナは掴みかかってきた。
「ばばあ。見たことは墓に入るまで黙ってろ! しゃべったら地獄の底まで追いかけてやるからな!」
彼女の黒曜石のような目が、細くなる。
(これが五歳の子どもの言い草?)
ナンストリウスは、彼女の後ろから笑いを押し殺しながら囁く。
「どう?! 可愛い?」
彼女の周りの子どもは全員可愛い。この子は別で。
「ばばあー。話聞け」
「聞かない」
ユーリグゼナが顔を逸らす。ブルーナは、にたあと笑った。
「聞いてるから答えたんだろう? ふうん。お前、何て名前? あっ、いいや。お前は『黒』。はい決定! 黒、なんか食い物出せ」
ブルーナの差し出した土まみれの手を無視して、ナンストリウスを振り返る。
「理解できました。もう十分です。……可能なら、テラントリーが言っていた特権階級の子に会わせてください」
「この子だけど?」
「え?]
「二人ともブルーナを指名してる」
「そうなんですか?! テラントリーは自分に懐いてるって言っていましたけど……信じられない」
ナンストリウスが、ぶぶっと吹き出す。ブルーナは片足を地面にバンバン打ち付けて、砂埃を舞わせていた。自信満々な顔で言う。
「なんだ、テラントリーの知り合いか。だったら一緒に俺の女にしてやるよ。俺は女は大事にするぞ。ここを出たあとの金づるだからな」
ユーリグゼナのなかで何かが切れた。テラントリーを侮辱する人間は、子どもだろうと何だろうと許さない。片手でブルーナの胸倉を掴むと、ぶらんと高く吊り上げる。ブルーナは暴れて彼女を蹴ろうとするが、彼女にはかすりもしなかった。
「放せ! あほ! ばーか」
「もう、やめなよ」
さらさらの金髪を揺らし、従弟のユキタリスが走り寄る。
「そうだ! そうだ! 黒、今すぐ手を放せ」
「やめるのはブルーナだよ。ユーリは強い。勝てっこない」
ブルーナはぽかん顔になった。ユーリグゼナが彼の望み通り手を放すと、地面にドテッと尻もちをつく。
彼女はユキタリスに駆け寄った。
「ユキー! なんでこんなのがいるの? 金属筒楽器の子たちなんて、みんな可愛い子ばっかりなのに」
ユキタリスの綺麗な青い目は、残念な子を見るように細くなる。
「子どもだって、いろいろいるよ。金属筒楽器を弾く子は代表が選んだ。王たちの前に出るからね」
ナンストリウスは口を挟まず、面白そうに眺めていた。
周りに子どもたちが集まってきた。彼は優しい笑顔で見渡すと、養子院の代表らしい柔らかな表情で言う。
「ユーリ。鍵盤楽器の演奏してくれませんか? 楽しみにしていた子たちが多いのです」
『ユーリ』はここでの通称。子どもたちに王女であることは伝えていないので、ただのユーリと呼ぶ。
ユーリグゼナのときは粗雑に扱うのに、子どもたちの前では丁寧で落ち着いた態度になる。ナンストリウスという人は、結局どういう人なのか分からない。
次回「安らかな眠り」は4月7日頃掲載予定です。




