79.子どもだから
ユーリグゼナ視点に戻ります。
「約束をすると、約束の時間に急用ができて逃げられる」というスリンケットの助言を受け、ユーリグゼナは一人、連絡をせずに養子院を訪れた。
無事、面会室にて代表ナンストリウスと顔を合わせていた。ほっと胸をなでおろす。
「……家出は受け入れていない」
ナンストリウスは気だるげに、薄紅梅色の髪を掻き上げた。ユーリグゼナは大きく首を傾げた。
「家出、ですか?」
「王女が一人で大荷物抱えて来る理由、他にある?」
「ああ、これは……」
彼女は日頃から荷物が多い。今日は特に、しばらく養子院に来ないだろうと、色々持ってきてしまった。
「念のため寝袋を持ってきました。鍵盤楽器の練習に夢中になって夜遅くなってしまったら、ここに泊めていただけませんか? 横になれるところなら、廊下でもどこでもかまいませんので」
「帰れば? 今までもシノに送ってもらってたんでしょう」
「そ、そ、それを、止めようと思ってですね」
律儀なシノはきちんと上司に報告していたらしい。ユーリグゼナは恥ずかしくて、顔が熱くなった。ナンストリウスは、ふーんとどうでも良さそうな顔になった。
「別にいいけど」
「ありがとうございます。順番が逆になりすみません」
彼女はサギリから預かった手紙を差し出す。
「なに?」
「他家で泊まる場合、側人から申し入れるのが礼儀なのだと、聞きました」
彼は怪訝そうに、手紙を覗き込む。そしてすぐに、ぴしっと封を閉じて彼女に押しつけた。ぽかんと見上げる彼女に言う。
「見なかったことにする。シノにでも渡して」
「え? はい……」
「仕方ないから、僕も泊まるよ」
「なぜですか」
彼ははあ、と面倒そうに息をついた。
ナンストリウスが退出を促すと、ユーリグゼナは慌てて本題を切り出す。
「あの、まだお話があります。養子院にいる子どもについて、伺いたく」
「やっとか」
「え?」
「どうぞ」
無駄のない所作で、椅子を勧められる。彼女は背負っていた大きな鞄を床に置き、おずおずと腰掛けた。
「スリンケットから聞きました。養子院に、彼の生き別れの子どもがいるそうですね」
「生き別れ、ね。会ったこともないんじゃない?」
ユーリグゼナの片頬が、ぴくっと引きつる。
確かに会ったことはないはずだ。スリンケットはロヴィスタに子どもがいたことを、彼女が亡くなったあとに知ったらしい。
(一番驚いたのは……)
「いくつの時の子だよ。あまりの無責任さに呆れたね」
彼女は返す言葉もない。
ただ、ナンストリウスの様子から、本当の子だと信じていることが分かった。
「親子だと分かっていて、どうして会わせないのですか?」
「スリンケットは父親になんかなれない。今まで生きてることも知らなかったんだ。子どもだからなに? 親になる覚悟もないのに、ブルーナの人生にしゃしゃり出てきて欲しくない」
「ブルーナ、という名ですか」
「そう。彼はもう自分の人生を生きてる。それで君は……僕に何を言うつもり?」
微笑んでいるナンストリウスの薄茶色の目が、厳しい。彼女に何か言えるはずもない。
「余計な口を挟み、すみませんでした。それでは、テラントリーが養子をとるのに反対してるのも……」
「そう。なめてるの? って思ってる」
「なら、どうして親の責務を果たせないと判断したから、と言わないのですか?」
伝えれば、二人ともナンストリウスが何を求めているのか分かるはず。対応も違ったはずだ。
「なんで、わざわざ教えてあげないといけないの? それすら気づけない時点で無理だよ」
こんな彼を見ていると、一つ疑問が湧いてくる。これほど責任感を持って子どもをみているのに、どうして代表になった当初、逃げ出したのだろう。
「僕が意外と真面目で、びっくりした?」
表情に出ていたらしい。ユーリグゼナは縮こまる。
「別にいいよ。周りにはそう見えるよう、ヘレントールに頼んだのだから」
ナンストリウスが初めて代表になったとき、年上の子供たちから、強い反発があった。暴力が横行していた戦前の代表に、風貌がそっくりだったからという。
「戦前の代表は僕の叔父だ。髪の色も目も顔立ちも僕とそっくりの……。さぞ嫌だったろうと思うよ。僕じゃ駄目だから、シノに戻ってきて欲しかったんだ」
「子どもたちが悪く言われないよう、自分から身を引いたのですね」
彼は黙って、にやりと笑う。そうやって子どもを守ってきた。ナンストリウスがそういう人間だったことに、いまの今まで気が付かなかった。
「ヘレンは当然、知っていましたね?」
「知った上で、君にテラントリーを連れて説得させた。こっちの事情も僕のこともよく調べている。……今回の件も、前振りがあった」
ユーリグゼナは、ナンストリウスの薄茶色の目を見た。彼はゆっくり微笑む。
「『任せっきりで悪かったわ。何かあったら私が責任とるから。何でも言って』って、僕に賛同し信頼してくれてる。心強いよ」
叔母ヘレントールは、養子の身元保証人になろうとしたユーリグゼナを止めた。もしユーリグゼナが王女として介入していれば、事を荒立ててしまっただろう。
「……ヘレンには本当に、頭が上がりません」
「そうだね。ヘレントールが惣領代理で助かってる。アナトーリーには無理だ。国外へ行ってくれて良かったよ」
「そういうことをっ……言わないでください」
なぜ、わざわざアナトーリーを悪く言う。むくむくと湧き上がる感情を爆発させないつもりが、上手くいかない。その様子を、彼はのんびり楽しそうに見ている。
「本当に単純だなあ。そういう顔見たくてわざと言ったんだ。仕掛けたのに全然養子院に来てくれないし、どうしようかと思ってた」
「どういうことですか?」
「君の音楽が聴けない。演奏会が終わってから一度も来ない。養子の件は建前だよ。テラントリーとスリンケットは困ったら君に頼るだろうから、意地悪した」
彼女の口が、ぽかんと開く。ナンストリウスは、のらりくらりと主張を変える。音楽が目的というならおかしい。アルフレッドと演奏仲間は、交代で子どもたちに教えに来ていた。
「他の人が練習しに来ているはずです」
「そうだけど。それは嬉しいけど、僕は君のが聴きたい」
鍵盤楽器を弾くのは、ほぼ彼女だけだ。今後も、養子院には最低限しか来ないだろう。今日もシノに鉢合わせしたらどうしようと、どぎまぎしている。
「アルフや他の人に鍵盤楽器の演奏を頼んでみます」
ナンストリウスは不機嫌そうに目を閉じる。
「僕がどうして代表を続けていると思う?」
「……子どもが可愛いから、ですよね」
「それもあるけど、それだけでこんな休みのない仕事を続ける気にはなれない」
ユーリグゼナはこれ以上思いつかない。
「君だよ」
彼の本心が掴めない。何が目的で、こんなことを言い出すのか。
「君が鍵盤楽器を弾きに来て欲しい。本当は歌が聴きたいけど、さすがにここではね。明日の夜は、『楽屋』に歌いに来て。君は学校に行ってしまうのだろう? …………これだけ聴けないと、どうにかなりそうだ」
ユーリグゼナは、ナンストリウスの話を聞き流すことができなかった。
「え?」
「君は本当にうかつだなあ。そんな顔したら、バレちゃうよ。青」
彼は薄紅梅色の髪を揺らし、本当に嬉しそうに笑った。
次回「可愛い子」は4月4日頃掲載予定です。




