77.楽ではない近道
シノの回想。第2部53話「役目2」のあと、ペルテノーラに向かうまでの話です。
更新大変遅くなりました。。
ユーリグゼナはシノと二人きりの闇のなか、隠していた気持ちを打ち明けた。普通になりたい。人間でなくなるのは嫌だと。
シノは自分の膝の上で身を震わす彼女が、愛おしくてたまらなくなる。と同時に、自身の心を恥じる。
脳裏に浮かぶのは二年前、彼女が正気を失ったときの姿。
割れた玻璃が散乱する礼堂。
自らの血で真っ赤に染まったユーリグゼナが空を睨む。触れれば刺されそうな鋭さと、壊れそうな危うさ。どちらも共存する彼女はとても美しかった。
思い出す度に、息が出来なくなる。
(絶対に言えない……)
彼女が怯える彼女の姿を、愛しているなんて。
◇
シノはウーメンハンの諜報員に誘拐され、井戸に落とされる。ユーリグゼナはシノを助けるため、ただそれだけのために、真っ暗な井戸へ飛び込んだ。
彼女の『助けたい』という直向きな思いに触れ、荒みきったシノの心に温かいものが溢れてくる。暗闇のなか、好意を隠さない彼女は、死ぬほど可愛かった。シノはもう自分を抑えなくて良いのだと思った。それなのに……
地上に戻れると分かった途端、ユーリグゼナは、さっと彼から距離をおく。シノは訳が分からなくなった。
ユーリグゼナが人間として生きたいというなら、神だろうと神獣だろうと話をつけよう。王女の義務である結婚だって、どんな手を使ってもさせない。奪い取ってでも一緒にいたい。
そう意気込んでいた気持ちに、ピリッと冷たいものが混じる。身分違いのシノの想いは、本来不敬にあたる。バレれば、即捕縛。平民の彼は裁きを受けることなく、闇に葬られるだろう。
(このまま離れたら、終わってしまうのに)
想いがなくなれば、二人を結ぶものは何もない。
身分が逆だったら良かった。シノはユーリグゼナを絶対に離さないし、たくさんの約束で心を縛る。権力を最大限生かし、名実ともに自分だけのものにする。でも…………何も持たないシノは、彼女を縛り付ける術がない。
地上に引き上げられ、現実に戻される。救い出されたというのに、呆然としていた。
地上に戻ったユーリグゼナは、鳳魔獣とともに雨を呼ぶ。火を消し国土を清めていく。神々しいほどに清らかで、おそらく正気を失っていて、またもやシノは見とれていた。
突然、背後から羽交い絞めにされる。鼻と口を布で強く押さえられ、強い吐き気とともに意識が薄れていく……。
◇◇
シノが気づいた時には真っ暗な空間にいて、誰かに背負われていた。ゆらゆら揺られて、現実感がない。
「大丈夫か? 狼が多めに薬を使ったらしい。吐き気がするときは言ってくれ」
狼め……と顔をしかめつつも、アナトーリーの心配そうな声にシノは温かさと懐かしさを覚える。
「吐き気はございません。ありがとうございます。……あの、自分で歩きます」
「手足のしびれが残っているはずだ。それに、ここは特権階級用の時空抜道だから、魔法を使わないシノにどういう反応が出るか分からない。このままペルテノーラまで背負っていくよ」
「ペルテノーラ?!」
シノのぼんやりとした頭が覚醒する。
「シノはしばらく、俺の家に滞在することになってる」
「いいえ。シキビルドに戻ります。私がいなければ、ウーメンハンの罪を裁けなくなります」
「ライドフェーズ様は断罪より、シノを選んだ」
アナトーリーの言葉に、シノの顔が歪んだ。
「だとしてもっ……。それでも……私のせいで主が判断を誤るようなことが、あってはなりません!」
勢いとは裏腹に、力が入らないシノは徐々に背中からずり落ちていく。アナトーリーは、ひょいっと背負い直した。
「シノ。落ち着いて聞いてくれ。……ユーリは、アルフレッドと結婚する」
急速に心が冷えていく。こうやって切り捨てられるのだと思った。
「……ってことになってる。対外的にはな」
アナトーリーはからかうように続ける。
「今は、シノを守ることを優先にした。ライドフェーズ様から『ちょっと休憩していろ。必ず呼び戻す』と伝言された。ユーリにはアルフレッドと結婚するよう命じたし、シキビルドとしてはその路線で進める。だけど国として、ペルテノーラ王カミルシェーン様と次期王アクロビス様の求婚を、無視できない。話はこれ以上進まなくなる」
「……そう、なのですか」
「ああ。だからユーリを諦めないでやってくれ」
さらりと心を撫でられたように感じた。
「シノほど、ユーリの心に深く入り込んだ人間はいないんだよ。自分から弱さをさらけ出すようなまね、ずっとユーリはできなかった。誰にも」
冷えた心に熱がこもりだす。信じがたいことに、アナトーリーはシノの想いを後押ししているように思えた。背負われた背中を力強く感じる。シノの口から、愚痴が飛び出す。
「でも……ユーリグゼナ様は地上に戻れると分かった途端、手の平を返したように冷たくなりましたよ」
「それはキツイな」
「──きっと、大して想われていないのだと思いました」
アナトーリーは何度も頷き同意する。
「ああ。そりゃそう思うよ。女ってさ、ほんと分からない。どうしてそう、急に態度を変えられる? 今までのは何だったんだ。……俺、毎回泣きそうになる。理由聞いても説明してくれないし。察してって何を?」
多分ユーリグゼナの話ではない。アナトーリーの舌は、軽やかに回り続ける。初恋が姉だった話から、初めて付き合った女性との失敗談、本当はユーリグゼナと結婚するつもりだったなど……そんな話を今、シノにしてどうする。逃げ出したくとも、背負われたまま聞くしかない。
「いやー、他人に話せないことばっかりでさ。聞いてもらえて嬉しいよ」
壮大な愚痴だったらしい。緊張状態で一晩ほとんど眠れていない頭には、刺激が強すぎる。
アナトーリーはすっきりした声で言う。
「これからもよろしく。家族になるし」
「……家族、ですか?」
「俺はそのつもりだよ。ユーリと一緒になるならシノも家族だ。それとも、もう嫌? 面倒か。ユーリのこと」
「いいえ…………大好きです。どうしようもなく」
なぜこんなことを、彼女の叔父の背中で言っているのか、分からない。
「良かった。二人が一緒にいられる方法を探していこう。楽じゃないのは分かっているけど、ユーリが幸せになる一番の近道だから」
アナトーリーは楽じゃない方へ一緒に進もう、と寄り添ってくれる。彼の背中は熱くて、シノまで身体が火照ってくる。
「俺は、シノが自暴自棄になってるんじゃないかと心配してたんだ。頼ってくれないか? 役に立ちたい」
ユーリグゼナと一緒にいられるなら、他は切り捨ててもいい……なんてもう思えなくなった。
アナトーリーに彼女への想いを認めてもらったら、地に足が付いたような気がした。一人で恋心を抱えて進むより、ずっと先まで行ける。彼女の大切な叔父が、苦労を承知の上でシノを後押ししたいと言う。
嬉しかった。だから欲が出た。
彼女が愛している者すべて、家族、友人、森の魔獣に認めて欲しくなった。
もし全員にユーリグゼナに寄り添う相手として祝福してもらえたなら、今と違う景色が見えるだろうか。
◇◇◇
アナトーリーのお喋りは、尽きることがない。
「とりあえず、家に来てくれ」
「はい。……お世話になります」
「妻も喜ぶよ。ユーリの想い人に会いたいと、ずっと言っていたから」
「光栄です。…………ところで、結構遠いのですね」
「いや…………実はこんなに時間がかかったことは無い」
なんとかペルテノーラに到着したものの、この時生じた時空のズレが原因で、時空抜道は故障した。シノは自分のせいかもしれない、と青くなった。
アナトーリーの婿入り先で過ごすうちに、情勢は変わっていく。半年もしないうちに、シノはシキビルド王ライドフェーズに呼び戻される。誰も担当する者がいなくなった養子院を、再び任されることになった。
続いて御館で待ちぼうけているシノに戻ります。




