75.王女の相手
「来年からは王女の仕事が本格的になる」
ライドフェーズは部屋に来て早々、きっぱりと告げた。
「卒業する前に年間の予定をざっくり決めておかなければならない。初年度が基準になるから、よく練っておけ」
言い切ったという顔で、サギリの用意した菓子に手をつける。ユーリグゼナは呆然とした表情で彼を見上げた。
「あの……仕事をしないという選択肢はありませんか?」
「私のなかには常にある。しかし側近たちには、特にセシルダンテには皆無だ。成人になるのに合わせてガンガン予定を放り込んでくる。すでにいくつか決めているはずだ」
彼女の口からうめき声が漏れる。王女。普通の王女は何をするのだろう。考えただけで、胸が痛い。
「私は……音楽を主にして動きたいんです。それに……お茶会とか女性の催しとか普通のことは、絶対に無理です。まともに話のできない私が参加したら、シキビルドの恥になります!」
「確かに。そうだな」
力強く肯定され、なんだか微妙な気持ちになった。
「そうであれば、演奏会を外交に取り入れたらどうだ? 他国は喰いついてくるはずだ」
ライドフェーズが悪い顔になって、頬杖をつく。
今回の演奏会で、わずかだがシキビルドの空間の拡大が確かめられた。検証にはまだまだ情報が足りないにも関わらず、カンザルトルは自国でも有効なのか躍起になって調査している。代表の捕縛で混乱しているウーメンハンも、新しい代表が立てば動き出すだろう。
「アルフレッドに相談して、案を上げます。卒業前に最終決定ですね?」
「ああ。────それともう一つ」
ライドフェーズが菓子を食べる手を止め、身を乗り出した。
「アーリンレプトのことで相談がある。学校が始まればユーリグゼナもテラントリーもいない。御館の中で子供一人きり。アーリンも三つだ。そろそろ年の近い友人を持たせたいと思っている」
「近いといっても同い年でお相手は無理ですよね? 少し上の五歳から七歳くらいですか?」
「そのくらいが希望だが……」
言葉を濁す理由を、ユーリグゼナは理解している。その年代の子供はシキビルドにほとんどいない。前シキビルド王が傍若無人に振舞うようになった時期から、戦争終結までの時期、特権階級は子供を持とうとしなかった。
「……ヘレントールのところに、一人いただろう」
「ユキタリスですか? そうですね。今、六歳です」
人懐っこく、周りにも気を配る自慢の従弟だ。ただ特権階級のしきたりに慣れていないので、御館に一人で向かわせるのは難しい。
「スリンケットと一緒ではどうでしょうか。とても懐いていますから」
「いいな。私から頼んでおこう」
ライドフェーズは満足そうに笑う。ユーリグゼナの脳裏に「また厄介事を僕に押し付ける!」と、プンスカ怒っているスリンケットが浮かぶ。でも可愛いアーリンレプトのためだ。我慢してもらおう。
「ヘレンの許可は、ライドフェーズ様が直接取った方がいいですよ」
「………………分かった」
◇
参加しないと決めた謝神祭だったが、演奏曲の作曲は例年どおり依頼された。リナーサが指揮を務めるという。個人の練習は開校前から始める。少しでも早く楽譜を配らなければならない。
「これでどう?」
アルフレッドが、彼女の演奏した旋律を楽譜にしていく。
「早いね。本当に助かる。ありがとう」
「いや。人より早く新曲を聴けて役得だ──今回の選曲、やっぱり政がらみ?」
「多分……」
シキビルドもペルテノーラも曲の権利について、国を挙げて仕組みづくりを進めている。最初のお客様になりそうな、カンザルトルの好みを取り入れた選曲になっている。
「────それで相談って、卒業後のことか」
「うん。ライドフェーズ様は、音楽を政と資金稼ぎに使いたいらしい」
未だにシキビルドは他国に売れる商品がない。有能な側人を他国に派遣する動きもあるが、人材育成も仕組みもまだまだ時間がかかる。貧乏なシキビルドは、手っ取り早くお金を稼がなければならない。
アルフレッドは音楽と楽器を心から愛している。芸術の域にまで高めつつあるものを利用されたら、どう思うのだろう。
「いいんじゃないか? 俺、ちょっと前まで、平民になって道端で演奏して投げ銭で生活するつもりだったし。全然抵抗ない」
「良かった……嫌がると思ったよ」
「俺さ。今まで音楽は暇つぶしくらいにしか思われていなかったから、今の状況は嬉しいよ。お金になるなら、楽器や演奏者を増やしてもっと良いものを作れるな。俺はみんなが自由に、好きな曲を聴ける世界にしたい、と思っている」
彼の深緑の目が輝く。それを眩しそうに彼女は見た。
「いいね。手伝う」
演奏会のやり方、音楽で収益を上げる方法を話し合う。たくさんの案を紙に書きつけた。二人とも高まる気分を落ち着かせようと、サギリのお茶に手をつける。
菓子を給仕するサギリは、申し訳なさそうな声をだした。
「お二人がお揃いのときに、お伺いしようと思っておりました。卒業式の衣装はどうされますか?」
「……え?」
ユーリグゼナは、サギリの顔を見つめるばかりだ。
「ユーリは参加したことがないから、分からないよな」
アルフレッドは、さらっとした見事な金髪を掻き上げながら説明する。
卒業式では、両親や来賓が見守るなか、成人の儀が厳かに執り行われる。卒業生は服装が自由とされ、思い思いに着飾って参加していた。
「へー。私はいいや」
「いいや、って。参加しないのか?」
「うん」
確かセルディーナは病気で参加できなかったはずだ。ユーリグゼナが出なくても問題ないだろう。
彼は珍しく眉間にしわをよせて唸った。
「……俺も出なければ、いいか」
「え。なんで? お母さんに見せてあげて。喜ぶよ」
「それはユーリにも言えるだろう? ヘレントールも姪の晴れ姿を見たいはずだ。特別綺麗なユーリを俺だって見」
いきなり咳き込み始める。彼の背中をさすりながら、怪訝そうに言う。
「私はともかく、どうしてアルフレッドまで欠席しようとしてるの?」
「それは……」
彼は目を泳がせる。目を逸らさない彼女に、観念したように話し出した。
「国の代表者は最初に入場する。その時は連れ添いが必要なんだ」
「へー。私がいなかったら、アルフが代表になるからね。テラントリーに頼もうか?」
「そういうわけにはいかない。卒業式の連れ添いの相手は、慣例的に結婚相手と決まっている」
「ふーん」
気の無い返事に、アルフレッドは渋い顔になる。
「参加しないんだな?」
「うん」
彼は深いため息をついた。
「その方がいいかもしれない。ユーリの正式な婚約者は俺なのに、ペルテノーラ王は自分が婚約者と主張していて、次代の王アクロビスは求婚して取り下げない。三つ巴の戦いになってる。誰がユーリの相手になっても、シキビルド王に苦情が来る」
「三つ巴って、別に争ってないでしょう?」
カミルシェーンの軽口はいつも通りだし、アクロビスは一度求婚した後、口説く気配はない。
「あくまでも世間的にだ。ペルテノーラ王もアクロビスも、ユーリが結婚しなくてもいいように協力してくれている。この状況を利用した方が、ユーリにはいい」
アルフレッドはそう言うと、遠くを見つめた。
(ユーリにはいい、ね)
頑なすぎたかもしれない。それほどアルフレッドが参加して欲しいなら、前向きに考えるべきだろう。連れ添いには、結婚相手になりえない人を選べばいい。
(ライドフェーズ様とか、ヘレンとかテラントリー、サギリ……)
考え込む彼女に、彼は寂しそうに言った。
「……ユーリさ。たまには鍵盤楽器の練習、行ったら?」
ユーリグゼナは俯いたまま動けなかった。演奏会が終わってから一度も鍵盤楽器には、触っていない。養子院に弾きに行けば、シノに会う可能性が高い。練習に夢中になって、また夜中に送ってもらうことになるかもしれない。だから行かない。
「マシだろ? 眠れないでいるよりずっと」
ぎょっとして見上げたとき、アルフレッドは戸を開け出て行くところだった。夜中眠れないことを、彼女は誰にも話していない。
「サギリ……」
「出過ぎた真似をいたしました。でも皆さん、心配されています」
彼女はいつも通りにしていたつもりだ。でも彼女を訪ねてくる面々は気づいていたという。
「眠れないのは、シノのせいじゃないよ」
「承知しております。が、あんなのでも慰めになればと」
相変わらず男性は嫌いみたいだ、と苦笑いする。顔色が優れないのはサギリも。ユーリグゼナより辛そうだ。
(何とか心配かけないようにしないと)
それには夜眠ることが一番。そう思っても、彼女はなかなか寝付けない。
◇◇
ライドフェーズの愛娘アーリンレプトは、薄い赤色の目をくりくりさせて新しい友人を見た。色素の薄い透き通るような頬が、わずかに赤く染まる。
従弟のユキタリスは青い目で彼女を見つめたまま、動かなくなった。
御館の外庭の木々が重なるところには、にんまり顔で見守るユーリグゼナの姿がある。
(可愛い。二人とも)
ご機嫌の彼女の背後から、極めて機嫌の悪い声が聞こえてきた。
「また厄介事に僕を巻き込んだね?」
スリンケットの赤茶色のくせ毛がふわふわ風に揺れている。
「厄介ですか? 上手くいきそうに見えます」
「そうだね。で、次どうなると思う?」
可愛いものが二つあると、その可愛さは相乗効果で二倍を超える。次の展開なんて考えず鑑賞していたい、と思っているのがバレてはまずいので、彼女は少し考えた……。
「ユキが、アーリンレプト様と結婚したいって言い出しますかね? どうしよう。『いくらユキでも、アリーンレプト様は私のだからあげられないよ』と伝えたら傷つきますよね」
「…………君のじゃないでしょう?」
スリンケットは目を閉じて、大きくため息をついた。
「君にしては、まあまあ合ってる。でも言い出すのは周り。これ以上パートンハド家と王一族の繋がりができるのは、みんな面白くない。偏り過ぎだよ」
「偏り……そうですね。ではユキを父方に戻します? もしくは他家の養子にするか。ユキが大きくなったら選ばせましょう。──いやいや。駄目でした。アーリンレプト様の結婚は姉として絶対に認められません。本気で欲しかったら、私の屍を乗り越えてください」
スリンケットは呆れ果てた顔になっていた。
「……もう、どこから訂正したらいいか分からないよ。君が義妹を溺愛してるって本当なんだね────養子ね。もしくは」
そのままスリンケットはしばらく考え込む。ユーリグゼナは可愛い二人から目を離さないまま、声をかけた。
「なんですか?」
「もう一人、学友を増やせばいいんじゃない。一対一よりぼやけるだろう」
同年代がいなくて困っている。それが分からないスリンケットではない。彼女には彼の意図がよめなかった。
「……僕の子供が学友になるっていうのはどう?」
これはもしかすると、テラントリーと同じことを考えているのだろうか。
「養子院の子を養子にする。とかですか?」
「君にしては勘がいい」
「子供を政に巻き込むのは、良くないですよ」
「特権階級として生まれたなら、もともとそういう運命さ」
ユーリグゼナはスリンケットを振り返った。彼は思った以上に真剣な顔をしていた。
「……ウーメンハンの代表の言葉が、引っ掛かっていた。彼に攫われたはずのロヴィスタとの子供のことを、知らないみたいだった。調べたら養子院に僕に似た特徴の子がいるらしい。ナンストリウスは『養子縁組できなくなってから、自分の子だと主張する人は多いんだ。聞き飽きたよ』って取り合わない」
息を呑む彼女の顔を、真摯な青い目が覗き込む。
「死んだと思っていた息子が生きているかもしれない。君ならナンストリウスを動かせる。会わせてもらえるよう、頼んでくれないか?」
次回「少女は願う」は3月17日掲載予定です。
シノ回が三話続きます。お急ぎの方は79話へ。




