68.音合わせ
ペルテノーラ王カミルシェーンは不満そうに隣の麗人を見ている。
「相変わらず全く可愛くない。なぜ姉に似なかったのだ?」
「姉に似なくて良かったのだと、今、心から思いますわ」
シキビルドいや、おそらく世界最強の戦闘能力を持つヘレントールは、満足そうに水色の目を細めた。心の内で「お前に可愛いとか思われたら、気持ち悪いわ。ばーか。ばーか」と言っているのが、ユーリグゼナには聞こえるようだった。
叔母ヘレントールは二人の王、彼女曰く万年妄想男カミルシェーンと馬鹿王ライドフェーズの間に、パートンハド家惣領代理として座っていた。
パートンハド家の略礼装が凛々しく、とても似合っている。本当の任務は王の護衛と、非常事態下における場の掌握。
各国の代表に引っ張り出された調停者アルクセウスとの話し合いの結果、各国の来賓は三名ずつから四名ずつに増やすということで妥協する。残りの希望者は御館の特権階級用の部屋で聴くことになり、なんとか穏便に治まっている。
「よっ」
ペルテノーラ王子ナンシュリーは相変わらず、軽かった。彼女まで「よっ」と返すわけにいかないので、王女として挨拶の作法で返す。
「アクロビスは留守番ですか?」
「うん。父王がペルテノーラ枠三席を高額でウーメンハンに売っちゃってさー。残り一席に体裁を整えるため僕を出席させたんだけど…………護衛無しだよ? ひどくない?」
小声で囁くナンシュリーの表情がどんよりと暗い。後継ぎでなくても王子。身分はとびきり高いはず……。
ナンシュリーはさらに声を潜めて言う。
「『何かあったら逃げろ』って言われてる。何かあるわけ?」
「……分かりません。でも……カミルシェーン様のことですから、何かあるからそう仰っしゃるのかもしれません」
「えー!」
悲壮な表情で見つめられても、困る。
警備が物々しいのは確かだし、味わったことがないほど会場は緊迫していた。
カミルシェーンの会話を聞いていると、いつも通り過ぎて気が抜けそうだが、それでは駄目だと、彼女の勘が告げている。
側にいたアルフレッドがいつの間にかいなくなっていた。来賓の一人と話し込んでいる。誰と話しているか気づいた途端、彼女はぱっと笑顔になった。
「ナヤン」
「お姫…………いえ、王女。今回はお招きいただきありがとうございます」
成人したナヤンは言葉も態度も改め、王女向けに姿勢を低くして挨拶をする。それを寂しく思いながらも、やはり来てくれたこと、会えたことが嬉しい。
「お呼びしてすみません。忙しいとは思いましたが、ナヤンに聴いてもらいたかったのです」
「王女自らのお招きだったので、仕事も用事もぶっ飛ば……いえ都合をつけて参りました。卒業したらもう音楽とは縁がなくなるだろうと覚悟していました。このような機会をいただき本当に感謝してます」
黒髪に愛嬌のある茶色の目が、嬉しそうに彼女を見上げる。学校の合同練習に時が戻ったように感じた。
「リナーサも招待しましたが、許可されませんでした」
割り込むように濃い橙色の髪が、彼女の視界に入る。
「姫。学生は国外に出ることが禁止されています。仕方ありません。私ベセルは、妹以上の熱い思いを胸に参りました。月の心をも射落とす美しい顔を再び拝見できましたこと、神に感謝しております。本日の濡羽色の髪は、美しく編み上げておられますな。姫の麗しい顎のラインを理解した素晴らしい手業。非常に感服い…………」
べセルの口は止まらない。今日は押しとどめてくれるリナーサもスリンケットもいない。どうしようと思っていたとき、視線を感じる。
ユーリグゼナが振り返ったウーメンハンの来賓席に、身分が高そうなベールを被った男がいた。口からチラリと覗いた舌が、変に赤い。それを見た途端、ユーリグゼナの背筋が凍る。
(謝神祭で会ったウーメンハンの誘拐犯……)
なぜ、ここに。いや、なぜ捕縛されたと思い込んでいたのか……。
「ユーリ! そろそろ行こう」
アルフレッドが声をかけ、二人はこの場を抜け出す。演奏の準備に戻るうちに、足が次第に重くなってきた。ベールの男の舐めまわすような視線が追いかけてくる。それが吐きそうなほど気持ち悪く、得体の知れない恐怖が湧き上がってくる。
「ユーリ?」
様子がおかしいことに気づいたアルフレッドが、彼女の顔を覗き込む。彼の深緑の目を見ると、心がこの世界に戻ってくる。いつの間にかすぐ側に来ていたアナトーリーが、そっと彼女の腕に触れて心に呼びかけた。
(誘拐未遂の主犯がこの場にいることを、王たちに伝えてきた。……あの男、ウーメンハンの代表らしい。すまない。謝神祭の時に俺が捕まえていれば……)
苦しげに揺れる紺色の目を彼女はとらえる。あの時、彼はまだシキビルドの人間で、ユーリグゼナの安全を優先した。
あの男は調停者アルクセウスが現れる前に、気づかれないよう立ち去ったのだろう。重傷の仲間をたくさん放置して。
気が付くと、養子院の金属筒打楽器を担当する子供たちがユーリグゼナの周りに集まってきていた。皆、不安そうだ。本番前の緊張か、それとも…………
「ユーリ。何かあった?」
従弟の末っ子ユキタリスは、心配そうに彼女の袖を引く。お揃いの白いシャツを身につけた子供たちが彼と同じ表情で彼女を見上げている。
彼女は拳を固く握りしめた。
(私がみんなを不安にさせてどうする!)
無理やり笑顔を作る。でも苦しかった。
その時、微かに花の香りが鼻をかすめる。目の前を紫色の小さな花びらが舞う。
(セルディーナ様のつくった幻の花びら)
セルディーナはこの演奏会のため、どうにか体調を整えた。それでも起き上がるなんてとても無理で、シノに運ばれテルとともに五角堂の隠し部屋に籠っているはずだ。
その彼女が、動揺するユーリグゼナのために美しい幻をつくった。ふわふわ周りを舞う花びらに触れると、怖さが消えた。
(私ほど、恵まれている人間はいるだろうか)
心から支えようとしてくれる人がたくさんいる。
ユーリグゼナは力を出したかった。自分にできることは全部したい。一度目を閉じ、ゆっくりと開く。黒曜石の目は強い光を放つ。
「アラントス……」
「用意したよ。本番前に音を合わせるんでしょう?」
従弟の真ん中アラントスはいつも通り、優しく微笑む。長机の上に布が敷かれ、その上に金属筒打楽器が、小さくて高い音が出るものから、順々により大きくて低い音が出るものへと並べられていた。
「いつもの曲で、音合わせしようか」
ユーリグゼナは穏やかな表情で『レンベル』と告げる。子供たちは自分の担当の音を手にし構える。全員、自然と笑顔がこぼれる。
ユーリグゼナが養子院で放置されていた金属の棒で弾いているのを、子供たちがこっそり盗み聞きしたのがそもそもの始まり。金属筒打楽器の初披露曲でもあり、子供たちにとって一番馴染みがある。
何度演奏しても透明で美しい音の連なりは、人の心も空間も洗ってくれる。
五角堂はすっかり静まり、子供たちの音合わせのための演奏にみんなが聴き入っていた。今さら演奏会の開始を宣言するのも、間が抜けている。ユーリグゼナが問うようにライドフェーズを見ると、少し待てと手の平を見せて止まっていたが、やがて大きく頷いた。
一曲目は彼女が指揮をする、子供たちの金属筒打楽器の『異国人に恋する少女の歌』で、レナトリアが好きな曲。アナトーリーに聴かせたくて演奏会を開くきっかけになった。
彼女は子供たちに笑顔で目配せをする。子供たちは落ち着いた様子で、担当する音の前に移動する。
トンタ トンタタ トンタターン
トンタ トンタタ トンタターントーン
細かく音を刻む旋律に、子供たちは悩まされながら練習した。だからこそ繋がったときの楽しさは格別。上手くできたと褒めるより、美味しいお菓子を出すより、満足のいく演奏ができること自体が、子供たちにとって最高のご褒美になっていた。
今日もいつも通りの美しい音色が五角堂の天井に響く。
◇
演奏を終えた金属筒打楽器は長机に置いたまま、二曲目の六重奏『レンベル』の準備に入る。アルフレッドとナータトミカが楽器と椅子、楽譜を置く台を設置していく。手伝おうとした彼女だったが「王女は大人しくしていろ」とアナトーリーに睨まれた。
カミルシェーンは頬を膨らませ、子供たちを機嫌悪そうに見ている。
「ユーリグゼナ。本気出せ。あいつらに負けられない」
彼女は呆れ顔になった。
「いったい何と争おうとしているんですか」
「子供らが予定に無かった『レンベル』を演奏した。これから俺たちが同じ曲を弾くのにだぞ?」
彼女は口元が緩む。笑わないようにするのに苦労した。
「子供たちの演奏、良かったですね」
「予想以上にな。あいつらの音はなんて澄んで綺麗なんだ。ムカつく」
彼が負けたと思っているのが、少し意外に思えた。
「カミルシェーン様。同じ曲でも全然違います。子供たちはみんなで音を繋いで一つの曲を奏でました。私たちはそれぞれ違う曲を奏でて一つの六重奏にするんです。比べられません」
彼は黙り込む。彼女は躊躇いがちに続ける。
「それに……。私が言うのは大変おこがましいですが……」
歯切れの悪い彼女に彼はムッとした顔になる。
「なんだ。言ってみろ」
「私、カミルシェーン様の演奏好きですよ。軽快で調子良くて、何だか楽しくなります」
彼はふいっと顔を背けた。
「調子良いは褒めてない。それに、そういうことはもっと早く言え! それにだ……合わせられないだろう? 俺たち」
気にしてたんだ!! と吹き出しそうになった。ああ、でもきっと大丈夫。
「もう少しゆっくり弾いてもらえませんか? 先頭が早いと追いかける方は、二倍の速さが必要で苦しいんです」
カミルシェーンの弾いた同じ旋律を、ライドフェーズ、ユーリグゼナは追いかけるようにして音を重ねていく。
「速くなければ、合わせられるか?」
「はい。絶対に」
「ライドもか?」
彼女は大きく頷いた。
「いつもカミルシェーン様に追いつこうと、必死に合わせていらっしゃいます。気づいておられますか?」
「いや……」
「演奏中少しだけライドフェーズ様に目線を向けられませんか? 合わせたい相手と目が合うと、それはそれは嬉しいものですよ」
カミルシェーンは珍しく軽口を挟まない。黙ってユーリグゼナを見る。
次回「青の曲」は1月31日頃掲載予定です。




