66.父娘の夜明かし
順調に練習は進み、ユーリグゼナはますます鍵盤楽器に夢中になる。うっかり夜中まで弾き続けてしまうこと四回目。今夜もシノに連れられ御館に帰る。
「丸くなりましたね」
シノに言われ、心当たりのあるユーリグゼナは凍りつく。最近、身体にぷくぷくと肉が付き始めている。
「私がお菓子を与えすぎたのかもしれません」
シノの菓子はおいしい。
先日のライドフェーズとカミルシェーンの会合で出された菓子は、彼女を震えさせた。何層もの生地の間にバターをたっぷり挟みこみ、新鮮で甘味の強い果物とともにサクサクに焼き上げた逸品。手が止まらなかった。
王たちも凄まじい速さで菓子を口に運んでいく。三人で皿を空にすること七回。ついにシノが用意していた菓子全てを平らげた。
ユーリグゼナは顔を赤らめながら、言い放つ。
「そ、そう思われるなら、出さなければ良かったのです!」
「そうですね。食べる姿が可愛くて、つい。今度から気を付けます」
端正な顔で爽やかに返す。彼女はもう顔が見れなかった。シノの挑発的な発言により、ユーリグゼナは恥死量を超えようとしている。彼は楽しそうな声だ。
「魔獣が菓子好きとは、知りませんでした」
「へ?」
思わずシノを見上げると、だいぶ丸くなった魔獣が彼の肩にとまっていた。何度も護衛をお願いするうちに、彼に懐いてしまったようだ。
(恥ずかしいよ!)
泣きたい気持ちを抑えつけ、彼女は何事も無かったふりをする。
「魔獣たちにもシノのお菓子のおいしさが分かるのでしょう!」
にっこり笑ったつもりが引きつった。彼女は魔石をシノに渡し、半ば呆然としながら見送る。
(この石で最後、だったんだよね)
本当は、森の深淵まで分け入らなければ手に入らない貴重なもの。
そもそも魔獣がまるまると太った本当の理由は、この魔石だ。これ以上与えてはいけない。いやそれより、なにより………
(送ってもらうのが普通になってるよ?!)
◇
御館の生活空間は、王一族のためだけの場所だ。側近の出入りは制限され、少数精鋭の側人が王の住環境を良いものにしようと日夜、心を尽くしている。
ユーリグゼナは、ライドフェーズ王やセルディーナ妃、アーリンレプト王女に近い部屋を割り当てられている。陰湿な嫌がらせでペルテノーラへ家出した経緯から、王の目が届くようにという配慮だ。
とはいえ、なかなか他の部屋へは行かない。
(特にライドフェーズ様にはわざわざ会いに行きたいと思わない)
そんな彼女も、今夜は密かにライドフェーズの部屋に向かう。頼み事があった。
コンコンコン
「ユーリグゼナです」
「い…………!」
応える声が不明瞭。
もう一度戸を叩くと、少し怒ったような声で何か言っている。
(いいから、とっとと入ってこい。かな?)
ぼやぼやしてると、かえって怒られそうだ。
「失礼します」
彼女はえいっと戸を開けた。目に入ったのは、目と鼻を赤く腫らしたライドフェーズだ。きいっと睨みつけられる。そして寝台には他の誰かの気配が。
(これは……大人の時間だった?!)
狼狽えながら「失礼しました〜」と出ていこうとする彼女を、ライドフェーズは引き入れ戸を閉めた。
「なぜ、今少し待て、というのが聞けない」
「聞き取れなかったのです。すみません。間が悪く」
「ああ。どうせ、間は悪かったのだ。用があるなら話していけ」
そう言われても、彼女はまたの機会にしたかった。
「お、お客様、ですよね?」
「セルディーナだ。眠っている」
そう言われて、すっと寝台の方へ目をやる。薄い布の衝立てで、セルディーナの姿は隠されていた。彼女はじっとライドフェーズを見る。なぜ、セルディーナが側にいて目を腫らす必要があるのだろう。
彼はユーリグゼナの視線から、顔を背ける。
「うるさいぞ」
「何も言っていませんが」
「お前は顔がうるさい」
覚えのあるやり取りに、彼女は気が抜ける。彼は床に敷いた、草を編んだ居心地の良さそうなマットを勧めた。彼女はゆっくり腰を下ろす。
「セルディーナは二日に一回か二回、少しの時間目覚める。いつ起きても良いように、誰かがずっと側についている。テルだけでは無理だから、テラントリーと私も交代でつくようにした」
普通に生きている、とは言えない状況。ユーリグゼナはずっと知らずにいた。訊いても誰も答えてくれなかった。
「いつからですか」
「徐々にだ。……そんな顔になるから、セルディーナはお前だけには伝えるな、と言ったのだろう」
そんな顔とか失礼な、とむくれる彼女の目は潤んでいく。
「ペンフォールドから診察を拒否された」
「な、なぜ」
ペンフォールドらしくない。諦めるのも投げやりなのも。
「考え方の違いだ。ペンフォールドは私が命を冒涜していると思っている」
「冒涜……しているのですか?」
そんなふうに彼女には思えない。ライドフェーズはセルディーナのために必死で、命を助けようとしている。
「延命は、時に死ぬ自由を奪う。考え方によってはそうなる」
「生かそうとしているのに? なぜですか?」
腑に落ちない彼女は、ぎゅっと眉を寄せる。彼は暗い表情のまま、黙り込んだ。
◇◇
「で、何の用だ」
疲れた顔でライドフェーズは言う。ユーリグゼナはあまりにも自分勝手な頼みだと気づき、口が重くなる。彼は面倒そうに頬杖をつく。
「お前の歯切れが悪いときは、たいていシノのことだ」
「すみません」
「言ってみろ」
「…………魔石と交換で、魔獣にシノの護衛を頼んでいたのですが、いろいろ限界で。襲われたときに相手を弾き飛ばすような、平民でも使える仕掛けはありませんか」
平民は魔法が使えない。でも一定条件下なら、魔法を利用することができる。
彼は立ち上がり、何かゴロゴロ音のする小箱を手に戻ってくる。
「平民でも、すでに起動した魔法陣を利用することは許されている。シノにはそうだな……」
そう言いながら小箱を開くと、じゃらじゃらと小さな石をかき混ぜる。彼女は、おや? っと首を傾げた。
宝石になるほど高い純度や硬度の石、見た目は悪くとも魔法に相性の良い石など、地味に高そうなものばかり。
「なんか、羽振りが良くなっていませんか?」
「ああ。実は実入りが増えた。新型の冷容魔術機械が、ことのほか売れている」
シキビルドの夏は酷暑だ。生活に余裕ができた平民が今、最初に買おうとするのは冷容魔術機械。食料を冷やして保存するだけに留まらない。むせ返る高温多湿な夏に、気楽に氷が手に入る。彼らの生活を豊かなものに変え、戦後一気に流行り出した。
ユーリグゼナは彼を指さしたまま、固まっていた。
「あれ、ライドフェーズが考えたんですか?」
「ああ。ペルテノーラでは全く受けなかったんだが、シキビルドでは広まったな」
一年の半分が雪で覆われるペルテノーラでは、当然受けないだろう。
「広まった分の報酬って貰いました?」
何となく、ライドフェーズはお金に縁がない印象がある。
「貰ってない。そもそも出回ったものに、私の魔法陣は使われていなかった」
「えー!」
一気に広まった海賊版の冷容魔術機械は、非常に故障が多かった。今年の夏、養子院で故障を目の当たりにしたライドフェーズは、直したというより魔法陣を一から描き直した。冷却効率は一気に高まり、故障もなくなる。
「パートンハド家の御用達の研という男が嗅ぎつけて、新型として売り始めた。そして売った分だけ、決まった金額を納めてくれるようになった」
「さすが研!!」
彼の商いの才覚と粘り強い仕事ぶりは、確実に利益をあげると共に、それだけではない何かを残していく。音楽の権利を守る仕組みを作りたい彼女にとって、発明の権利をきちんと守る研のやり方は、とても勇気が沸くものだった。
「……ユーリグゼナ。本題はどうなったのだ」
ライドフェーズは手持ち無沙汰のようで、手の平でじゃらじゃら石を転がしている。ユーリグゼナは脱線した話を戻す。
彼は相手を弾き飛ばせる魔法陣を何十種類も描き、起動したまま使える陣を厳選し、さらに改良していく。ようやく納得できるものが完成したのは、明け方のこと。
◇◇◇
ユーリグゼナはふらふらになりながら、戦利品を持ち帰る。
部屋に戻ると、先に寝ていて欲しいと伝えたサギリが起きていた。少しでもユーリグゼナを眠らせようと寝台に追い立てる。申し訳ない気持ちで、床につく。
ライドフェーズは魔法陣を埋め込む前に、石に小さな穴を開けてくれた。ここに細い鎖を通し首にかけられるようにすれば完成だが……。
(金属の鎖って、かぶれない?)
彼女は金属が身体に触れると痒くなり、赤く腫れる。忙しく働くシノは、汗をかくことも多いはずだ。
(いや、帰り道だけだから。ずっとつけているわけじゃないし)
分かっているのに、一度気になると納得できなくなってしまう。
(違う。私、誤魔化してる!)
思考が暴走してなかなか眠りにつけない理由は、金属の鎖が原因ではない。
ライドフェーズは彼女に、一度たりともシノへの感情を尋ねない。それに甘えていたのだと、ようやく気づく。気持ちが落ち着かなくなった。
(王から、養父からシノに会うのを止められたら、さすがに私だって従う)
寝台に仰向けに横たわった彼女は、両手で顔を覆った。
二人で会わない方が良いに決まっている。婚約者がいる王女なのだから、自身で心を封印し、シノと距離を置くのが正しい。分かっている。
(どうしてライドフェーズ様は、私に何も言わないの? ───自分で何とかしろ、だよね。当然だ)
頼めば、守りの魔法陣も作ってくれる。外出するようになったシノに必要なものだが、ユーリグゼナに渡せばシノに会う機会を作ってしまうのに。
彼女は大きな大きなため息をついた。人に委ねてはいけない。
(自分で決めよう。正しくないなら、なおさら)
次回「大切な人」は1月24日ごろ掲載予定です。




