65.演奏会の迷走
ペ王が来訪……
カミルシェーンがお忍びでも、仕事からの逃亡でもなく、ペルテノーラ王としてシキビルドにやって来た。
演奏会の合同練習は定期的に行っている。スリンケットの魔法陣により、空間から空間へ音だけを伝えるという、斬新な手段が功を奏した。
しかしそれはそれ。奏者の技術が格段に上がる訳では無い。王二人を含む六重奏は、未だに一度も成功していなかった。
(旋律部分を弾く三人が、下手過ぎる)
ユーリグゼナは焦燥感に駆られながら、シノの淹れた香しいお茶の湯気を見ていた。
カミルシェーン、ライドフェーズ、ユーリグゼナの三人はそれぞれ、合わせる気がない人、合わせるのを諦めている人、合わせてもらうばかりだった人、である。
「相変わらず、シノのお茶とお菓子は絶品だなー」
カミルシェーンは、満足そうに二つ目の菓子に手を伸ばす。
本来、御館での会合のはずだった。それなのにシノのお茶が無いと分かった途端、カミルシェーンは「時間が惜しい」と言い出し、練習場所となっている養子院への直行を決める。
ユーリグゼナが彼と面と向かって話すのは、ペルテノーラで蹴り倒して以来。本来は謝罪から入るところだが、そんな気持ちが吹き飛ぶほど、言いたいことがある。
「カミルシェーン様。ご無沙汰しております」
「ああ。ユーリグゼナ。しばらく見ないうちに美しくなったね。会えて嬉しい。会えない間の孤独が癒えていくようだ」
「早速ですが、伺いたいことがございます」
「君への気持ちだよね。うん。変わってないよ。愛しい婚約者」
よくもそんなに口が回るものだと呆れながら、彼の言葉を聞き流し続ける。
「演奏会の席を、他国に大金で売り付けている件、ご説明願います」
「久しぶりの逢引きなのに、お金の話? 無粋だなー」
王の正式訪問に、逢引きも粋もない。彼女が相変わらずの鬱陶しさに閉口していると、ライドフェーズが加わる。
「ただの演奏会が、なぜ国家間の火種になっている? アルクセウス様から話があって、肝を冷やしたぞ」
カミルシェーンはつまらなそうに口を尖らす。
「無料だから問題なんだろう? 音楽は時間も手間も金もかかる。それを他国は無料で席を用意しろと、脅し半分に要求してきた。強欲にもほどがある」
「そうだったのですか?! …………それは他国に問題があります」
ユーリグゼナがカミルシェーンに同調すると、ライドフェーズが「待て」と渋い顔で二人を止める。
「話がズレている。もとはといえば、音楽で空間が拡張することを他国に嗅ぎ付かれたからであろう。さらっと招待して終わりではないか」
「ライドは人数制限しただろう? ペルテノーラ分の席を寄越せ、でないと調停者を巻きこむって言うから、頭きちゃってさー。大人数で押し寄せるつもりだけど、シキビルドは全員受け入れるつもり?」
「それは無理だ……」
「だろー。だから高額請求したんだ。払える人数に絞られるはずだ」
カミルシェーンの話は筋が通っているように、彼女には思えた。
「カミルシェーン様は、シキビルドのためにそう交渉してくださったのですね?」
「馬鹿。よく考えろ。その大金はどこに流れる」
ライドフェーズの指摘に彼女はようやく気付いた。全部カミルシェーンの懐に入る。演奏者半分と、会場はシキビルドなのに、である。
「カミルシェーン様。ひどいです」
「先に考えついた方が利益を得るのは当然だよ。仕方ないなー。ちょっとだけ分け前あげようか?」
ライドフェーズが眉間にしわを寄せ、ばんっと机を叩いた。
「ユーリグゼナ。乗せられすぎだ。ちょっと黙っていろ。────それよりカミル。席を増やす約束はしてないぞ。ペルテノーラの客席は他国同様三名だ。護衛上、それ以上五角堂に入れない」
「えー。ケチ!」
カミルシェーンは整えられた栗色のくせ毛を揺らし、ケチケチケチケチと言い続ける。ライドフェーズはそれを無視して菓子に手を伸ばす。口に運びながら、ちらりとユーリグゼナを見た。彼女は困った顔を俯いて隠す。
(面倒なことになってる……)
本当はお金をとって演奏会を聴いてもらおうと、シキビルドの方でも動いていた。もちろんカミルシェーンのような法外な金額ではないが。
スリンケットの魔法陣により、音だけは他の場所へ伝えられるようになった。特権階級用には御館、平民用には『楽屋』。それぞれを五角堂と結ぶ。
(黙っていたいけど、バレたら絶対とんでもない仕返しが来る……)
彼女はげんなりする。ライドフェーズは菓子を食べ終わってから、譲歩を始めた。
「カミル。何人に席を売ったのだ」
「三十人」
「話にならない」
「う、嘘だよ。十人だけ。お願い、何とかして!」
ライドフェーズは眉間のしわを深めながら、御館でも聴けるようにしたと告げる。カミルシェーンはもっと席をくれと主張を始めた。話は長引くばかりで、終わりが見えない。
(ねえ、練習は? あんな演奏じゃ、人に聞かせられないよ。席どころじゃないよ。早く練習しようよ)
ユーリグゼナは絶望的な気持ちになって、机に顔を伏せた。
◇
学生三人による三重奏の方は、ようやく形になった。ペルテノーラからナータトミカがやってきた練習日、アルフレッドは表情を緩める。
「ホッとした」
ナータトミカも何度も大きな頭を縦に振る。ところがユーリグゼナの表情は晴れないままだ。
「……不安があるの」
彼女のせいで練習は遅れた。その張本人が意見するのは後ろめたい。でも……
「今回、特権階級と平民も聴けることになったでしょう? このままだとあんまり楽しんで貰えないかも」
アルフレッドが仕上げたものに文句をつけるなんて、百年早い。でも彼女は気になっていた。王侯貴族だけを対象にして良いのだろうか。観客の大半はそれ以外の階級だ。
アルフレッドの深緑の目が彼女を見る。ユーリグゼナは、びくびくしながら目を合わせた。彼は、にっと笑う。
「今回は珍しく何も言わないな、と思ってた。いいよ。考えてみる。聴く人それぞれが楽しめるようにできないか」
「……ありがとう」
彼は完成したものでも、躊躇わずにもう一度壊す。より良いものにするために、何度でもやり直す。
(当たり前だけど、誰もができるわけじゃない)
彼はずっと、彼女の無茶振りを受け入れ続けている。そして一度も失敗はない。
◇◇
アルフレッドが再度作りこんできた魔樹の花びらの楽譜は、品の良さは打ち消されたが、本来の曲の勢いが戻り、華やかさとかっこよさが加わった。
ユーリグゼナは楽しくてたまらず、のめり込むように練習した。
一度あったことは二度あってもおかしくない。彼女はまたも鍵盤楽器の練習に夢中になるあまり、夜になっていたことに気が付かない。
シノに何度も声をかけられて、ようやく気が付いた彼女は頭を抱えた。
「……度々申し訳ありません」
「いえ。送っていきますよ」
シノは流れるように彼女を送ろうとする。彼女は待ったをかけた。
「あの!」
勢い良く声をかけたものの、綺麗な灰色の目を見ると、物怖じして目が泳ぐ。
「……ライドフェーズ様に、養子院を出ないよう言われていたはずです」
「はい。指摘されたらどうしようかと思っていました」
にこにこと笑うシノに、彼女はムッとしていた。ライドフェーズに聞いて、なんて軽率なことをさせてしまったのかと、落ち込んだのだ。
「分かっていて、なんで……」
どうりで御館に寄っていかなかったわけだ。結論は出ている。早口で告げた。
「今日は一人で帰ります。遅くまで失礼いたしました」
「いえ。送ります」
頑固に言い張る彼を、訝しげに見た。シノは微かに頬を染めながらも、何ともないように言う。
「ライドフェーズ様には許可を得ました。今後は出ても良いそうです。だいぶ情勢も変わりましたし、ユーリグゼナ様が対策しているなら大丈夫だろう、と」
「えっ?」
「行きましょうか」
今回はすでに外套を着込んでいる。彼女はまた、シノの勢いを止めることができない。きっと、心の底ではこの状況を望んでいるから。
(……ずっと、このままだったら許される?)
これ以上望まず、今の距離ならいいだろうか。そう思ってしまう自分のズルさを、ユーリグゼナは自覚した。
次回「父娘の夜ふかし」は1月20日頃掲載予定です。




