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敗戦国の眠り姫  作者: 神田 貴糸
第2部

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64.夜道

 ユーリグゼナに言葉を残し、シノは姿を消した。彼女の頭の中でしばらく彼の言葉が反芻していたが、何か聞き間違えたのだろうと、結論付ける。せっせと片付けているうちに、外套(コート)を身につけたシノが現れた。


(間違いじゃなかった……)


 彼女は悩みながらも、きっぱりと断る。


「危ないので、送ってもらわなくて結構です」


 シノは奇妙な顔をした。


「……危ないのは、もしかして私ですか?」

「そうです。帰りにさらわれたらどうするつもりですか?」

「その言葉は、そのままあなたに当てはまりますよ?」


 ユーリグゼナは、彼の言葉がすぐに理解できない。そして、ぷるぷると頭を振り出す。


「私は強いので大丈夫です」

「強いかは、見た目で分かりません。あなたの姿に吸い寄せられた馬鹿どもを、全員殺すつもりですか?」


 先ほど殺しかけた彼女は、うっと黙り込んだ。なにかシノらしからぬ言葉が混じったような気がするが、なんにしても……こんな美しい人間を真夜中に歩かせるわけには行かない。


「ご心配なら、サギリを呼びましょう」

「こんな真夜中に、女性一人で迎えに来させるのですか?」


 何を言ってもきっちり返される。だんだん面倒になってきた彼女に、シノはさらっと告げた。


「戸締まりを終えて、出ましょう」


 手慣れた様子で五角堂の灯りを消す。堂の扉を締める頃には、彼女の抵抗する気力は無くなっていた。浮かない表情のまま、シノの後ろについて行く。







「あっ!」


 ユーリグゼナは彼の後を、とぼとぼついて行くうちに思いついた。


(婚約者がおりますので、殿方と二人きりで歩くわけには参りません。が、正解だ)


 婚約者持ちの令嬢が一度は言ったことがあるであろう言葉を、彼女は使ったことがない。そして使うべき機会を完全に逸していた。

 急に声を上げて足を止めた彼女を、シノは(いぶか)し気に振り返る。


「おう。どうした。かわいい嬢ちゃん!」


 近くを歩いていた顔の赤い三人組は、彼女に楽し気に声をかけてきた。


「一人は危ないぞー。おじちゃん連れて帰ってやろうか?」

「二人じゃ、かえって怖いよな。俺たちも行ってやるよ。なあ?」

「おう。家はどこだー」


 機嫌良さそうに話して来られて、彼女は困り果てた。シノが……シノが凄まじい眼光で三人組を睨んでいる。


(この人たちより、シノが怖いよ)


 シノはつかつかと歩み寄り、彼女との距離を詰める。陽気な男はへらりと笑う。


「なんでい。連れがいたのかー。女の子は二人でも危ないぞー」

「馬鹿。あれは男だろう。背が高すぎる」

「いや、背が高い綺麗なお姉さんかもしれんぞー」


 のんびり話し続ける三人組に、シノは冷たい視線を浴びせながら彼女の背中を押し、歩き始める。後ろから声が聞こえたが、シノが怖すぎて振り返ることなどとてもできない。離れたところで、彼はようやく歩みを止めた。


「また声をかけられては不愉快です」


 誰が声をかけられて、誰が不愉快になるのだろう、と彼女は首を傾げる。


(どっちも。ということにしよう。うん)


 そう結論付けようとした彼女の前に、シノの手が差し伸べられる。

 

(大きくて、綺麗な形。指が長いな……)


 美味しいお茶を淹れて、部屋を居心地よく整えることが得意な、よく働く手。見惚れていると、彼がむすっとした表情になっていた。彼女はおずおずと手を近づける。


 彼の目が鋭く光ったような気がした。差し伸べた手と反対の手で彼女の手を掴むと、歩き出した。


(手が反対、だったみたい)

 

 あのまま繋いでいたら、向かい合わせで歩くことになっていた……。

  



◇◇




 学校の授業というのは、たまに大事なところが抜けている。男女の関わりについて、いくらか教科書に載っているのに、家族や友達同士では何てことない行為が、好意を持つ相手には違うと、なぜ教えないのだろう。


(手を繋ぐことが、こんなに恥ずかしい行為だったとは……)


 彼女は茹でられた生き物のように、顔も耳も真っ赤だった。隣の彼に変に思われないよう、決して顔を上げない。

 そんな彼女の気持ちは、幸運にも彼には届いていなかった。


「間違いなく男性に見えるには、どうすればいいのでしょう」


 シノは、ほとんど独り言のように呟く。彼女は吹き出しそうになり、口を手で覆った。


「……気にしていたのですね」

「はい。これではあなたと一緒に歩いても、牽制にならない」


 シノは見たこともないほど、落ち込んでいる。


「さっきも、ほら。あの……何とかなりましたよ」

「酔っぱらいを振り切っただけです……」

「まあ、そうですね」


 彼は人寄せはできても、男避けはできない。

 ユーリグゼナは静かに決意していた。「送りは不要です。これでも婚約者がおりますので、殿方と二人きりは……」と告げる時が来たと。


(ひげ)でも生やしますか」


 シノの言葉が、彼女の脳天に突き刺さる。


「ぶっ」


 彼女の口から異音が飛び出した。まずいと思えば思うほど、ツボに入る。彼がしょんぼりした様子で言う。


「そんなに、おかしいですか……」

「いえ。すみません」


 特権階級の男たちに髭はない。生やすのは、平民の一部だけだ。


(レン)以外見たことない。特権階級の人たちは、剃ってるのかな?)


 (レン)の親戚であるアルフレッドも、手入れしなければ生えるだろうか。そう思った瞬間、連の髭付きのアルフレッドを想像してしまう。


「ぶぶっ」 


 そのままお腹を抱え、声を殺して笑い転げる。シノが悲しそうな顔になっていた。


「すみません。違います。ちょっと違う想像をしてしまって……」 

「髭は生やしません」


 拗ねたように言うので、彼女は慌てた。


「髭があっても無くても、男性でも女性でも、私はシノが好………………………………す、素敵だと思います」


 とんでもないことを言おうとした。一気に顔面の温度が上昇する。シノはさっと顔を逸らすと、少しだけ手を握る力を強める。


「ありがとうございます」


 そう言って、また黙って歩き出した。





 御館の門の近くまで来ると、彼は歩みを止め、手をそっと開く。手が離れた途端、彼女は寒さを感じた。


「御館には行かないのですか」

「ええ。都合が悪いので」


 噂になることを恐れているのだろう。彼女はなぜだか寂しくなる。


「暗いところ苦手でしたよね。一人で帰れますか?」

「今日は月夜です。大丈夫です」


 そうはいっても、また帰り道で何かあったらと、彼女は怖かった。懐から艷やかに光る石を取り出すと、近くの魔獣に声をかける。




月夜てるてる つやつや光る

星 欲しければ よって来い




 すぐに手の平くらいの小さな魔獣が、彼女の前に躍り出た。


『欲しい。おくれ』

『頼みを聞いたなら』


 シノの帰り道の同行を頼むと、虹色に光る薄い羽を羽ばたかせ、くるくる宙を回転して了承する。


「何かあったら守ってくれます。帰り着いたら、この子に石を渡してください」


 石を受け取ったシノは、不思議そうに彼女と魔獣を見た。魔獣は小さな羽をパタパタさせながら、彼の肩に留まる。


「あなたはいつも、私の想像のはるか上を行きますね」

「……不快にさせていますか?」

「いえ。楽しいです。とても」


 シノはふわりと微笑み、元の道をたどっていく。ユーリグゼナは彼の姿が見えなくなるまで見送った。




◇◇◇




 御館では、サギリが寝ずに待っていた。


「ごめん。連絡しなくて」

「そうですね。入れ違いになりそうで身動きが取れませんでした。次からは気づいたら夜中でも連絡してください」


 サギリからの音声相互伝達システム(プルシェル)は通じなかった。集中し過ぎて届かなくなっているのでは、と予想していたらしい。


「ルリアンナ様もそうでした」


 サギリは、少し楽しそうに語る。ルリアンナは、集中すると彼女のように全く周りが見えなくなった。邪魔されると、ムッとした顔で眉間にしわを寄せていたという。


「母様が?」

「子供の頃の話ですよ。────ベルン様に会ってから、そんなご自分を恥ずかしく思ったのでしょう。少しずつ不機嫌な顔をしなくなりました。ユーリグゼナ様がお生まれになってからは、周りが見えなくなること自体が無くなりましたね」


 ユーリグゼナは母を、自分とはまるで違う優れた人間だと思っていた。少しでも自分と似ていたのなら、何か救われるような気がする。


「これからは気をつける。心配かけてごめん」


 サギリの優しさに甘え過ぎてはいけないと、彼女は思った。サギリは笑いを堪えるような表情になっている。


「いいえ。なんだか怒れないものですね」

「え?」

「今夜のユーリグゼナ様は、今まで見たことないくらい幸せそうなお顔です。少々妬けます」




次回「演奏会の迷走」は1月17日頃掲載予定です。

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