62.誓い
「アルフ。演奏の時の立ち位置って決まった? あと用意する楽器と備品って、ペルテノーラに確認したんだった?」
「ああ──」
アルフレッドは何枚か束ねた書きつけをペラペラめくる。演奏会の段取りは、ユーリグゼナとアルフレッドが中心に行っていた。
「立ち位置はカミルシェーン様がゴネて決まってない。楽器はナータトミカに確認済み。備品は……」
ユーリグゼナは彼の腕越しに書き付けを覗き込みながら、うんうんと頷く。
「仲良さそうだけど……何か前に戻ってない?! どうなってるの?」
渋い表情のスリンケットに、アルフレッドは「ご心配なく」と素っ気なく返した。
二人の手紙の寄せ書き………らしきものは続いている。
毎日のようにぎっしりと、演奏会の打ち合わせ内容が書き込まれる。手紙の形式ではとても足りず、見返すことができないため今では本のように綴っている。
「で、今日僕を呼び出したのは、何の相談?」
スリンケットに、彼女は黒曜石のような目を煌めかせながら答えた。
「教えてもらいたくて。可能かどうか」
演奏会は、子供たちによる金属筒楽器の演奏、アナトーリーの鍵盤楽器、王たちを含む六人の弦楽器重奏、ユーリグゼナを含む学生三人の重奏で予定されている。
演奏者が国を跨いだ面子なので、練習は大変だった。
「今、時空抜道の部屋から音声伝達相互システムで繋いで、ライドフェーズ様とカミルシェーン様、アルフレッドとナータトミカでそれぞれは練習できている。でも、実際は六人もしくは三人で弾くから、ちょっと困ってる」
スリンケットは赤茶色のくせ毛をふわふわ揺らす。
「移動は大変かもね。毎回費用も手間もかかるし……特にカミルシェーン様が」
彼女はこくんと頭を下げる。
(ただでは帰らないからなー)
カミルシェーンはシキビルドに来るたびに、何かしらの混乱を残して帰って行く。
「何度かは来てもらうしかない、と思ってる。それでも足りない。実は────私の音声伝達相互システムって映像付きで、接触している人も同時に繋ぐことができるんだけど」
「は? なにそれ」
スリンケットの声が高くなる。彼女が詳しく説明するほど、彼の青い目は細くなり、口は大きく開いていく。話が終わると、身体の空気をすべて吐き出したのではないかと思われるほど、長く息をした。
「君の非常識さには、恐れ入る。分かった。複数人で繋げないかね……やってみるよ」
スリンケットの魔法陣の知識は、ライドフェーズに次ぐものになろうとしている。アナトーリーと組んで何とかしてくれるだろう。
(今、ライドフェーズ様には頼めないからなー)
頼めば喜んでやるのは分かっているが、楽器の練習を怠ってしまう。練習から逃げるため、最近やたら忙しそうに仕事をしている。セシルダンテは仕事がはかどって喜ばしいと、ほくほくしているが……。
「なあ、ユーリ」
アルフレッドは浮かない表情だ。
「鍵盤楽器の練習進んでる?」
ユーリグゼナはぐっと息を詰めた。
鍵盤楽器は、シキビルドには養子院にしかない。ほぼ毎日養子院に来ていても、子供たちの金属筒の楽器練習と打ち合わせで、あっという間に一日が終わる。
「進んでない。ごめん。やる……」
沈んだ声の彼女に、アルフレッドは何か言いたげに口を開いたが、結局閉じる。
◇
シノに貰った玻璃の球は、今夜も仄かに光る。
ユーリグゼナは学校にも持ち込み、一人眺めていた。球に日の光を当て過ぎても少なくても、光は弱まってしまう。体調を崩し、昼夜問わず眠り続けるようになった彼女は、その間世話ができなかった。今では、貰ったときとは比べ物にならないほど弱々しい。
彼女は一人落ち込む。
(世話を怠ったから、弱ったんだ……)
狼が「ずっとは無理なんだ」と言った。生き物だからいつか死ぬ。それが分かっていても、彼女は諦めきれない。
◇◇
秋になると、森の木にたくさん橙色の実がなる。パートンハド家では毎年家族全員で、もいで干す。生のままだと苦いのに、皮を剥いて寒風の中干していくと信じられないほど甘くなり、ねっとりした食感になる。
収穫を手伝ったユーリグゼナは、ようやく干し上がったと聞き、ほくほく顔でパートンハド家へ向かう。ヘレントールは、大量に実が入った袋を手渡した。
「これ、シノに持って行って」
彼女は全身が凍りついた。
養子院にはアルフレッドと待ち合わせて向かう。楽器使用の許可と挨拶はナンストリウスにする。シノに会わないよう、気を張って過ごしていた。
ヘレントールは彼女を軽く睨んだ。
「子供たちにばればれよ。急に避けるようになったって。大人より敏感なんだから、もっと無難に対応しなさい」
アラントスとユキタリスの気配が、扉の向こうから消える。情報源は二人か、と彼女はため息をついた。
「ヘレン。あの、私」
そう言いかけたものの、言葉が出てこない。ヘレントールは何も言わず腕を伸ばし、彼女を抱きしめた。
(全部、知ってるのかな)
ヘレントールはいつも、彼女自身も気が付かない気持ちを拾い上げる。相手のことを理解するのに、本当は心をよめる能力はいらない。
◇◇◇
養子院の子供たちは練習を終えると、あっという間に散らばっていく。ユーリグゼナはアルフレッドを呼び止めた。
「アルフ。あのね」
そう告げて、アルフレッドの深緑の目を見たまま、次の言葉が続かない。ユキタリスがユーリグゼナの服の裾を引いた。
「ユーリ! 友達と話してくる。すぐ戻ってくるからね」
そう言い、アラントスと一緒に子供たちのところへ走っていく。それを見送りながら、彼女は緊張を高めながら重い口を開く。
「……今日は、私がアラントスとユキタリスをパートンハド家に送り届けるよ。その前に…………シノの部屋に寄って、ヘレンに頼まれたお菓子を渡してくる。いいかな?」
アルフレッドは小さく息をつくと、彼女の手を引く。
「少し座ろう」
鍵盤楽器の椅子に彼女を座らせると、すぐそばにもう一つ椅子を持ってきて腰を下ろす。
「俺に許可をとる必要はない」
「ごめん」
また失敗したのか、と沈んだ表情で下を向く。彼は「そうじゃない」と小さく言う。
「ユーリは俺に、音楽のある人生も、パートンハド家の者として各国を旅する未来もくれた。これ以上俺のために、何か我慢しようとするな」
「いっぱいもらってるのは、私の方なのに? アルフがいるから私の音楽は形になる。一緒でないと新しいことは何もできない」
「そう、思ってくれているのか……」
アルフレッドは大きく顔を歪めた。
「俺は楽しそうに演奏するユーリが好きだ。その隣は誰にも譲らない。永遠に……だから、誓うよ」
彼は椅子から立ち上がり足元に跪く。見上げた彼の深緑の目が、彼女を捉えた。
「最高の婚約者を演じる。誰とも結婚したくないなら、力になる。特権階級も他国も騙しきってやる。……だからユーリは誰の言いなりにもなるな。思う通りに生きろ」
どんな思いで言っているのか。ユーリグゼナは何も言えないまま、黒曜石の目で彼を見つめ続けた。
アルフレッドは優しく微笑むと、すくっと立ち上がる。彼女の頭をいつも通りポンと叩く。
次回「再会」は1月10日頃掲載予定です。




