10.祭は続く
視点がアルフレッド→ユーリグゼナ→テラントリーと変わります
食事会は、豪華な食事のため、参加者のほとんどが立ったまま料理の前に陣取っていた。セルディーナから提供された料理で、早朝から鍵盤楽器運びを手伝ってくれた学生は満足そうだ。
アルフレッドは先ほどから教授の様子を窺っていた。食事会の後に演奏する事になっている。ちょうどスリンケットが、教授にユーリグゼナの体調の報告をしているようだった。
(本当にスリンケットには助けられる)
彼が足りないところを拾ってくれたから、どうにか無事に謝神祭は終わろうとしている。
教授から演奏の合図が出た。アルフレッドは楽譜を準備し鍵盤楽器の椅子に座る。わらわらと彼の周りに人が集まってきた。
今回の謝神祭の趣向でもう一つ、スリンケットに依頼して成功していた魔術機械がある。演奏者の手元の動きが見えるよう、会場の白い壁に拡大して映し出すものだ。ユーリグゼナには敢えて伝えていない。実はそれがかなり話題になり、演奏者のアルフレッドの後ろに人だかりができているのも、おそらく演奏中の指の動きを見たいからだ。
(墓穴掘ったな。まさか自分が演奏するとは。それに……)
アルフレッドは、人前で演奏する事には慣れている。ただあくまで演奏会にだ。こんなガヤガヤしたところで、余興として弾くことはなかった。
(この雰囲気で、本当に楽譜通り弾いて大丈夫か……?)
激励の拍手が起こり、すぐに静かになる。演奏会を手伝ってくれた学生たちなので、気遣いも演奏への興味もあるようだ。
アルフレッドは不安を押し込め、覚悟を決めて弾きだす。かなり緊張していた。何とか集中して、綺麗な音を奏で、鍵盤を弾く速度を上げていく。
不意に彼の横にふらりと誰かがやってきて、すぐ近くまで寄ってきて止まる。緊張しているアルフレッドは気に障る。チラリとみると、ユーリグゼナが「代わって!」という顔で彼をじっと見ていた。
(──さっき言ってたのはこれか。しかも曲の途中で?!)
周りも何が起こるかと面白そうに様子を見ている。アルフレッドにこの雰囲気をぶち壊す度胸はない。ユーリグゼナをもう一度見る。
(代わるなら、ここだ!)
その瞬間、ユーリグゼナが素早くあとを継ぐ。演奏を止めずに交代が成功した。アルフレッドは邪魔にならないよう素早く椅子から立ち上がった。
「おおー!!」
歓声が起こり、すぐに止む。ユーリグゼナの演奏を楽しみにしていた学生も多い。このままいくのかと思いきや、ユーリグゼナがまたニヤニヤしながら、次交代という顔をする。再び交代して周りはさらに沸く。アルフレッドは、最初に弾き始めたときより断然弾きやすくなっていることに気づいた。
その間にもユーリグゼナは次の行動に移っていた。今度は椅子をズルズル運んでくる。周りの学生が面白がって手伝う。そしてアルフレッドの椅子の隣に置くとちょこんと座り、ニコッと笑って弾き始める。
チャララン チャララン
チャラララララララ
今度はアルフレッドとの交代はせず連弾だ。笑いと同時に驚嘆の声も聞こえる。演奏会では弾いていない、新しい音と伴奏が加わっている。
結局、連弾の練習はできなかった。ユーリグゼナは明らかに練習不足で時々音が飛ぶ。アルフレッドは苦笑しながら合わせる。完璧には程遠かったが、二人は程よい緊張感で演奏を続ける。観客は静かになっていた。
途中ユーリグゼナの腕と彼の腕が何度か交差した。最後の山場では、アルフレッドが即興で音を足す。座ったままだと弾きにくく、立ち上がったままの状態で演奏を終える。
わあああ────!!!
さほど大きくもない部屋に、大きな大きな歓声と拍手が起こる。アルフレッドは耳がきーんと痛くなる。ユーリグゼナは本当に嬉しそうな笑顔で応える。アルフレッドの手を取り、そのまま上に突き上げるとさらに歓声が上がる。
アルフレッドはその演奏の混沌に翻弄され疲労していた。それなのに今まで感じたことのない楽しさを感じ、また彼女と演奏したいという思いに取りつかれていた。
スリンケットとテラントリーが合図して、二人に退室を促す。アルフレッドは教授に慌てて会釈した。教授はすぐに帰ることを了承し頷いてくれた。
道すがら四人は黙々と歩いた。誰も話さない。スリンケットは不機嫌、テラントリーは心配そう、そんな二人にユーリグゼナは何も言えず様子を窺う。冷静になってきたアルフレッドも、黙って寮へ向かう。
(ユーリは、観客の雰囲気に合わせて演奏のやり方を変えていた……。特権階級の演奏会ではありえない)
彼女のすべてが非常識で、常に彼の予想を越えてくる。そして何か異質な感じがしていた。
◇◇◇◇◇
ギャー ギィー ギィー
今夜の森は騒がしい。魔鳥たちは一気に何匹も飛び立った。森の中ではユーリグゼナが一人頭を抱える。さっき三人と別れたときのことを思い出し、のたうち回っていた。
(どこから失敗してた? 音楽棟からだ。多分──)
非常に気まずい別れ際、ユーリグゼナは元気になったので大丈夫であることを伝えた。しかし、アルフレッドは呆れスリンケットはさらに不機嫌に、テラントリーには全く信用してもらえない、という散々な結果だった。
ユーリグゼナは思っている。倒れたのは『血』に関することが弱い彼女の心の問題だ。本当に体調不良ではない。鍵盤楽器の連弾をせず、大人しく寝ていれば誰も怒らなかったのだろうか。でも…………どうしても彼女は弾きたかった。
ユーリグゼナはバタンと仰向けになり草の上に転がる。はぁとため息をつく。
(三人のこと大好きになったからだ。全ては)
良く知らないうちは、こんなに気を揉まなかった。新しい連弾を試したかった。でも──。
(三人も喜ぶかも、と思ったんだよ)
ユーリグゼナは裏目に出たことをまた思い出し、手で顔を覆う。一度深く呼吸をして心を落ち着かせる。楽器を手にゆっくりと立ち上がる。
(今夜は歌うよ。何曲でも)
影響がある、とアナトーリーに言われたので、挨拶はしない。ただ歌う。
そして再会できたばかりの叔父のことを思う。
(目を、合わせてくれない……)
アナトーリーは彼女の顔を見るし、微笑んでくれる。ただ彼女の目は見ない。気のせいだと思いたいが……。彼女の表情が再び沈んでいく。
──歌おう。アナトーリーと昔一緒に歌った歌にしよう。
平民の酒場に来る旅人には、吟遊詩人ベルンの歌が一番人気がある。他国でも知られている伝説の人でシキビルドの出身だ。
僕が歌を歌うのは 店の客と僕のため
僕はただの歌い人 愛を囁き 夢語る
ほんとの気持ちは君のため
愛しいと言えない君のため
知らない町 海と風 僕を誘う
旅することは止められない
ほんとの願いは君の幸せ
今夜もまた 遠い君を 乞い歌う
ユーリグゼナのまだ幼さの残るきれいな歌声は、森の暗闇によく響く。今夜は特に森の深部に浸み込んでいくようだった。夜が更け冷えてくる。息が白くなっても歌い続けた。魔獣たちが彼女を取り囲み、そのモフモフの毛と体温で寒くはない。
夜が明け、辺りが明るくなった時に、ユーリグゼナは気づいた。
(森が変わってる?!)
森は緑でなく、極彩色に変わっていた。パステルのピンクに水色、薄い緑。派手な赤に真っ黄色……。
「おー派手だな~」
真横から人の声が聞こえ、ユーリグゼナは心臓が飛び出しそうになった。いつの間にかアナトーリーが側にいる。全く気配に気づけなかった彼女に「ユーリもまだまだだな」と彼は笑った。
「で、どうする?」
「どうすれば良いの……?」
涙目のユーリグゼナに、素知らぬ顔でアナトーリーは言う。
「もちろん戻して。自分でやれるかってこと」
「無理」
「……」
アナトーリーは何も言わず、目をつむる。慌ててユーリグゼナは言う。
「どうかお願いいたします!!」
「ユーリの後始末は久しぶりだなー」
アナトーリーはニヤッと笑って、両肩を回した。彼の濃い紺色の目がキラリと光る。
彼は地面に魔法陣を描く。手で触れ光らせる。合掌すると唱えた。
森の賢者 神々と精霊よ
花の通い路 吹き閉じよ
すべて たてまつらん
祭りの夢 美しき花々
ふわりと風が起こる。アナトーリーのうす茶色のやわらかな髪がなびいている。その風は魔法陣を中心に、大きな渦となり森全体を覆っていく。そして陣から一気に眩しい光があふれ、眩しさで辺りが何も見えなくなった瞬間、いきなり光と共に極彩色が消えた。
目を奪われながらもユーリグゼナは言う。
「どうなったの?」
アナトーリーは何でもないように言う。
「とりあえず変異を止めて、色が派手そうな花だけ無くしてみた。他は戻してない。まあ誰も気づかないさ」
「……」
「いいんだよ。花を受け取った神々や精霊が大喜びしてる」
「……」
「そっか。口には出してなかったな」
声にしていないのに、アナトーリーは勝手に読んでしまう。
「帰るよ。一緒にいるの見られたくない」
居なくなる気配を感じ、ユーリグゼナは急いで言う。
「パートンハド家は王に下ったってこと? 私はどうすればいい?」
「──自由でいい。そう願ってる」
そう声がすると、アナトーリーは消えていた。
ユーリグゼナは明け方の森を背に寮へ帰る。
去年までのユーリグゼナは、出来るだけ学生たちがいない時間帯に食堂を利用していた。今日みたいに早い時間でも調理の早番はだいたい来ている。彼女はそっと食堂をのぞいてみた。
(やっぱりいた)
見知った女性が一人、学生たちの朝ごはんの準備をしていた。1学年の時から決められた食事の時間を守らないユーリグゼナに、何かしら優遇してくれる。今日も彼女の顔を見ると、気さくに声をかけてくれる。
「おはよう。今日はまた早いわね」
「おはようございます。あの……。何か貰ってもいいでしょうか?」
「ええ。久しぶりね」
にっこり笑い、簡単な朝食を用意してくれる。ユーリグゼナはこっそりと厨房内に忍び込む。本当は絶対に許されていないことだが、彼女が用意してくれる間、多少の手伝いをすることにしていた。
パンと卵入り野菜スープをもらい、厨房で立ったまま食べる。この際、少し雑談するのが常だった。去年までは、これが学校で唯一の会話だった。
◇◇◇◇◇
武術館での襲撃があってから、シキビルド寮には外出禁止令がひかれている。
学生たちは謝神祭でばらばらな場所にいて、実際に全員に通達されたのは夜間。テラントリーも、音楽堂でのアルフレッドとユーリグゼナたちの演奏が終わり、部屋に戻りそれを知った。
朝になり、早朝から王の婚約者セルディーナの伝言を受け、セルディーナの部屋で待機していた。今、部屋にいるのはアナトーリーだけだ。内密だが、実は戦勝国ペルテノーラに亡命していたユーリグゼナの叔父である。
「悪いんだけど、ユーリグゼナを起こして連れてきてくれないか? あと、アルフレッドとスリンケットも頼む」
アナトーリーはそれだけ言うと、うす茶色の髪をかきあげ、再び書類をめくりはじめる。彼女は了承し、軽く会釈すると部屋を出た。
テラントリーはユーリグゼナの部屋に向かいながら、沈んだ表情になる。彼女が呼び出されたとき、すでにセルディーナもライドフェーズもいなかった。いたのが分かるのは、彼らの食事の茶器などが残されていたから。
彼女だけ何も説明を受けていないのは、学生だからということだけではなく、信頼も失っているのではないか──と、気が重くなる。彼女の薄紅梅色の髪が力なく揺れる。
穏やかな物腰の上級生。どうしてもツンとした態度をとってしまう彼女に、彼は物怖じすることなく優しく語りかけ、話を聞いてくれた。複雑な家の事情で、テラントリーに安らぐ場所はない。そんな彼女を包み込むように接してくれる人に、初めて心を許してしまった。
(王と妃になるセルディーナ様、そしてアナトーリー様の情報を明かした)
何度となく、彼が望む情報を手渡した。そのことがおかしいと気づくより先に、彼の方から距離を取り始めた。利用されていたのだと、ようやく気付いた。でももう遅すぎた。
コンコンコン
ユーリグゼナの部屋の扉を叩くが、起きてくる気配はない。すでに三十回目だ。
「ユーリグゼナ様。おはようございます!」
少し大きな声で呼んでみた。ようやく中から物音がし始め、パタンと扉が開く。 ユーリグゼナは非常に渋い顔をしており、しかもだるそうだった。
「おはよう……」
「お、おはようございます。大丈夫ですか?」
「……元気にはなった」
昨日より顔色が良くなったユーリグゼナを見て、テラントリーは少し頬を緩ませた。
二人は談話室に向かう。まだ現れないアルフレッドとスリンケットに、テラントリーは二度目の連絡をとる。二人ともまだ自室だった。
いつもならとっくに怒って二人をなじっている。でも今の彼女にそんな気力は無い。ユーリグゼナの心配そうな視線を感じ、誤魔化すように俯いた。
次回より毎週月曜・木曜更新になります。




