55.君との幻2
「アルフレッド様。お手紙を」
「楽器教えてくれない? いや、二人っきりじゃなくて」
「少しだけお時間をいただけませんか。お話しが」
一気に話しかけられ、アルフレッドは笑顔が引きつった。カーンタリスが役得というような顔で、女子学生たちとアルフレッドの間に割り込む。
「アルフレッドがお前たちみたいなの、相手にするわけないだろう?」
女子学生の「邪魔よ」「何なの?」「あんたなんかに言われたくないわよ」という責め句を、一切無視してしっしっと追い払う。授業が始まる時間が近づいていることもあり、ようやく離れて行った。
「カーン。助かった」
「全然。……ったく、今さらアルフの良さに気づいたって遅いよな」
にやにやと満足気な友人の顔を見て、呆れるようなホッとするような複雑な気持ちになる。婚約済みの男に好意をしめして、彼女たちは一体何がしたいのだろう。彼には理解できない。
アルフレッドに人が群がるようになったのは、開校式の後からだ。
ユーリグゼナは今年、初めて開校式に参加し、シキビルド代表を務める。それに付き添ったアルフレッドは、他国から注目が集まるようになった。
「ユーリはまだか?」
授業の教材を忘れ、寮に取りに行ったまま全然戻ってこない。
「いた。あそこ」
カーンタリスの指し示す先に、人だかりができていた。人壁に遮られ、ユーリグゼナの姿は見えない。
アルフレッドは勢いよく息を吐くと、人壁を崩しながら彼女の元に急いだ。ようやく姿が目に入ると、迷いなく彼女の側へ寄り手を取った。ゆっくり引き寄せ、肩を抱く。
「授業が始まる」
「……遅くなってごめん」
息をついて見上げる彼女の顔が、可愛い。これまでと違い、香り立つような美しさを纏うようになった。周りで小さく舌打ちする男たちに、アルフレッドは貴公子のような見た目を生かし、上品な笑顔と刺すような視線で牽制する。
ユーリグゼナはアルフレッド同行が必須とはいえ、演奏会以外の公共の集まりに顔を出すようになった。他国で他学年の学生は、初めて彼女を目にした者が多い。
濡羽色の髪も整った顔立ちも、人の心を奪うのに充分な美しさだ。黒曜石のような艷やかな目で見つめられたら、男女を問わず狂うだろう。
理解はするが、近寄る男を誰一人許すつもりはない。
二人は別行動をすると、いつも囲まれてしまう。だからできるだけ一緒にいるようになった。それでますます噂に拍車がかかる。
──ついにサタリー家の末息子は王女を落としたらしい。パートンハド家を継ぐことになったって。家柄以外何のとりえもない奴だろう。音楽の趣味があっただけで、運良いな。公然で口づけしたらしい。よく出来るよな? ──
(うるさい。うるさい。うるさい!!)
アルフレッドは無意識のうちに、呼吸が荒くなる。口に出していないのに、隣を歩くユーリグゼナは怯えたように身を縮めた。
幸せだと思っていたら、他人の言葉に左右されない。これほど荒れるのは上手くいっていないから。二人には互いに口に出せないことがある。
アルフレッドは怖くて、もう彼女の頬に触れることはできない。彼女の心の中に自分がいないなんて、それをもう一度思い知ろうだなんて、思わない。
◇
学校に来てからずっと、彼女への違和感は強くなっていった。
「ユーリ。練習してる?」
彼女はアルフレッドの顔を見ながら、大きく首を振る。彼女は演奏会の練習に、今年一度も参加していない。
そもそも………ずっと元気がない。どこか反応が鈍い。声をかけても一拍遅い。
そして極めつけは、彼に対する態度だ。話をするときは必ず顔を見る。そしてどこか必死の様子で聞いている。今まではアルフレッドの方が彼女の心を窺っていたのに、真逆だ。
「もしかして、演奏会出ないつもり?」
「……出れないと思う」
「勉強が忙しいのか?」
また彼女は彼をじっと見る。何か言おうとしているのは分かるが、あまりに躊躇うので不安と苛立ちがごっちゃになって、彼の方から話を切ってしまう。
「出られないって、俺からみんなに言うよ」
「うん。……ごめん」
ごめん。もう何度聞いたかアルフレッドにも分からない。それぐらい彼女との会話はいつも、ごめん。で終わる。
◇◇
合同練習前の恒例の打ち合わせ。アルフレッドは各国の代表にユーリグゼナの不参加を告げた。
「演奏会に出演しない?! はあ? マジで言ってんのかよ」
ぶち切れたナヤンが、アルフレッドの胸倉を掴む。リナーサは眉をひそめ、黄緑の目で睨んだ。
「アルフレッドの説明だけでは納得できません。ユーリグゼナ様をお呼びください」
ナータトミカが、椅子をギギっと軋ませながら、のっそりと立ち上がる。
「俺が呼んで来る……」
ナータトミカの巨体の後ろに、ユーリグゼナはちょこんと付いてきた。
姿を目にしたリナーサは、彼女に駆け寄り抱きつく。ユーリグゼナは嬉しそうに頬を緩めた。
「お姫様。久しぶり。どうして練習に来ない? 出演しないって本気?」
ナヤンの茶色の目が、きつく細められる。ユーリグゼナはナヤンの顔を見たまま、強ばって動けなくなった。リナーサは彼女の手を引き、椅子をすすめる。
ナータトミカはつかつかと部屋を歩き、大型弦楽器を手にする。そのまま弾き始めてしまう。打ち合わせの時間も惜しいのか、状況が分かっていないのか。相変わらずちょっと変だ。
ユーリグゼナはおずおずと答えた。
「申し訳ないと思っています」
「そういうことじゃない。理由は?」
ナヤンの詰問が続く。その間に、最初は控えめだったナータトミカの楽器の音が徐々に大きくなっていく。
「……うるさいな。こっちは話をしてるんだ!」
苛立ったナヤンの声に、アルフレッドはため息とともにナータトミカを見た。
演奏を止めたナータトミカは、沈んだ声で言う。
「聞こえていないんだな」
本当に変なのは彼ではない。
ユーリグゼナだけが、ナータトミカを見ていない。ぼんやりと下を向いていた彼女は、みんなの視線に気づき、サーっと青ざめた。
アルフレッドは違和感の原因を知る。
ユーリグゼナは話している人の口を読み、それでも足りない分は能力で心をよむ。そうやって学校生活をやり過ごしてきた。
ただ、知らない人の口をよむのは難しい。離れた人の心をよむのはもっと難しい。授業の忘れ物が増えたのは当然といえた。
「お願いです。どうか内密に。王から極秘にせよと言われております……」
彼女の言葉に、アルフレッドはぴくっと反応した。
「王は知っていた? 命令されたから、俺に黙っていたのか?」
「……アルフ」
ユーリグゼナは言いかけて口を開くが、また閉じてしまう。彼は両手をぎゅうっと痛いほど握りしめた。
「婚約者より、王の命令の方が優先、だよな」
彼女は苦しそうに何度も首を振る。その姿にさらに苛立つ。
「だったらなんで、俺に言わない?!」
彼女はぎゅっと身体を縮めた。彼は何度も見たその姿で思い出す。彼女は何度も言おうとしていた。言えなかったのは、多分…………。
ユーリグゼナは絞り出すように声をあげた。
「…………言うべきだった。ごめん」
リナーサは彼女の背中を、優しくさする。
アルフレッドはいきなり、後ろから襟を引っ張られた。首が締まって、反射的に身体は仰け反る。アルフレッドの襟を思いっきり掴んでいたナヤンは、唸るような声で告げた。
「なあ、アルフレッド。今年の演奏会の指揮は俺がする」
ナヤンは襟から手を離す。アルフレッドは首を押さえながら体勢を整え、訝しげに彼を見下ろす。
「全然曲の理解が足りてない。身が入ってないんだろ? 下りろ。迷惑だ。シキビルドのまとめはフィンドルフにやらせろ。────俺は今年で卒業だ。ウーメンハンに戻ったら店を継ぐ。こんな大勢で演奏する機会も、音楽をやる時間も金もない。俺にとって最後なんだよ……。お前たちのごたごたに、いつまでも付き合ってられるか!!」
ナヤンは怒りをあらわに、扉を蹴とばすように開けて出て行った。
リナーサはアルフレッドに厳しい目を向けている。しばらくして小さく息をついた。
「ユーリグゼナ様を、部屋に送って来ます」
ユーリグゼナを引きずるようにして、リナーサは退出した。
部屋に残ったナータトミカはアルフレッドの目の前にガガガっと椅子をずらし、ゆっくりと腰を下ろす。きぃぃぃーと悲し気な音が鳴った。大きな体に隠れ、椅子の姿は見えなくなった。
「アルフレッド。少しいいか?」
ナータトミカの顔がとても怖く見えた。もともとの顔のせいなのか、本当に怒っているからなのか、アルフレッドには分からない。
次回「君との幻3」は12月21日までに掲載予定です。




