54.君との幻
アルフレッド視点。ユーリグゼナが学校を去ってからの出来事。R15含みます。
時は少し遡る。
ユーリグゼナが学校を出た直後のカンザルトル寮の廊下にて。
ユーリグゼナとの音声伝達相互システムでの会話を終えたアルフレッドは、大きなため息をついた。
一人で事に対処しようだなんて、王女としてありえないが、ユーリグゼナの場合ありえてしまう。彼女に添うには、まだまだ心も体も修練が足りない。彼は自分を情けなく思うが、どうにか気持ちを切り換え顔を引き締めた。
カンザルトル寮の廊下に敷かれた美しい織物を踏みしめながら、スリンケットとリナーサとベセルの待つ部屋に戻った。
「ユーリは時間がかかりそうです」
「課題を受け取るだけではないの?」
心配そうな表情のリナーサに、彼は曖昧に微笑み、スリンケットの隣に座る。机の下で手を軽く触れられ、びくっと見動きした。素知らぬ顔のスリンケットから声が聞こえる。
(何かあった?)
能力を使っていると、分かる。アルフレッドは、これまで一度もスリンケットに能力のことを尋ねなかった。人に触れられるのを嫌がった理由と、嘘をつかれて苛立った理由をようやく察する。
(シキビルドで異変が起こると、学校長が言っているそうです)
(……異変ってどんな?)
(分からないそうです。それで────ユーリグゼナは事態の確認のため、一人帰国しました)
そこで初めてスリンケットは顔色を変える。アルフレッドは違和感を持った。
ベセルは眉をひそめて、こちらを見ている。
「なんだ? こそこそせずに言え。姫に何かあったのではないか?」
スリンケットは黙ったまま、余所行きの笑顔で応えた。赤茶色のふわふわした髪が揺れる。漏らすつもりが無いということだ。ベゼルもまた鋭い眼光になったが、すぐに改めた。
「姫は無事か? それだけでいい。頼む」
アルフレッドには、スリンケットがそれすら拒絶するように思えた。あとで怒るだろうな、と思いながら口を開く。
「今のところ無事です。ですが私たちが学校で会うことは、事前に外部に漏れていました。ご用心を」
「情報、感謝する」
ベゼルは深く頭を下げると、すぐにこの場をお開きにした。片付けと帰国の準備を急ぐ。リナーサはアルフレッドに視線を向け「では、開校式で」と残し、出ていった。
アルフレッドは、スリンケットと顔を見合わせた。二人は同時に大きなため息をついた。スリンケットは疲れたように笑い、すっと再びアルフレッドの手を取る。
(ユーリグゼナにも君にも、本当に参るよ。全然こっちの思う通りに動いてくれない)
(……知っていたんですね?)
(うん。いっさい手出ししていないけど。なんて、信じないか)
スリンケットは手を離す。アルフレッドは、その手をぐっと掴みなおした。
(信じます。スリンケットを。何があっても。ユーリも同じ気持ちです)
(全く君たちは…………。そうやって簡単に僕の心を転がしてしまうんだ。……だからもう、会うのはやめにするよ)
何を言い出したのか、理解できなかった。スリンケットの澄んだ青い目に、アルフレッドが映る。
(彼女は王女、君は次期パートンハド家惣領。二人に汚点を付けたくない)
彼が問い返そうとした時、スリンケットの頬にびくっと緊張が走った。アルフレッドから手を引き抜き、のろのろとした動きで音声相互伝達システムを受けた。次第にスリンケットの顔が強ばっていく。
「はい。おそらく」
彼が話した言葉はそれだけ。スリンケットは青ざめたまま会話を終えた。大きく息を吐きながら、両手で顔を覆う。
「……なんでユーリグゼナは、懐けるんだ」
アルクセウスからの連絡は、シキビルドの現状を伝えるものだった。ユーリグゼナがライドフェーズとともに事態を確認している間に、爆発と火災が起こったという。帰国が許され、アルフレッドとスリンケットは時空抜道へ足を踏み入れた。
「何を言われたのですか?」
スリンケットの動揺は、アルクセウスからの苦言以外考えられなかった。スリンケットは嫌そうな顔になった。
「ユーリグゼナは僕を信用しているのか、と訊かれた」
「それだけですか?」
「それだけだよ。でも十分伝わったよ。学校長は僕を疑ってる。それは当たらずとも遠からずだ。裏切ったら僕を消す。そういう脅しに聞こえたね」
アルフレッドは浮かない顔になる。彼は日頃のアルクセウスを知っている。人を脅すような人間には見えない。スリンケットは歯切れ悪く言う。
「多分、学校長は学校内の会話も、さっきの君と僕のような能力でのやり取りまで把握してる。……そこまでやるのは学校と生徒を守るためだろうけど、乱すものには容赦しないように見えるよ。実際、先日ウーメンハンがユーリグゼナをさらおうとしたとき、死者が出てもおかしくない危険な魔法陣を使用してた」
「この会話は……」
「いや、時空抜道は時空が歪んでいるから、能力は及ばないと思う。…………アルフレッド。ここを出たら別行動だ。僕はもう、親王派とは思われないだろうから」
アルフレッドがどれほど尋ねても、スリンケットはそれ以上話してくれなかった。
学校を出発した時間は、ユーリグゼナとさほど変わらなかったが、シキビルドに到着したときには半日もずれていた。
夜明け前の幻想的な時間、アルフレッドは一人、爆発と火災の現場に急ぐ。
(雨が光ってる?!)
驚く彼は空を見上げた。
頭上の遥か上空に虹色に光る魔獣がいる。町や森を見下ろし、ゆっくりと旋回しながら飛んでいる。
その背中にはユーリグゼナの姿があった。遠目にも清らかで美しい。誰もがシキビルドの守り神だと信じそうなほどに。
アルフレッドに、痛みにも似た熱い思いが宿る。
目を、心を。奪われないでいるのは無理だ。どれほど愛おしく思えば、この想いは終わるのだろう。
彼女はシノに惹かれている。何度思い知っても、彼は何度でも同じ沼に落ちていく。アルフレッドはどす黒い自分の感情に侵され、見事な金髪を激しく掻きむしった。
それでも冷静で欲に忠実な彼も確かにいて、彼女の想いを無視してでも機会をものにしようと考えていた。
(これだけ支持されては、王女はやめられない。どうするつもりだ。ユーリ)
シノと結ばれるために、彼女は王女をやめて平民になると読んでいた。でも王女の役目から逃れられないなら……。
◇◇
王ライドフェーズから音声相互伝達システムの連絡が来る。緊張で身を固くする。
アルフレッドは、すぐには話の内容を飲み込めなかった。結婚も口づけも、彼自身が心から望んでいること。でも本当に叶うとは、思っていなかった。
「そんなこと。ユーリ……グゼナ様は了承されたんですか?」
「ああ。アルフレッドにまかせるそうだ」
諦めかけていた。それが思わぬ形で彼の手の平にのせられている。
彼は掌をぎゅっと握りしめた。騒ぎの中心へと、人をかき分け向かっていく。
(ユーリ。今は駄目でも────いつかは、俺を想って)
爆発と火災の現場は、火が消え辺りは煙の臭いが残るものの、朝の光で眩しく輝いて見えた。ようやく解かれた門から、ライドフェーズとサギリ、そしてユーリグゼナが出てくる。
ユーリグゼナはアルフレッドに駆け寄ってきた。彼は彼女を抱きとめ、そのまま優しく腕の中に包み込んだ。努めて静かな声で語りかける。
「王から聞いた」
「うん。アルフ、お願い。助けて」
彼女のかすれた声が、彼の心を揺さぶる。助けて欲しいのは誰のことなのか。
ユーリグゼナの目は黒曜石のように光り、彼を映す。
純粋なその光に引き寄せられ、アルフレッドは彼女に唇を重ねた。柔らかい感触と心地良さに、思考は溶ける。一度では足りない。すぐに続きを求めて、彼女の頬に手を寄せる。
触れた途端、彼女の氷のように冷たい頬に、指先の熱を奪われる。熱くなっているのは自分だけと気づき、アルフレッドは呆然としたまま手を離した。
ユーリグゼナの感情の消え去った表情を見て、彼は焦りを覚える。救出されるまで、彼女はシノと二人きりで一晩過ごしたという。何もなかったわけがない。
(……俺とは嫌だったよな)
彼はズキリと痛む胸を押さえる。
「初めて、した」
言い訳のように口にした。彼女は黒い目にアルフレッドを映し、ポツリと呟く。
「私も」
血の気の失せた顔で、儚く笑った。くしゃり。何か潰れたような音が、彼の耳に響いた。
次回「君との幻2」は12月13日頃掲載予定です。




