53.役目2
鳳魔獣の発言がR15気味です……
歌ってと言われて、気が付いた。
(歌いたいと思えなくなってる……)
どうしてなのか、彼女自身も分からない。鳳魔獣はつまらなそうだ。
『今、君は心を閉ざしているね。……シノって何?』
彼女は突然出てきた名前に、じわりと手が汗ばんだ。鳳魔獣は彼女の心を読んでいく。
『へー。私に話しをつけるって? 度胸のある人間だね。殺される覚悟あるかな?』
どんどん記憶が暴かれる。読まれる心地悪さと恥ずかしさで、彼女は頭を抱える。それでも必死に願った。
『シノを殺さないで。彼とは何でもない』
『多少の嫉妬はあるけど、君の生殖行動を縛ったりしない。私は、君の最期をもらえればそれでいいから。意地悪言ってごめんね』
彼女の顔の熱が、ぶわっと増す。それを冷たい空気が冷やしていった。彼女は落ち着きを取り戻し、心を決める。
『とにかく歌ってみる。シキビルドを元に戻そう』
『歌えるよう、手助けするね────君のなかの契約魔法に干渉していい?』
『うん? よく分からないけどいいよ……一緒に守ろうね。森を。シキビルドを』
羽の合間を優しく掻きながら言うと、鳳魔獣はぶるるっと身体を震わせた。
湿気を呼び込むためには、悲しい歌がいいという。ユーリグゼナはふわふわと心が軽くなってきていた。刺すような空気のなか歌い始める。
どこか夢心地のユーリグゼナの額に、氷の粒が当たる。視界が閉ざされていることに気づく。濃い霧で何も見えない。
『ありがとう。もう十分。雲の下へ行く。私の羽の間に身体を埋めていてね』
鳳魔獣の声で、彼女は我に返る。半分意識を持っていかれていた。彼は身体を急降下させて、雲の中を下りていく。バチバチと光が網状に、幾度も走り去っていく。
雲から出ると、鳳魔獣は雲に向けて切り裂くような鳴き声をあげた。彼の口から何か、光に似たパチパチした物が大量に放出されるように見える。次の瞬間……
光の柱が、彼の口の中へと落ちてきた。眩しくて何も見えない。空気が破裂したような音で、何も感知できなくなった。凄まじい熱量と破壊力。
止んですぐに、彼女は身体の無事を確かめる。どうして無傷なのか、不思議だった。
(きっと鳳魔獣と、ライドフェーズ様の外套のおかげだ)
雨雲からの凄まじい光を受け取った鳳魔獣は、平気で飛んでいた。しかし、羽の色が次第に変わっていく。いつもは周りに溶け込むため、周りの色を映している。
今はたくさんの色に光り輝いていた。
『ユーリグゼナ……』
呻くような彼の声に彼女は驚く。優しく虹色の羽を撫でてやる。
『苦しいの? どうすれば助けられる?』
『私の力が少し足りない。また君の契約魔法に触れていい?』
『良いよ。もちろん』
『君は、分かってない……。でも借りる。感謝する』
鳳魔獣はそう言うと、一気に体中の羽を震わせる。そして……
雨雲から大粒の雨が降り始めた。町や森に降り注ぐ雨は全て鳳魔獣と同じ色に光っている。おそらく下から見れば、光の雨に見えるはずだ。
彼は大きく旋回しながら、少しずつ高度を下げていく。彼女は口を覆っていた布を外す。空気が清められ息がしやすくなっていた。
『上手くいったんだね。良かった。本当に良かった。ありがとう。鳳魔獣』
彼女は嬉しくなって、背中にぎゅっとしがみつく。
『ユーリグゼナの助けのおかげ。もう少しで雨が止んで雲が消える』
背中が照らされ、彼女は振り返った。
地平線から上ってくる強い光が、雲の合間から見える。鳳魔獣は地上が清浄になったかを確認するように、低空で飛んでいく。森も町もいつもと変わらないように彼女には見えた。
鳳魔獣は薬の農園に着陸する。ちょうど雲が切れて日の光が、焼け跡に差し始めた。眩しくて、彼女は目を細める。
背中から飛び降りると、彼は彼女にすうっと大きな頭を寄せた。ユーリグゼナは迷いなく彼の頭に飛びつき、感謝と喜びを示す。彼はじっとしていたが、ゆっくりと語り始めた。
『ユーリグゼナ。私は今回、君に干渉し過ぎた。君が望まない結果になるかもしれない』
そう疲れた様子で伝えると、再び空に舞い上がった。
ライドフェーズは眉間のしわをいつもより多くしながら、彼女のもとへ駆け寄った。そして、非常に珍しいことに片腕で彼女を抱き寄せた。小声で語りかける。
「さっきの続きを言う。このまま聞け」
彼女は緊張で身体をこわばらせた。
「シキビルドを救ってくれて、感謝する。おかげで清められ元通りだ。だが────この国の人間には、お前が命がけで守ってやるだけの価値は無い」
彼はひどく悲しそうだった。顔中をしわだらけにしている。
「ユーリグゼナ。私はシキビルドを、身分で大切なことを諦めなくてもいい、不幸の少ない国にしたかった。しかし変わらなかった。特権階級たちは不幸の循環を未だに続けている。こんな国のためにお前が犠牲になる必要はない。それを承知の上で命じる。────アルフレッドと結婚しろ」
ふりでも、卒業までの時間稼ぎでもない。本気でということ。彼は全て責任をとるつもりで命令している。そう彼女は受け取った。
「シノを殺させないため、ですね」
「そうだ」
「セルディーナ様の体調が良くないのですね」
「そうだ。…………私には国を乱す選択ができない。お前には引き続き王女として国を守ってもらう」
彼は命じ続ける。本当にらしくない。
そこに、思わぬところから声がかけられる。
「王。選択肢はまだあります」
セシルダンテの顔が、ライドフェーズの肩越しに覗き彼女は凝視した。
(なぜここに?!)
セシルダンテは平民用の時空抜道を見張っているはずだ。
ライドフェーズは彼女を離すと、強い口調で言い返した。
「却下だ。セシルダンテ。今回の勝手な行動を、私は許していないぞ」
「諜報員を見逃したことですか? そんな些末なこと。身分の無い人間を処罰して、ウーメンハンをこれ以上刺激して、一体何の利益があると言うのです」
見逃した、と。シノを殺そうとし、罪をなすりつけ、養子院の子供たちを国外へ連れ出そうとした人間たちを。シキビルドを汚した張本人たちは、すでに国外へ逃れていた。
(全て無かったことにされてしまう)
彼女は手をぐっと握りしめた。
「罪を犯した人間を裁くのは当然のこと。むしろウーメンハンへの牽制になります。薬の密売や人身売買の不正まで見逃すつもりですか?」
ユーリグゼナの厳しい口調を、セシルダンテは優しい表情で受け止める。
「平民を殺そうとしたことも、身分の低い諜報員が画策していたことも、王や国の代表者たちを動かす材料になりません。そんなことで国同士の緊張を高めて、いかがいたします。…………それよりユーリグゼナ様の思いは他にあるようですな。シノが好きなのでしょう? 無理にアルフレッドと結婚せずとも、他に選択肢があります」
「もういい。下がれ」
ライドフェーズが苛立ちを隠さず、セシルダンテを制す。それでもセシルダンテはにっこりと彼女に微笑みかけた。
「王の妃になられればよろしい。世継ぎにはアーリンレプト様がおられますから、形だけです。ユーリグゼナ様には妃としての役目を務めていただき、代わりに王に乞えばいい。シノを愛人にしたい、と」
彼女はくらっと眩暈がした。
(愛人……)
シノの全てを貶める。彼の優秀さも仕事への熱心さも、全部を無効にする呪いの言葉。そしてそれは、今の二人の関係を的確に言い表している。
(私は……彼の生き方を殺してしまう)
彼女は自分の全てが嫌になった。
セシルダンテの話は続いているが、心に届かない。鳳魔獣とともに雷を受け、光の雨を降らせたこと。朝日とともに降り立ったこと。それらが特権階級に聖なるものに受け入れられるであろうなどと、そんなこと、本当にどうでもいい。
セシルダンテはそういう存在を国外に出さないよう、王の妃にすべきだと進言している。ライドフェーズは激しく拒絶していた。
(ああ。確かにそれよりはマシかもしれない)
彼女は皮肉にも笑えてきた。どうせどうでも良いのなら、自分以外、誰も苦しまない選択をした方がいい。犠牲にするのは自分の心だけだ。
「ライドフェーズ様。アルフレッドと結婚します」
アルフ以外の名前で呼んだら、どこか知らない他人のようだった。彼女の言葉に二人は会話を止める。ライドフェーズは苦し気に顔をしかめた。
「ありがとう。すまない」
「いいえ」
表情を失ったまま彼女は答える。ライドフェーズはさらに眉間のしわを深くする。
「もう一つ頼み……いや命令だ。アルフレッドと口づけしろ」
彼女は耳を疑った。ライドフェーズは厳しい顔のまま話し続ける。
「この農園の外は野次馬だらけだ。何が起こったのかと、平民も特権階級も大勢集まり、皆が固唾を呑んで見守っている。この聴衆の前でアルフレッドと王女の親密性を見せつけて、シノとの噂を消し去りたい」
彼女は虚ろな目で地面を見る。
「抱擁じゃ駄目ですか」
「弱い。シノとは深い関係だと思われている。アルフレッドと相思相愛に見えなければ、意味は無い」
「……もう何でもいいです。彼の許可を取れるなら、おまかせします」
「分かった」
ライドフェーズは話を終えると、音声伝達相互システムで連絡をとる。彼女は自分自身に吐き気がした。
(なぜこんな茶番に、大事な友達を巻き込んでる? 全部私のせいじゃないか。勝手にシノを想って、迷惑をかけて……。最低だ)
農園の入り口の門が解放される。彼女はライドフェーズらと一緒に外へと向かう。すでにシノと狼の姿はなかった。
次回「君との幻」は12月6日頃掲載予定です。アルフレッド視点。
来月の後半から月木更新に戻れると思います。




