52.役目
ユーリグゼナはアルフレッドと婚約をするとき、一人密かに誓いを立てた。
(婚約している間、アルフの名誉を守ろう。婚約者として最大限尽そう)
こちらの都合で期間限定の婚約者を務めてもらっていた。その間だけでも尽すのが、せめてもの礼儀。
違う男性を好きになるという愚行を犯した今でも、それは彼女の中の絶対だ。だからシノへの想いを伝えることも、受け取ることも無い。そう、彼女は思っている。
◇◇
「何言ってるの? 私、アルフと婚約してるんだよ」
ユーリグゼナの声は抑揚がなく、説得力に欠けている。狼の口が大きく開いた。
「はあ? 玻璃の球ごときでピーピー泣くくせに、何言ってんの。嬢ちゃんの気持ちはバレバレだ。周りにもな」
「言いがかりだよ。私とアルフは結婚する約束をしてる」
彼女は必死に言いつのるが、これ以上文句が浮かばない。狼の口はあんぐり開いたままだ。
「さっきから、おんなじことしか言えてねぇし。………つまり、分かってるんだな? だったら良い」
ようやく狼が話を切ったので、彼女は大急ぎで話題を変える。
「狼。上の状況を教えて欲しい」
「ああ」
彼はきつい雰囲気に変わる。
「嬢ちゃんは一つ拾い損ねた。養子院の子供たちが数人、連れ去られた。運良く国外に出る前に見つかったけど、子供たちはシノの指示で時空抜道の入り口まで来たって言ってる」
「え? あり得ない」
「そうだ。でも特権階級は信じた。真夜中にも関わらずシノに呼び出しをかけた。そしたら不在……。むっちゃ怪しまれてる。それにだ」
彼は大きくため息をついた。
「嬢ちゃんの不在が、なぜか漏れてる。今二人で行方不明ということになっているんだ」
予想を超える不愉快な展開に、彼女は顔をしかめる。
「……事実を伝えよう。シノが殺されかけて、私が救助したって」
「分かってないな。嬢ちゃん。そもそも恋人同士が駆け落ちした話になってる。この場所に二人きりでいたなんて知られたら、終わるぞ」
「だから! ちゃんと伝えれば」
空気を切る音がして、真上から紐が下ろされる。水面に落ちる寸前を見切ったユーリグゼナは、素早く端をつかみ取った。狼はひゅーと口笛を鳴らし、受け取った紐を二人に結び付けていく。
「嬢ちゃん。人はね、聞きたい話を信じる生き物なんだ。シノが嵌められて死にそうだった真実も、嬢ちゃんの純粋な想いも、他人が聞いたらぜんっぜん面白くない。もっと醜聞が聞きたい。『王女と王の側人が許されない熱い夜を過ごしました』って」
「な、な……」
彼女は言葉を続けることができなかった。
「だからそれを打ち消すような醜聞を起こせ」
「何をすれば」
「あとは王から聞け。────上がるぞ。嬢ちゃんは王女だ。そろそろ切り換えろ」
彼の言葉と同時に、二人の身体は紐で引き上げられ、ぶらんと空中に吊り上げられた。
シノの時より幾分早く引き上げられていく。入り口が近づき、辺りを覆う煙で彼女は再び苦しくなった。口と鼻を布で覆う。狼は唸るような声で言う。
「嬢ちゃん。出たらすぐ上着をとれ」
「うん。下と違って外は暑いね」
「…………香りが移ってる。お前ら本当に何もなかったよな?」
狼の言葉に呆然とする彼女に、上から手が差し伸べられる。手を取ると、サギリがひょいっと彼女を引き上げ、ぎゅっと抱きしめた。ユーリグゼナはホッとして、素直に口にする。
「サギリ。ありがとう。助かった」
「……いえ」
サギリはそっと彼女を離した。表情に戸惑いが見られる。それを見てユーリグゼナは、おずおずと上着をとる。脱いだ上着を、サギリは素早い手の動きで丸めて仕舞った。
狼と同じことを思ったのだろうか。ユーリグゼナの鼻は相変わらず利かない。自分では分からない。
「ユーリグゼナ!」
ライドフェーズは栗色のくせ毛を揺らしながら、彼女に駆け寄った。
「助けてくれて感謝している」
誰を、とはあえて言わない。それでも伝わる。彼にとってシノはただの側人ではない。
(家族……か)
そんなかけがえのない存在のように感じられた。ライドフェーズは一度合わせた視線を逸らす。
「……私はお前に嫌な頼み事、いや命令をする。だがまずは鳳魔獣と連絡を取ってくれないか」
彼女は首を傾げながらも、心で呼びかける。
『鳳魔獣。聞こえる?』
『聞こえる。ユーリグゼナ。無事に戻ってくれて、約束を守ってくれてありがとう』
『ううん。怒ってなくて良かった』
『……頼みがある。そこから出てきてくれない? 穢れと臭いが酷くて、私は近寄れない』
鳳魔獣は今まで彼女に頼ったことがない。何か起こっている。
周りでは農園も建物も真っ赤に燃え続けていた。どす黒い煙が暗い夜空に吸い込まれるように伸び上がる。ここだけ火の手が迫らないのは、おそらくライドフェーズが何かしたからだ。
「ライドフェーズ様。私、行ってきます」
「ああ。頼む。……待て」
彼はそう呼び止め、自分の外套を外し彼女に羽織らせた。
「少しは守りになろう」
「ありがとうございます」
彼女は火を薙ぎ払いながら、風のように駆ける。もう後ろは振り向かない。
火をくぐりぬけ、柵を飛び越え外に飛び出る。そこには夜中だというのに、人だかりができていた。みんな空を見上げている。ユーリグゼナも仰ぎ見る。そこには金属が錆びたような異様に赤い月が光っていた。
(爆発に火事に月の異変。……人を不安にさせることばかり重なってる)
苛立ちを抑えきれないまま、人混みを離れる。鳳魔獣が下りるための広い場所を探す。ちょうど空を黒い影が、強い風圧とともに横切る。
『飛び乗って!』
鳳魔獣は着陸するつもりが無いらしい。旋回してもう一度降下してくるのに合わせて、彼女は大きく跳躍した。ふらつきながらも、無事背中の羽の上に乗ることができた。
『さっきの場所から、変な臭いの煙が出ている』
彼には別れたときの後腐れなんて、欠片もない。彼女も普段通り答えた。
『実は鼻が麻痺してて分からない』
『私もそう。……ただ間違いなくこの煙が、シキビルド全体を汚し始めているのは分かる。元々人間の心に作用する草だったのに、あの場所の穢れを受けて異様なものに変化している────森が。魔獣も魔樹も苦しみ始めている』
彼女は鳳魔獣にぎゅっとしがみついた。
『何をすればいい?』
彼はぷるるっと身体を震わせる。一瞬急下降して、再び高度をとる。彼女は慌てた。
『何?!』
『ああ。ごめん。つい、大好きだなと思って。一緒に森を守ろう。私の番い』
何度となく言われても、今まで気にしていなかった。彼女は初めて彼に尋ねる。
『私。鳳魔獣の番いなの? 森の契約って言ってなかった?』
『間違いなく私の番いだよ。私がシキビルドの森の王だから、森と契約するのと同じなんだ。君は森を守護する役目を負う』
『…………初めて聞いたよ』
彼が森の王であることすら、知らない。鳳魔獣は『ようやく興味持ってくれたねー』と嬉しそうだ。
『ふふ。君はまだ子供だったから、分かりやすいことだけ伝えてた。でも嘘は無い。望めばいつでも食べてあげるよ。君の最期はすべて私のもの。…………役目のことは言ってなかったけど、君は最初から森を守っているから、伝える必要ないよね』
ユーリグゼナは肩の力がどおっと抜けた。魔獣たちはいつもそう。嘘はないけど、どこかとんちんかん。
『なんか。鳳魔獣と話していると、細かいことがどうでも良くなる』
『君、人間向いてないよ。もうやめれば?』
彼女はひやりとするものを感じた。
『……知ってるの?』
『うん。ルリアンナから聞いていた。実際に君からは朱雀の力が流れ出てる。私がときどき舐めて調整してたから、どんどん強くなってるのも知ってる』
こんな近くに全部知っている存在がいたとは。彼女はがっくりと首が垂れた。
『さて、着いた』
彼女は今まで来たこともない高度まで来ていた。町と森は薄い霧で霞んで見える。顔に冷たい冷気を感じるが、驚くほど身体が冷えない。借り物の外套をスッと撫でた。
『雨雲を作ろうと思う。穢れは洗い流すのが一番だ』
彼が言うには空気中の粉塵が多いと雲ができやすいらしい。すでに火事と煙で大量の粉塵はあるという。
『あと一押し欲しい。ユーリグゼナ。歌って』
彼女は呆気にとられる。そんなことで雲ができるのだろうか。
次回「役目2」は11月29日頃掲載予定です。




