50.殺す恋1
つっかえが取れたかのように、周りの様子が感じられるようになった。ユーリグゼナは必死に外の様子を探る。
しかしすぐに目眩が起こり、ふらりと体勢が崩れた。シノは立ち上がり彼女の身体を受けとめる。彼女の頭を彼の大きな手がふんわり押した。彼の胸の中に、ぽすっとおさまる。
(うぎゃ)
体調不良が消え去ると同時に、頭に血が上り再び眩暈がした。ようやく恋を自覚し始めた彼女にとっては、触れている面積が多すぎた。ますます頭に血が集まる。
「あ、ありがとうございます。おかげで気分は良くなりました。少し触れてもらえるだけで直ります。そんなに、その……」
しどろもどろの彼女の言葉に、彼はすぐに反応してくれない。のろのろと頭に置いた手を外す。彼女の頭は変わらず彼の胸板を感じる位置にある。自ら離れることもできず、心の中で悲鳴を上げ続けていた。
「怪我は無いのですね?」
「はいっ」
彼女は緊張のあまり、返事に気合いが入り過ぎる。反対に気を緩めたシノは、身体を離し彼女の肩や背中を軽くはたいた。彼女の上着は落ちてきた小石や砂を受け、かなり汚れていた。
「髪の中にも砂が入り込んでいます。整えてよろしいでしょうか?」
彼は返事を待つつもりが無いらしい。懐から何やら取り出し自分の手を拭ったあと、彼女に後ろを向かせ、流れるような所作で彼女の髪をほどいていった。
(恥死量に達してしまう)
この状況下でも身なりが気になってしまう側人の鬼。どう伝えれば、やめてくれる。
彼女はここに至るまでの過激な道中で、身体全体が汗臭くべたついている。そんな状態で髪に触られるなんて、どんな罰だ。彼女はすでに死にそうになっていた。
髪を櫛でとかれることに耐え切れず、奇声を漏らしそうになったころ、シノの小さな声が響く。
「…………助けてもらったのに怒ってしまい、すみません」
小石や砂から庇ったときのことを、彼はずっと気にしていたようだ。
「この上着、丈夫で少しの攻撃くらいでは破れないようになっているんです。説明不足で……」
彼女は言いながら、彼の意図とずれていくことに気づき、押し黙る。強い者が弱い者を守るのは当然。そう思って生きてきたが、人の心はそう単純じゃない。改めて彼女は自分の不甲斐なさに落ち込む。
彼は彼女の髪を整え終えると、てきぱきと道具を片付けた。再び懐にしまう。
「あなたが怪我をすると思って怖かった…………」
彼は息を吸うと、一気に続ける。
「あなたが傷つくくらいなら、死んだ方がマシです」
彼の低い声が暗い空間のなか響く。彼女の心を映し出すような言葉。
(私もそう)
口にはできない。言ってどうなる。もうこの先には進めない。彼女は胸の奥から上がってきた嗚咽を吞み込む。
シノの美しさも強さも苛立ちも怒りも優しさも、彼女の深いところから知らない感情を引き出していく。こんなに愛しくて狂おしい存在を、失いたくない。彼を傷つける全てから守りたい。
それなのに彼女が欲しいと願った途端、凶暴なものに姿を変えていく。シノが殺されようとした理由を、もう彼女は知っていた。
(私の恋は、シノを殺してしまう)
急速に頭が冷えていく。顔を上げ、彼の表情を覗う。拘束され続けこの穴に落とされた間、彼はほとんど休めていない。
(シノ、疲れてる……よね)
彼女は俯きながらゆっくりと目をつむる。手を離さなければならなかった。こんなにも彼女を幸せにしてくれる温もりを、彼女の方から断ち切れらなければならない。
(休んでもらおう。地上に早く戻らないと)
さっきの衝撃は結界が壊れたときの波動だ。多分、音声伝達相互システムは今なら繋がる。そしてこの赤黒い空は……
(火事。凄まじい勢いで燃えている)
「無事か。シノも。良かった。本当に」
音声伝達相互システムは難なく繋がる。ライドフェーズのつり目がホッとしたように細められるのを、彼女はどこか懐かしく思う。
「すぐ助けが行く。お前たちのいるところを突き止めた。私やサギリは敷地内に入るのにもう少し準備がいる。だがあの狼と言ったか? あの平民は平気なようなので先に向かった。……おい。サギリ?!」
ライドフェーズの慌てた声とともに切れてしまう。かえって不安になった彼女の横で、シノが口を開けたまま固まっていた。
「姿も映るのですか? それに力のない私も一緒に見えるなんて……」
平民の彼は音声伝達相互システムを使ったことがない。どんなものか知らなかった。
「いえ。私から繋いだ時だけです。……荷物片づけてしまいますね」
彼女は言いながら声がかすれる。
終わる。もう終わるんだ、と思ったら、また彼女の喉がぐっと詰まり息をしづらくなった。暗いなか、忘れ物が無いよう鞄に詰めていく。息づくようにほのかに光る玻璃の球だけは、両手にしっかり携える。
「おーい。生きてるかあぁぁぁ────」
そう言っているんだろうな、と思われる声が真上から降ってくる。共鳴がすごすぎて狼の声なのかどうか、彼女は自信がない。彼女とシノはお互い顔を見合わせるばかりで、何も言えずにいるうちに上から紐が落ちてきた。とっさに彼女は端を掴みとる。
「いるなら、ひっぱれえぇぇぇ────」
彼女が思いきり引っ張り、ピンと張る。サギリが使っている魔法強化された紐だ。彼女はユーリグゼナの願いを叶えるため、全ての指示を実行してここに来たことが分かる。
(サギリ……)
彼女の揺るぎない忠誠を感じて、胸が熱くなる。それなのにどこか素直に感謝できない。自分の身勝手さに苛立つ。
「お前らさ──。生きてるなら何か返事しろよ──。こんな暗くて気持ち悪いところがずーっと続いてさ。心細い気持ちで下りてきたんだぜ?! 途中から、誰もいなかったら俺どうなるの?! って泣きそうだったんだから」
明かりを揺らしながら、紐を伝い狼はゆっくり下りてきた。彼女は彼の足場を確保するため、シノの方へ身体を寄せる。
「紐、引っ張ったよ?」
「引っ張ったと思ったから下りてきたんだけど……。本当はお化けか魔獣のいたずらじゃないかって。想像しだしたら、どんどん妄想が膨らんでむっちゃ怖くなった」
意外と怖がりな面を見せる狼を労う。
「来てくれてありがとう」
「後ろのやつ、全然そんなこと思ってないみたいだぜ?」
シノは無言のまま、彼女を自分の背中側へ移動させる。狼は呆れたように言った。
「だいたい何で二人とも、そんなに寄り添ってるんだよ」
彼女が答えるより早く、シノが非常に機嫌の悪そうな声を出した。
「狭いからだ。狼、水に落とされたいのか?」
シノはそう言って狼に蹴りを入れる。狼はさらりとかわすが、手に下げた明かりがぶらんぶらんと、ふり切れんばかりに揺れた。
「それが怖い思いして助けに来た、友人に対する態度かよ!」
シノの八つ当たりにも見える足蹴りは続き、狼は口と身体を同時に動かしながらを避け続けている。シノと狼のじゃれ合いを、ユーリグゼナはあっけに取られて見ていた。
(すっごい仲良し。敬語なし遠慮なしのシノ初めて見た)
次回「殺す恋2」は11月18日に更新予定です。




