9.襲撃
ユーリグゼナがぼんやりしている間に、出番になってしまった。大きなため息とともにカーンタリスと入場する。ところが……。
(──何?)
突然、学校内の空気がキーンと張りつめ、条件反射でユーリグゼナの体に緊張が走った。一気に戦闘体制になる。
学校の敷地内のどこかで多数の殺気が膨れ上がっている。彼女はそれを能力で感知して、気配をたどる。
(ここに向かって、いる?)
ここ武術館には王や代表者が集まっている。彼女の黒曜石のような目が一瞬細められ、すぐに駆け出した。
(武器……が無い!)
今日の試合は素手格闘技……。武器無しで戦う競技のため、会場に武器はなかった。手間取っている間にもどんどん気配が近づいてくる。
(代用できるもの……)
ユーリグゼナは一気に加速し高く跳躍して、天井へ駆けあがった。鉄の棒などの金物を確保しながら、片手では音声伝達相互システムを作動させる。相手の反応があった途端、言い放つ。
「襲撃あり。最大の防御を!!」
片手では武術館の天井の部材をぶった切る。
飛行物に乗った武装した集団が、次々と会場に乱入してきた。ユーリグゼナは、天井の突起にぶら下がり次から次へと飛び移り移動する。飛行する乱入者に正確無比のコントロールで鉄板や、接続部分の金属を命中させていく。下から悲鳴や叫び声が聞こえる。彼女は心を揺らすことなく、淡々と乱入者を倒していった。
飛ぶ者がいなくなり、地上戦になる。あちこちで国の王や代表者を守る護衛が、応戦している。
ユーリグゼナは大きな幕を広げふわりと落とす。乱入者の集団の視界を妨げながら、天井の端からある一点を目指し飛び降りる。
「ユーリグゼナ! 無事でよかった」
セルディーナの安堵した声が、戦闘状態の中で聞こえてくる。彼女の周りだけ敵の層が厚い。ユーリグゼナは倒した乱入者から剣を奪うと、近くの敵を一気になぎ倒す。ようやくセルディーナの側まで行くことができる。
「ユーリグゼナ。さっきのプルシェルは何だ。全く要領を得ないではないか! と、いうかだな。こういう時はセルディーナでなく、私に連絡しろ!!」
剣を振り回すでもなく、ただセルディーナの側にいるだけのライドフェーズが、栗色のくせ毛を振り乱しながら吠えている。
(……)
ユーリグゼナは一瞬戦闘中であることを忘れそうになった。
ユーリグゼナは、ライドフェーズの側近が必死の防衛戦を繰り広げているうちに、ライドフェーズとセルディーナに消える実の果汁をかけた。
「?! 何をする!! なんだこれは」
「ライドフェーズの姿が見えなくなりましたね」
慌てたライドフェーズと、のんびりした声のセルディーナ、そして周辺の側近たちにユーリグゼナは言う。
「なぜか知りませんが、お二人は狙われているようです。ここだけ敵の数と殺気が他と違います。お二人を連れてシキビルド寮へ逃れてください。ここは私が食い止めます」
「見えないお二人をどうやって我々がお守りするのだ?」
ユーリグゼナに食ってかかる側近にライドフェーズが言う。
「今は敵から見えない方が重要だ。声は聞こえるだろう。それで把握せよ。行くぞ」
王一行が武術館から離れると、ユーリグゼナはホッとした表情になった。実は切実に心配していることがあった。彼女は上を見上げる。
(そろそろ崩れてくるかもしれない……)
パキ バキバキ ゴゴー キューン カランカラン
天井から異音とともに、部材が落ちてくる。
他国の王や代表者らしき人たちは、護衛とともに退散を始める。
(カーンタリス大丈夫だったかな。……あれ?)
ユーリグゼナは凍り付いたように固まる。
(私、やり過ぎ……?!)
武術館の天井は、もはや形を保っていられなかった。大きな音を立てて崩壊していく。
ユーリグゼナは、先に音楽棟へ向かう。
アルフレッドにお願いしていた演奏方法について急ぎ確認しようと────いや。そういう名目で……逃げたのである。武術館の天井を破壊したら、弁償で済むのか。いや処罰か? もしかして処刑?!
鍵盤楽器の部屋に着くとアルフレッドと──カーンタリスがいた。アルフレッドにすでに知られている、かもしれない。彼女はこわごわと、まずカーンタリスに声をかける。
「カーンタリス。ご無事で良かったです」
「……どうも。王もセルディーナ様も無事逃れられた。お手柄だね」
カーンタリスは渋い顔ながら、ユーリグゼナを労う。
「ユーリ。お疲れ様。どうして寮に行かずこっちに来た?」
アルフレッドの引きつった怖い笑顔に、ユーリグゼナは恐れおののく。アルフレッドはふうと息をついた。
「あのな。ユーリ。まず消える果汁が無事解除できたか、確認すべきだと思う」
そっちだったか、とこっそり息を吐く。
突然の襲撃に、あの恐慌状態。武術館の天井を破壊したのが彼女だなんて、誰も気づいていないに違いない。
ユーリグゼナは天井以外、気にもとめていなかった。
「……ああ。実のことか。そういえば、解除方法お伝えしてなかった」
ぎょっとしてアルフレッドは、スリンケットに音声伝達相互システムで連絡をとる。確かに彼なら寮にいるかもしれない。
「ああ──助かりました。……そうですか。では後で」
話を終え、アルフレッドは言う。
「スリンケットが入浴されるよう助言して、見えるようになったそうだ。それと……帰ってこない方が身のためだってさ」
「なぜ?」
「側近たちを怒らせただろう? お二人の姿を無断で消すなんて……。向こうは護衛が心許ないという意味だととってる。誤解がとけるまで厄介だぞ」
(誤解ではないな)
ユーリグゼナが密かに思っていると、アルフレッドが苦い顔をして顔に出てる、と呟いた。
「……寮に帰れないんなら鍵盤楽器の練習をしよう。連弾用のアレンジ考えてみた」
さっきの彼女のお願い事はこの件だった。協力者への演奏で、本番とは違う二人演奏を披露しようと思いついたのだ。ユーリグゼナの黒曜石のような目はキラキラと輝く。すぐに鍵盤楽器に飛びつこうとした彼女を、アルフレッドが止める。
「とりあえず、ちょっと綺麗にして来い。結構な汚さだぞ……」
「……」
寮には戻りたくないユーリグゼナはテラントリーに連絡を取って、着替えを見繕ってもらうことにした。プルシェルを使ってみるが上手くいかない。繋がりが維持できなくて途切れたり、こちらの音が届かなかったりするのだ。
「もしかして、音声伝達相互システムって取り扱いが難しい?」
「……今気づくということは、これまで一度も使わなかったな」
「……」
セルディーナ相手に初めて使いライドフェーズに怒られた、とは言いたくないためユーリグゼナは沈黙を守った。また何かあったのか、とアルフレッドは顔をひきつらせた。
テラントリーとスリンケットは、急いで音楽棟に来てくれた。
鍵盤楽器お預け中のユーリグゼナには長く感じた……なんてそんな勝手なことは言えない。大人しくアルフレッドの演奏で変更点を確認しながら待っていた。
「お待たせ。……ユーリグゼナはテラントリーに手伝ってもらって着替えた方がいいな。ひどいよ?」
スリンケットに本当に嫌そうな顔で、開口一番に言われユーリグゼナはショックを受ける。テラントリーと着替えのためトボトボと部屋を出る。テラントリーは予想していたのか、濡らした柔らかい布や汚れを取る洗剤など綺麗に整えるものを用意してくれていた。彼女の気遣いと優しさが、ユーリグゼナの身に染みる。
どうも服に血が付いているのが、みんな嫌だったらしい。特権階級は特に忌むそうだ。
(日常的に魔獣狩りしてるから、私はあまり気にならない。でも今回は人間のか……。なんだか私も気持ちが悪くなってきた……)
ユーリグゼナは全員殺さずに叩き潰している。でも本来血は苦手だ。非常に。
自分の汚れて脱いだ服を見てどんどん具合が悪くなる。血の気が引き、頭をぐらぐらと揺らしながら、ユーリグゼナはペタンと地べたに座り込んだ。
テラントリーがぎょっとした顔で駆け寄る。
「どうしました?!」
「なんか……。気持ち悪い。ちょっと横になる」
具合が悪くなる前に着替えていて良かった、とユーリグゼナは心から思った。しかもテラントリーは、また戦いに巻き込まれたらと護衛用の服を用意していてくれた。服の裾に気を使わなくて楽だ。
「テラントリー。本当にありがとう」
そう言ってユーリグゼナは寝椅子に横になる。心配そうなテラントリーに、大丈夫と微笑み目をつむる。
ユーリグゼナが目を覚ますと、目の前でスリンケットが椅子に座っていて、読んでいた本を閉じた。
「起きた? ──気分はどう?」
「……お、お腹が空きました」
ユーリグゼナの返事に、スリンケットは吹き出す。赤茶色の髪をフワフワ揺らした。
「そう。良かった。今、アルフレッドとテラントリーが教授たちと食事の用意してる。参加人数が多くなって大変そうだよ。ユーリグゼナは休んでてもいいんだけど────参加したそうだね?」
ユーリグゼナがソワソワしているのを見て、スリンケットは目を細めて苦笑した。すっと近づき、手を差し伸べる。
「立てる?」
「?」
ユーリグゼナは当然のように立ち上がろうと起き上がるが、頭がくらっと揺れる。それを悟られないよう少し我慢した。おさまるのを確認しながら、微笑みつつスリンケットの手を取り座椅子から立ち上がる。
(よし!)
ユーリグゼナが上手くいったと思ってスリンケットを見ると、胡散臭そうな顔で見て、彼女の手を離さない。
「駄目そうだよ? 顔色が悪い」
「そうですか? 食事が足りないかな。──食べに行きます!」
「……」
ユーリグゼナはとにかく鍵盤楽器のところに行きたかった。スリンケットはため息をつくと、ゆっくり彼女の手をひき扉へ向かう。このまま付き添うつもりのようだ。
「アルフレッドもテラントリーもとても心配してる。二人の前で絶対倒れないで。具合悪くなったら、すぐ僕に合図して。いいね?」
スリンケットの横顔が怖い。彼に心配をかけていた。ユーリグゼナは素直に頷く。
食事会は、結構な人数になっていた。音楽棟の狭い控室では足りず、廊下まで椅子が置かれている。テーブルと椅子を配置する形は諦め、立って食事をする方法に切り替えたらしい。スリンケットは椅子にユーリグゼナを座らせると、会場に一人で入っていった。
アルフレッドとテラントリーが急ぎ足でやってくる。ユーリグゼナの姿を見ると、二人ともホッとした表情になる。
「まだ顔色が悪いですわ」
テラントリーは取ってきた料理を台に並べる。彼女の艶やかな薄紅梅色の髪がゆらりと揺れる。ユーリグゼナは彼女に安心してもらいたくて笑顔で応えた。
そんな彼女の黒い大きな目は、皿に盛られた食べ物に釘付けになる。
「お肉だ!」
物資不足のシキビルドではなかなか出されない、大量の油で揚げた鳥の肉料理。小魚を揚げてお酢や砂糖に付け込んだ料理など、彼女の好物がたくさん並んでいた。戦時下にあった者にとっては、かなりのご馳走だった。
「いただきます。あっ。大地と海の恵み、神々の英知に感謝いたします!」
「挨拶の順番おかしいよな」
「……」
もう食べ始めているため、アルフレッドの突っ込みにユーリグゼナは答えない。
「いや、その前に何かもっと言うことがあるだろう。こっちは……」
アルフレッドはため息をついたあと、苦笑いしてユーリグゼナの隣の椅子にドカッと座った。彼のさらっとした見事な金髪が揺れた。
「美味しいか?」
「とても」
「それは良かった。──今夜の食事会の最後に演奏することになってるんだけど、俺弾くから」
「分かった」
あっさり了承したユーリグゼナを、アルフレッドは意外そうに目を丸くして見る。
「でも、アルフが弾いてると私も弾きたくなると思う。その時は…………よろしく」
「え?」
アルフレッドは首を傾げる。ユーリグゼナはそれ以上何も言わず、美味しそうに食べ続け、テラントリーにお代わりと飲み物を持ってきてもらい、満足そうにしていた。アルフレッドは彼女の様子をじっと見る。




