第四のビール
俺の名は、ボブ ハルフォード。あの世界的に有名なジューダス プリーストのヴォーカリスト、ロブ ハルフォードと一音違いで神はここまで人としての格に優劣をつけるものなのか。俺は今、日本でマスオさんをしている。俺が、アメリカにいた頃にホームステイで近所に来ていた今のかみさんの忍と知り合った。そして、俺らはすぐに懇ろになり2ヶ月という交際期間でスピード結婚した。これが、俺の人生の転落の始まりだった。俺は当時からヘヴィメタルのバンドを組んでいた。それは、ジューダス プリースト、メタリカ、アンスラックス、スレイヤー、メガデスなんかに憧れて始めたバンドだった。俺はメジャーデビューを目指していた。だが、忍は言った。「あたし、ホームシックになっちゃった」こうして、俺は日本に渡り忍ぶの親と同居する事になった。日本に発つ前日。バンドのメンバーと涙しながら、しこたま飲み明かした。日本に渡り、俺は零細企業の食品加工会社に勤めだした。この会社は人件費を浮かす為に海外からの出稼ぎ労働者の宝庫だった。俺は中国人のベーシスト、ホイとベトナム人のドラマー、グェン、そしてフィリピン人のギタリスト、タンとヘヴィメタルバンド、ザ サード ビアを結成した。このバンド名の由来は俺ら出稼ぎの安月給でかみさんに飲ませてもらえるアルコールが第三のビールだけだったからだ。俺らのバンドは日本のヘヴィメタルファンにはウケが良かった。そんな俺らの僅かばかりのささやかな楽しみ第三のビール。それを血も涙も無い国家は税率を引き上げようとしていやがる。腐った政治家どもは、政党助成金、政務調査費などの名目で俺らの血税で私腹を肥やし、汚職に塗れ伸う伸うと生きてやがる。こうして2020年10月1日を迎えた。その日の仕事はハードワークだった。あの弱音を吐かないグェンまでもが俺に言った。「ボブさん、今日、仕事、きついね。私、国、帰りたい」俺はグェンを励ました。そして、家に帰り風呂上がりに第三のビールのプルタブをプシュと鳴らした。勢いよく喉を鳴らし呷ろうとしたらかみさんが言った。「ボブ、ちょっと待って」そう言って俺から第三のビールを引ったくるとマグの3割程度に第三のビールを注ぎ、それに氷を7割の割合で埋めた。「ボブ、今日から第三のビールが値上がりしたから、これがあなたの第四のビールよ」忍は、そう言ってマグを俺に手渡した。俺は一口飲んだ。それは第四のビールではなかった。もはや水だった。その俺の傍らで忍ぶはその名のように忍びながら飲む訳でもなく、俺の目を憚る事なく堂々とキリン 一番搾りの500ml缶をアマゾネスのようにゴクゴクと呷っている。俺は第三のビールの350ml缶を以前は2本まで飲めていたのに、今日から氷で薄めて1本だけになった。かみさんは一番搾りの500ml缶を3本飲んでいる。忍は言った。「あなたの第三のビールは値上げになったけど、あたしのは値下がりしたのよ」俺はほんのり軽い殺意が芽生えた。先に寝室に行き俺はアイポットでメタリカの『ワン』を聴いた。ジェームズ ヘッドフィールドが歌っている。「俺が生きる時間を見つめる。神よ、俺を助けてくれ」銃を乱射して罪の無い人々を無差別殺傷する奴は許せないが、その行為に至るまでのプロセスとメカニズムが解ったような気がした。故郷の親父とおふくろの事を思う。年老いた体に鞭打って今日も小麦の収穫に向けて汗水流して骨を折っている両親に思いを馳せる。翌日の昼休み。俺は昨日の第四のビールの話をホイ、グェン、タンに話した。ホイが腹を抱えてゲラゲラと笑った。「ボブさん、あなた、ちょと可哀想あるね」タンが言った「ボブさん、七三って昔のジャパニーズ サラリーマンみたいね。うちの奥さん、やさしい。うち、七三、大丈夫だと思うね」グェンが言った。「ボブさん、お悔やみ、あげる」タンが言った。「ボブさん、ホイさん、グェンさん、今度、うち、飲み会、やるね、第三のビール、沢山、用意してる、みんな来てね、奥さん、みんな、待ってる」俺はこんな愛すべきバンドメンバーに囲まれ孤独で空虚な人生を送っている野郎と比べたら幸せなのかもしれないと思った。俺はこの愛すべき奴らとメジャーへの道をまだ諦めた訳じゃない。取り敢えず今日帰ったらかみさんに言おう。1本でいいから氷でかさを増やすのはもうやめだと…