ちくわ鹿獲り名人
「いいか? これは誰にも教えるんじゃあねぇぞ」
「はい。絶対誰にも言いません」
私が猟師を目指した理由、それは幼い子供が抱くようなただの憧れだった。都会に生まれ育ち、敷かれたレールをなぞるだけの人生に辟易していたから。コンクリートの箱の中で腐っていくよりも野生に身を委ねてみたいという、ありきたりで漠然としたものが眩しかったから。
「一度しかやらねぇから、よぉく見ておけよ」
「はいっ……」
だから、というには少々飛躍しすぎなのかもしれないが、たまたま父方の伝手に鹿捕りの名人が居たこともあり、私はこうして山奥で教えを乞うている。
「いくぞ……」
「ちくわをこうして、こうだ!」
教えを、乞うて……
「えっ――――」
「いやあ〜大したもんだ! 初めての猟でこんな大物を仕留めてくるなんてなぁ!」
「あ……ありがとう、ございます」
「まさかあの人が他人にしごとを教えるだなんてねぇ。ねぇあんた、一体どんな仕掛けを使ったんだい?」
「それはその、なんというか……」
言えない。
「おいおい、そりゃあ教えちゃくれねぇよ。なんたってあの人のしごとは口外厳禁、門外不出の神業ってもんだからな!」
「まあ、そうですね、はい……」
たしかに強く口止めをされている。だから言えない……だけではない。それだけではないのだ。
鹿を獲る。そう聞けば誰もが銃やくくり罠での猟を思い浮かべるだろう。かくいう私も本気で猟師を目指すにあたり、長い歳月を経て免許を取得したし、様々な罠や野生動物の習性、野山についての知識を頭と身体に叩き込んだ。
『ちくわをこうして、こうだ!』
『……えっ? ちくわ、ちくわですか?』
しかし、ちくわだった。
あのとき師匠が仕掛けたのは――いや、仕掛けたと言うのもおかしな話だが、あれはまごうことなきちくわだったのだ。しかもそれは単なる誘き餌などではない。師匠の持ち物はちくわのみ、つまりはこのちくわこそが罠なのだ。
『……あの師匠、これはどういう』
地べたにただ置かれただけのちくわから距離をとり、茂みに腰を据えながら頭いっぱいの疑問をこぼしかけた、そのときだった。
『静かに……さぁ、おいでなすったぞ』
『えっ……あっ』
鹿。あえて言っておくが、それはどこからどう見ても鹿なのだ。間違いなく100%鹿なのだ。
『目を離すんじゃあねぇぞ……そのときは一瞬だからな』
『はい……』
それ以上はとても口を挟むことなどできなかった。言葉こそ荒々しいものの普段は温厚で、おさなごからも慕われている。そんな男が今、その身にその瞳に漂わせているのはまるっきり殺し屋のそれだ。
だから私は、私の視線はその殺気にあてられてしまった。
ピョエエエエエエッ!
『獲った!』
倒れていた。目を離したのはほんの僅かな時間だった。ちくわを置いたあの場所に、立派な角をたくわえた牡鹿が倒れていたのだ。
『え、え? 一体なにが……』
ちくわが無くなり、そして鹿が倒れている。つまるところ、あのちくわには毒が盛られていたとみるのが道理だろう。
だが……そうではなかった。
『ちくわが角に!』
ちくわが角にはまっている。
何を言っているのかわからないだろうが、私にもわからない。角がちくわの穴にすっぽりとはまっていた。それでいて鹿は横たわり、微塵も動く気配がない。
それ以上でも以下でもない。あの場に在ったのは、ただそれだけのことだった――――。
「――それが、当社を選んだ理由ですか?」
「はいっ!」
「わかりました」
世の中には到底理解の及ばぬことがある。いくら学ぼうと、どれほど追い求めようとも、決して届かぬこともある。
これは師匠が遺してくれた言葉だが、しかし、彼はこうも言っていた。
『なぜこうなるのか……正直、俺にもわからん。だがな、このちくわを置けば鹿が獲れる。それは紛れもない事実だ』
『だから、俺は鹿を獲る。獲って獲って獲り続けた先に、いつか何かがみえてくるかもしれねぇ。望むこと挑み続けることは、決して無意味じゃあない。そう、信じてる』
『たとえこの先お前が他の道を選んだとしても、俺は何も言うつもりはねぇ。だがな……俺たちは同じ釜の飯を食い、同じちくわを置いた者同士だ』
『だから、次は諦めんじゃあ、ねぇ、ぞ………げふっ!』
『師匠おおぉぉぉぉ!! ――――』
師匠が自ら設置したちくわに掛かり、命を落として早数年。
「――では、結果は追って通知いたします。本日は海妖堂ちくわ本舗に御足労いただきまして、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました!」
猟師の道こそ諦めはしたが、私は師匠の遺言通りこうして新たな未知を選んだのだ。
必ず、この手で解き明かしてみせる。
師匠の命を奪った、あのちくわの謎を――――。
不採用。