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第1話 踏切で

「僕、あまりに霊が訪ねてくるんで、少し前に引っ越したんですよ」

 普通の人からは、聞き慣れない理由の引っ越しを、さも当然のように谷本新也アラヤは告げた。

「へぇ」

 と、こちらも驚きもせずに、藤崎柊輔は答えた。

 2人が会っていたのは珍しく休日の真昼間だった。普段は休日や昼間に会うことを嫌がる新也の方から、藤崎に連絡があったためだ。

 新也はしがない地方公務員、藤崎柊輔は新進気鋭の作家だった。

 某ファストフードの2階カウンター席で、町を行く人々を2人は眺めていた。

 春の陽光も初夏のそれに変わろうとしていた。通りを行き交う人々の中にも半袖が多い。

 藤崎は新也から見れば憎たらしいほどに長い足を組みかえて、新也の話に耳を傾けていた。

「始まりは去年の10月……くらいだったかな。仕事は忙しいわ、夜は霊やよくわからないものが訪ねてくるわで。ちょっと参ってたんです。夜中から明け方までずっとピンポンダッシュ繰り返すやつとかいるんで。本当にもう、わけがわからないんですよ、やつらは……」

 珍しく話は愚痴から始まった。言葉遣いも新也らしくなく少々荒い。

「へえ、それで。彼女とはそのころ出会ったんだ?」

 ゆっくりと、藤崎は訊ねた。

「そうです。……気分転換に通勤経路を変えて、ついでに空きアパートなんかを探していたときです」

 心なしか新也の声が弾む。藤崎はふうんと頷いた。

「今の僕の家から3ブロック先に、踏切があるんですよね。そこで、よろめいた彼女を助けたのが始まりです」

 新也は語った。

 段々と暑さから涼しさに、そして寒さへと移り変わる季節だった。時刻は夕方の6時過ぎ。夕暮れに空は赤く染まっていた。

 踏切前で、薄いコート姿の女性が、新也の横でヨロっと揺れたのがわかった。しかも不自然に、背中を押されたか、腕を軽く引かれたかのようなよろめき方だった。

「危ない!」

 新也はすかさず、彼女の腕を掴んで引き止めた。踏切は完全に降りていて、カンカンカンとなる警報の音で、新也の声はかき消されるほどだった。

 思わず抱きとめると、細く冷たい頬の感触だった。余程驚いたのか、どくどくと脈打つ鼓動が新也にも伝わってきていた。

「あ、りがとうござます……。びっくりした」

 彼女はぱっと離れて、照れ笑いした。

 その後ろでゴォッと電車が行き過ぎた。

 彼女の短めの髪が揺れて、コートの裾が翻る。

 仕事帰りのようだった。ツーピースの紺のスーツに、白いパンプス。肩より少し短い髪は栗色で、片方だけ耳にかけていた。少し幼い顔立ちだが、年齢は新也と同じくらいに見えた。

「いえ、……何でもなくて、良かった」

 新也は妙に照れてしまい、握ったままだった手を手を離した。彼女の方は逆に、新也の目をしっかりと見ていた。

「急に、ヨロっとしてしまって……本当にありがとうございます」

 彼女がペコリと頭を下げる。そこで、踏切が上がった。

 それ以上特に話すこともなく、2人は一緒に踏切を渡った。

 新也はまっすぐ、彼女は渡りきったT字路を左折するようだった。

「ありがとうございました」

 もう一度彼女は言った。2人は別れた。


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