黒百合
ある日のこと。
「小僧、全力でかかって来い」
ロイは刃の潰してある長剣と丸盾を捨て、大剣を取る。例の大剣より少し重い。
「そうか、大剣を取ったか。
しかしその細い体でその得物を巧く使えるかな?」
ロイは腰を落として弓矢を引き絞るように、剣を水平に構える。
「お前の考えなどお見通しだ。長いリーチを活かした突きだろう? 違うか?」
相手、ブローディ教官の長剣の攻撃範囲外にロイはいる。
時間が惜しいとでも言うように、盾を正面に構えた教官が先に地を蹴った。
遅れじとロイも跳び出し、剣の腹で盾を叩くと同時に地面を大きく蹴り上げる。
土砂に怯んだ教官の首筋にロイの大剣が突きつけられ──ずに、盾によって大剣と土砂ははねのけられた。
がら空きになったロイの懐にブローディが潜り込み、ロイの喉元に教官の剣が迫る。
「取ったぞロイ」
「くっ」
ロイは大剣を降ろした。
教官が笑う。
「はっはっは。これは参った参った。なかなかやるじゃないか小僧。騎士見習いの剣ではないな?」
「傭兵団に入ろうと思って試合ったのですが、負け続けまして。それまでの俺の剣術では歯が立たなかったんです」
ロイは苦笑する。
「騎士道は諦めたのか?」
「生き残ってこそ、勝ってこそ騎士道を実行できるのです。弱ければ死んで終わりです。何も生みません」
一つ悟ったロイがいた。
「そうだな。その考えであれば小僧、お前はこの光竜騎士団で生き残っていけるだろう。団長の無謀な指示も巧くやり遂げることができるだろうよ」
「騎士団長──サッシ騎士団長ですか?」
決死隊を旨とする自身の出世栄達しか興味が無い男だという噂だ。
「ああ。まぁ、とにかく生き延びることが俺たち……いや、この光竜騎士団団員の務めだ」
「生き延びること?」
「そうとも。まず、生き延びろ!」
叩く音。ブローディ教官は力強くロイの肩を叩くのだった。
◇ ◇ ◇
叩く音。床が激しく叩かれる。
きらびやかな広間でに、大きな音が響き渡る。
「大臣よ、光竜騎士団から良い知らせはまだ届かぬのか!」
「はっ。未だそのような報告は挙がって来てはおりませぬ、国王陛下」
玉座の間にて、怒りのあまり、王は王勺を取り落とす。
「父上、お静まりください。なにをそう急いておられるのです」
「后の、いや、ソフィアよ。お前の母の、そして余の体を蝕む病を取り除くための霊薬を手に入れるためであろう! 王城の地下、かの大迷宮の最下層にあるという生命の泉。そこから命の水を汲んでくるためだ!」
ソフィア姫。ソフィア=レギーレ=オリーヴィア=ガストルン。ガストルンの黒百合と親しまれている美姫は、その渾名の由来たる漆黒の髪を振り乱して父王に縋り付く。
「父上、いえ、国王陛下。そのようなものは、あの迷宮にはございません。父上は、かの大悪魔、魔王アスタリーゼの姦計に陥っておいでなのです。恐れながら陛下、お目をお覚まし下しませ!」
「ソフィアよ、余が娘よ。例えお前といえど今の暴言を余は許さぬ。しかし今ここで先の発言を撤回するのであれば許そう」
ソフィアは王が執着する理由がわからないでもない。父王と母后の病はこのガストルン王国のいかなる医者も、聖職者も癒すことが出来なかった。そして、誰とも知らぬ何者かが吹き込んだ、万病に効くとされる『生命の泉』に関する噂。
「ああ父上、御身は、どこまで目が曇っておいでなのですか! お願いです、お目をお覚まし下さいませ!」
「近衛! この者を、ソフィアを部屋へ連れてゆけ! しばらく顔も見とうない」
ソフィアはなすすべなく自室という名の牢獄に連れて行かれようとしている。
「姫、勅令です。姫殿下、恐れながら御身、失礼します」
姫は両手を近衛騎士に掴まれて。
「父上! 父上! 国王陛下!!」
ソフィアの祈りは、今日も届かない。
◇
華美を感じさせぬ慎み深い部屋。一国の姫、それも世継ぎの姫とは思えぬ程の質素さである。
そんなソフィアの牢獄へ、密かに大臣付きの侍女が訪れていた。
「このままでは伝説の魔王、アスタリーゼが復活してしまいます。魔王の復活に備えて人材を育成しなければなりません。宜しくお伝えください。父上、いえ、国王陛下の勅令を曲げて光竜騎士団へ伝えることは出来ますか、と」
「仰せのままに、姫様」
侍女は深々と頭を垂れる。
「勇者など御伽噺の存在に過ぎません。ですが、力ある者を育て上げることなら可能なはず。光竜騎士団をその任に当たらせてください。迷宮踏破、生命の泉探索は二の次とし、第一の任を勇者に匹敵する強者の育成へと変えるように、と。手段は問いません。災厄を除く可能性を秘めた者、より良い結果を導く者を選抜しなさい。より優れた者を鍛え上げるのです。この先どのような災厄がこのガストルンに降りかかろうと、その悪影響を最小に押さえ込むために」
「──御意」
しばしの間があった。
「月が出てますね。ですが、足元には気をつけて」
「ご厚情痛み入ります」
──侍女は、もういない。
「もう、春ですか」
「はい、姫様」
奥に控えていた、ソフィア付きの侍女が進み出る。
「鼠はいませんね?」
「はい。一匹も見当たりませんでした」
「よろしい。続けなさい」
「はい、姫様」
春も半ば。だが、ガストルンの黒百合にとって、春はまだ訪れていない。