死神の数字
昼下がり。
一度は強盗でもしようかと思ってやめた。
次に食い逃げでもしようかと思って飯屋の暖簾を潜ったら、前金だと言われた。
生きていけない。
食わないことには死んでしまう。
食わせてくれる場所を求めて、ロイは彷徨う。
答えは知っている。解決策をロイは知っているのだ。だが、それはあ最終手段。
ロイはまだまだ迷っていた。
下町の共同井戸で水を飲む。
ロイは滑車から伸びた綱に繋がる桶を手放す。
水は冷たく染み渡る。空腹の腹に水が溜まってゆく。
ロイが水を飲むと、ロイの心に少しだけ元気が、希望が湧いてくるのだった。
「よそ者が払う水代は銀貨一枚からだ」
突然背後からかけられたその声に、ロイはばっと振り向いた。そこには近所の住人であろうか、禿散らかした四十絡みの男が立っている。
「わしは井戸の管理人だ。ほれ、銀貨一枚もらおうか」
ロイの視線は宙を泳ぐ。
「持ってないのか、この貧乏人が。もう良い、どこへなりとも消えうせろ!」
その言葉に、昨日のカルナード卿の言葉が重なる。
──そして。
ロイの心に生まれたわずかばかりの勇気と希望は、たちまちのうちに打ち砕かれた。
やがて。
無意識にロイは、絶望と引き換えに生を繋ぐことができるであろう、その場所へと足を向けていたのである。
木製の巨大な門扉がそこにある。開けられては閉まり、閉められては開けられる、その門扉。出てくる男も女も、種族、年齢はまちまちで、共通しているモノとしては、ほぼ例外なく皆が武装している事だろうか。
「来てしまった……」
ロイが震える。
扉の中からは怒鳴り声や笑い声を彼は聞いた。
「来てしまった。本当に」
もう、ここ以外にないのだろうか。他に選択肢は残っていないのだろうか、とロイは自問自答を繰り返す。
剣の腕を頼りに生きるにはここしかない。偏った自分の知識を生かせるのもこの場所しかない。
そう、ここより他にロイの生きる場所はない。
そしてロイは扉を開く。
ここは光竜騎士団。その名も高き、ならず者や爪弾き者の集う最後の場所。
この王国の王城の地下にある迷宮探索を主な任務とする、生還率一割とも言われる合法処刑場。
宿無しの最終処分場。それがここ、光竜騎士団。
しかし、ここで魔物相手に腕を上げ、名を高めれば王宮騎士団に入ることも夢ではない。
俺はこの光竜騎士団に全てを掛ける。
ロイは覚悟を決め、門を潜った。
◇
「これが入団契約書です。注意事項をよく読んでから署名してください。ええと、ロイさんは隊長枠で、こちらの用紙に」
「え?」
隊長枠? どこで判断されているのだろう。騎士見習いとして訓練してきた、と述べただけなのに。
とはいえ、隊長に任命された。活躍できる良い機会かもしれない。でも今のロイの心には、そんな自信も余裕もない。
「次の方……ええと、ロイさん、邪魔ですのであちらの方で署名をお願いします」
「あ、ああ」
少々、棘のある女性の声に押され、ロイは引き下がる。ロイが羊皮紙に目を落とすと、女性から渡された羊皮紙にはとんでもないことが書かれているのに気づいた。
『入団後三週間程度、研修期間として訓練場で訓練してもらう』だの『研修期間の食事代、宿賃等必要経費は全て自費とする』『借金を返し終わり、なおかつ、少なくとも入団後三ヶ月は騎士団を抜けることはできない』『訓練終了後、迷宮探索任務に従事すること。また迷宮の探索頻度、大まかな方針は騎士団長が判断して各部隊に指令されるので指示に従うこと』といった、軍隊や傭兵と変わらないことが書いてある。しかし、一番恐ろしかったのは『迷宮探索任務を放棄する場合、規定の違約金を支払うこと。また、騎士団長の許可無く任務を放棄することを禁ずる。これを破った場合、賞金首として討伐隊が派遣される』の一文であろう。
借金と最後の一文が気になったが、ロイには他に選択肢が無い。交易共通語で署名して先ほどの女性の元に戻る。
「ロイさんですか……ええと、あなたには八十八番隊として働いてもらいます。先任はいませんので、あなた以外に最低三名を隊員として選抜して隊を編成してください。手段は問いません。残りの説明は訓練場で受けてくださるようお願します」
「え?」
ロイは思わず聞き返した。
八十八番隊って、そんなに死んでいるのだろうか。八十八番それは死の神の示した悪魔の数字。そのあたりの疑問と不安はどこかに押し込んで、考えないようにする。
「訓練場です。お願いします」女性の目が危険なものへと変わる。念を押す声が邪魔だと言っているようだ。
「……はい」
ロイは引き下がる。
訓練場に行ってみたものの、今日は既に日も傾き、日没も近いからと、受付に戻り借金をするように勧められた。
自分は大丈夫だ、ここでやっていくんだ、大丈夫だと何度も何度も自分に言い聞かせ、ロイは受付に戻って借金を申請する。
断られるかと思ったが、あっさりと借金の申請は通った。
こうしてロイは、黒パンに粥という最底辺の食事にありつくのであった。