女神の悪戯
次の日。道端で夜を明かしたロイは、腹を空かして街を彷徨う。
ロイの足は重かった。
「畜生、俺が何をしたって言うんだよ」
鈍らな剣一本と王国金貨二枚を選別に、カルナード邸を追い出されたロイ。
ロイは考える。
昨日感じていた、ルーナお嬢様への淡い恋慕はすでになく、今ではメラメラと燃える小さな怒りへと替わり、自分を袖にしたカルナード卿への恨みの言葉を何度も何度も口にする。
正式に騎士になれば「騎士」そして「近衛騎士」へと将来は安泰であるはずだったのだ。
それがお嬢様、いやルーナのせいで一瞬で崩れた。
押し込めた怒りは種火となって、いつまでも燃え続ける。
種火は瞬く間に燃え広がり、怒りの矛先は運命の女神への呪いへと変わる。
「これからどうしろと!? 俺に一体どうしろと!? 悪魔め! 運命の女神に呪いあれ!!」
暗い道端で叫んだ。幸い、誰も姿を現さない。酔っ払いの戯言だろうと思えたのかもしれない。
だが、これからどうするか、早めに考えておいたほうが良い。
虚無感ばかりが駆け抜けるロイは、混乱したままの頭に思考を巡らす。
ロイは騎士見習い。他家へ仕官し騎士見習いを続けるには年をとりすぎている。
だが、今のロイには剣の腕しかない。だとすると傭兵か。
幸い、この街には四つの傭兵団がある。自分が潜り込むにはそこしかないと彼は目星をつける。
◇
──ロイは傭兵団の門を叩いた。そこで待っていたのは実施による入団試験。そしてロイは、
ロイは木剣で敵の攻撃を弾くと、敵の喉を狙って右足を踏み込んだ。
「取った!」と思った瞬間、敵は地面を蹴り上げて砂を飛ばす。
「ぐっ」
ロイの目に入った砂はロイの太刀筋を狂わせる。
目を瞑った瞬間、ロイは脛に痛みが走り、剣を放して転がり回る。
「あはは!」
「やっぱりな。お坊ちゃん剣術が戦場で通用すると思うなよ?」
「小僧、諦めるんだな」
散々に言われ、ロイは痛みと悔しさに顔を顰めるのだった。
◇
──ロイは次の傭兵団の門を叩いた。そこで待っていたのは、またも実施による入団試験だった。果たしてロイは、
ロイの剣は確かに相手の胴を捕えたはずだ。
だが結果はそうならず。逆にロイは足首に痛みを覚える。
瞬間、土ぼこりを立ててロイは転ばされていた。
「おい坊主、そこまでか? ほら、俺はピンピンしてるぜ? 早く向かって来いよ」
相手の余裕の態度。ロイは単純にも激昂し、
「うぉおおおお!」
雄叫びとともにロイが剣を上段に持っていくと、同時に男は体を少し横にずらす。
ロイは剣を振り下ろす。するとまたも足首に違和感が。
「ほらよっと」
足を払われたロイはまたも地面に口付けした。
「あはは! まだ続けるか?」
「くっそ、うぉおおおお!」
ロイは剣を下段に構えて走る。地面を蹴る。相手が迫る。ロイの剣が相手の心臓を狙って弧を描き──。
顔面に蹴りを食らって地べたに伸びた。
ロイは鼻血を垂らしつつ、
「ば、バカな」
「動きが単調なんだよ。狙ってくれってお前さん言ってたぜ?」
「あはは」
「がはは」
ここでもロイは負け犬だった。
ロイは街を拠点としている傭兵団の全てに挑んでみたが、わかったことが一つ。
「自分の戦い方が実戦向きではない」ということだ。
ロイは思う。自分の騎士になるべく訓練してきた日常は何だったのだろうと。
そんなことを思いつつ、ロイはふらつく足で大通りの雑踏に消えた。
◇
ここは人の行きかう大通り。
ロイの視線は空腹と疲れで焦点が定まらない。足がもつれた。
衝突した拍子に倒れた少女は、意外そうにロイの顔を見る。
目が合った。その美しさにロイは一瞬で目が覚める。間違いないだろう。透き通った翠の瞳、高い鼻梁、整った容姿、細い体、そしてその、流れるような銀の髪。全てが森妖精の特徴を示している。
「怪我していないか?」
かすれた声でロイは言う。
「え、ええ。ありがとう。手を貸してくれて」
鈴を転がすような声。だが森妖精はどこかぎこちない。
「いや、俺とぶつかったんだろ? 君が悪いわけじゃない」
「面白い人」
森妖精の顔が綻んだ。
力なくロイは手を貸し──軽い──人間のように笑う森妖精の手を取って、なんとか立ち上がらせる。
「大丈夫か? どこか痛くないか?」
「ううん? 色々とありがとう。助かったわ」
森妖精は目を細めて笑う。ロイもつられて口元が緩んで表情を崩す。
「じゃあね、お兄さん」
にこやかに手を振る森妖精。ロイも釣られて、ふらふらと手を振り返す。
森妖精は足早に去る。ロイはその背中をどんよりと、いつまでも見つめていた。
◇
ロイは再び歩き出す。変に人間臭い森妖精だった。とはいえ、そんなことはどうでもいい。美人に出会えたのは得だが、これからの生活を思うと、そう言ってはいられない。
腹が減った。日も中天を過ぎている。いい加減、なにか食事にありつきたい。
そしてロイは立ち止まる。
腰の辺りを探す。無かった。
金貨を入れた皮袋が無い。どこにも無い!
やられた、と思う。あの美人の森妖精、いや。──泥棒猫!
「財布を掏られた……」
ロイは歩き出せない。
その場で立ち止まり、どこまでも透き通った空に浮かぶ、糸引く銀の雲の束は、そこそあの盗賊娘の髪のようだった。ロイはそんな青い空を見上げて唸る。
交易金貨で一枚の値打ちしかないとはいえ、最後の命綱であった王国金貨二枚すら失った。
「畜生! もうお前に祈りなど捧げないからな! それで良いよな運命の女神!!」