死闘
通路の先の檻の中、そこに確かな人影がある。
その黒髪、そして際立ったその容姿。
それは間違いなくガストルンの黒百合、その人だと思われた。
「来ないでください皆さん! 私を見捨てて! 魔王が復活しました、魔王を倒してください!」
「見つけた! お姉ちゃん!!」
「待てアリーナ! こんなときにお前が焦るな!」
飛び出していきそうになるアリーナをロイが慌てて引き留める。
通路の両側、等間隔に獅子。ナイフを投げれば矢が立て続けに打ち込まれた。
大がかりな罠である。
「ここには恐るべき黄金竜がいるのです!! これは魔王の罠なんです!! 来ては駄目、魔王はあなた方の戦力の消耗を狙っています!!
金髪のにトーガ姿の若者が現れ、ソフィア姫に当身を食らわす。ソフィア姫はビクンとはねて、それきりうなだれた。
「お姉ちゃん!」アリーナが叫ぶ。
「ソフィア姫!」ロイが続く。
「おいたが過ぎますな、姫。死すべき定めの者たちというものは、どうしてこうも無駄な抵抗をしたがるものか。余は……いや、虻蚊に名を名乗るのも、無意味か。では、魔王アスタリーゼ様の勅命である。死すべき定めの者たちよ、死を与える。謹んで受け取れ」
と、言うが早いか若者の姿が消え、
「これでおわりだ!」
「光よ! 終末を!」
エクスとオーロラが示したが先、底は入ってきた広間の入り口。そこに若者は現れた。光の奔流が津堂。爆裂。トーガの白い布が千切れて舞った。
爆煙の向こうに、巨大な黄金色の竜が現れる。
竜は吼えた。アリーナとオーロラが驚き震える。ガラムズが戦いの歌を歌う。アリーナとオーロラの心に響いた恐怖はいつの間にか去っていた。竜の鼻息、炎の吐息、それは砲弾のように打ち出される火炎弾であった。ロイは守りの盾を構えて身をその影に置き、やり過ごそうとするも、押し切られて火に呑まれる。その圧、炎の最上級の暴風である。アリーナは投擲紐に弾を込めると、慎重に好機を見定める。炎にまかれ、挫けそうになっていたロイの心を続くガラムズの歌が勇気付ける。そしてロイは、また盾を構えて一団の先頭に立つ。竜の咆哮、オーロラは頭を抱えて転がりもだえる。エクスは構わず呪文を唱えて、
「これでおわりだ!」
白い奔流が黄金竜の表面で曲げられ、壁を破壊した。揺れる迷宮、泡立つ床。ロイたちの背後で弓矢が宙に向かって放たれた。
竜は鉤爪でロイを引っ掛けるべく打ち払う。しかしロイは輝ける雑種剣で弾くとその腕へと突きいれる。そして切り下ろす。飛び散る血潮、血を吸う雑種剣はよりいっそう輝きを示す。竜は身じろぎ一つ、ロイに血を浴びせ続けながらも、その巨体でロイを振り払うと、竜は炎の息を放とうとして口を開けるや、狙い済ましたアリーナの投擲弾がそこに飛び込む、竜の息が漏れて、爆散。黄金竜の頭が弾けた。そして竜は力なく迷宮にその亡骸を横たえたのである。
オーロラを介抱するエクス、竜に異常はないか確認するロイ、各員の傷を治すガラムズ、傷の手当もおざなりに、「おねえちゃん」と檻に向かうアリーナ。「アリーナ!」
と、ロイがアリーナに続く。壊れた鉄格子からソフィア姫が出てきて、
「騎士ロイ!」
と黒髪を流してロイの腕に抱きついた。
「お姉ちゃん!」とアリーナがロイとソフィアの二人に抱きつき、
「イーリスです、あなたの妹のイーリスです!」と主張する。
全てを知っていたかのように、ソフィアは「イーリス、今まで迎えに行かなくて申し訳ないことをしました。本当にごめんなさい」と、頭を下げる。
と、アリーナが、
「あなた、誰!?」と一声叫ぶと、皆の背筋が逆立つや、ソフィア姫の姿は解け崩れ、黒い悪夢が現れた。
彼女、頭に二つの螺子くれた角を持ち、先端に鍵爪の付いた蝙蝠皮膜の翼を持つ、美貌の影。巨大な両刃の鎌を持ち、その美しい肢体を黒の衣服で覆っている。そしてその手に抱いているの者こそソフィア姫。そしてそんな彼女に連れられて、炎の鞭を持った燃え盛る炎と、蒼い悪魔が四体が現れたのである。
『わたくしは魔王、アスタリーゼ。魔神の王にしてこの世界の全ての闇を束ねる者。死すべき定め者たちの姫と、その一党よ、わたくしに跪いて許しを請いなさい。さすれば苦痛なき死を与えましょう」
「断る! 魔王に屈するものか!」
「あら、そう、残念ね、なら、今すぐ相手をしてあげても良いのだけれど……」
「お姉ちゃんを返して!」
「と、その前に。──氷の棺よ!」
魔王の唱えた呪文は、ソフィア姫を凍りの棺へ閉じ込めた。
「なにをする! 汚いマネを!」
「お姉ちゃん! お姉ちゃんを助けて!」
ロイは剣を魔王に向けた。
「魔王、許さないぞ!」
魔王以外の悪魔らが、一斉に呪いの旋律を紡ぎだす。
そして魔王は、
「速き風よ、光とともに吹き荒れよ!」
悪魔どもの呪文が完成し、極寒の地獄が再現されたと思うと、魔王の手により白き光の爆発が全員を包んで全てを融かす。
「護って!」
人型が融けて、ロイを、アリーナを、エクス《愛する人》をガラムズを覆い隠す。
オーロラは最期に、エクスに笑いかけていた。
『エクス、あなたはあなたのままで──』
閃光、そして爆発。何もかもが蒸発した、か、に見えた。
──爆煙の中から魔王の言葉が聞こえてくる。
「あなたたちの一人、散ったわよ?」
「うぉぉお! これでおわりだ!!」
エクスは血の涙を流しつつ、光の奔流を悪魔の群れへと叩きつける。多くの光は悪魔の眼前で消えたが、一体の蒼い悪魔の体を光が包み、爆発四散させた。
ロイは魔王に突撃する。悪魔の血を吸った雑種剣を振りかぶっては振り下ろす。白い軌跡は刃となって、魔王の髪の毛を僅かに切り落とす。魔王の眉異が、ほのかに歪む。魔王は言った。
「わたくしを──」
ロイは切り上げ胴を薙ぎ、
「舐めてもらっては困るわ」
返す刃の勢いで、ロイは袈裟懸けに切り下ろす。
魔王の衣服に傷一つ突いていない。全て紙一重で回避されたのだ。
ガラムズは戦の歌を歌い、アリーナは投擲紐で弾を撃つ。爪を振り上げ牙を覗かせ口を開いた蒼い悪魔の口を狙って叩き込む。青い悪魔の頭部が爆ぜて、悪魔は床に墜落する。
鞭を持つ悪魔がロイを打ち、ロイは強かに床へ転がる。魔王らは一斉に呪いの旋律を紡ぎだし、再び極寒の地獄が現れた。
「みな、滝の酒を飲むんじゃ! 力が湧いてくるぞい!」ガラムズは歌を中断し、そう叫ぶと酒を呑んでは再び歌を歌いだす。
ロイらが酒を口に含むと、暖かい力が体内から湧き出した。
魔王は鎌を手に、ロイと切り結ぶ。魔王の人薙ぎはロイの体を切り裂いて、ロイの一撃は魔王に当たりもしなかった。魔王とロイは踊る、死の舞踏を。魔王が鎌を振り下ろし、ロイが盾でこれを防げば、魔王は鎌の向きを変え、ロイの体を抉る。その鎌、両刃にて、変幻自在な奇怪な動き、ロイは少しずつ、だが着実にその生命力を減らして行った。エクスは叫ぶ、
「これでおわりだ!」
白い光の奔流が、蒼い悪魔を飲み込んだ。蒼い悪魔は白い光の中に消え、やがて爆風が全てを流し去る。アリーナの第二射、青い悪魔をまた狙い、邪な呪文を唱えて放つ、その瞬間、口が大きく開いた瞬間を狙って投擲弾を叩き込む。投擲弾は狙い過たず、青い悪魔の頭部を破壊し、これを葬り去る。
ふらつくロイに、鞭持つ悪魔の鞭が襲い来る。ロイは雑種剣を振りがぶっては振り下ろす。白い軌跡は鞭を切断し、ロイは白い輝きとなっ悪魔に駆け寄る。呪いの旋律を紡ぎ始める悪魔に対し、ロイは突きを一撃、喉をえぐって首を千切る。鞭持つ悪魔は血を吹いては剣がこれを吸い、ロイは返す刃で胴体を薙ぐ。ここに鞭持つ悪魔は倒れた。これにて残すは魔王、ただ一体。
ガラムズは力強く鼓舞するように、戦いの歌を歌い続ける。
ロイは叫ぶと涙も拭かずに滲む瞳で魔王を睨みつけ、床を蹴っては一気に魔王までの距離を詰め、雑種剣を上段に打ち込む。鎌で防がれ雑種剣を下段に返す、またも鎌で防いだ魔王は嗤い、ロイの腕を削っては血を浴びて、ロイは雑種剣を中段、魔王は防ぐも血で滑って胸を切り裂かれ、雑種剣が食い込む。魔王のは呪いの言葉を吐く。
「傷つけたな? 汝に呪いあれ。死を」
ロイに覆いを被った髑髏の男の骨の手が伸びる。
川岸に立つロイに伸ばされる、船の船頭たる髑髏の手。
ロイはその手を、
──叩き落す。
ロイは心を強く持つ。死神の手は振り払われた。
「なに? 汝に呪いを」
ロイの目の前に黒お上の美女が現れた。
彼女は薄絹を一枚、また一枚と脱いでゆく。
そして伸ばされた手をロイは、
──跳ねつけた。
またもだ。ロイは悪魔の誘惑を断ち切った。
そこに飛び込むエクスの呪文の詠唱、
「これでおわりだ!」
魔王の冷笑、魔王の目の前で弾けては消える輝き、しかしエクスは魔王の懐へ、驚く魔王、隙を突いたロイが、刺さったままの雑種剣を抜き、再度貫く。魔王は紅き血を吐き、大鎌、口から一筋の血を流す魔王の右手。
「させるか!」
「エクス! アスタリーゼ!」
アリーナは魔王とそれに組み付いた青年の名を叫ぶ。
エクスが魔王に組み付き、衝撃、大鎌は狙いをそらす。 ロイは魔王の胸に突き立てた雑種剣をさらに押し込む。壁際へと魔王が下がる。魔王の体を貫いた雑種剣は壁に突き刺さり、魔王は大量の血を吐血する。魔王は鎌をとり落とす。
魔王の視線が雑種剣に下りた。
◇
彼女、魔王アスタリーゼは夢の中で戦う。
世界中にばら撒いていた分体の一体から報告があがっている。不埒にも、脆弱な人間が彼女を打倒せんと牙を剥いたらしい。
アスタリーゼは欠伸を噛み殺し、上体を起こした。
両手を天井に向かって上げて伸びをする。
眠い。物凄く眠い。だが、余り寝てばかりいると面白い催しごとは直ぐに終わってしまうのだ。
仕方なくアスタリーゼは背中に畳んでいた、蝙蝠のそれに似た羽根を伸ばして数度羽ばたくと、完全に覚醒したのである。
豪奢な寝台に腰掛けたアスタリーゼはゆっくりと立ち上がり、部屋の外に出る。
時にAS300年。約200年ぶりの外気に触れながら、花々にも似た香りを振りまきつつ歩く。
時が止まっていたかのように、彼女の部下達は彼女への忠誠をそのままに、誰もが二百年ぶりの最敬礼を持って迎える。
天空城。花咲く楽園、一面の花咲く緑の野。
アスタリーゼは花を手折ろうとして止める。自然は自然のままに。
寝たいときに眠り、食べたいときに食う。
──汝が成したい事を成せ。
彼女の信じる、真の自由を司る神の教えだった。
しゃがみこみ、花に手を伸ばそうとして──胸にチクリとした痛み──分体に焦点を合わせる。人間。まだ少年だろうと思われた。だが、その手には魔剣。見ただけで分かる、何匹もの竜王の血を持って魔化されたバスタードソード。何体もの魔神の血を吸って魔化されたバスタードソードが分体の胸に刺さっている。分体の無敵結界の限界魔力量を超えて結界を突破したのであろう。見事だった。
少年の執念、目的の成就へと向けたその目の輝き。その、なんと美しいことか! そして少年の傍で投擲紐を手に舞い踊る少女のなんと健気なこと! 分体を通してアスタリーゼが少年と少女に言葉を掛けようとするも、分体は代わりに赤い血を吐いていた。アスタリーゼは苦笑する。ならば、と彼女は分体の手に握られた大鎌を少年の首筋目掛けて振るおうとするも、白い輝きが目の前で爆発し、視界を奪われる。そして再び胸の辺りがこそばゆい。何かと思えば、少年が分体に刺さった剣を更に押し込んだらしい。分体が多量の血を吐いている。覗き見も、ここまでだ。
終わった。終劇の幕は下りたのだ。
気が変わった。あの分体はヒューマンにくれてやろう。
きっと面白い劇が見られるはずだから。
◇
「この雑種剣は魔剣か? さぞや高名な魔剣なのだろうな」
「ただの鋼だ」
「ふふ、冗談はよせ。ただの雑種剣が、わたくしの身に傷一つ、負わせられるものか」
魔王の戯言につきあってなどいられない。
「今だ、やれエクス!」
「やらいでか!」
エクスは封印の水晶を魔王に向けかざす。
「貴様なにを!?」
「おとなしく封印されろ!」
水晶が輝き出し、魔王とエクスの二人ともが絶叫を上げる。
「これは……! 魔封じの水晶!!」
「ぐぉおお!」
エクスは魔王の圧倒的な魔力の前に、目、鼻、耳、口、毛穴という毛穴から血を吹き出しつつも、水晶を手放さない。
「おとなしく受け入れろ!」エクスの悲鳴にも似た強制力のある言葉。魔王の黒髪が風も無いのに闇に広がる。
「許さない……呪われよ!」
魔王は呪文を行使した。それでもロイは、エクスは怯まない。
「ただの脅しだ!」
「わかってるさ!」
ロイは雑種剣を捻り、壁に縫い止めた雑種剣を魔王から抜いた。
魔王アスタリーゼも、
「勝負あった、見事だ死すべき定めの種族の若者よ」
と大きく溜息を吐く。
と、見せかけて。
魔王は最後の呪文を唱えた。自分に切からんとするロイを見据えて、呪文を放ったのである。
「氷の棺よ!」と氷の棺に閉じ込めて、そこを死神の鎌で一閃する。
砕ける肉体、裂く赤い花。
「ガラムズ!!」そう、ガラムズがロイと魔王の間に滑り込んでは粉砕される。
ロイは怒りに任せ、大上段から細首目掛けて振り下ろす。
雑種剣は円弧の軌跡を描いて、魔王の首を軽々と刎ねた。
魔王の胴体から噴出す血潮はロイとエクスの体を覆いつくす。
魔王は封印の水晶の中に納まっていた。首も、胴体も。
ロイとアリーナは荒い息を吐き、エクスは水晶を握り締め倒れたまま動かなかった。
長き戦いは今、終わったのである。




