"竜殺し"フェリクス
街道を西へ進んだ先に雄大な城壁を見る。そして旅人たちを待ち構えるは巨大な白亜の城門である。
そして今、ロイたちの前に立つのは頑迷で狡猾な衛視であった。
「なに? ガストルン王国? 知らんな、どこの田舎だ。で、貴様が騎士だと? そんな保障がどこにある」
身分証を見せたとたん、これである。
「これはお心づけです」そっと交易金貨を入れた革袋を握らせた。
すると衛視は、
「ん、ゴホン、そうだな、お前たちは田舎者とは言え、正式な身分証をもっていると証明された。通って良し!」と、たちまちのうちに態度を変える。と、なればロイらの行動は早い。
胸を張る衛視の横を通り過ぎる。アルデウム王国、王都アルデウムへの入城である。
◇
城門近く、旅人の集う酒場へと上がり込んだロイたち。
早速の呑み始めたガラムズがいた。
「アルデウム王国の酒はどうなんだ、ガラムズ」
「ここの酒はなかなかじゃ。蒸留酒が特にいいのう」
「気に入ったものがてなによりだ。でよ、ロイ」
「はい、酒が滝となって落ちてくる場所ですね?」
「そうだ。俺は文献を当たる。とはいっても、王都じゃ探しても無理だろう。正直まだ行きたくないが、<塔>で調べたほうがいい」
「ってわけで、今日は詩人に聞け。ガラムズ、酒を呑んでもいいが、詩人から話を聞いておけよ? 俺たちは別の店で聞く。ロイ、アリーナ。と、言うわけで俺たちも別行動だ。それでいよな、隊長?」
「ええ、エクスさんがやる気になってくれて俺は嬉しいです」
「なんの、恋路の邪魔だから二人にしてやるんだよ、ほら、さっさと二人で何処へなりともしけ込みな!」
◇
ロイはリルデ河のほとりをアリーナと歩く。リルデ川はこのアルデウムを東西の二つに分けている。ロイらは川岸から王城を眺める。幾つもの尖塔からなる白く輝く美しい宮城である。ふと見れば、人だかりが出来ている場所がある。竪琴の調べと共に聞こえてくる楽士の唄を、遠巻きにし聞いているのだ。ロイたちの足も、自然とそちらを向いていた。
楽士は竪琴を掻き鳴らし、唄を吟じている。
「ここに唄いますのは"竜殺し"フェリクスの最期にて、悲運の勇者の物語。さぁ、老いも若きもお聞き召しませ、
『リルデの始まりに淵ありき。淵には青竜潜みたもう。
淵のほとりに村ありて、年に一度、娘を淵の竜に捧げたり。
竜殺しにて名を馳せし、篤きフェリクス、竜を討たんと誓いたる。
ほとりの村に黒髪の女あり。竜殺しに魔法の林檎、勧めたる。
優しきフェリクス受け取れば、魔法の林檎、今齧らん。
雄々しきフェリクス、かの青竜に挑みたり。
されど青竜、淵の中へと誘い込み、猛きフェリクス、青竜の渦へと呑まれれば、
林檎がフェリクスの喉へと詰まるとき、哀れフェリクス、淵の中へと沈みたる。
今は無き村、あるは林檎の大樹だけ。亡き英雄、あるは竜殺しの唄のみぞ』
拙き唄にて、お耳汚し」
"竜殺し"フェリクスの最期ととしてアルデウム王国の一部に伝わる唄である。
異説風説多い"竜殺し"フェリクスの伝説であり、この唄もその一つと思えた。
「ねぇロイ、今の唄、リルデの始まりって、このリルデ川の源流ってこと?」
「リルデ川の源流が淵になっていて、そこに竜が済んでいるという話だと思う」
「お酒の滝は?」
「どうだろう。楽士に聞いてみよう」ロイは拳に握った交易金貨を一枚指で弾くと、楽士に近づいてゆく。
◇
ロイは帽子に交易金貨を投げ入れる。銅貨や銀貨の中でひときわ目立つ金貨の輝きは、一瞬で楽士の心にさざなみを立てていた。
「今の唄、素晴らしかったです」
「どうも若様」
「ところで、唄に出てきたリルデの始まりってどう言う意味ですか?」
「あっしはただ、師匠から受け継いだとおりに唄っているだけで、唄の意味する内容まではわかりしやせん」
「それじゃ、あなたの師匠に聞けばわかるでしょうか?」
「あっしの師匠も、そのまた師匠に習っただけだと思いやすぜ」
唄が伝わるだけで、その意味いついては全く知らないらしい。
しかしながら、それらしい唄が聴けただけでも儲けものと思っておいたほうがいいのかも知れいと、残念ながらもロイは思った。
宮城を望むリルデ川のほとり。ロイとアリーナは木陰を仲睦まじく散策してた。
「ロイ、残念だったね」アリーナがロイを慰める。
「そうだね、でも仕方ないかも。あの唄に唄われていた"竜殺し"フェリクスってい人、相当昔の人なんだろ?」
英雄フェリクス、竜退治に生き、最期は竜に殺された人。
「100年は昔の人だって言ってったわね、あの人」アリーナは時を数える。
「うん。でも、それきりその竜に挑んだ人はいないのかな? 無謀な騎士様が名声欲しさに挑んでいそうなものだけど、そういった話はないかな?」英雄が挑んで負けた竜なら、その竜に挑んで打ち勝てば、それで得られる名声は途方もないものになるだろう。
「家の恥を、そう簡単に教えてくれるものかしら」アリーナが突く。
「そうだね、そうだよな、貴族って、気位が高い人たちだからな」
ロイの脳裏にロイの元主人、カルナード卿の姿が過ぎった。
「ま、いいじゃない。あの唄が聴けただけで」アリーナがまたもロイを慰める。
「それもそうだね、アリーナ。ところで、お腹が空かないかい?」
「実はあたい、お腹ペコペコなの」
「よし、食事にしよう。肉と魚、どちらがいい?」
「両方かな」
「この贅沢者め」と、ロイはアリーナにこぼした。
◇
「すごく美味しそう!」アリーナの顔が綻んだ。
小麦練りに河海老を添えて、卵と牛乳の雑炊、茸と玉葱の豚肉の炒め、鱒と香草の汁。ちょっと豪華な食卓がそこにはあった。リルデ川から海老に鱒、そして街の近郊から卵に豚肉。アルデウム王国の豊かさを示した食卓ともいえる。アリーナ、そしてロイの目が輝く。アリーナが肉の皿に飛びつくや、ガツガツと食べ始める。いや、掻き込み始める。食事の作法など、アリーナには無縁のものだった。この盗賊娘の下品さは、今や森の蛮族と呼んでも差し支えないといえよう。ロイは追う。こちらは宮廷の作法に則った、一分の隙も無い食事の運び方だった。対照的な二人は、当然アリーナが先に食べ終わり、口の端にご飯粒をくっつけた森妖精は「これ、もう食べないの?」などとロイの皿を指差しては世迷いごとを言っていた。
食事も終わり、
「アリーナ、また食べたいね!」
「そうだね! とても美味しかった!」
「アリーナ、ちょっと待って」
ロイがアリーナの顔へ手を寄せて、ご飯粒を取る。
さすがのアリーナも恥ずかしく、頬を赤く染めるも「待って、ロイ」と先に行こうとしたロイを引き止めて、ロイの頬に顔を寄せ、耳に息を吹きかけて「あんたもついてるよ、少し動かないでね」と囁けば、ロイの頬を舐めては口付けをした。硬直するロイに、「ロイ、早くおいでよ」と、悪戯っぽい笑顔を乗せて、跳ねながら先を行くアリーナだった。
◇
ロイとアリーナが酒場へ戻ると、ガラムズはまだ呑んでおり、同じく今到着したばかりらしいエクスと絡んでいた。
「蒸留酒の味はやみつきになるのう」ガラムズは杯を傾けながら、
「ガラムズ、まさかお前さん、ここでずっと呑んでいたんじゃないだろうな?」エクスに痛いところを突かれていた。
「すまん、じつはその通りじゃ。かといって、ただサボっておったわけではないぞ? そこいらの酒飲みの爺様からそれらしい話を聞いたんじゃ」
「どんなお話ですか?」と、ロイ。
「ええとのう、貧しい若者が、老いた父と一緒に暮らしていおっててな、その若者は、毎日山で薪を拾っては町で売り、稼ぎがあれば父の唯一の楽しみのお酒を買って帰っていたそうなんじゃ。ある日のこと、若者がいつものように薪をとりに山の奥深く入った時、苔の生えた岩に足を滑らせて沢へ落ちたらしんじゃが、打ち所がよかったのか、けがはなく、ふと起き上がると、どこからか酒の匂いがしたそうなんじゃ。匂いをたどっていくと、淵があて、その水は酒の匂いがし、不思議に思って水をなめてみると、間違いなく酒だったらしい。そこで、酒好きの父のためにその酒を酌んで帰ると、美味美味と大変喜んだそうなんじゃ。なんとも羨ましい話よのう」
「その話、どこで聞かれたんですガラムズさん」
「酔っ払いの爺様じゃ。この地方に伝わる昔話だそうじゃぞ?」
「待てガラムズ。いま、お前の話を聞いて、俺は少し思い出したことがある。リルデ川の源流に、酒精を含んだ水が流れていると、昔、本に書いてあるのを見た記憶がある。あまりにどうでもよく、しかもばかばかしい話なんで、今まで忘れていたんだ。すまん」
「エクス。その話って本当?」エクスの侘びを、アリーナが確かめる。
「ああ、間違いない」
「じゃあ、俺たちが向かうべきはリルデ川の源流──!」ロイが言うと、皆の視線がロイに集まった。
「北へ向かうのか」
「そうです、エクスさん。川に沿って北になります」
「北には……<塔>があるな」エクスはそう言うと、険しい目をした。
「エクスさんの故郷ですね」
「まぁな」
ロイは、途端に口数の少なくなったエクスを察し、話題を切り替えることにする。
「ともかく次は北ですね? 俺は北の街、ヘンデウムへ向かう馬車を探してきます」