もう一つの選択
騎士団本部に、任務未達成の報告を上げて来た、その帰り道のことだ。
本部前に、アリーナが立っていた。
「ロイ!」アリーナはロイの顔を見つけると、沈んだ顔を笑顔に張り替える。
「アリーナ?」ロイにとって、それは意外だった。
「強かったね。今日の悪魔」アリーナはロイの手を取る。そしてロイの左手を胸に取り、
「ああ。強かった」ロイは驚きとともに答える。
「これからもあんな化け物相手にしていくのかな?」ロイの返事に、アリーナの顔がこわばる。
「そうなると思う」アリーナはすでに泣き出しそうだった。
「とても無理だよ、あんなの相手にしていたら、いつか死んじゃう。今日勝てたのもたまたま。逃げられたのもたまたま。そうでしょ? ロイ」アリーナはロイに同意を求める。
ロイは、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
なぜならロイは名声のため、再出撃を考えていたからである。
だが、ここへきて、このアリーナの物言い。ロイは真正面からアリーナの話を受け止めた。
背中の剣の重みを感じつつ、ロイは考えを変える。
「そうだね、運に助けられた部分は大きかったと思う。もう一度戦うとなると、少し考えないといけないかも。しかも、相手は少なくともまだ二体」残ってる、とロイがアリーナの言葉を否定せずに言いかけて、
「ねえ、ロイ。隊を解散しよう? 騎士団除隊しようよ。引き時だよ。これ以上続けたら、他の隊みたいに犠牲が出ちゃう」アリーナの翠の瞳が揺れて、その目尻に涙が浮かんだ。
「そ、それは……そうだけど」ロイは言いよどむ。
「でしょう? 最低限の装備だけ残して、持ち物や財宝をある程度売り払えば皆の分の違約金を全て払えると思うんだ。ねぇロイ、決断して。八十八番隊の隊長最後の決断を」アリーナは涙を拭いて強く迫る。
ロイは迷う。
迷うが、全てはアリーナの言う通りなのだ。
悪魔が異界から呼ばれようとしたときに、アリーナが救ってくれたのもたまたま。包囲網のときに、悪魔の絶対魔法無効障壁を破って魔法の呪文の効果があったのもたまたま。ならば、なにを迷うことがあるだろう。犠牲者が出る前に決断を。今、ロイが決断を下さなければ必ず後悔するだろう。そう、アリーナは言ってくれている。だからロイは、
「解散しよう」
と、言うことができた。
「ありがとう、アリーナ。背中を押してくれて」
だから、こうしてお礼を言うこともできる。
「ロイ……」
お互いの視線が絡み合う。
「ロイ、ありがとう。あたいの我が侭を聞いてくれて」
「いや、これで踏ん切りが付いた。アリーナには感謝してる」
「本当?」アリーナの翠の瞳がまた揺れた。
「もちろん」と、答えるロイにも今後のことなど何も見えてはいなかった。ロイはアリーナの肩を抱いて引き寄せる。アリーナの肩が震えるも、アリーナはロイに体重を預けてきた。
二人の唇が重なる。恋人たちは、街の雑踏に融けた。
◇
闇に融けていた影があらわになる。あらわれでた女、侍女は奏上した。
「姫様。悪魔の全数駆除には至らなかったとはいえ悪魔四体の内、二体を討ち取った由にございます」
「そうですか。それは重畳。私たちは掛け替えのない雛鳥を見つけたのかもしれません。彼らを鍛え、人類の剣に仕立て、育て上げるのです」
ガストルンの黒百合ソフィアの声に、いつもならぬ張りが見え隠れする。
「御意のままに」
「そのために、私は次の手を打ちましょう。なんとしても、間に合わせねば」
語気も鋭く、ソフィアは吐露した。
◇
蒼い悪魔と戦った、あの激闘の次の日のこと。
光騎士団八十八番隊。四人、同じ卓についていた。
「ロイ、話と言うのは? 今日もあの地獄へ行くんだろ?」エクスは諦めにも似た晴れやかな顔で。
「覚悟はすでに出来ておるわい」ガラムズは闘志を漲らせて。
「それが違うんです、二人とも」ロイは言う。
「うん……」アリーナは静かにうなづいた。
「アリーナにはすでに聞いてもらった話なんですが、今日付けで八十八番隊を解散しようと思うんです」とのロイの一言に、
「そうなのか!?」エクスが目を剥き、
「ロイは勇者とばかり思っておったが、違うようじゃな!」ガラムズが怒る。
「不完全燃焼だぜ」エクスが愚痴り、
「腰抜けに成り下がりおったか、ロイ!?」ガラムズが詰る。
「お願いですから落ち着いて聞いてください、お願しますエクスさん、ガラムズさん」ロイは慌てる。
「話せよ。話とやらを」エクスは応じ、
「そうじゃ。説明してもらおうかのう」ガラムズも急かす。」
「昨日の勝利は偶然が重なった結果、たまたま勝利を収め、そして戦闘状態から抜け出すことが出来たに過ぎません」ロイは端的に言った。
「なんだと……って、それもそうだな。失敗していれば今ここに俺はいなかったかもしれないな」エクスが直ぐに理解を示したのに
「なんじゃと!? エクスよ、どう言うことじゃ!?」ガラムズは掌を返したエクスに牙を剥く。
「昨日の俺の魔法は、分が悪すぎる賭けだったということ。失敗して当然、成功する確立は皆無。だがしかし、昨日は偶々、運命の女神の機嫌が良くて、俺たちに微笑んでくれたということさ」エクスが諭し、
「なんじゃと!? と、言うことはわしが今、ここにおると言うことは──」ガラムズが思い当たり、
「奇跡、だろうな」エクスが継いで、
「奇跡じゃと!?」ガラムズが呻き、
「つまり、ロイが言いたいのはこのまま戦っても十中八九、あの蒼い悪魔に負ける、ってことを言いたいのさ」エクスが結ぶ。
「むぅ」エクスの言葉に、ガラムズは黙ってしまった。
「そうだ! 隊を解散せずとも良い方法を思いつきました!」ロイは一つの可能性に思い当たる。
「なんとな!?」ガラムズが目を剥く。
「そうか、解散しなくても違約金さえ払えばあたいたちは自由の身、このまま八十八番隊を組んだまま好きに冒険できるってことね!?」アリーナが可能性に触れて、
「その通り! 冴えてるな、アリーナ。でも、俺がもっと早くこの可能性に気づいていれば、こんな回りくどいことをしなくても良かったのに」
「ロイ、なんと……しかし、アリーナよ、お前さんは森妖精の癖に頭がちと弱いのう」ガラムズが茶化し、
「なっ!? ううう、でも良いもん、どうせあたいは下町育ちの紛い物ですよ!」アリーナがむくれる。
「どうする? ロイはこのまま、みんなで冒険を続けるつもりなんでしょ? 騎士団員として、というよりも、そうね、探索者……いや、いわば冒険者として?」アリーナは話をロイに振って、
「それでは、俺の代わりにアリーナが言ってくれたように、隊を保ったまま違約金を払って迷宮探査を打ち切ると言うことで──」と、言いかけた。
だがしかし。
「待てよ。俺はそれじゃ困るんだ。俺には欲しいもの、欠けてるものが二つある。<塔>の連中に復讐するための力、そして金がまだ足りない。そいつを手に入れるためには、この迷宮ってのはうってつけのものなんだ」エクスがごねる。
「待って下さい。何も迷宮にこだわらなくとも、域外探索任務を受ければ報酬だって出ますし、強敵にも出会えます」ロイが諭し、
「域外探索任務だ?」エクスが聞いて、
「未知の土地、未知の脅威は山ほどあります。それを見つける過程でも、戦わなくてはならない場面は山ほどあるでしょうし、報酬も破格です。報酬はガストルン王国、国家が用意するそうです。もらいっぱぐれはありません」ロイが畳み掛け、
「わかったよ。お前らと同じ実力を持った人間がホイホイほかにいるとも思えねぇ。俺がいくら強くても、単騎で迷宮探索するほどバカじゃなしな。新米を鍛え上げるにしても、相当な回り道だ。わかった、決めたぜ。じゃあ、そういうことで。これからもよろしくな、ロイ隊長」
「エクスさん! みなさん、ありがとうございます!」
ロイ。背中の剣の重みは、もう感じない。




