勝利の宴
口の端。気づけば涎が垂れていた。
ロイは生唾を飲み込みつつ、瞬き一つ。
凝視するしかない。目の前の光景が素晴らしいのだ。
食卓に並べられた美味を約束された料理の数々。
放たれるは、いつもと違う芳しい匂い。立ち上るのは出来立ての湯気だ。
「カレン、ありがとう」
「いいえ。それはそうと、冷めないうちにどうぞ」
料理を運ぶ給仕の一人、看板娘のカレンに声をかける。
豊かな黄金の髪をツインテールに垂らし、輝く笑顔は向日葵そのもの。
客の注文に素早く答え、適切に鉱妖精の店主に注文の報告をする。新たな客に、麦酒と黒パンを配り、次々と尻や胸を触ろうとする酔客の手を紙一重で交わして歩く。
「お触りは禁止ですよ、紳士淑女の皆さん。め! ですからね!」
カレンの甘ったるいプリプリした怒声。彼女は悲鳴の変わりに釘を刺す言葉で応じ、
「ここは健全な酒場なんです!」と、方目を瞑って笑顔を振りまく。
「冗談きついぜカレンちゃん。ここはこの街、ガストルン王国で一番の吹き溜まりじゃねぇか!」
「言えてるぜ。俺たちゃ迷宮の財宝と、カレンちゃんの笑顔を楽しみにしてこの酒場に通ってるんだぜ?」
冗談めいたその声に、皆が豪快に笑っていた。
そんな酒場の喧騒から少し浮いた人間がいる。ロイの事だ。硬い革鎧に身を包み、片手半剣を背に背負っている戦士の事である。そんなロイは運ばれてきた料理の数々に目を奪われていた。
ロイは革製の小手を外しつつも、感じた視線は料理を捕えて秒として揺れない。
しかし人間たるもの三大欲求のを満たすであろう、その一つを前にして、指が、腕が、手が震え出さずにはいられない。
それに今、ロイに突き刺さる視線がある。
ロイ、いや卓を囲む三人──ロイを入れて四人だ──の周囲の卓に座る連中から集まるやっかみと羨望の視線が堪らない。
ロイは涎を拭いた。彼は感動を隠しきれていのだ。
今日は彼らにとって特別な日。そんな日に用意した料理に感動しているに違いない。
では、給仕娘が運んできた料理とは――。
まずは食欲をそそる香辛料の香りと、これに絡まる炭火でじっくりと焼き上げた、獣脂の香りの二重奏。食ってくれと言わんばかりに、堪らない香りを発している豚肉の香草焼き。
次に色鮮やかな三種の野菜を詰め込んだ、芋とチーズの入りの煮込料理。よく見ると、これにも鳥の肉が浮いているようだ。そして見るからに柔らかそうな、白パンが山積みになっている。
長かった。ロイは涙する。その理由は簡単だ。
重湯や簡単な煮込料理に、ガチガチに硬くなった粉っぽい黒パンを浸して食べていた、あの頃からは想像もできない贅沢な食事であったからでる。
「ロイ。そんなところに突っ立って、なにしてるの? あんた食べないの?」
ロイは声の主、今まさに骨付き肉に齧り付いている人物へと興味を移す。年の頃は十五六、銀髪碧眼、耳先の尖った容姿端麗な男性とも女性ともとれる人物だ。
この麗人は身に着けた革鎧の胸の辺りに僅かな起伏がある。それに喉仏が見当たらない。この二つのことから声の主が女性であると思われた。だがしかし、女性のわりに華奢で痩せている──悪い言い方をすると肉付きが足りない──ともいえる。
その容姿と体型のどちらもが森妖精の特徴といえた。
腰に吊るした短剣に投擲紐、そして体の線にぴったりの革鎧。
ただ噂に聞く森妖精と違い、やる事なす事その全てが人間臭い。
そんな盗賊娘のアリーナは、肉を咥えた口元もそのままに、ロイへ器用に話しかけてくる。
油と唾が飛び散り、食事の作法も何もあったものではなかった。
「こいつは美味そうだなって、アリーナ、こいつは俺のだ!」
「あ、あたいの肉!」
視線と注意をロイに向け、左手には肉、つまり油まみれの右手で人様の皿の上のご馳走をさらいに行く極悪人。魔の手が肉へと向かう先、
ロイはアリーナの手を叩く。アリーナが恨みがましい目を向ける。
「もう、ロイのケチ。それじゃ、こちらを頂きまーす。これ、あたいの肉だからね?」
アリーナはロイの肉を諦めてくれたらしい。その次なる災いの手が向かう先。それは、
「嘘をつけ、オレのだろうが!」
と、食卓に着く黒髪黒目の黒衣の男、魔導士エクスが吼え、エクスはアリーナから肉を奪い取る。
「ちょ!?」
「うるせぇよ、俺の肉だ!」
エクスが力任せにアリーナを肉から引き剥がしたせいなのか、アリーナはエクスにブツブツと呪いの言葉を吐いている。そんな二人のやり取りを、もちろんロイは見なかったことにした。
「ほう、メシも美味いがこの麦酒もまた最高じゃわい!」
早くも呑んでいる戦の神の代行者、神官戦士ガラムズ。彼は青髪青髭の鉱妖精だ。髭を擦りながらの一声が食卓を賑わす。
「ロイってば。早く食べないとあんたの分も、あたいが食べちゃうよ?」
アリーナは再びロイの肉に手を伸ばす。
「だから待てよアリーナ、その肉は俺が食う!」
ロイは盗みに関して彼女の腕に適うものなど、この街に十人もいないことを知っている。
「ケチね。きちんと一口だけ残しておいてあげるからさ?」
本気とも冗談とも取れるアリーナの言葉。ゆっくりと伸ばされた彼女の手を払う。
「久しぶりの肉なのに」
「ああ、そうだな」
ロイが良い香りのする骨付き肉を歯で千切る。すると口の中に芳醇で濃厚な味が染み出した。
彼はこの感動をどう伝えて良いのか迷いつつ、視線を順に盗賊娘から魔導士と神官戦士へ流す。
エクスはアリーナから取り戻した肉にかぶり付き、今も噛み千切ろうと必死のようだ。一方で鉱妖精は、
「この肉汁がたまらんわい。噛めば汁が溢れて来る。脂身の柔らかさといい、赤身の焦げ具合といい、もうなんというか……噛み切るときのこの柔らかさ!」
と、涙を流してガラムズはロイの疑問に答えてくれた。当然ガラムズは右手に持つ麦酒の器を放さないままである。
ガラムズの動きに合わせて鎖帷子がじゃらりと奏でる。そして多くの金属片が金属を打ち鳴らす音楽と共に、腰の鎚矛が大きく揺れて咆哮一発、
「酒も料理も最高じゃ!」
「チッ、やっぱりドワーフは歯すら頑丈なんだな。<塔>名物の図書館本の知識はあてにならねぇって事か!」
「そうじゃの、どれもこれも日ごろの行いの賜物じゃて」
「ガラムズ、日ごろの行いを言うのなら、毎回毎回トラブルを持ち帰ってくるあのエルフの小娘をどうにかしてくれよ。ロイ、お前も頼むよ」
「そんな事を言われても……彼女、俺のいうことなんて、なにも聞きませんし」
「ええい、畜生め! 運命神の呪いあれ! 俺は今、間違いなく運命神の慰み者になっている自信があるぜ!」