森妖精
「待て!」
そこに、息を切らせた男が一人、飛び込んだ。
何事かと民衆のざわめきが消える。
「その処刑、ちょっと待ってくれ!」
一人の男の声が刑場に響く。
「待った! いた、待ってくれ!! 俺は光竜騎士団の者だ!」
「ん? 何だお前は? 光竜騎士団?」
役人がおろおろする刑吏に、処刑の中断を命じる。集った民衆から、不満と戸惑いの声が上がる。
やがて、戸惑う群衆の中から金髪碧眼の少年が現れた。
「その娘、凄腕のスリと聞いた! 死んだも同然の彼女なら、命をすり減らすと判っている騎士団に貰ってもいいだろ?」
アリーナはいつまで待っても来ない、黄泉路への槍の穂先と闖入者の言葉に混乱し、うっすらと目を開ける。
「凄腕のスリを捕まえたと聞いて急いでやってきたんだ」
「そうです騎士様。この娘は常習犯で更生の余地なし、よって腕の切断刑ではなく、こうして磔の刑にしているところです」
役人が騎士を自称する少年に説明する。
「俺にくれ。いや、騎士団にくれ。殺すには惜しい人材だ。俺は迷宮探索に向かう仲間を探していてな?」
「と、言うことはこの泥棒を迷宮探索の駒に?」
役人も呆れ顔だった。
「そうだ。だからその娘を俺にくれ。
「光竜騎士団か。面白い。そうぞ連れて行って下さい」
いくら悪人とは言え、年端もない娘を殺すことに多少の罪悪感を感じていたのだろう。役人は二つ返事で応じた。
「おお、本当か!?」
「ええ、構いません騎士様」役人は口の端を吊り上げつつも、
「おい小娘、せいぜい王国のために役立って来い! ガハハ!! これは面白い。地獄行きが生き地獄行きに変わるだけだがな!」
磔台が乱暴に倒される。刑吏が脚の縄を解き、手の甲から白木の杭を抜く。
アリーナが顔を顰める。
そして大きく穴が開き、裂けた手の甲の傷を刑吏が死の神ルデスへの祈りを捧げつつ治癒呪文で治していく。
役人が乱暴にアリーナを、騎士団から来たという少年に突き出した。
「迷宮で磨り潰すなり、盾にするなり好き勝手に使っても構いませんから。どうぞ、連れて行ってください」
アリーナが血で汚れた顔を上げ、少年の顔を見る。
「あんた……」
「お前はあのときの!」
お互いの顔を見る。それは少年も同じ反応を示すのだった。
確かどこかで見た顔。
それは大通りでの不幸な出会いのことだ。
「よく見てみれば、この前のお人良し……!」
「そうか、お前があのときの! なら腕前は確かだな」
アリーナの顔はますます白く、そして少年の顔はますます赤くなるのだった。
「それはそうと騎士団があたいを欲しがっている? あたい、助かるの?」
「光竜騎士団。迷宮探索の決死隊だけどな。俺はなるべく生き延びたい。だから腕の良い人物を仲間に加えたいと思っている。──君はその点、腕が立つ。どうだ、俺の話に乗るか?」
少年はアリーナを勧誘する。
アリーナが断れば、再度死刑が執行されるだけなのだが。
当然アリーナも、承知の上でロイは聞いている。ならば、アリーナの答えは決まっていた。
「もちろん。だって死刑と生き延びる可能性の二択なんでしょ?」
「そうだ」
さもありなん、である。
「では、宜しく。俺の名前はロイだ。君の名前は確か……ア」
「あたしの名前はアリーナ=ボルト。アリーナで良いわ。ロイ」
「そうだった、そう、"透明な"アリーナ!」
「んじゃ、宜しく、ロイ」
◇ ◇ ◇
ここ、光竜騎士団本部に併設された酒場兼宿屋、"天国の花園"亭にはロイやアリーナと同じ境遇、すなわち光竜騎士団のひも付きとなった者が集い、一般市民は寄り付かない。この"天国の花園"亭には彼らを寄せ付けない、光竜騎士団の重い雲のような独特の陰が見え隠れするのか、それを敬遠されているからであろう。
今、ロイとアリーナは一つの小さな卓を占領し、黒パンと煮込料理という簡単な食事にありついてるところだった。
「八十八番隊ですって? 一体どんだけ死んでるのよ全く。それに八十八番って、死の神の示した悪魔の数字じゃない。これじゃ、あたい達は討伐隊じゃなくて生贄じゃないの」
「そうかもしれない。でも、もう俺たちは引き返せない」
毒づくアリーナに、ロイは噛み締めるように言い聞かせる。
「そうね。せっかくあんたが拾ってくれた命だもの。少しでも長く生き残るために、腕の立つ仲間を選んでくれる?」
「そういわずに手伝ってくれよアリーナ。腕の立つ魔法使いと司祭を見つけたいのだけど、思うような人物にはなかなか巡り会えなくて」
仲間集めは急務だった。早く集めないと、団長からいい加減なな人物を紹介されかねない。
「あたいらが弱いと、相手も八十八番隊に入ってくれないんじゃない? ね、お間抜けさん」
「助けてやった恩人に対してなんだよ!」
ロイの焦りを見抜いたのか、アリーナの言葉がロイを弄ぶ。
「それはそれ、これはこれよ」
「アリーナ、お前さ、性格悪いと言われないか?」
ロイはあくまで正直だった。ただ、アリーナの忠告どおり訓練場には顔を出そう誓う。
「うーんと……、知らないわ。お間抜けな隊長さん」
やはりアリーナは柄が悪いようである。
◇
「あら、早速仲違いですか? 新人隊長さん?」
「君は確か……」
豊かな黄金の髪をツインテールに垂らし、輝く笑顔は向日葵そのもの。
「カレンです。時々、この店の給仕をしています。ご贔屓にしてくれると嬉しいです。あ、もちろん、この店をですよ?」
この店の給仕娘だった。
「そうですか、カレンさん。俺はロイと言いいます。新人隊長さんではなく、俺の事は名前で覚えてくれると嬉しいです」
「はい、ロイさんですね。ロイさんロイさん、っと。努力しますね?」
カレンは甘ったるい声で何度もロイの名前を繰り返す。
「あ、ロイさん。私こことはカレン、と呼び捨てにしてもらって構いませんよ? それに、そんな硬くるしい言葉遣いでなくて、もっと気軽にお声がけ下さって結構ですから」
「おーい、カレンちゃん。麦酒を三つ追加だ! 頼むぜ!?」
「はーい、承りました。三番卓、麦酒三つ追加です!」
奥の席からカレンを呼ぶ声がする。カレンは応じ、すぐさまカウンターの奥へと注文内容を伝える。
「人気者なのですね」
「それだけが取柄ですので。って、またその言葉遣い! ロイさん? もっと砕けて砕けて。肩の力、抜いてくださいね?」
「それでは、また」と、看板娘カレンはロイに微笑むと、他の卓へと流れていく。