目にもの見せてくれる
第十八章
時は遡り、カジノ・シティSは西暦20XX年5月に完成した。有作は遂に老朽化した街毎大胆にカジノ・エンターテイメント・シティに造りかえたのだ。有作は五月恒例の『パーティー』に合わせて、セレモニーを開催し、国内外の著名人や映画・ロック・スターを招待してレッド・カーペットを歩いて貰い、撮影やサインに応じてもらって一般客を熱狂させた。
更にその夜は、客寄せの為にボクシングのヘヴィー級タイトルマッチ興業を行って、世界同時中継で多くの人々の関心を集めた。JRS駅を出れば、広い敷地に豪華なホテルがズラリと並び、そこに広く整備された道路が続いて、その光景は圧巻だ。ここを訪れた人々は、この新しい街に驚くが徐々に慣れていく。高速道路や新幹線があり、宇部には空港もあって、有作はSまで信号機が一切無い速度無制限の直通無料道路を造って話題を呼んだ。大小の港も多くあるので、交通アクセスが大変良く、大勢の観光客やカジノ・ショー・風俗目当ての人々が集まり、信じられない程の金を落としてくれて大成功を収めた。
国内外からやってきたマフィア達も、それぞれのビジネスが忙しくてお互いトラブルになる暇も無い程儲かった。勿論ルール通り、客が熱くなり過ぎてスッテンテンになるのをさり気なく監視しながら危ない客を帰らせると、それが又好感を呼んで逆にリピーターが増えた。それがわかると、彼等は尚一層ルールを守り、真面目に働いて人の欲望を程々に満足させていった。お祭りの『パーティー』が終わり、夏になってもカジノ・シティSの人気は衰えず、個人や団体ツアー客を相手に、最高のサービスを提供し続けた。
S市はカジノ・セックス・エンターテインメントの他に、国際色と日本の伝統・文化を楽しむ事も出来るとあって、元々の賛成派は歓喜し、反対派もコロリと賛成に転じて、Sは国際都市としての実績を着々と積み上げ、有作は笑いが止まらなかった。政治家として、自分の理念を実現させる為に働いてそれが現実となり、予想以上の結果が出ればこの上なく嬉しいものだ。有作は自分に反対する者程熱心に説得して同志を増やし、相手が役人だろうがヤクザ者だろうが関係無く、生きる道と仕事を与えて正しく評価した。そうすれば誰だって人として輝くというものだ。
その成果は、有作自身の支持率に繁栄したおかげで二期目の県知事選挙は楽勝した。それから遂にQ州全土がY県と合併が決まり、Q州地方となった。この快挙も、有作にとって苦労しただけに格別に嬉しかった。粘り強く説得・演説を繰り返して、徐々に味方を増やして、遂にY県政をQ州全土に広げたのだ。今度は有作が何をやってくれっとや? と人気・支持率は高止まりで、有作は更に自信を深めた。
メガ単位で増えた県民と地域、億単位で増えた予算だが、Q州に存在していた問題は山積の状態だった。これも、劣化した民主主義で地元の名士が名誉職として知事や市長となって何もせず、役人のやりたい放題を許した結果に他ならないのだ。しかし有作は、市長時代からこういう問題ばかりに直面してきた。そしてその中から常に解決パターンを編出してきた。旧態依然とした政治をやるから、県民の心が離れ、産業は衰え、財政赤字が膨らんで中央政府に縋るだけになるのだ。法治国家では、国民は法の下で、皆平等に権利が保障される。これは当たり前だ。しかし、国民から税を搾り取って更に大借金を積み上げてまでして、この当たり前を執行すべきなのだろうか?有作は政治家としてNOと言ったのだ。
『先ず、借金はもう止めよう。借金は返すものだ。自腹でも構わんし、寄付だって募ろう。そして金輪際税金の無駄遣いは止めよう。人の子として生まれ育ち、知事の椅子に座った自分は、限りある予算の中で、県民の暮らしと法の、どちらに重きをおくべきなのだろうか。無論県民の暮らしである。役人の身分保障ではない』この発想で、人の暮らしが、初めて法を上回ったのである。
『真っ当に働いて税を納めてくれる県民を守る為の政策が法に触れるなら、条例で通そう。限られた予算の中で、地域社会の秩序を守る為には、どうすれば良いか?
悪い奴程税金を使ってはいないか。警察捜査と裁判、刑務所と医療に至るまで、全て税金で賄っているではないか。ホームレスや生活困窮者を差し置いて、悪党の衣食住と人権を長年保証して罪を償ってもらうとは、おまけにそういう輩がじゃんじゃん増えているのは、こりゃ一体どういう事なんだ? 』こうして警察組織の刷新と、捜査業務・裁判の簡略化(完全可視化に裏取り証明の義務化)と、市民が裁判して罰金か悪人島送り(死刑制度の廃止)にする制度が決まったのだ。
有作は、予算が無いという事実を根拠にして、県・市議会の議員報酬を0(ゼロ)にし、無償で地元の有力者を募ってTV会議でQ州地方の政治を司る体制を作った。県政に不満があれば、誰でもいつでも県のホームページに訴える事が出来る様にして、必ず応える体制も作った。後は今や御馴染みとなったブルドーザー部隊が、人員整理を淡々と行うのだ。
一方、梅木組による暴力団統一も着々と進んだ。Q州合併前は、カジノと風俗ビジネスが出来なかったので、麻薬ビジネスをやめると、収入が途絶えてしまう事がネックとなって交渉が難航していたが、合併後はスムースに統一が進んだ。
中でも千葉の存在は、Q州暴力団の誰でもが恐れるものとなり、楯突く者等いなかった。千葉が睨みを利かせ、大河原が交渉話を進め、最後に梅木が「どうじゃ」と言えば、合併は大抵決まりだ。後は料亭で芸者を侍らせて酒を飲みながら友好を深め、温泉とサウナで身体を引締めた後は、寝床にはそれぞれの好みの女が待っていて、一晩中好きなだけ相手をしてくれるという。
男の夢の様な宴の繰り返しなのだ。相手側も酒、料理、宿、女の手配は粗相が無くて当たり前で、うまくいけば、シャブを止めても充分に潤う。しかし、もし彼等を怒らせたら、皆消されてしまう。と噂で聞いているので必死なのだ。従って戸畑興業の様に歯向かう組織は無く、血生臭い抗争も無いので、千葉は緊張感を保つのに苦労した。
しかし地元の暴力団達は、梅木組の傘下に入っても安心は出来ない。Q州全土がY県となった時にはSPの管轄下になる為、警察の傘下におさまって任侠道の追求を実行しなければ、彼等をそっと悪人島送りにして間引かれるのだ。これで梅木は暢気に、Q州統一はもう大丈夫じゃ。と豪語しているが、日本の暴力団を統一して麻薬ビジネスを根絶せよ。と有作から命じられているから決して千葉を手放そうとはしなかった。そして全国統一考えると気が重かった。一番のネックは、カジノもポルノも売春も現行法の規制のもとで、更に麻薬を止めろという酷なところだ。県外の暴力団にとってそれは死活問題だけに、Q州の時以上の難しさが梅木にも容易に予想出来るのだ。それに犬猿の仲である警察の傘下で、一文の得にもならない任侠活動の追及等話の他なのだ。
今やQ州の暴力団全てが梅木組の傘下に入ったが、彼等はあくまでも利権が欲しいのであって、梅木がこれから日本統一に向かって更に県外に出張ったとしても、それに参加する気は毛頭無いのだ。千葉も梅木も、日本統一について真剣に考えると、やはりこのままだと大規模な抗争になる事は容易に想像出来た。仮にもし抗争になったらと、千葉が勝手に予想して対策を考えると、県外ではSPは管轄外だから出動出来ないので、極秘作戦は無理だから、相当派手な抗争になるだろうが、今の梅木組の戦力では負ける気はしなかった。但しそれはとんでもない死傷者の数になると予想した。
そして、幾ら有作の命令とはいえ、ヤクザ世界からみれば梅木の、全国統一の野望剥き出しの、仁義を欠いたケンカに映るのだから、これでは不毛な命の取り合いになって果てが無い。自分はともかく、梅木が死ぬかもしれないと予想した。尤も千葉のこの予想というのは、したたかに酔い、全裸で長崎の女二人を相手に腰を振りながら射精を我慢する為に考えたというふざけたものだった。千葉もいつしかヤクザ者の爛れた生活に染まってしまったが、梅木などは予想できる程の頭脳すら持ち合わせていなかった。
「トノ、アポ無しの来客ですが、いかがしますか? 」と秘書のユリが、有作に耳打ちをした。今有作は、長門市仙崎にある海洋ロボット研究所の所長である後藤宗利と知事執務室で打ち合わせの最中だった。
『誰だ? 』
「梅木さんと千葉君です」
『そうか。用件だけ聞いて帰ってもらえ。今忙しいんだ。ああ、今夜7時にいつもの寿司屋で会おうと伝えておいてくれ』
「かしこまりました」
漆黒ビジネス・スーツに身を固めたユリは、踵を返してスタスタと歩いて、県庁一階の面会ルームに向かった。有作はそれに構わず後藤と打ち合わせを続けた。海洋ロボット研究所は、新型のイルカ型ロボットを開発・設計する為に有作が創設したもので、今日のテーマは、海中に於けるGPS機能の強化と音波を使うソナーと電波を使うレーダーが機械的振動によってどれだけ精度に影響するのか? というものだった。無論有作は、機械的振動を受けても影響が小で小型な物を要求していた。
全く影響がない訳はないので、許容レベルに達するかどうかがポイントだったのだが、結果は有作の期待以上で上機嫌になった。有作はニコニコ顔で後藤と開発チームの成果を称えてすぐさま量産を依頼した。メカ部分と駆動系とバッテリーは既に量産体制に入っているので、これが出来たら海の守りは万全だ。これで防衛費の大幅な削減になる。と有作は計算していた。
そして直ぐに別のプロジェクトの担当責任者と面会して打ち合わせに入った。今度は、ミコノと命名された新薬だ。この計画は以前からY県大学の研究テーマだったが、Q州合併でQ州大学の薬学部との共同研究で、漸く完成の域に達したのだ。今回は臨床試験の結果がわかるというので、これ又楽しみにしていたのだった。
そんな日にヤクザ者がふらりと来られても遭う暇など無かった。ミコノ40例の臨床試験の結果は、全て狙い通りで、人体に副作用や依存性も認められなかったので、苦節5年の苦労が漸く実った有作は歓喜した。今日は何て良い日なんだ。こんな事は珍しい。締め括りに久しぶりに梅木と千葉で寿司でも食おう。用件はユリから聞いているので笑い事で済みそうだ。
有作は上機嫌で、仕事を終えると、いつもの寿司屋「穣治」の暖簾をくぐり、当たり前の様に個室カウンターに入った。
『よう、待たせたな。元気そうじゃねーか。俺も色々忙しいんだよ』と有作が声をかけると、先に来て待っていた梅木と千葉が、揃ってバネ仕掛けの人形の様にピーンと直立し、大きな声で挨拶して御辞儀をした。
有作もニコニコ顔で挨拶を返すと、二人が頼んだ肴を見た。二人は先に河豚刺しを肴に日本酒を飲んでいた。
「あれっ、ユリさんは? 」
『帰ったよ。勤務外だもん。穣さん、俺にも同じもんを出してくれ』
「そりゃ残念じゃのう。あの別嬪を見ながら飲んだら酒の味も変わるせぇのぅ」と梅木がこぼした。 これには千葉が、社長、今回は遊びに来たんじゃないでしょう。と窘めた。梅木は軽い冗談じゃけと言ってぐいと猪口を呷って笑った。有作はこの二人との再会を喜び、ジョークにも付き合って場が和んだ。
『ところで、ユリから聞いたぜ。ヤクザのくせに日本統一の見通しが暗いそうじゃないか。だらしねーなー』有作は笑いながらそう言うと、早速大好物の大トロマグロを頬張った。
「トノ、正直山野組は、こっち(梅木組)の勢力拡大を凄く警戒しています。今はカジノ・シティにカジノと風俗店を出していて潤っているから、こっちとは不穏なところはありませんが、吸収話に付いては、脈ありませんね。それを理由にカジノ・シティの縄張りと利権について工作するのも、仁義を欠いてゴタゴタするかもしれないのでやってませんが、こっちの統一構想には完全否定的です。
実はこれまで何度か双方の幹部クラスで会合を開いたのですが、山野組は、こっちが強引にくるなら全国の兵隊集めて何でもすると言ってきました。つまり抗争を覚悟しているという事です。こうなると厄介ですよ。本当に抗争となれば、多分日本中が大騒ぎになるくらいの市街戦は避けられないでしょう。勿論こっちの戦力からすれば、勝ちます。だけど凄い死傷者出ると思います。当然警察も乗り出してくるでしょうし、大勢の逮捕者が出るでしょう。俺だって指名手配されるかもしれませんし、万が一捕まれば、首が何個あっても足りない位吊り下げられます。そうなると、抗争は治まっても、結局生き残りが泥沼の玉の取り合いになって、結果国の治安を長く大きく乱す事になります。それはこっちにとっても、県にとっても不利な状況に陥るでしょう…… 」
千葉は有作に畏れながらも怯まずに説明した。有作は自分の好物をほいほい頬張りながら話を聞いていた。有作が穣さんと呼ぶ寿司職人の手付きは鮮やかで、優しく包み込む様に芸術的作品とも呼べる美しい寿司を握っては間を持たせずに有作に捧げた。それを有作は無造作に口に放り込んで味わっていた。有作は所謂薀蓄を語るタイプではなかった。旨いと思えば又来るし、口に合わなければ二度と来ない。寿司屋等はそれで十分だと思っていた。
『わかった。で、御前どうするんだ?』
「俺は社長を守りながら戦うのみです。トノが(抗争を)やれというなら、やって生き抜いてみせます」
『成る程。おい梅木! 酒ばっか飲んでねーで御前の考えも聞こうじゃないか』と梅木に声をかけた。梅木はその声に少し驚いて両肩が浮いた。
「あのー、それでは僭越ながら御指名に与りまして、この梅木が御意見を述べさせていただきます。思い起こせば…… 」
『おいおい、結婚式のスピーチじゃねぇんだから、もったいつけんなよ』
「そ、そうですか。ならば、わしが思うに、今回のQ州統一は、始めは難航しちょりました。じゃけど閣下がQ州合併をば成し遂げられてからは、もうトントン拍子でいきましてのぅ。要するに早い話が、閣下がこの調子で東へうって出てくださりゃ、同じ様に…… 」
『梅木、もういいぞー。ヤクザと政治戦略会議をするつもりはなーい。俺がQ州合併出来たのは、望まれたからだ。もし無理やり合併したら侵略になってしまう』
「トノ、正にそれですよ。今の俺達は山野組から見れば侵略者なわけです。だから侵略じゃなく、統一する方法が難しいのです。出来たら、トノにアドヴァイスをいただきたいのですが…… 」
千葉の言葉を聞いた有作は、寿司をモグモグしながら二人の目を交互に見た。ヤクザの勢力問題にまで県知事が相談に乗らなければならないのが、Y県の現状なのだ。有作の好みを知り尽くしている穣治は、微かな笑みを浮かべながら淡々と芸術作品を有作に捧げ、有作はそれを無造作に口に入れてモグモグ味わっていた。
以下は有作の一秒間位の想いである。……確かに俺は、ヤクザを生かすと決めたのだ。だからヤクザとして生きる道を与えたのだ。その決断に悔いは無い。そしてどうせ生かすなら、俺に忠実で本物か本物になる可能性を持つヤクザを選んだ。その決断にも悔いは無い。
しかし麻薬は違う。あんなに人の命と欲を縛り付けるものはないのだ。麻薬を作る者は、大金が入るから、他の作物を作る道を失う。売る者は、金になるから他のビジネスなんかバカらしくなる。嗜む者は、自分の命を前借りして楽しんでいるのだからもう先は長くないが、無条件ハッピーを味わう事に縛られる。取り締まる者も、果てしの無い不毛な仕事に人生を捧げなくてはならない。
そしてその規模は世界的で、関わる人の数も莫大なのだ。この様に、金と無条件ハッピーと不毛な仕事から人々を解放するには、麻薬を上回る物を世に出さなければならない。全く性懲りも無く、人はいつまでこんな物に縛り付けられているのか……。
俺は本気だ。この事業は必ず成し遂げなければならない……。しかしこの梅木に、その才覚も無い男に日本のヤクザを統一せよ。と命じたのは、いけなかったのかもしれない。だからといって、チバにやらそうもんなら、血の雨が降って、死体の山の天辺で勝つには勝つだろうが、俺達ゃ天下の御尋ね者だ。それは御免被る。全く仕様がないな……。
『梅木、チバ、謎々タイムだ。山野組が、御見それしました。何卒梅木組の配下にして下さい。と向こうに言わせるには、どうしたらいいと思う? 』有作は寿司をモグモグ食べながら二人が何を言うのか回答を待った。
梅木組を完全勝利に導く名案を問われているのだが、梅木と千葉は、全くぐうの音も出ず、謎々に付き物の頓智の一つさえも出なかった。有作は謎々とふざけながらも、抗争無しで仁義を貫いて、ヤクザらしく山野組を屈服させて統一せよ。と言ったも同然なのだ。有作は、二人の返事を待っているのかいないのか、気にしない様子で、芸術品をモグモグ食べ続け、鯛の吸い物をズイと口に含んだ。『ああ、旨いよ。やっぱり穣さんの寿司は最高だね』
「御褒めに与り。恭悦至極に存じます」穣治は恭しく頭を下げた。もう穣治の芸術作品を三人前は優に平らげている。しかし、二人からは未だに言葉一つ出なかった。
『どうした、折角の寿司だぞ。食え食え』二人は有作が来てからというもの、酒は飲んでも、寿司は喉を通らなかった。千葉は有作に促されて、素直に様子見のしめ鯖を食べた。酢飯で唾が出て、しめた鯖の味が口の中で広がり、食欲を掻き立てた。千葉は、旨いっす。こんな旨い寿司食った事無いっす。と言って穣治にお任せで注文した。穣治は千葉の気配で好きなネタを見通してアレンジして握り始めた。そして頃合を見て有作は口を開いた。
『……梅木は無策で、チバにやらせたら、碌な事にならんときたもんだ。なー梅木! 俺に何にも答えられん御前が、ここで出来る事は何だ? 』有作にそう言われた梅木は、はっと気付いたらしく、そそくさとカウンターの椅子から床に転がり降りて土下座した。
「閣下! わしの頭じゃーもう、どねーもこねーもならんちゃ。山野組とケンカは出来ても、平伏させるっちゅう策など一つも浮かびません。わしに出来る事と言えば、こうして平に御願いするしかないのでございますぅ」と水をうって清潔な趣味の良いデザイン・タイルに額を擦り付けた。
それを見た有作はゲラゲラと笑った。まったくこの男の土下座と泣きの口上は一流なのである。涙を流しながら一頻り大笑いした有作は、蒸しタオルで顔を拭いて鼻をかむと、語り始めた。
『……はぁあ。ところでさっきの謎々の答だがよ。先ず、金輪際麻薬が手に入らなくしたらいいんだよ。そこへ梅木組が麻薬にうって変わるもっと良い物を提供したら良いんだよ。締め括りは、山野組の親分さんと対決して勝てば良い。これで決まりだ。御前等は、それをやればいいんだ。だけどその有様じゃ、無理だろうなー。全く酒ばっかり飲んで遊び呆けてやがるからだ。このヤクザ者が! とヤクザに向かって言ってもしょうがねーか。
それにしても、山野組の親分さんは大した人物なんだろうな。ヤクザとはいえ山野組を日本最大にしてその勢力を保ってるんだからな。だけど今度は日本最大じゃ駄目なんだ。梅木組は、日本のヤクザを統一するんだよ。だったら俺がやってやろうじゃないか。だけど失敗したら、ごめんな』
有作はそう言うと、ニカッと笑い、又芸術作品を頬張った。今度はウニだ。梅木はその答を聞くと、「ははぁ」と言って、更に激しく額をタイルに擦り付けた。千葉も謎々の答を聞く内に、無意識に身体が動いて梅木の斜め後ろに平伏していた。
自分達がどう考えても何も出なかった完全勝利の答を、トノはいとも簡単に、しかも寿司をモグモグしながら出してみせたのだ。その答は、そう言われてみればもっともだし、理想形だ。しかし、二人の頭では、有作から言われる瞬間まで、微塵も出てこなかったのだ。
トノは、日本に麻薬が入らなくする。と事も無げに言うが、そんな事が本当に出来るのだろうか? 千葉にはその方法が全然わからなかった。しかしトノが言う以上、何か根拠があるに違いない。それから麻薬よりもっと良い物を提供。とは、以前にマフィアに言った話だろう。最後の対決はトノなら、山野組の組長と対峙しても引けをとるとは思えない。という事は、梅木組が日本の暴力団を束ねて、本当に覚せい剤から脱却する日も遠くない気がした。
千葉はそこまでは考えていたが、後は有作に対して平に土下座していた。それは強制ではなく、有作を心底畏怖し、尊敬の思いと感服の意を表して伝えたいとした自然の行為だった。しかしこれは千葉の考えであって、それが有作と同じものとは限らない。何故有作が、日本最大ではなく、暴力団の統一に拘るのか、千葉もわかっていないのかもしれない。しかし、戦いに勝つだけが能じゃない事は十分に思い知った。有作の様に戦略を持って一見全然関係無い様な事を実行して結びつければ、戦わずして思い通りになる術がある事を知ったのだ。千葉はいつの日か、どうしたらトノの様な戦略を持って行動が出来るのか訊いてみたいと思った……。
有作は、麻薬に代わる新薬ミコノが完成間近である事を二人に伝えた。ミコノは、元々県で売り出して新しい産業にする計画だったが、この有様をみてヤクザどもに販売させる事にした。有作がミコノの効能を二人に説明すると、納得して狂喜した。そして麻薬を日本に入れない手段を教えると、あまりに突飛な発想に驚いて呆然とした。そこへ有作が『やってやるぜ。今に見てろ』と言うと、二人は飛び上がって喜び、即興でダンスを始めた。全くトノは、どうして実現不可能と思える事を言い出して、本気で実現させようとするのだろう。しかも絵空事じゃなく、俺達も納得してしまう手段を用意して……。
千葉はここまで真面目に考えていたが、目の前の酔っ払いが、「チャンチャンチャン、チャラララーラ」と繰り返し自分の手を取って踊り出すと、つい乗ってしまうのだった。有作はそんな浮かれた二人の様子を見るのも嫌いではなかった。見てて面白いヤクザがいてもいいと思った。寿司屋「穣治」の会談の後、半年が過ぎた。その間有作は相変わらず精力的に働いた。新しい産業の指導やプロジェクトの進捗チェックから幼稚園や小学校の訪問まで、有作はどれも楽しみながら仕事をこなしていた。
有作と山野組の組長岡田との会談は、直ぐにでも行われると思われたが、山野組の方が応じなかった。確かにヤクザと政治家では畑が違う。梅木組は山野組に対してトップ会談を申し込んでいるのだが、山野組にしてみれば、梅木組という暴力団は全く異質で不気味に映った。
会長の梅木はただの御飾りで、実質的な支配者は県知事の有作であるし、それを全く隠そうともしない。そしてY県ルールではヤクザが警察の管轄下にあって、任侠道の追求活動でコミュニティの治安維持活動をやらされる等全く考えられない事だらけなのである。この様な見た事も聞いた事もない形態の連中が相手で、用件はヤクザの全国統一というのだから、狂っているのか優れているのか不気味で話など出来ないのだ。
梅木組は過去にシャブの密輸ルートでモメて、稲瑞会の片桐会長が梅木暗殺に七人の刺客を送り込んだが返り討ちにあい、生き残った幹部の金子がペラペラと余計な事を喋ってくれたおかげで、稲瑞会と地元警察は手酷い痛手を受けた。おかげで山野組は稲瑞会の縄張りに食い込んで漁夫の利を得たのだが、これで千葉秀樹という県庁から梅木組に派遣された男が徒者ではないと名が広まった。
その後、戸畑興業を一人で壊滅させた男として、今では裏の社会では知らぬ者はいない。梅木組がY県警の下部組織という事は、こちらから梅木組に何か攻撃を仕掛ければ、直ぐにY県の警察も動き、果ては自衛隊まで反撃に投入される可能性がある以上、恐ろしくて手が出せないのだ。梅木組がカジノ・風俗解禁で財を蓄え、Q州勢をまとめた事は、山野組にしてみれば面白くない事だが、カジノ・シティSでのアガリは悪くないので、今はこれで波風を立てずに様子見の構えが良い。という事だ。
ところが、山野組を含む覚せい剤ビジネスに携わる全ての者にとって不都合な事件が起き始めた。今まで問題無く継続されてきた海からの覚せい剤密輸が途絶えたのだ。供給元からの説明は、船が日本の領海に入った途端に、船底に穴を空けられて沈没するから引き返すしかないというのだ。それが何なのかわからない。速度を上げて逃げても追いつかれ、取引の時間や場所を変えても、ルートを変えても(北は北海道、南はQ州の日本海エリア)船の数を増やしても、執拗に現れては確実に全部船底に穴をあけられるというのだ。助かる方法は日本の領海から出る事だけらしい。始めはそんなバカなと笑い事で済んだが、被害は鰻登りに増え、今では船を使った密輸の成功率は0(ゼロ)になってしまった。供給元は、持っている船は全部穴をあけられて、もう出す船が無い。修理する金も無いから金を貸して欲しいと言う始末だ。
山野組の幹部がクルーザーで日本海の領海スレスレまで行ってみたが、全然襲撃されなかったので、供給元に地下銀行から金を振り込んで船を修理させて、日本の領海ギリギリの地点で取引を行おうとしたが、その時に限って襲撃を受け、船底に穴をあけられる被害が二件続いて失敗した。
船に乗っていた者からの証言によれば、まるで人が十人位海に潜って待ち構えていて、電動ノコギリで船底を切り付けてくる感じがしたそうだ。その時は沈没を回避する為に必死でUターンして無事だったが、とても取引どころではなかった。全員徹夜で手分けして浸水してくる海水をかき出しながら漸く生きて日本に辿り着いたのだった。
そのクルーザーを陸にあげて船底を調べてみると、確かに線上の切り口がランダムについていた。誰かが取引の時間と場所の情報を入手して、取引を阻止する目的で、数十人のダイバーを海で待機させ、電動ノコギリで船底に穴を空けて引き返させているとでもいうのだろうか。相手が人間なら、逃げる船のスピードに追い付ける筈がないからあり得ない事だ。果たして誰が何の為にそんな事をしているのだろうか。
それを知る為に既に買収している警察官や政治家に金を掴ませて探らせても、警察も海上保安庁もそんな事はしていない。という事がわかった。この謎の襲撃では死傷者がおらず、一般の船舶には被害が無いので、公的機関は全く実態を把握していなかった。しかし覚せい剤取引だけに限れば甚大な被害を被っているが、違法行為だから公に被害の届けを出す事が出来ず、どこにも訴え出る事が出来ないのだ。海が駄目なら空からの密輸という手段があるのだが、税関の空港チェックは厳しく、成功率が3パーセント以下では全然ビジネスにならない。では国内生産という手は、流石に警察が見逃してくれるわけもなく、芥子栽培畑に精製工場の建設や従業員の確保に社会全体が許すはずはなかった。
こうして山野組をはじめとする県外の暴力団は、覚せい剤ビジネスが出来なくなったおかげで窮地に立たされた。山野組の知恵ある者は、もしかしたら梅木組の仕業ではないかと思い始めたが、だからといって海の襲撃を止める事が出来ない以上何もならなかった。例えそうだとしても、梅木組が吸収話を持ちかけてくるだけだ。
そして山野組幹部の予想通り、梅木組が話を持ちかけてきた。しかしそれは、新薬ミコノを買わないか。というものだった。これによって梅木組が今、自分等が麻薬ビジネス出来ない状況であるのを知っている事がわかった。しかし山野組は、謎の襲撃の実行犯は別にいると考えていた。あんな芸当は極道に出来るものではない。それから更に三ヶ月が過ぎた頃、遂に事態が進展した。麻薬取引が出来なくなり、それが長期に渡ったおかげで窮地に立たされたのは供給元の北Cで、その他中国・韓国・台湾のマフィアにも被害が出始めたところで、怒りが頂点に達した北Cが、国営放送で日本を名指しで批難したのだ。
「卑劣な日本政府が、悪辣な手段を使って我が国の、何も罪の無い漁船を大規模に攻撃し、全く漁を出来なくした。日本は、即座にこの卑怯な攻撃を止めて損害賠償をしなければならない。さもないと、我々は日本に無慈悲な大規模反撃を行う用意がある事を覚悟せよ」と報じ、証拠となる多数の粗末な漁船の船底につけられた無数の線状の傷を放送した。
この放送を受けて慌てふためいたのは日本政府である。日本が北Cの漁船や船舶を攻撃したなど寝耳に水の事で、世間は大騒ぎとなったが、外務大臣が、そんな事実の報告は受けていない。と正直に公式声明を出すと、北Cは更に怒って、ならば証拠を見せようと海軍の駆逐艦が白昼に日本海での領海侵犯を強行した。これには海上保安庁が即座に巡視船を出して駆逐艦に領海を出る様に警告していると、例によって日本政府が本当に知らない襲撃が自動的に始まってしまった。
駆逐艦は襲撃を受けたと認知すると、巡視船の警告を無視して、船底に穴をあけるものの正体を捕まえようと、海に大きな網を打ちかけた。その試みは何度か失敗したものの、遂に網がそれを捕らえた。駆逐艦のクレーンが網をグイグイ引き上げていくと、大きなイルカ位の生き物が、身体に網が絡まった姿を現したではないか。もしもこの光景がTV放送されていて有作がそれを見ていたら、『やめろ! 』と止めたはずだ。何故ならあれはイルカ型のロボットで、無理に海から引き上げて水圧が0(ゼロ)になると、自爆タイマーが作動して十分後には、内蔵された爆弾が爆発する仕様になっている。一見イルカに見えるが、口先に大きな人口ダイアモンド製の電動ノコギリが付いているので、それがロボットである事が明白となった。駆逐艦の甲板に降ろされたイルカ型ロボットをもっとよく見ようと大勢の乗組員が集まった。もしも有作がこの光景を見ていたら、『早く逃げろ!』と言ったはずだ。だが、そんなところに大爆発が起きてしまった。吹き飛ばされた多くの乗組員には本当に気の毒な事だが……。その光景を目撃した巡視船の方は、予想していなかった爆発に驚いたが、冷静さを保って今助けに行くと呼び掛けた。もしも有作がこの光景を見ていたら、『もたもたしてないで早く領海から出ろ! 』と言ったはずだ。何故なら海中にいる残りのイルカ型ロボットが、僚機が自爆した衝撃波をソナーで感知すると、その地点に突入して自爆する様にプログラムされているからだ。駆逐艦の艦上で、イルカ型ロボットが爆発した直後、海中では駆逐艦の四方八方で次々と爆発が起こり、とうとう沈没してしまった。
その一部始終を監視していた巡視船は、冷静に状況を撮影して海上保安庁と防衛省に報告していた。そして海中ソナーで、40個の個体が駆逐艦周辺にいて、その中の7個が駆逐艦に突入して自爆。駆逐艦沈没後は残りの個体は四散した事を確認した。巡視船は安全を確認すると、淡々と北C側の生存者の救助活動を行った。例え相手とは正常な国交が無くても、領海侵犯の現行犯でも、人道上絶対に助けなくてはならない。これから先は打つ手を間違えれば紛争になりかねないので、日本政府は直ちに海上保安庁と防衛省の幹部を集めて今後の対応を協議したその結果。メディアに漏れない様にして、極秘裏に北Cに一部始終を撮影したビデオ付きで事の次第を伝えた。そしてイルカ型ロボットの正体は不明だが、日本国とは無関係と正直に伝えた。北Cの反応は、意外にも冷静だった。領海侵犯は事実だし、イルカが爆発する等想定外で、それが引き金となってイルカの集中攻撃で自国の駆逐艦が一方的に沈没した等、体面を重んじる彼等としては、表沙汰にはしたくないところだ。
そして、これを口実に日本と本当に紛争する力は無いのだ。ましてイルカのせいで麻薬の取引が失敗している事等言い出せるわけも無いので、北Cは沈黙して全てが終わった。日本の国家公安委員会は、以前から北Cの漁船が日本の領海に侵入して、暴力団と麻薬取引をしている事実を把握しており、この半年で取引の数が急激に落ち込み、今ではゼロ状態が続いている事を把握していた。その原因は不明だったが、このイルカ型ロボットが取引の邪魔をしていた事が今回漸くわかったのだ。そして日本でこんな事をするのは、満場一致でY県の鈴木有作しかいないとなった。日本政府は、事前に綿密な打ち合わせを重ねてから、国務大臣が有作に電話で事件の顛末を説明し、イルカ型ロボットの事や麻薬取引の妨害について問い質した。電話を受けた有作は、その事実関係をあっさり認めた。勿論それを認めたからといって、有作を裁く法律が無い事を知っているからだ。寧ろ日本の領海をタダで守ってやり、麻薬取引を阻止してやっているのだから、礼の一つも言ってもらいたいところだ。国務大臣はそれを理解している様で、文句は言わずに、その理由を訊いた。すると有作は『運用実験だ』と応えて、概要を説明し始めた。
このイルカ型ロボットは、今三万機が主に日本海の領海域をGPSで位置を確認しながら自動で海中をパトロールしている。県内数ヶ所にある工場では、24時間のフル生産で毎月1500機が海に泳ぎ出している。犬並みの人工知能を有しており、僚船か否かを船舶無線のコードや航路で判断し、ソナーとレーダーからの情報を解析して不審船と判断したら、前方に取り付けられた電動ノコギリで切りつけ、目標が領海の外へ引き返せば止める仕様だ。僚船と判断されても、不審船と近くにいれば麻薬取引等ヤバイ事をしていると判断される。その時船舶無線を切ってしまうと、領海付近でそんな事をすれば、僚船であっても気の毒だが目標になってしまう。不審船は船底に穴があいて浸水したら、助けが呼べないので引き返すしかない。海の守りはそれで十分だと有作は説明した。イルカ型ロボットの原動力は効率の良い直流モーターで、内臓バッテリーフル充電で一ヶ月は持つ。電気量が無くなる前には最寄りの基地に帰投する様にプログラムしてあるので、帰投したらバッテリー交換とメンテナンスを行って又海に返すの繰り返しだ。そして内蔵してある自爆装置は、機密保持用で攻撃の意図は無い。まさか網で捕らえる奴がいる等、全くの想定外だった。とここは自爆装置の威力についてはウソをついた。更に有作は、この運用実験が成功すれば、海上保安庁の予算の五分の一で日本の海を守れるのだと正直に答えた。これだけ御知らせしているのだから、あんたらもこのロボットを捕まえてみようと試さない方がいい。と警告した。国務大臣は、笑顔で有作の説明を聞いていたが、今後も続けるのかと問い掛けると、有作は『勿論だ』と応えた。国務大臣は、これは海上保安のコスト削減の為の自動化実験と判断した。確かに不審船が領海侵犯しても、船底に穴があけば帰るしかない。これがうまくいけば、海の守りに海上保安庁の予算を削減して有事に不可欠の海上自衛隊に予算を絞る事が出来るのだ。有作の主張を聞いていた防衛省幹部は、海上防衛の全く新しい発想に思わず唸った。嘗ての日本海軍が真珠湾攻撃で航空機による爆撃で、古来海軍の大鑑巨砲主義を根底から変えたセンスと同じ可能性を予感したのであった。国務大臣が、何故麻薬取引を阻止しているのかと有作に問うと、有作は『そんな事まで話す義務は無いが、麻薬撲滅はあんたらの悲願だろ。実験としては良い標的だ』と言うと、国務大臣と有作は意味有り気に笑った。やり過ぎではないのか?と言う批判を、有作は、船底に穴あける位なんだ。むしろ控えめな方だ。ガタガタ言うなら領海侵犯しなきゃいいだろ。と応えた。その後も電話会談は続き、このイルカ型ロボットの存在と活動は黙認し、公表を伏せる事で一致した。この事件によって周辺諸国には、日本はイルカ型ロボットを領海の守備に使うつもりだ。と知れ渡った。最後に国務大臣が、このイルカ型ロボットの呼称を有作に尋ねると、有作が『イルカのカー君』と応えたら、一同は爆笑した。こんな間の抜けた名前のロボットに潜水艦追尾機能をつければ、日本の海の安全保障に、海上保安庁を凌ぐ活躍を見せる日はそう遠くないだろう。
第十九章
結局日本海の領海付近で起こった爆発事件は、北Cが沈黙した事で緊張感が一気に解け、日本政府は黙認。メディアには完全に伏せられて国民に知らされる事はなかった。従って山野組を始めとする県外の暴力団は、依然として覚せい剤の供給がストップしたままで苦しんでおり、その原因が『イルカのカー君』である事も知らないまま、手も足も出ないのであった。
山野組は必然的に梅木組が薦めるシャブの代わりになるという新薬ミコノなるものに興味を持った。このミコノは、究極の仮想現実エンターテイメントを実現させる目的で、有作が長年研究・指導を続けていたもので、睡眠導入剤と自白剤、漢方薬などを合成した薬で、人体に無害な薬で合法である。その効能は、飲んだ人の欲望を具体化し、見たい夢を見る事が出来、夢の中で欲求を完璧に満たす事を保証するというものであった。
山野組の幹部はその真価を理解出来ずに、たかが眠剤(睡眠薬)が、何でシャブの代わりになるんじゃい。といきりたったが、例えばシャブ中者が、シャブをいっぱい打ちてぇと願ってミコノを飲むと、眠りに落ちて夢の中で好きなだけシャブを打って無条件ハッピーを味わう事が出来る。と梅木組側が説明すると、興味を持ったがまだ半信半疑だった。
そこで山野組が実際にシャブの禁断症状が重い人間に飲ませて実験を行い、結果成功した。その人間は目覚めた後、ただ眠っていただけなのに、夢の中で実感を伴って沢山のシャブを打ちまくり、久しぶりの快感と恍惚感を十分に味わったと感想を嬉々として立ち会っていた山野組の幹部にまくし立て、又欲しいとミコノを強請った。
その後も同じ様な実験効果が続き、やがて中毒者の禁断症状は止まり、ミコノに副作用は無いので、とうとう中毒者ではなくなってしまった。山野組の幹部は、もしこんなものが世に出回ったら、違法で危険なシャブはもう売れなくなってしまう……。と心中複雑な感想を持ったが、この好結果を得ると山野組の態度は大きくぐらつき始めた。
梅木組のミコノは喉から手が出る程欲しい。合法でシャブの代わりになって、中毒性がないのなら願ったり適ったりだ。しかし、ミコノの製造はY県が特許を取得しており、販売権は何と梅木組が持っているのだ。山野組が、ミコノが欲しいと梅木組に申し出れば、じゃウチの傘下で、と言ってくるのは火を見るより明らかで、それだけは首を縦に振るわけにはいかない。この時点で山野組と梅木組の立場は大きく変わってしまった。
更にこの実験結果は、日本の裏社会ではもう天と地がひっくり返る程の超ビックな革命的な情報として瞬く間に知れ渡った。何でもいう事をきくから、とにかくミコノをくれ! という申し出が全国の暴力団から梅木組に殺到した。梅木は、大勝利感、達成感、充実感で、もう涙・鼻水・は勿論、小便まで漏らしそうなくらいの怒涛の勢いで歓喜した。その事を有作に寿司屋の「穣治」で報告すると、有作は当然だと事も無げに好物の大トロをモグモグしながら応えた。その光景を見ていた千葉は、まるでドラえもんがのび太に便利グッズを与えた時の様に見えて笑えてきた。
『まったくヤクザは、そういう低い次元でしかミコノを見れんとは情けない限りだ』
ミコノは即効性で副作用も中毒性も無く、タバコやアルコールなどに比べても安全なのだ。しかも短時間で通常の数倍も深く眠るので、脳は癒され、活性化される効果が認められて良い事尽くめの薬なのである。梅木があまりに日本統一に無策で、県外暴力団が覚せい剤という時代遅れの産物にしがみついている実情を憐れんで、梅木にやらせるのが丁度良いと思いついたのだ。
仮想現実エンターテインメントを楽しみたい人は、自分の楽しみたい内容や物語をイメージして、ミコノ一粒と水を一緒に飲んでベッドに横たわると、五分程度で眠りに落ちて夢を見る。そしてその夢で自分の欲望が現実感を伴って完全に叶えられるのだ。夢の内容は何でも良い。例えば、自分の一番好きな俳優や女優と映画の様なロマンチックな恋に落ちて結婚し、子供をもうけて幸せな家庭を築き、何年も楽しく暮らして、やがて年老いて幸福感の内に自分の子供や孫に囲まれて安らかに往生する。といった何十年もかかる時間の流れを、わずか十分程度の睡眠で全くリアルに堪能できるのだ。
その間何を食べてもどんな贅沢やセックスをしても、その快感は、全くリアルに感じる事が出来る。それに夢なので、いくら飲んでも食べてもセックスしても体力的には全然問題無いない。ミコノを飲んだ者が夢の中で感じる感覚は、それまで得てきた経験の記憶を再生しているのである。例えば恋愛やキスやセックスの実感(或いはテレビ番組や映画の視聴や読書も経験に含まれる)を伴って味わった感触や感情、成功・失敗体験に伴って味わった記憶を、夢の中で自分なりのシチュエーションを自由に組み上げて、夢の中で引き出しているわけだ。
経験が無い場合の欲望は、自分の味わいたい欲望イメージ夢となり、脳内モルヒネが分泌されて無上の満足感が得られる仕組みだ。ミコノを飲んだ者は、夢の中で快感や絶頂感、達成感や充足感を限界まで味わって自分から目が覚めるのが普通だが、夢の内容によって何かに挑戦したり、競争したりする場合、当然相手が現れて勝ったり負けたりするのだが、自分がいくら勝ちたいと願っても自分が未熟ならば失敗したり、負ける事もあるが、その時に挫折感や絶望感を味わったショックで目が覚める場合がある。又夢の中で何者かに殺されたり、誰かを殺したり、事故で死んだりして、夢の途中でドロップアウトした形で目覚める場合もある。勿論夢なので身体には傷一つ付いていないが、その時は勉強なり訓練をして自信を付けてもう一度ミコノを飲んで同じ夢に再挑戦する事も可能だ。
又、ミコノを使って仮想現実の中で、何かの実験をしたり、作詞・作曲・物語の創作するのも効果的だ。夢の中で自分の才能以上のものが出来る可能性があるが、記録が出来ないので夢の記憶を忘れない訓練が必要かもしれない。
睡眠導入に十分、睡眠時間十分、目覚めて現実に戻るのに十分合計約三十分の時間で好きなだけ自分の欲望をリアルに楽しむ事が出来るし、映画を観る様に客観的に視聴する事も可能だ。特に大掛かりな装置や設備が要らず、副作用も0(ゼロ)、常習性も0(ゼロ)で、欲張って一度に何錠飲んでも効果は同じで人体に何も害は無いし、どれだけ長い間楽しんだと思っても目が覚めると三十分程度しか経過していない。ミコノは、薬の成分によって脳を覚醒させるのではなく、催眠作用によって幻惑させるものでもない。睡眠中に夢を見るのを利用して、より深く眠ってもらい夢の中で自分の欲求を叶えて満足を得るシステムだから、見た夢が原因で死ぬ者はいないし、満足度は百パーセントなのだ。と有作は新薬ミコノの真の効能を梅木と千葉に説明すると、二人は畏れ入って酒も呑まずに聞き入っていた。二人がどんなに畏れ入ろうと、梅木組が日本を統一する有作のシナリオは進んでいる。
他県の暴力団がミコノの効能を知って、自分達もミコノで商売したいと考えるのは当然だ。もう違法で危険なシャブに拘る理由等何も無い。とすれば次の一手は、暴力団の選別と吸収だ。
有作はこの作業を梅木に命じた。ミコノを欲しがる暴力団と面接して、その中から、忠実で本物か本物になる可能性があるヤクザを選別せよ。そして梅木組の傘下に入る事を絶対条件とせよ。しかし全国の暴力団の選別を、このバカ一人にはとても任せられないので、SP長官の毛利京太郎にも補佐してもらうつもりだ。選別が終わったら、Y県から近い地域の暴力団から梅木組の傘下に入れて、ミコノ代理販売契約を締結していけ。そして上納金をきっちりとれ。
ミコノの利益は県がもらう。見込みがないと判断した連中とは契約をしてはならない。ミコノを横流しした組織とは、発覚した時点で契約を解除せよ。例外はない。梅木組連合が他県の暴力団を教育・強化して、それぞれの地元で任侠道の追及活動をさせよ。
これで山野組は、日本最大の勢力といえども相当焦る筈だ。山野組の岡田が、ミコノ欲しさに梅木組にコンタクトを取るのは時間の問題だから待っていればいい。そして向こうから会談の申し出があったら連絡してくれ。俺が話をつけてやる。成功すれば日本統一はなったも同然だ。と有作はニカッと笑った。
そして遂に、山野組の会長岡田虎男と有作の巨頭会談は、広島にある岡田の邸宅に有作が訪れる形式で行われた。岡田の体調が優れないので来て貰いたいという申し出に応じたのだ。秘書のユリも有作の家族も、これは罠で危ないと止めたのだが、有作は喜び勇んで広島県に出かけていった。
勿論、梅木、千葉とユリも一緒に万全の装備を固めていた。有作は出掛ける前に、西村修吾自衛隊Y県地方独立本部長に『万が一、俺が殺されたら岡田の家全てが粉々になるまでトマホークを撃ち込んでくれ』と言い残していた。西村は有作特有のジョークだと思ったが、この事実を山野組に伝えた。これは山野組に対して十分過ぎる抑制策になる。
それでも山野組は、有作を殺そうとするだろうか? それは無いと判断した。かといってあまり派手に動いて、広島県警に睨まれてはかなわないので、あくまで控えめに移動した。道中は防弾仕様ベンツのリムジンを千葉が運転し、梅木と有作とユリの三人が遠足気分でワイワイ楽しくやっていると、アッという間に到着した。
有作は上機嫌で、これから日本最大の暴力団の会長と会うという重圧は少しも感じられなかった。岡田虎男の邸宅は広く、敷地を5m以上はある高い塀で囲んでいた。その門の前から山野組の組員達が、有作が乗った車を、一礼をもって出迎えてくれて、大きな門を潜ると、今度は幹部クラスが総出で出迎えてくれた。千葉が車を停めて恭しく後方ドアを開けると、有作が元気な笑顔で出てくるなり、「いらっしゃいまし! 」と幹部達が一斉に大声で一礼した。その声には威嚇の色があったので千葉に緊張が走ったのだが、有作は満面の笑顔で右手を上げ、『やぁ、御苦労さん! 』と応じて、緊迫ムードを吹き飛ばし、底知れない図太さを山野組の幹部達に見せつけた。二葉と名乗った細身で、まるでトランプのジョーカーの貼り付けた様な笑顔の男の案内で、屋敷の中に入って行った。
一方千葉は、有作と梅木とユリを守る為、さり気なく殺し屋としての視線で人や周囲の様子を窺ったが、殺気は感じられなかった。この日の千葉は、完全武装している。有作一行が、長い拭き清められた廊下を歩いていると、右手に綺麗に手入れの整った日本庭園が現れた。
長い年月をかけて構築されたであろう見事な庭を、有作は目を細めて眺めていた。有作はそれを美しいと思ったが、欲しいわけではない。二葉は一向を一度応接間に通すと、そこには幹部が二人いて一向を迎えた。そして酒以外の飲み物を出し、加藤と名乗った幹部が、会長の容体を慮ってわざわざ来てくれた事に対して感謝の意を伝えた。
それから和やかで意味の無い世間話をしていると、二葉の携帯電話が鳴り、気障な素振りで失礼と断って何か小声で言葉を交わして切ると、岡田会長の準備が出来た事を伝え、これから先は、有作一人で来て欲しいという旨を伝えた。千葉が付いていくと申し出たが、有作は、ここは俺が。と言って断り、二葉の案内で岡田が待っているという部屋に向かった。そこは廊下を少し歩いた左手の障子の日本間で、日本庭園が一番良く見える位置だった。岡田は毎日この庭を眺めながら、山野組を采配していたという事か…。悪くない……。有作はそう思った。
二葉が障子の前で恭しく両膝をついて、鈴木有作様がお見えになりました。と声をかけると、「おう、入ってもらいや」というしわがれた声がしたので、二葉が障子を開けて有作を通した。有作が十畳程の和室に入ると、そこには布団が敷かれていて座椅子にもたれて上体を起こしている岡田虎男がいた。傍らには、和服を粋に着こなした男好きのする女が佇み、岡田の世話をしている様だった。
岡田は色の黒い痩せた老人だが、大きな目に宿る眼光はまだ健在で山野組会長としての威厳を放射していた。二人の視線が、漸くここで初めて合った。二人はその目の色で腹を探った。
「遠路遥々よう来てくれたのう。わしが山野組の岡田じゃ」
『はじめまして、鈴木有作です。病気と御聞きしたが、容体はどうですか』有作がそう言うと、岡田はかすれた笑い声で、「近頃は、すっかり伏せってしもうてのう……、困ったもんじゃ。まぁ座りいや」と促された有作は『失礼する』と言って腰を降ろして座布団の上に久々のぎこちない胡座をかいた。有作が何気なく庭に目をやると、「ここからの眺めが一番になる様に庭師に造らせたんじゃ、中々ええもんじゃろう……。あんたは時々風変わりな政治家じゃちゅうて時々TVに出よるから、初めての気がせんなぁ。生で見た方がええ男じゃないか…… 」
ここで岡田は有作に御世辞を言ってみて顔色を窺ったが、それで有作が喜ぶ様子が全然無いと知ると、この手はまずいと感じた。次は怖い顔をして有作を揺さぶろうと試みた。
「ところで、話は聞いたでぇ、何やらどえらい事をしてくれたそうじゃのう。であんたは今、山野連合二万の懐におるんでぇ、おまけに全国の極道を皆敵にまわしちょるんでぇ、あんたわしらと戦争始める覚悟は出来ちょろうのう」と自分が目を細めて言えば、大抵の相手は竦み上がるのだが、有作の反応はその期待を大いに裏切った。
『あはっ。のっけから物騒な物言いだが、今更そこから始めなきゃなんないのか。あんたには西村陸自独立本部長の警告が耳に入ってないのか? あんたらヤクザが口にする戦争って奴は、たかだか豆鉄砲の打ち合いだろ。こっちは本物の内戦をとっくに想定してるんだぜ。わかってんのかよ。たとえ屑が何万来たってウェルカムだ。全員ミンチにして炙ってやる。そうなったところで、世間は全然悲しまないと思うよ。何たって暴力団根絶が合言葉だもんな』
そう返した有作の声は、本当にドスの効いたもので、その眼光はギラつき、ハッタリや脅しの無い、地獄の扉を笑いながらいつでも開放出来る魔人の様であった。岡田は正直、有作の言葉に圧倒されてしまい全身から脂汗が出てきた。
善く善く考えなくてもこの男は、極道ではない。県知事であって警察も自衛隊も動かせる権力を持っているのだ。しかも極道も驚く力を本当に行使して迫ってきているのだ。岡田は有作のこの一発で、この男の力、力量が尋常ではない事が十分にわかった。
「嫌じゃね。冗談いね。一寸言うてみただけじゃぁね。すまんかった。くれぐれも本気にせんでくれ」岡田は慌てて茶化してみせて前言を撤回した。この変り身の早さも極道の特徴だ。有作は、この程度の話をジョークとされては、こちらもジョークで返したのだ。と話をおさめた。
有作は、この爺様子見のジャブを出してみて、顔面ストレートを食らって怪我してヤバイと思ったかと笑った。
『で、何がどえらい事なんでしょうか』
「そりゃ色々あるが、シャブの取引が出来ん様にしたんは、あんたの差し金じゃろう」
『何か証拠はあるのかな』
有作は岡田の目から視線を逸らさず意味深に薄く笑った。余裕の有作に対して岡田はもう相当に体力を使ってしまった。何とか有作を受け止めて、こちらの言い分は通さねばと必死だった。無論それを表に出してはならないのだが、体中から出てくる汗はどうにもならない。
「わしらにゃそんなもんは要らんのじゃ。あれでわしらを追い込んじょいて、今度はミコノちゅう薬を売り出してきたんじゃろう」
『ミコノの件は事実だ。今日来たのは、山野組がそれを欲しいと申し出があったからだ。本来ならそちらから来るのが筋だが、岡田さんの容体がよろしくないというので、今回こちらから来たんだ。早速だが、その話を進めようじゃないか』
岡田は微かに笑い、有作の堂々とした立ち居振る舞い、顔、目の力を見て、こいつは中々食えん男じゃと思った。
「まぁそう慌てんさんな。ミコノを手に入れる代わりに梅木の傘下に入れちゅう事じゃが、梅木連合は実際、あんたが仕切っちょるんじゃろう。そしてあんたは、全国の極道を統一する野望があるっちゅうのを聞いちょるけどの、そりゃ実際無理な話じゃで。わしでもそんな事を考えた事はないんで、極道ちゅうもんはのう、そもそもその土地の阿呆どもが集まってどうにもならんで、生きる為に自然に出来たもんなんじゃ。
その中でも気心の知れたもん同士が徒党を組んで徐々に広げていくもんなんじゃ。じゃけぇのう、それを全部一つにまとめるっちゅうのは、意味がわからん。こりゃ極道でもないあんたらしい考えじゃと思うで。それを無理にやろうとすりゃ、もうとんでもない事になるんで、あんたはその始末をどうしてくれるんかいのう」
岡田はこの期に及んで、有作の構想は無理な話だと否定してきた。有作は岡田の話を聞いて、この爺意外とまともな事を言う。はじめは力押しで行けば簡単に落ちると思ったが、これは真面目に取り組もうと考えを変えた。
『確かに俺は極道じゃない。政治家だ。政治家の仕事は、人と産業を育てて社会を豊かにし、日本が世界の中で生き残る様に指導する事なんだ。俺もあんたも日本人だ。日本が生き残れなきゃぁ俺もあんたも生き残れない。それはわかるな』
徐々に有作の声が凄みを増し、目がギラギラと光り出すと、岡田が少し引いて有作が何を言うのか耳を傾けた。
「まぁ、そりゃぁそうじゃの」
『あんたは日本一の極道の親分さんなんだから、わかってくれると信じて話をしよう。日本は、敗戦後の復興から朝鮮戦争景気で高度経済成長。そして狂乱のバブルとその崩壊。それ以降低迷を続けたが、今日本は復調の兆しを見せていると言われている。ところがどっこいそれは気休めに過ぎない。
その中でも、あんたらヤクザは常に強かに生き残ってきた。戦後復興の頃は、度胸と腕っ節が強けりゃ何とかなったはずだ。経済成長期は商売道具の暴力と脅しを駆使して面白い程儲かったろう。バブルの頃はインテリヤクザの時代と言われたが、結局は土地転がしに高利貸しと詐欺じゃないか。知性と呼べるものがあったとすれば、計算が速かっただけの事だったな。
しかし今はどうだ? 景気が良いと言われているのに、あんたらのアガリあんまり伸びてないだろう。それは会社が接待を止めて、派遣(社員)を使って人件費を抑え、正社員の給料まで抑えて儲けは会社が貯め込んでるからなんだ。おかげで人々は、遊ぶ金を控えざるを得ない。それでも遊びたきゃ、借金するしかなかった。
そこで世間で注目されたのが、安くて旨いラーメン啜って、急場しのぎの高利貸しと一発逆転のギャンブルだ。ところがあんたらのアガリは期待する程じゃなかったろ、そこは俺達がガッチリ頂いてるからな。つまり今のヤクザは、政治力とアイデアと宣伝の時代というわけだ。ここで一つ教えよう。あんたらが麻薬取引出来なくなったのは、察しの通り、俺がやってるんだ。悔しかったら、止めてみろ。俺達は科学技術まで使ってるんだよ。
あんたらこの厳しい時代を生き残る為に、何か新しい手を打ってきたのか! やったのはせいぜい高利貸しと取り立ての強化と、オレオレ詐欺を後ろで操り、更に多くの人を麻薬漬けにして、骨の髄までしゃぶりつくすのが上手くなったぐらいじゃないか。どうせあんたら、もうジリ貧だぜ。だったら俺が手を打って麻薬を潰してトドメを刺してやろうってわけだ。
だが、俺はヤクザを生かすと決めたんだ。あんたらだって同じ日本人だからな。これは矛盾している様で矛盾していない。あんたらはこれまで何をしてきた? 良い事も悪い事もしてきたろう。俺達だってそうだ。しかし、それには限度があるんだぜ。良い事だって限度を超えれば、おせっかいや有難迷惑になるし、悪い事も限度を超えれば警察の御厄介になるわけだ。
それで近頃は、その限度がわからない連中が増えたよな。あんたらもヤクザとしての気概を持って、弱きを助け強きを挫くという任侠道を貫くなら、それで良いし、善悪のバランスの為にそうして欲しいんだ。ところが、今のあんたらは社会の役に何も立ってない。だからもう麻薬はやめて、梅木組の傘下に入って、ミコノで商売するという道を残したんだ。
勿論その他の違法行為もやめてもらう。ただし合法か違法かのグレーゾーンは良いと思うよ。せいぜいこれからも警察と揉めるがいいさ。ヤクザの仕事なんて、実際汚いものさ。結局普通の人が手を出さない分野で働いて、普通の人から稼ぐしかないんだからね。そんな事をいちいち親分さんに言う必要はないと思うから省略するが、とにかく麻薬はやめろ。その他は程々にしとけ。それを梅木組が監視・指導する』
岡田は今までの極道人生で、ここまで正面きって物を言われた事は一度も無かった。日本最大の暴力団会長を前に、堂々と物言う人物はそういるものではないが、岡田は有作の迫力に圧倒されてしまった。今まで理屈抜きで相手を罵倒・恫喝して心理的に追い込んできた極道の手法ではなく、有作の話は大筋で的を射ている。だから不思議と腹が立たないのは何故だろうか。
有作は自分達の弱点を見事に突いてきたのだ。岡田にとって有作は、これまでの罵倒や恫喝が全く通用しない相当手強い存在だ。それでも岡田は頭の中で、どうにかして有作に対抗してやろうと必死で機を窺っていた。このまま有作に全面的にやられたのでは、山野組の沽券にかかわる。それでも岡田は、何とかしてミコノ契約をとりつけておいて、梅木の傘下入りは免れたいの一念に固まっていた。
岡田は、有作を前にして黙っているわけにはいかず、漸く口を開いた。岡田は、実質有作が操っている梅木組の戦略は、不公平だと反論したのだ。幾ら日本最大の極道といっても、日本の法律や条令を変える事は出来ないから政治力なども全然無いのだ。それにアイデアと宣伝が巧みな人材は、まず極道にはならないので、当然その力も弱い。おまけに科学技術となればもっと弱い。だからその弱点を突かれれば日本最大の暴力団といえどもこの様なのだ。
その点梅木組は、有作が仕切っているから、カジノや売春が法律で禁止されているところを条例で通した。つまり国会で法律を改正しなくても、カジノは公営ギャンブルの拡大版、売春はソープランドの拡大版と解釈・説明して、日本政府を実験的に黙認させてしまったのである。そしてSを街毎造りかえて巧みに宣伝して、海外マフィアも取り入れて、梅木組は今も毎月空前のアガリを得ている。
更に梅木組は、科学技術を使って国内全ての麻薬取引を妨害して、自分達のアガリを落とし込んできた。これは直接非常に効いた。そこに又しても科学技術を使ってシャブを超えて合法で安全なミコノを開発して売り込んできたのだ。こんな芸当が、暴力団に出来るわけないではないか。と主張したのだ。
しかし今、自分の目の前にいる男は、それらを易々とやってのけ、自分等を飲み込もうと迫ってきているのだ。岡田は、これらの点について不公平だと有作に訴えたのだが、有作は呆れた様子で語った。
『いやいや、日本最大のヤクザの親分さんから不公平と言われるとは思わなかったな。あんたらが今まで、そんなにフェアな事をやってきたとは、到底思えないんだがね。ヤクザってのは弱肉強食の世界だと思っていたよ。
今更それ言っても、どうにもならんだろ。手段はどうあれ、あんたらが先手を打ってどうにかしなかったから、今の泣きになってるんじゃないのか』
岡田の必死の反抗も、有作がガッカリ気味に一蹴したので、岡田は怒りで震えが来たが、それは体調に障った。そうかといって武力抗争に入ったとしても、梅木組はY県警の傘下に入っているし、有作なら必要に応じて自衛隊も投入しかねないから万に一つも勝ち目は無い。
理由はどうあれ岡田には、もはやどんなに対抗策を考えても何も浮かんでこなかった。全く見た事も聞いた事もない異質な相手である梅木組に、自分達は降るしかないのか。それだけはどうしても嫌だ。岡田は有作の底知れぬ迫力に、気が動転してきた。そして、何故有作が極道統一に拘っているのかがまだわからなかった。岡田は頭から汗が垂れてきたので、隣にいた世話係の女に拭いてもらい、冷たい茶をゴクリと飲んで一息ついた。
「あ、あんたのいう事はわかった。もうそれについちゃあ何も言い返せんわい。わしらもミコノが欲しいんじゃ。じゃけぇあんたの言う事を聞くしかないんじゃけどの。わしはあんたに全国統一は無理じゃち言うたが、この手で来る限り可能性はあるのう。
極道なら無理じゃが、政治家さんが本気になったら出来るちゅうわけか……。じゃけどわしは、何であんたが全国統一に拘るのかがわからんのじゃ、シャブはやめるけぇ今のままでええんじゃないのか? 統一の目的は何じゃ? それだけわしに教えてくれんかのう…… 」
有作は、岡田の心境が徐々に変化し、顔色が悪くなっているのがわかった。そして自分が全国統一を目指している目的が、金や権力欲の充足ではない事を理解している点は見直した。勿論真の目的を見抜いてくれたらもっと良かったのだが……。
『宜しい。では御話しよう。今梅木組がY県で何をやっているのか知っているな。あんたらに言わせれば、一文の得にもならん警察の下働きだ。ところが見方を変えると、それはあんたらがとっくに忘れた真っ当なヤクザの活動である、仁義を通した任侠道の追求だ。
これは街の治安維持に有効なだけじゃなく、人の教育にも有効なんだ。知っての通り、日本は目立つ資源はないが、綺麗な水と日の光がある。これがあれば米が出来るから、人が生きていける。
日本は古くから人があらゆる分野で、巧みの技を磨いてきたのは知ってるよな。それはただ生きているだけじゃ決して生まれてこない、とても大切な発想なんだ。それらを科学技術に上手く転用出来たからこそ、世界的にブレイク出来たんだ。
あんたらがあくどいことばかりやって人から金をとり、こうして贅沢な庭を眺められるのも、そのおかげなんだぜ。だから日本の宝は、人だと言える。しかしその宝である人が、急速に減ってきている。高齢化と少子化だ。おまけに教育が形骸化して子供の自殺が増えている。自殺までしなくても、あんたらの言う、頭は良いが社会に適応出来ずヤクザにもなれない連中が増えているんだ。
実はそんな連中の中には、ITに強い者が多くて、IT詐欺で時代遅れの恐竜みたいなあんたらのアガリを脅かしてもいるんだよ。そこであんたらは得意の脅しと暴力で、そいつらを支配してアガリを掠め取る味を覚えたろ。あいつら力は無いからな。しかし全く情けない。あんたらにプライドはないのか? 俺は政治家だから、あんたらが目もくれない、そんな連中の教育にも目を向けるんだ。
それは学問の教育じゃない。人の道、仁義を教えてやるんだよ。だから真っ当なヤクザが、街の怖い兄さんとして、今言った様な連中や、酒や女や博打に熱くなり過ぎたバカ親爺や、深夜に繁華街をたむろする未成年や、素人の売春、そして見るからに悪さしそうな怪しい連中に説教して家に帰すんだ。梅木組は、その役割を毎日粛々とやってるんだぜ。
俺は、あんたらがミコノで商売するんなら、梅木組の傘下でそれをやって裏側から街の治安を守れと言っている。それは何も新しい事じゃなく、昔はどこでもやってた事だったはずだろ。梅木組の傘下に入れというのは、あんたら誰かがチェック(監視)しとかんと堕落してサボるからだ。
俺は政治家だから、あんたら嫌われ者のヤクザにも、同じ日本国民として目をかけるんだ。これからは心を入れ換えて立派なヤクザとして生きてもらおうじゃないか。あんたらも胸張って極道を名乗ってるんなら、阿漕な事ばかっりやってねぇで、ちったぁまともに社会や人の役に立てよ! 』
岡田は、有作にこの様に熱く語られて、胸を何かで貫かれた気がした。そう言われれば思い当たるところがあった。確かに昔は、街で調子付いた小僧に拳骨入れて説経したもんだ。それがいつの間にかやらなくなって、ギスギスした権力闘争に明け暮れて、金になる事しかやらなくなっていた。
そして有作の指摘の通り、この世界では敗者は消えるのみで、自分等に自浄能力はなかった。生き残る為に旨味のある事に跳びついて何振り構わず突っ走るしかなかったのだ。今回の有作の行動と話は、極道の原点回帰への説得ととらえるべきか……。警察から睨まれ、世間の人々から恐れられ嫌われるのはもう慣れている。しかしそれを生き甲斐にしている様な者は、ウチにいるのだろうか? 少なくともそれは自分(岡田)の望むところではないし、子分も余裕が無く疲れている様に見える。
しかし、自分等はもう後戻りなど出来ない。と思い込んでいた。この男(有作)の言う事はわかりやすくて説得力があるので、いちいち納得してしまう。どうしてこんなふうになってしまったのかわからない事も、こう言われれば合点がいくというものだ。その上、何やらわからん技術を使ってシャブの取引を阻止して、シャブ以上の薬を開発して、わしらに真っ当な極道に戻れと言っている。否、言ってきてくれている。
今ミコノは掛け値無しで欲しいし、昔の極道活動に戻る事も吝かではない。しかし梅木の傘下に降るのは、子分への体面もあるので、言う事は全部きくから何とかそれだけは避けられんもんかのう。岡田は、搾り出すような声で、その様な事を有作に伝えた。それを聞いた有作は、少し呆れた表情を浮かべて言葉を続けた。
『ここまで言ってもまだわかって貰えんとは、正直ガッカリだよ岡田さん。俺達日本人には、もう時間が無いんだよ。あんたらが虚勢を張っていがみ合って守ってると思ってるあんたらのシマ(縄張り)は、外国のヤクザな連中から見たら、もうとんでもなく美味しい果実の山なんだよ。わかりやすく言えば、黄金の山の番犬がチワワってとこだ。
昔は国内の縄張り争いだけで小さくドンパチやってりゃ良かったんだが、今はグローバルな時代なんだ。今急速に経済発展を遂げてきた国、貧困に喘いで食うに困っている国のヤクザが、あんたらを舌なめずりしながら狙って隙を窺ってるんだ。そこを貧弱なヤクザが虚勢はって、睨みをきかすくらいじゃ、屁のツッパリにもならんのだよ! ハッキリ言おう。あんたら弱いんだよ。弱過ぎる!
ウチのチバって男を聞いた事あるだろ。あいつは梅木をさらわれて奪還する為に、たった一人で弱小暴力団を壊滅させた……。あいつは殺し屋かもしれんが、殺人鬼ではない。多少やんちゃかもしれんが、任務に忠実で分別もある。だから俺が信頼して梅木の補佐・警護をやらせてるんだ。
奴の本来の任務は、ここでは言う必要はないが、もっとハードな事をやってるんだぜ。しかも表沙汰にならない様にな。俺はチバみたいな奴が、ヤクザとしてあと千人欲しい。そうじゃないと日本の街はとても守れんのだよ。俺が日本統一に拘る真の目的はな、日本のヤクザをもっと強くして、外国勢力からの侵略を食い止める為なんだよ。あんたなら察しがつくと思っていたんだがね…… 』
有作は、漸く日本統一に拘る真の目的を岡田に話した。そして日本最大の暴力団会長といえども、頭がとことん内向きで、回転が鈍く、器の小ささに痺れを切らして語気を強めた。すると岡田は、そんなものは警察や自衛隊にまかせときゃええんじゃ。と言ったので、とうとう有作を怒らせてしまった。
『なぁにをトンチンカンな事言ってんのかねぇこの爺さんは。奴らはね、軍じゃないの、だから自衛隊は無し。そんで警察は民事不介入で、実際あんたや他の誰かが死んでからじゃなきゃ動かないの。だったらあんたが酷く殺されてみるかい? 嫌だろ。だったら自衛するしかない。それを言ってんだよ! あんたらこれからは警察と仲良くしといた方がいいぜ。
連中が五百人で一気に襲って来て、あんたらヤクザもんを同時期に八百人殺したら、山野組は実質壊滅だ。それだけで街の警察は捜査で手一杯だ。勿論全財産は盗られて空いたシマに後の一千人が入ってくりゃ、シマは完全に盗られた事になる。
つまり、もし先に来た五百人が全員警察に捕まっても、シマは後から来た一千人が盗って十分生きていけるし、そこが基地になって他のシマを狙うわけだ。まるでイナゴの大群の大移動と同じだよ。
それに万が一警察に殺人罪で捕まっても、裁判で過失致死を認めて反省が認められれば、初犯ならたった五年で出れる。知ってるだろ? それに日本の刑務所は連中にしてみりゃ天国だ。岡田さんさー。これ脅しじゃないんだよ。連中の具体的な計画の一つなんだよ。だったら自衛するしかないだろう? 』
岡田は有作の話を聞く内に、更に顔色が悪くなっていた。それを心配そうに見ている世話係の女が無意識に岡田の手を握った。岡田には思い当たる事件がいくつかあった。
『だから梅木組では、組員を自衛隊で訓練させて特優評価の者には拳銃の所持まで許可しているんだ。さすがに県外では拳銃所持まで認められんが、梅木の傘下に入ったら、もうダラダラ贅沢に耽るんじゃなくて、陸自で訓練を受けてもらうよ。
あんたら暴力団と呼ばれてんだろ。しかしそれが通用するのは、平和と調和を好む平和ボケした日本人の、小さいコップの中だけのもんだ。やがて本当に強くて飢えた連中が入り込んできたら思い知るだろう。それじゃぁ政治家としては遅過ぎるんだよ。それに暴力団なのに実際弱いんじゃ話にならんじゃないか! 』
岡田は有作の話をここまで聞いて、暫くじっくりと考え事をしている様子で、庭に視線を投げた。有作は、岡田が何を言い出すのか静かに待った。
「……何やら凄い話になってきたが、あんたが出鱈目言うちょるとは思えんけぇのう。要するに、あんたは今のままじゃぁ外国の極道にゃ勝てんから、日本の極道を統一して対抗できる様にしたいっちゅう事かのう」
『その通りだ。同じ梅木組なら、万が一さっき言った様な大規模襲撃にあっても、直ぐに駆けつけて助けてやれる。それに、あんたらが麻薬と違法行為を止めて任侠道の追求をしていれば、治安が良くなるから警察だってあんたらを見直すはずだ。全てはうまく回るはずなんだよ』
岡田は、有作の言葉を聞く内に涙ぐんだ。まさかそこまで外国勢力に狙われていたとは考えてもいなかったし、有作が作り話をしているとはとても思えなかった。岡田は自分等を極道だと認識していたが、有作はヤクザと呼び、世間では暴力団と呼んでいる。呼び方はなんでも、今の自分等は違法かグレーの手段で金をとる事ばかりやっている内に、日本のシマが外国の極道に狙われており、襲撃されれば一溜りも無い程弱体化している事を指摘され、これは反論出来ない程効いた。
自分の目の前にいるこの男は、自分等には想像もつかない手段を使ってシャブを止めさせ、これ又自分等から見たら異次元の薬、ミコノをちらつかせて自分等を追い込んで、侵略してきたとばかり思っていたが、話を聞けば聞く程全然違う事が良くわかった。そして、極道統一に拘る本当の理由については、自分等には芥子粒程も思いよらないところからの動機に、岡田は圧倒された。
有作は、自分等に昔の極道に戻れと言っているのだ。学問は出来んかもしれんが、人に仁義を説き、シマの治安を守りながら、外国勢力にも対抗できる様に強くなって極道らしくなれと言っているのだ。そして梅木組としてなら、いざとなれば加勢するとまで言ってくれている。更に全国が梅木組に統一されたなら、もうこれで極道同士のシマの争いはなくなるのではないのか。山野組は今、日本最大だからシマをこのまま固定してくれれば有利だ……。
岡田は庭に目をやりながら色々考えていると、若かった頃の、必死ながらも充実して生きた日々が脳裏に甦ってきて、有作の申し出を受け入れれば、子分達にも、本当の極道の人生を味わわせてやれるかもしれんと思うと、急に嬉しいやら有難いやらの気持ちが湧き上がり、不覚にも涙が溢れてきたのだ。
そして最も心に響いたのは、同じ日本人として、ヤクザにも目をかけている。という嘘偽りの匂いの無い、力強い言葉であった。岡田はこれまで色々な政治家に会って来たが、どいつもこいつも碌でもない奴ばかりで、政治家をナメきっていた。しかし有作は政治家としても、男としても、これまで出会った事の無いタイプであった。
口先だけで暴力団根絶を謳うでなく、逆に生きる道を示してくれているのだ。岡田は熟慮の結果、遂に有作を信じた。この男なら信じて良いと心に決めたのだ。
「……話は本当に、ようわかった。御見それしました。これから、山野組連合は、梅木の傘下に入るで。じゃけぇミコノで商売させて下さい。ミコノが合法なら、もう金輪際危ない橋は渡らんけ。必要がないけぇの。それと昔の極道らしゅうに人に仁義を説いて、シマをキチンと守っちゃる。梅木組からの御指導には全部従う。外国からの危ない連中にも目ぇ光らせて、危ない時には直ぐに連絡するけぇ、加勢を宜しゅう頼みます……。おい、桂木(山野組のナンバー2)を呼びや、それと筆と紙と印を用意しぃ」と言うと、世話係の女は畏まりましたと言い残して部屋を出た。これをもって、遂に山野組連合が無血で全面的に梅木組の傘下に入る事が決まったのだ。有作と岡田は初めて二人きりになって、見事な庭を見ていた。
『有難う、岡田さん。よく決断してくれた。決して悪い様にはしないから』と言って有作は岡田の小さくて皺皺で小指の無い右手を握った。
「礼を言うのはこっちじゃけ。もしあれでも断ったら、あんたは何をするかわからん目ぇしちょったじゃろう…… 」
『これだけ言っても駄目なら、即廃業してもらってラーメン屋にでもなってもらうところだったね』岡田は有作のジョークに微かに笑った。
「……実はの、わしは胃癌なんじゃ……末期ののぅ。そんでウチは跡目争いでゴタゴタしちょってのう。こうなりゃええ頃かもしれん。渡世は益々嫌なもんなってきたが、わしは最期まで、極道として死にたいもんじゃのう……。最後にええ話を聞かしてもろうたぁ。有難うな。あんたなら、組を任せられそうじゃ、おっと、あんたは政治家じゃったのう。わしは政治家なんぞ碌でもねぇと思うちょったけど、あんたは違う。あんたにゃ一票入れたいくらいじゃ、そんで、くれぐれも山野組を頼むで…… 」
岡田はそう言うと、有作の右の手を両手で握り返した。その安堵した涙顔を見ると、有作も目頭が熱くなった。
『わかった。あんたが笑って見てられる様に、これからもっと日本を変えて、あんたらを守っていくよ。その為に、是非力になって欲しい。だからはやく元気になってもらわんとな…… 』
「おうよ、又元気になって梅木組を盛り立てないかんけのう…… 」
有作は、この時の岡田という親分さんの寂しげな儚き笑顔を忘れまいと思った……。
第二十章
この後、有作一行と桂木が岡田のいる日本間に集まって、細かい諸条件を議論して最終的に山野組が、シマの現状維持で、梅木組の傘下に入る合意書を作成し、有作立会いの下で、岡田と梅木が署名して巨頭会談は終了した。
岡田は山野組連合のシマの維持に拘ったが、有作にしてみればそれは当たり前の事で、梅木組に入っても山野組連合のシマも看板もそのままだと知ると、岡田は心底安堵した様子を見せた。その帰り道、有作は千葉が運転する防弾性ベンツの後部座席で、高速で流れ去る景色を虚ろに見つめていた。
「どうしたんですかトノ、全てうまくいったっていうのに、浮かない顔ですね」
ユリはその美しい小顔を、有作に傾けて声をかけた。
『ああ、岡田の親分さんのイメージが実際と随分違っていたんでね。良い御爺ちゃんだなぁって思ってさ…… 』有作が珍しくしんみりとしていると、梅木がわざわざ器用に首を後ろに捻じ曲げて話に割り込んできた。
「閣下。そりゃぁ違いますで。本当の岡田さんは、そんな御仁じゃあないですけぇね。わしの知っちょう岡田さんは、目が恐ろしい。あのギョロ目で睨んでから、血も涙もない恐ろしい言葉攻めでから、相手を圧倒するんじゃ。あれを思い出すだけで、わしゃタマが袋から飛び上がりますで! 」
それを聞いた有作は、タマが飛び上がった間抜けな梅木を想像すると、珍しくゲラゲラ笑った。ユリはセクシュアル・ハラスメントだと言った。
有作の高笑いで車内が沸いたドサクサで、ユリのタイトミニスカートに隠された太股の奥が見えそうになると、梅木の目玉が倍ぐらいに大きくなって、ユリの下半身に顔を突っ込みそうな勢いで首が伸びると、ユリはたまらず梅木のスケベ顔に平手打ちを食らわした。ユリのクリーンヒットを見た有作は、『おお! 』と言って余計に笑った。
『梅木、よく伸びる首だな。もう一発食らいたくなかったら顔をこっちに向けるな』有作がそう言うと、梅木はすごすごと顔を前に向けた。千葉はハンドルを握りながらも笑いを堪えていた。
「しかし閣下、何回も言いますが、よくぞあそこまで岡田さんを説得して下さいました。信じられない快挙じゃぁね」
『何回それ言うんだよ。俺も何回も言うけど、御前の仕事だったんだぞ。それに御前がそう思っている間は、岡田の親分さんにはずーっと頭が上がらんよ。
彼も言っていたが、多分俺がヤクザじゃないから恐れる事無く向かう事が出来たんだと思うよ。俺は彼を少しも恐ろしいとは思わなかった。山野組が落ちたのは、彼なりに俺の言う事を必死で聞いて全体を考えてくれた結果だよ。
話のわからん奴だったら、こうは行かなかったんじゃないか。梅木、岡田さんはもう部下なんだから、いつまでも恐れてないで、それなりの対応をしていかないと示しがつかないよ。これでもう日本統一計画は、御前らに任せたから、後は頼むぜ』
「承知」
「あの、それ俺のヤツなんですけど…… 」と千葉がボソリというと、全員が笑った。
千葉はこの和やかな空気を機会に有作に訊いてみた。
「トノ、前から訊いてみたい事があったんですけど、今いいですか? 」
『何だよ』
「今回トノは、『イルカのカー君』と『ミコノ』を使って山野組会長を説得されたのですが、具体的にどの様な会話をなさったのですか?つまり、トノの交渉力のコツを教えて欲しいんです」
『御前酒でも切れたんじゃないのか? 大丈夫か? 例えば十代の小僧が御前に、殺しの秘訣は何ですか? と訊かれて答えられるか? それと同じだ。
俺は今まで、色んな相手と交渉してきたが、コツなんてあるか。その手の類の本は山ほどあるが、気休めに過ぎないと思うよ。読んだ事ないからね。だって交渉の内容や相手、日時天気気温全部違う。台本も無いし結果も決まってないところでやるのが交渉だろ。
そこで自分の目指す結果に導く為には、準備を良くしておく事と絶対諦めない事だ。話をわかり易くするために俺が質問しよう。俺が『イルカのカー君』と『ミコノ』無しで、山野の親分さんとこに行って傘下に入れと交渉しても上手く行ったと思うか? 』
「思いません」
『だろ? だから俺は、カー君とミコノの威力を十分相手に思い知らせて、向うから会談を望むまで待ってから行ったんだ。それで勝負は殆どついていたのさ。御前が一人で戸畑興業を潰した後、良く準備をしていたとリチャードが褒めていたぜ。
御前は戦闘については良く準備が出来て、生き残る事を諦めないだろ。似てないか』
「確かに」
『じゃ、御前ら寿司屋の「穣治」で話した時、謎々の答を教えたよね。それに対する準備をしたら良かったんだよ』
「えぇー、閣下そりゃ殺生ですよ、わしら極道に『イルカのカー君』や『ミコノ』が作れるわけ無いじゃないですか」思わず助手席の梅木が再び首を捻じ曲げて言ったその言い草が、岡田の親分さんの言い分と同じだったので、有作は笑いだした。
『今御前、岡田の親分さんと同じ事を言ったぞ。不公平だってな、不思議だよなー。じゃあ御前からみたら、カー君やミコノは使っちゃいかんわけ? 』
「いえいえ、決してそんな事は無いですけど。あれ? 変だなー」
『つまり、山野組はヤクザ同士じゃ強いかもしれんが、政治家が本気で組織を使って挑めば圧勝したという事だな。ホラ、交渉にコツなんかないじゃないか』
千葉は、有作の話を聞いても、わかったようでわからないというスッキリしない気分だったが、有作が決してふざけて答えたわけではない事はわかったので、帰ったらベッドでユリと真剣に考えてみようと思った。有作一行のベンツは、前後に完全武装した陸自衛官が乗るハマー4台に護られて一路Y県庁舎に向かって走って行く。
西暦20XX年秋、日本はますます混迷の時代に突入した。思うように政治も経済も上向かないという無力感、閉塞感が充満しているのだ。そして西暦2008年には、リーマン・ショックと名付けられた世界的大事件が発生した。そして未来は自由民政党に代わり民政党が政権を握る。そして誰もが無かった事にして欲しい2011年3月の東日本大地震と福島原発事故……。など当時は誰も信じなかっただろう。そう、未来は信じられない事の連続なのである。
この物語の主人公である鈴木有作は、実業家からM市市長を経てY県知事となり、財政問題、行政問題、治安問題、地方経済・産業振興問題、暴力団対策問題に果敢に取り組んで、結果を出して高い支持率を得ている。自由民政党が提唱した市町村合併を拡大してY県をQ州全土に広げた。更に秘書ユリからの報告によれば、S国からも熱烈な合併希望を受けているらしい。今後も、エネルギー問題、農業問題、地方自治体からの視点による国際問題に取り組む予定で、益々意気盛んである。有作は、自分の人生を冒険だと思っている。
日本人の人権や利益を突き詰めて考え、今の法治国家としてのあり方に疑問を持ち、民主主義改革を掲げ、地方自治体から実験を開始したのである。有作は自分にとって、これ程手応えのある大きな冒険はない。と考えている。有作は世間(日本)の常識に囚われないから、自白剤も悪人島もOKであり、ギャンブルもセックスもほどほどならOKで、法規制は無意味と考えている。その運営・ほどほどの監視役は、暴力団が最適と判断して暴力団を生かす道を与えた。但し麻薬を国内で撲滅する事に成功し、麻薬を上回る無害な薬を開発するという発想は過去に聞いた事がない。
暴力団の選別と統一など、一見突飛で実現不可能に思えても、有作は実現させる為の準備を用意する事こそが有作の真骨頂なのである。そして有作は日本の未来、世界の未来を真剣に見据えている。現代世界の秩序維持に核兵器(水爆も含む)という力が重要である事も疑問を持っている。そろそろ核を無力化する程の新しい大きな力を作ろうと考えてはいけない事なのだろうか。有作の冒険はまだまだつづく。