報復行動
時代風景が現在に合うよう少し加筆しておりますが、本作品は十年以上前に構想執筆したものです。私も久しぶりに読み直して、説明しなければならない点を見つけました。
作品中『311テロ』という記述がありますが、日付と時刻から連想されるのは現代では言うまでもなく『東日本大震災』です。しかし執筆時には東日本大震災は発生しておらず、まったくの無関係で想像上のフィクションであり、年日付に関しては偶然の一致です。この章でご不快な思いをされる方でるのではないかと心配して、敢えて前書きとして記し、説明することでご理解をいただきたいと願っております。
第十五章
この日、梅木と千葉は宇部空港にマリッツィオ・ファミリーのボスであるマリッツィオ・ヴィトーリを迎えに来ていた。
「千葉ちゃんは、英語出来るんかのう? 」
「ええ、まぁ困りませんけど」
「ええのう、わしなんか、ディス・イズ・ア・ペンじゃけーの」
「閣下(有作)も言っておられたでしょう。これからは最低でも英語ぐらいできんといかんと、もう、実地訓練ですよ」
「まぁの、まかしちょけーや」
マリッツィオ・ヴィトーリは、CIAから要請を受けて、Y県でカジノ・風俗ビジネスを展開する為にこの日初めて来日し、成田空港から国内便に乗り継いで、宇部の地に降り立った。身長は158センチ、年齢は33歳、小太りで、落ち着いた色合いのイタリー製カスタムメイド・スーツに身を包み、薄い髪をオールバックに撫で付けている。髭が濃く、ガーゴイルのサングラスをかけた貫禄のある風貌だ。後ろには大柄で隙の無い身のこなしの用心棒が二人控えていた。
彼等はゲートから現れた瞬間から独特の雰囲気を出していたので、梅木と千葉は、彼等がそうだと直ぐにわかった。三人のイタリア系アメリカ人は、到着口で預けていた荷物を待つ間に何か談笑していた。梅木はスタスタと彼等に近付いて声をかけた。以下は梅木の片言英語の対和訳である。
「ハロー? マリッチオ? マリッチオ? わし梅木」
「誰だ御前は? 一体何を言ってるんだ? 」
「わし梅木梅木、ハロー」梅木は自分の鼻に右手人差し指を付けて、う・め・き、と発音すると、「ウ・メ・キ? おお、あんたがそうか、リチャードから話は聞いているよ。はじめまして、俺はマリッツィオ・ヴィトーリだ。会えて嬉しいよ」と気さくな笑顔で右手を差し出した。
梅木も笑顔で、がっちりと握手をしながら、「ああ、マリッチオ。会えて嬉しい」
「それで、リチャードは来てるのか? 」
「えー、ハロー、わし、梅木梅木」
「そいつはわかったよ。俺はリチャードはいるのか? と訊いているんだ」
「わし、梅木。大変有難う」
マリッツィオが呆れかけたところで、千葉がゆっくりと歩み寄って声をかけた。
「失礼、説明させて下さい。リチャード氏は、Sのホテルで皆さんを御待ちです。この方は、梅木連合の会長で、梅木敏行です。私は、梅木の部下の千葉秀樹です。御会い出来て光栄です」
「おお、英語だ。漸くまともに話が出来そうだな。あんたが千葉か、噂は聞いて知ってる。紹介しよう。俺がマリッツィオ・ヴィトーリで、こっちがアントニオと、こっちがトニーで腕利きの用心棒だ」マリッツィオが陽気に用心棒二人を紹介してくれたので、千葉も笑顔で挨拶が出来た。
それから雑談をしていると、荷物がコンベアによって運ばれてきたので、アントニオとトニーが荷物をピックアップしてカートに乗せた。千葉は、ここからS市まで距離があるので、車で迎えに来たと説明した。千葉が運転する国産のワンボックス車で一行が無事にS市入りすると、S市での最高級ホテルにチェックインしてから、そのホテルのミーティング・ルームでリチャード・ギリガン、有作、ユリの三人と面会した。マリッツィオとリチャードは旧知の仲らしく再会を喜んで挨拶したが、有作とは初対面なので、わざわざ丁寧な発音で挨拶を交わした。有作は優雅な微笑を保って握手を交わした。ユリも優雅にハグの挨拶を交わし、右手を差し出してキスの挨拶を受けると、一同はテーブルを囲んで落ち着いた。
良いタイミングでボーイがシャンパンを運んで来たので、有作は遠路遥々やって来てくれたマリッツィオの長旅を労い、これからの繁栄を期して乾杯した。それから堅い話は抜きにして、キャビア・クラッカーとシャンパンを味わいながら、有作は雑談の中で日本の首都・東京の中央政府が、Y県の政策を実験的に容認してくれているから、カジノ・風俗ビジネスについては問題無い事を、ユーモアを交えて説明した。マリッツィオは上機嫌で、「俺達はその手のビジネスについては得意で、とても簡単な事なんだ。それをやる事がココにとっても良い効果が得られるんだったら、お互いにとって良い事だ。期待しててくれ」と応えた。
有作も笑顔で彼等を歓迎し、『これから暫くは時差取りも兼ねて、ゆっくり身体を休めて欲しい。もし退屈なら、そこの梅木と遊んでもらって構わない。彼はこの街の良い所を沢山知ってる。楽しんでくれ。この二~三日の間に各国のマフィアがこの地を訪れるから、全員が揃ったら又会議をやろう。詳しい日時は又連絡する。それでは、今日は本当に御苦労さんでした』有作はそう言って、散会を宣言した。彼等は長旅で疲れているはずだから、今日は顔合わせ程度で十分だ。
有作はユリに後片付けを命じ、千葉とラウンジでコーヒー飲んでくる。と言い残して、二人でラウンジに向かった。広く天井が高いラウンジで、グランド・ピアノがショパンを自動演奏する優雅な空間で、有作はコーヒーを飲みながら、久しぶりにゆっくり千葉と話をした。話題には事欠かないが、有作はQ州暴力団統一の進捗状況の確認した。千葉の活躍が、梅木組に対する脅威を倍増させ、地元暴力団は腰が引けて、合併交渉は有利に作用していた。そして千葉自身も、これまでの剛直な態度を改め、交渉には大河原も参加して、相手の暴走を抑える工夫もあって順調に進んでいた。
但しカジノ・風俗の解禁は、自治体の市町村合併がならなければ実現しない為、地元暴力団は、覚せい剤ビジネスを放棄する替わりの収入源の確保。という点から市町村合併を望む声が多いらしい。
勿論、梅木組もそれがある以上、強引に吸収合併を迫る事はせずに根回しに留めていた。有作は、千葉の話をにこやかに聞いていた。千葉は有作の県境を越えた市町村合併の話をききたがったので、有作は穏やかに語り始めた。本来であればラウンジで語る事ではないのかもしれないが、地元S市なので問題無い。周囲の人々が有作がいる事に驚き、喜んで聞き耳を立てていた。
有作の施政は、その変化を憂慮していた北Q州市民に、実感を伴った数字で公開しているので、合併して良かったという意見が過半数を占めている。今では北Q州市合併を成功させたスタッフは、難事業を成功させた事で自信を持ってくれた。そしてブルードーザー部隊も捜査・審議権を活用して、自衛隊を有効に使って平和裏に地均しを進めていく能力に磨きがかかっている。
後は、合併を望む市民のその声が頂点に達したところでGOサインを出し、演説によって市民を煽り、合併行動を宣言すれば、県境を越えた市町村合併事業が動き出すシステムが出来上がった。と有作は簡潔に状況を千葉に説明した。千葉は、まるで少年の様に瞳をキラキラ輝かせて聞き入っていた。そして有作は、千葉を『よくやっている』と褒めた。こんな自分の日々の活動でも、偉大な有作施政の役に立てていると思うと、誇らしくて仕方がなかった。
それから有作は、安倍弘吉殺しの犯人探しに付いて、唯一といってよい手掛かりである犯人の声紋データを入手し、それを日本のエシュロン(注1)網にかけて一致するデータをスキャン中である事(千葉は既に気付いていたが)を伝えた。犯人が携帯電話で日本のどこかで会話をしていれば、いつか必ずヒットして居場所を特定出来るはずだ。と言った。
携帯電話の通話は、デジタル信号電波の上に暗号化されているから盗聴の心配は無い。というのは神話でしかない。実際は会話の内容は元より、音声の指紋といわれる声紋まで、確認出来る上に、GPS機能を利用して発信元の位置まで特定出来る。管理者側からみれば申し分の無い理想的な人間管理ツールなのだ。
有作は安倍弘吉を高く評価しており、直接会えなかった事と守ってやれなかった事を非常に悔やんでいた。
『弘吉はまだ若く、そして才能に溢れていた。だけど開花する前に摘まれてしまった……。俺は弘吉の話を聞けば聞く程、その生き方も魅力を感じる。貧しかったかもしれないが、それは彼の人格には然程影響していない。彼は真に自由で、心が闇にかき曇る事も、何かに憂える事も無く、更に欲得も無いようだった。他人から苛められても報復せず、争わず、盗まず、人々を和ませて生きていた。
そんな彼を、周りの人間が放っておかなかった。それは魅力があったからだ。壷振りの腕なんかじゃなく、人を和ませる魅力だ。俺はそんな人物は本で読んだ事はあるが、実際に見た事がなかったのだ。彼は人生を善く生きていたと思う。ひょっとすると、常に飢えや渇きを感じていた方が、人は善く生きられるのかもしれない。
例えば野生動物が大自然の中で、強く、逞しく、誇らしく、そして美しくさえ見えるのは、正に善く生きているからだと俺は思う。又それを見て、そう感じる者は、それらが欠如しているからそう見えるではないだろうか。動物は一切語らないからね。それだけに、彼の本質の素晴らしさをわからず、簡単に殺してしまった奴らは、必ず報いを受けなければならない。そう、どんな事をしてでも、必ず見つけ出してやる』そう語る有作の目には、暗い怒りが宿っていた。
有作は安倍弘吉を、ただの腕ききの壷振りとは見ていない。千葉が驚いたのは、トノが安倍弘吉をそこまで評価していた。という点と、トノがその気になれば、エシュロン網までも使える。という二点だった。有作は、何杯目かのコーヒーを飲んで御代わりをウェイトレスに要求した後、急に千葉に目を合わせ、『チバ、日本は将来どうなると思う? 』と尋ねた。
千葉は、唐突にそんな大きなテーマを訊かれても、言葉が出なかった。過去を振り返っても、そんな事を誰からも訊かれた事はなかったし考えた事もなかった。折角トノが自分に問い掛けてくれたというのに、満足に応えられない自分が腹立たしかった。
「…… 」
『御前はまだ若い。だから色々経験して日本の将来を考えておいてくれ。今度会ったら又同じ質問をするから、決して死ぬなよ』
「承知……。今の俺に日本の将来などは全然見えません。しかしトノの政治家としての手腕を信じてついて行きます」
『そうか……。旨い事言って切り抜けたな、俺も御前も日本人だ。だから日本が繁栄して欲しい。という思いがあるだろう。しかし日本は、昔アメリカと戦争して負けた後、アメリカの家来になって繁栄を遂げてきた。俺はその経済成長期に生まれて生きてきたんだ。先人達に実際どんな経緯があってアメリカの家来になったのかは知らんが、ともかく俺は子供時代は優しい大人達に育まれて自由に生きてきた。
それから俺の世代は、高度経済成長と所謂バブル景気と崩壊を経験した。だけど、それでも日本は何とか息を吹き返したんだ。日本は相変わらずアメリカの家来のままで軍事費を抑えて、これまた相も変わらず良い製品を作り、輸出で稼いできたんだ。
ところが今、アメリカがおかしくなった。あの国は連邦政府が国内外全てをコントロールしているわけではない。財政と貿易赤字が膨れ上がり、これから何をもって世界をリードしていくのか見えないでいる。ソ連が崩壊してロシアになって冷戦が終わったのは無関係ではないだろう。御蔭で仮想的国がなくなって、軍需産業で儲けてきた人達が困った。世界が平和になると困るのが、軍というものだ。そこで編出したのが、テロとの戦いだ。アメリカは身勝手な大義をたててアフガニスタンに襲いかかり、そしてこの5月(20XX年)、イラク攻撃も開始してアメリカは制圧してが勝ったわけじゃあない。そして莫大な利権を手に入れるのだろう。だが、その利権が国にあまり行かないで、ネオ・コンの面々の懐に行くのがおかしなところなんだ。
日本の安倍晴三総理は、アメリカの軍事行動を支持して協力を惜しまない事を表明したが、俺から見ても、昨今のアメリカの軍事行動は異常に映るんだよ…… 』
有作は千葉に、まるで子供に語って聞かせる様に身振り手振りを交えて、優しく丁寧に、そして簡単に日米の歴史を、かいつまんで話した。その表情は、珍しく悲しみを宿していた。千葉は、有作が何故今ここでこんな話を自分にしてくれるのかわからないでいた。
「近頃アメリカがおかしくなった。というのは俺も同感です。確かに矢継ぎ早に軍事行動に出ていますよね。でも911同時多発テロをやられたんだから、仕方がないんじゃないですか」と千葉は応えた。
千葉は、有作が若い頃ニューヨークに5年駐在していた経歴を知っていて、アメリカには特に強い思い入れを持っている事を知っていたのだ。そしてアメリカの支持を取り付けて、ITビジネスを成功させて巨万の富を得て政治家になり、今もY県で独自の施政が可能である事も承知していた。だから、アメリカがおかしくなったと言った時に、悲しみという感情が湧いてきたのだろう。と察したのだ。しかし有作は、千葉の言葉を聞くと、少し驚いた顔をした。
『911だって? 御前は、あれはアメリカがアーカイダにやられたものと思っているのか? アメリカが被害を受けて逆上し、国連が止めるのも聞かずに、暴れるのは仕方がないと、本気でそう思っているのか? 』
「えっ? そうですけど、俺はてっきり、トノはアメリカが好きだから、その、おかしな事を始めたんで悲しんでいるとばかり思ったんです。違うんですか? 」しかしそれは、千葉の勘違いであった様だ。むしろ有作の方が千葉の応えに驚いていたくらいだった。
有作は、千葉の問いかけには応えず、言葉を続けた。
『何だか話が変な方へ行っちゃったな。忘れてくれ。俺が御前に言いたいのは、日本とアメリカの関係は、今のままでいいのか? という事だ。日本はそろそろアメリカの家来という立場から脱却すべきだと思うんだ。少なくとも俺は、アメリカには言いたい事を言っている。だからといってアメリカは俺を敵視しないし、俺もアメリカを敵と思った事はない。それはケンカが出来る信頼関係があるからだろう。だから無茶を言われても丸呑みするんじゃなくて、交渉して妥協点を見つけるんだよ。勿論こっちだって無茶をいう事だってある。それが外交というものだ。命令されていう事を聞くだけじゃ、ずっと家来のままだ…… 』有作はいつもの様子に戻って、アメリカとの外交交渉の持論を展開した。
千葉は、あの時の有作の奇妙な反応を思うと、狐につままれた様な気分になった。自分が信頼を寄せている人物に対して、間違いないと思う意見を述べた時、まるっきり見当違いだった訳で、しかも何が間違っているのかサッパリわからない。というのは初めての気分だった。しかも有作を相手に、何が間違っているんですか? と問い質す事など到底出来ないし、有作はさっさと話題を変えてしまった。
千葉は有作と別れ、梅木とベンツで帰る途中も、その事が気になっていたのだが、梅木とその愉快な仲間達の中にあっては、物事を真剣に考えるのが難しく、いつしか忘れてしまった。その後の二週間の間に、各国のマフィアの代表が来日して続々とS市に集結し、(最終的には、国内4・外国8の合計12の組織)有作とユリ、梅木、千葉は、マリッツィオ・ヴィトーリを迎えた時と同じ様に、全員に対して丁寧に応対した。
最高のホテル、リッツ・シーガイアに宿泊してもらいながら、長旅の疲れを癒してもらい、約一ヶ月をかけて有作自らが、県の治安維持体制についてレクチャーした。県の治安維持任務に暴力団が携わっており、警察の監督下にある事にマフィア達は一様に驚いていた。基本は日本国の法律を守ってもらうが、条例によって多少異なり、更にSシティではトラブルを回避する為に独自のルールがある事を説明して、どこがどう違うのかを具体的に説明した。
縄張り争いや抗争事件が起こった場合は、両成敗で永久追放等の罰則がある事もユーモアを交えて解説した。法律ならば、針の穴の様な小さな隙間を縫って生きてきた彼等だが、ルールとなると従うしかない。ルールには基準が規定されているから、隙間が無いのだ。そして罰則も決まっているから裁判無用で、弁護士等役に立たないし処分が速いのだ。これも、人種が異なる者同士が利益追求の商売の為にS市にやってきて、上手く共存する為に必要なルールであり、一同が納得する内容であった。有作は、それをそれぞれの母国語で翻訳した冊子を渡して、誓約書にサインしてもらう事に成功した。
その後は、梅木が明るい表情で千葉に通訳させながら(英語だが)マフィア達との友好と連携を強固にする為に、連日の様に接待に励んだ。パーティーを開いて御互いの顔を知ってもらい、貸し切りバスで着々と工事が進捗するSシティを見学したり、会議を行って二つのダイスを振って縄張りを決めたり、それぞれの出し物を発表したりして、有意義な時間を過ごした。
マフィアといっても、彼等は常に暴力で弱者を支配し、常に悪知恵を巡らせて邪魔者を消し、常に悪い事ばかりして儲ける怖い集団という面だけという訳ではない。皆頭が切れるし、抜け目が無いし、空気が読めて鼻が利くのだ。彼等はここ(カジノ・シティ)では他のマフィアの邪魔をせずに、自分らの儲けだけを追及すれば良いのだ。と理解すると、他のマフィアとも仲良く出来る。
そして、このシステムを考案して実行しようとする有作の狙いを理解して、有作を実力者として認め、この地をつまらん事で血で汚してはいけない。という認識を持ってくれた。彼等は、Sシティの洗練された都会的なセンスの都市部分と、蒼い海と緑の山とが絶妙にマッチした美しい景観を目の当たりにして、観光都市としての大きな資質を発見した。ここで大いに活躍して、カジノや風俗ビジネスを展開してくれれば、Sシティが更に輝き、又潤うというものだ。
有作がマフィア達に理解されない事があるとすれば、有作が麻薬に決して手を出さない事だった。これまでマリッツィオを始め、何人かのマフィアのボスが、麻薬ビジネスの粗利の良さを説明して有作を誘ったのだが、やんわりと断り続けた経緯があった。有作は人の話を最後まで聞き、その後で持論を展開して相手を引っくり返してしまう事が多いのだが、有作もマフィアのボス達もそれを楽しんでいるかの様だった。
例えば、有作が麻薬ビジネスに誘われれば、マフィア相手に違法だから捕まるので駄目だ。とかそんな幼稚な事は言わなかった。そんなものは麻薬を金に換えて警察や政治家に渡して買収すれば済むのだ。更に、麻薬は儲かると言われても、有作はもう十分に儲けている。商売なら他にやりたい事が山程ある。と答える。あれ(麻薬)は、商売道具と割り切って、自分で手を出さなければ、何も問題は無い。と言われても、有作は既にこの手のビジネスで一番儲けているのは、麻薬を作る側だと言って笑わせた。そして、麻薬ビジネスをやるかやらないかの判断は、自分で決める自由が欲しいものだ。と言った。やると決めたら、あんた方が何と言おうと自前でじゃんじゃんやるだろう。しかし、俺はそれに見合う魅力を感じないから興味が無い。
実は俺には俺のアイデアがあるんだ。と言った。マフィア相手に人道的な話をしても通用しないとわかっている有作は、こんな身勝手な連中が嫌いではないので、実は自分なりのプロジェクトがある事を彼等に対して初めて明かしたのだ。これには同席していた梅木も千葉も驚いた。ユリは有作の秘書であるから、キチンとプロジェクト番号を付けて進捗管理をしているので知っていたが、極秘事項だったので誰にも他言する事は無かった。しかしここで有作本人がそれを語るとは全く予想外で、ユリも驚いていた。
マフィア達はもっと詳しく聞きたがったが、有作は、現在開発中でどうなるかわからないから詳しい事は話せない。と明言を避けたが、有作が麻薬に替わるものを開発中である事を伝えた。マフィア達は、もし有作が奇麗事を並べて、だから俺は麻薬をやらないんだ。と言ったとしたら、大いに失望するところであったが、まさか独自で麻薬を超える新薬を開発中である。と知ると、ますます有作の株が上がった。おそらくここがマフィアと有作の大きな違いの一つであろう。
この情報は、直ぐにリチャード・ギリガンに伝わり、CIAとしての諜報活動が開始された。リチャードがその計画を知らなかったのは意外ではない。何故ならCIA=麻薬容認は極秘だから、有作とは正面きって話題に出来なかったのである。ところが有作はそれを知っていて黙っており、あえて話題にせずリチャードも有作の思惑を知っていて、やがて有作の気が変わり、彼の方から相談してくるまで静かに待つのが方針だったのだ。
そして一度でもリチャードに跪いて麻薬に手を出してしまえば、後はズブズブの主従関係になってしまうのは容易に予想していた。そんなリチャードと有作の間柄であるからこそ、リチャードはCIAとして麻薬を超える新薬開発の情報について、有作に直接訊かずに秘密裏に詳細を掴んでおきたいのだ。その内容によっては、妨害工作も辞さない事はCIAのCIAたる所以である。
有作には既にQ州全域を併合する姿が見えていたので、梅木組にはQ州の地元暴力団を統一して勢力を拡大し、外国マフィアと同盟関係を持って、日本統一を視野に入れて広域指定暴力団との接触に移れ。と千葉と梅木に指示した。Q州全域の合併要望は、北Q州市の合併後の効果が実証された事で一気に加速した。北Q州市の近隣市民が、税金が安くなって治安が良くなり、財政赤字が解消されて新しい産業が伸びて雇用が増えるのなら我々も合併を希望する。とデモ行進を始めた。
有作はこの運動を好感して、地元放送局のワイド・ショウに出演した。番組は生放送で政治評論家と議論するという構成だが、いくら北Q州では評判が良くても、それをよく知らない視聴者の為に、有作の強引な施政内容をVTRで紹介してそれに対する不安や懸念をまとめて放送するという構成であった。有作は、これらは合併前の良くある御心配です。しかし真っ当に生活している人々は何の不安も無いはずです。と受け流した。先ずは司会者が、そもそも何故有作が政治家を目指したのか?という質問をすると、有作は笑顔で応えた。
『日常化する不況。溢れる失業者。連続する信じられないような事件・事故・犯罪。多発する政治家や警察などの公務員の不祥事。青少年の自堕落な生活。加速度を帯びて進む高齢化。御世辞にも日本は良い方向に向かっているとは言い難い。私は一人の日本人として、率直に我慢が出来なくなったのです。一体何故こんな状況になってしまったのでしょうか? 現在中高年の方々は御記憶があると思いますが、幼い頃つまり1960年から70年代の日本には、こんな事はありませんでした。人々は勤勉で、正直で、純情で、犯罪は少なく、又検挙率が高く、希望に燃え、元気があったものです。
今の若い方々にはピンとこないかもしれませんが、昔は生きている喜びを謳歌できる時代があったのです。しかし今はそれが無い。だからこんな有様になってしまったのではないでしょうか。現代は、物事をあまりにも理屈と法律で固めて複雑にしてしまって、或いは色々な権利や法律が邪魔をして、結局適切な判断と時期を見失い、かえって悲惨な結果を招いているのではないでしょうか。
日本は、歴史的に国の存亡にかかわる危機には度々寵児が現れて、その働きによって滅亡を免れてきました。しかしこうした状況の中でも、未だ寵児が現れてドラスティックに世の中を変えないという事は、逆に考えるとまだまだ日本は大丈夫という事なのでしょうか? 私は、どこかの誰かが何とかしてくれる。そんな他人任せの待ち状態に我慢ならなくなったのです。私はもう、来たるべき寵児の出現を待ちきれないのです。だから私は、先ずは地方自治体から本当に何とかしたいと立ち上がったのです。
皆さん。本当にこのままでいいのでしょうか? このままの延長線上の未来で良いのでしょうか? 私はもうこの先は、進路を変更するべきだと決断しました。地域社会と人々の健全な運営をはかるのが政治だから、私は政治家を志しました。だから施政をよく検討して、直ぐに実施する手法をとらなければならない。私は責任を持って命を懸けて言葉を発し、自分の理念を皆さんに伝えています。勿論私は命を懸けているので、みなさんの理解を得るまで、何度でも同じ説明が出来るのです。
私の政策は過激かもしれませんが、反対するのも自由です。合併を望まなければそれで良いのです。しかし今Q州では、市民が合併を強く望み、現職の権力者達がそれを強く拒むという構図が存在している事実があります。それはこれまでに何度も見てきました。市民がY県と合併を望むという事は、権力者達が、これまで問題を先送りにして、弁解に終始して責任をとらずに財政赤字を垂れ流しにして良い政治を行わずにきたから、とうとう市民からソッポを向かれたという事ですから、酬いの時がやって来るという事です。
それはもう責任を取って辞任では済まない気の毒な目に合われるケースは、数々繰り返されました。合併を断固拒む権力者は、市民が合併を望まない程の良い施政を行っておれば、私の出る幕は無かったのであります。しかし合併がなって禊が済めば、皆さんの地域の税金が下がるのです。治安が一段と良くなって、生活がより安全に楽しくなるのです。更に新しいビジネスで雇用が増えるのです。私は、強い意志を持って政策を実行して結果を出しているので、政策に反対する勢力に殺されても良いと覚悟しています。
これまで私に反対する勢力は、命を賭けているとは全く感じられなかった。只不平不満を述べて反対するだけだった。だから結果的に合併がなるのです。そして市民の皆さんの御支持によって、私の政策を実行する機会が与えられたのだから、これからは命を賭して働きます。そしてこれから皆さんの未来はどうなるのか。一緒になって繁栄していくのか! それを傍観するのか! 選ぶのは皆さんです! 』
熱く語る有作の目は爛々と輝き、いつしか立ち上がって大きなジェスチャーを見せ、その場にいる司会、政治評論家、アシスタントは勿論。TVカメラの先にいる視聴者の心に直接迫った。有作は、何故政治家を目指したのかという質問に答えただけでなく、その姿勢まで明確に伝えたのだ。
「成る程。鈴木有作知事が並々ならぬ覚悟を持って政治家になられた事が、良くわかりました。しかしですね、日本の法律に反してカジノや風俗を解禁したり、暴力団を警察の支配下に置いて治安維持活動をさせたりするばかりか、裁判を廃止して捜査・取調べの延長として薬や催眠術で自白させて量刑まで決めて重罪人を島流しにする。という政策だけをとってみても、ちょっと我々から見ると、江戸時代じゃああるまいし……。ちょっと受け入れ難いところがあるんですよ。つまりあれは、日本政府の理解があって、Y県の様に規模が小さい地方地域だからこそ、言わば実験的に実現出来たのだ。と思うのですよ。ところが、Q州は地域も広く、Y県に比べれば人口もかなり多いので、とても知事の今までと同じ様な政策・制度は、合わないと思うのですが、どうでしょうか。
つまりですね、次の質問ですが、鈴木有作知事は、合併の話を別にして、一体Q州をどんな地方自治体にしたいのか? を知りたいと思います。そこ聞かせて下さい」
政治評論家は、県外の誰もが知りたがる適切な質問を有作にぶつけた。
『……過去、日本で最も長く続いた政治形態は、江戸時代などの封建政治です。室町幕府から数えると千年以上続いた事になる。それに比べて、戦後外国から与えられた民主主義は、もうガタガタです。ひょっとしたら、日本人は民主主義をうまく使えないのではないでしょうか?
それより天皇の臣下としての将軍がトップにデーンと座って、トップダウンで政治を掌った時代が千年以上続いたのであれば、それが民主主義よりも日本人に合っていると考えても良いのではないでしょうか。私も長年それに気がつきませんでした。それはきっと、私が昭和3X年のいわば戦後からの復興期に生まれて、民主主義が当たり前の社会に育ったからだと思うのです。近代史を紐解いてみれば、戦後民主主義の中でも、長期安定政権にはちゃんと人知に長けた強いリーダーシップを発揮する将軍的な指導者がいたではないですか。
だから結局我々日本人は、民主主義という看板の下でも、皆が認める強いリーダーの下で、安心して働き、暮らすのが向いているのではないでしょうか。実際日本の民主主義は、将軍的なリーダーがいないと、皆が好き勝手な事を言い出して一向にまとまらないのです。だから、妥協を重ねて皆が丸く治まる妥協案に落ち着くのです。しかしそれは、大体難しい要点の解決を先送りにして、手っ取り早く税金を使って甘く味付けをするのです。それを繰り返した結果が、今日の莫大な借金です。勿論皆で決めた事ですから失敗しても責任をとる者は誰もいないのです。そんな事ばかりやったから、いつまでたっても世の中は良くならないし、借金は増える一方なのです。
こう言うと、まるで私が先祖返りでもしたかの様に、封建制を唱えていると思われるかもしれませんが、どっこい私は昭和の生まれでして、封建制が万能というつもりはございません。封建制にも弱点があって、外交がからっきしでした。だからペリー来航以降幕藩体制という封建制はガラガラと終焉を迎えて、その後日本は御維新後幾度かの成功と間違いを経て、敗戦後は外国から頂いた民主主義で、これまできたわけです。
しかし、戦後民主主義といっても、それだって万能というわけではありません。結局は日本じゃ多数決という数の論理じゃないですか。実際国会で何か法案を通そうとすると、その本質について議論するよりも、水面下で根回しとか、政治的取り引きを行って賛成者の数を集めようとするでしょう。
国会議員は皆、国の為、国民の為と、口では言うけれども、実は党利党略が第一の政局に明け暮れて、結果国民が置き去りになっているでしょう。私見ですが、こりゃもう、民主主義の中では、下の下です。これでは時間がかかってタイミングを逃す。民意から外れる。コストが高い。明らかにプロセスがおかしい政治システムです。
政党として勝たなければ政治は動かない。だから勝たなくてはならない。代議士さん達のこの言い訳は、私はもうウンザリです。そうじゃなくて、私が目指す政治システムは、手っ取り早く言えば、封建制と民主主義の合体です。この様に表現したのは初めてですが、まんざらでもないと思います。先ずは知事を頂点とするトップダウン。知事を含めて政治家を自称する者の報酬は0(ゼロ)にして、議会は県のみにして各市長とオンライン会議によって議論をします。これならタイムリーな行政が安く、実行可能です。勿論内容と結果は全て県庁ホームページで公開して、誰でも閲覧可能です。
それから、今までに無かった新しいビジネスを展開して雇用を創出して税収を確保します。税務署にも捜査権を与えて確実に徴収し、滞納・脱税には利子と手数料を加算します。裁判所と刑務所を廃して軽犯罪は罰金制にしますが、前科三班は悪人島行きです。梅木組という公認暴力団と警察が、捜査と治安維持活動を行います。梅木組は、カジノと風俗ビジネスで自活するので税金は使わず逆に納税してもらいます。
元来敗戦によって外国から押し付けられた民主主義は、我が国をかくも悲惨な状態にしてしまいました。わかりやすく言うと、嘗ては全体主義に邁進し、敗戦で滅亡の危機に瀕していた当時の日本人にとって、海外からの民主主義は甘いチョコレートでした。食べてみると実際それは美味かった。現代の我々は、それを食べ過ぎて肥え太り、虫歯だらけでぼろぼろといった感じなんですよ。
私は、民主主義を批判しているのではありません。我々がその使い方を誤ったのです!民主主義イコール多数決という、歪曲した単純化が数の論理にはしらせ、野党は何でもかんでも反対ばかりで平行線、仕方がないから妥協してそれでも駄目なら強行採決の連続。こんなものは民主主義の理想ではありません。もはや民主主義議会政治の理想とかけ離れています。そしてこうした事態に陥った原因は、簡単で、舶来物だからうまく使えないのだから、日本人が悪いのでもないと思います。ただ民主主義が、日本人気質に合っていなかっただけなのです!
私は、お仕着せの服が身体に合わなければ、寸法やデザインを変えた方が良いと考えます。むしろ和風に手直しして袖を通したいくらいだ。チョコレート(民主主義)が甘すぎれば、甘さを抑えましょう。量を控えて歯を磨きますよ。身体が重くなればダイエットしましょうと言っているんです。今の私の話は、日本の国や思想についてでありましたが、私は地方自治体から、この政策を実行しようとしているのです。
市町村合併が中央政府から御許しいただいているのなら、市民が望むなら県を跨いでの合併も結構な事であって、人口が増えればそれだけ節税効果が大きくなり、産業も発展するというものです。真面目に働いて税金を納め、子供を大事に育てて教育を施し、平和に暮らしている市民は、合併後も全く心配要りません。むしろ楽しい事が増えるのです。しかし、そうでない市民にとっては、大胆な人生の方針転換を迫る。という事をお伝えしておきます』
政治評論家はもとより司会者アシスタントは、有作の言葉に聞き入っており、有作が今までの政治家とは違う事を確信した。番組はその後、実際に県知事支持率や財政状況がホームページに公開されており、高い支持率と財政状況が改善している事実をVTRにまとめて放送した。政治評論家は、これまでの番組の進行上、もう不安や不信を述べるのではなく、更に次の質問をした。
「県知事はつまり、民主主義と封建制を合体させて、更に新しい産業を興して県を発展させようとしている事がよくわかりました。そこで更に質問ですが、所謂真っ当な市民は何も心配無いが、そうでない市民は大胆な人生の方針転換を迫れられる。というところが怖いのですが、それは具体的にどんな市民で、どんな事になるのですか? 」
『簡単に言えば、さっき言った真っ当の逆です。働けるのに働かない。税金を納めない。子供を大事にせず、育てず苛め、教育を施さない。悪事を働いて秩序を乱す。そういう人の事です。働けるのに働かない人は、労働と納税の義務に反している憲法違反者です。県では常に労働人口の不足に悩んでいるというのに、非常に勿体無い事です。
働きたいのにやりたい仕事が見つからない。という無職の人の言い分をよく聞きますが、県では生活保護の現金支給を廃して、最低でも食べる分は働いてもらいます。具体的には街の掃除や草むしりをしてくれれば、おむすび一個をあげるというものです。着る物が無ければ、廃品回収で集まった物を無料で提供します。家賃がかかるアパートを出てもらい住む所が無ければ、空き家になった刑務所を無償で提供します。
無職で生活保護受給者は、先ずはそこから生きる為に働こう。働いて収入を得たら納税しようというところから始めてもらいます。これは大胆な人生の方針転換でしょう。彼等を監督・指導するのは梅木組です。多少荒っぽい指導があるかもしれませんが、我々はもう、彼等が自らの意志で働く気になってもらうまで待つ時間も、かかる費用も無いのです。
それから、弱者を苛め殺す大人や子供です。ストーカーも含みます。同じ同胞である市民を苛めて自殺に追い込んだり、殺したりする卑怯者は、もう許しません。そんな暇やエネルギーがあるんなら働こうよ! スポーツしようよ! 勉強しようよ! これまで何度繰り返され、何人の犠牲者が出た事か。警察が介入しても全然効果が無いじゃないですか。という事は、これは結局治安維持や教育・福祉の領域ではないんですよ。だったら、梅木組が街の噂を聞き付けて個別に介入して一つ一つ解決しますよ。県では既にかなり効果が出ているんです。弱きを助けて強きを挫く。これが任侠道ですからね。それで結構矯正出来る事がわかりました。元々根は良い人々なんですからね。
つまり、個人の人権や自由を尊重するあまりに警察が踏み込めず、それが苛めや虐待の温床になっているならば、私は梅木組という強制力を行使してでも止めます。私が言ったそうでない市民というのは、大人も子供だって含まれるのです。
その監督・指導は梅木組がやります。学校や福祉・警察が効果を出せなかったこの問題を暴力団が任侠道指導をやれば、大抵まともになるのです。彼等だって自分の縄張りに変な奴がいて、事件でも起こされたら、人が寄り付かなくなって商売上がったりだからね。梅木組は本当に真剣に指導しています。実際、所詮そういうのは極少数だ。という意見がありますが、そういう人は、その少数市民が、今までどれだけ公的機関の手を焼かせて、税金を使わされている事実を知らないのでしょう。梅木組は自活して、地域の治安維持に目を光らせて取り組んでいるのですから、効果は抜群の上に、税金を使っておらず納税しているのです。従って私はこの政策を継続します。
それから犯罪対策として、警察はもっと捜査権限を強くして正確に・速く・安く捜査しないと評価しません。その後は新警察が薬物や催眠術を使って自供を引き出し、裏が取れたら即時刑を結審して、軽ければイエローカード1枚と罰金、イエローカード3枚でレッドカードになって悪人島行き、重罪人は一発レッドで悪人島行きです。これでかなり節税出来る上に実際地域の治安が良くなっています。
それから県民全員の衣食住を保障します。県内食料自給率百%を目指し、地産地消を原則とします。県の産業の発展と繁栄、県民を増やして健全に育成して皆が元気に働いて、人生を謳歌してもらい、人間の開放を追及する事です。私心はありません。だから知事としての報酬はありません。名声も要りません。誰かが代わりにやってくれるんならやって欲しい。それまで私は精一杯やるのです。
だから何でもするのです。法律に触れるならば条例で通します。日本人は民主主義をうまく使えず、向かない民族だというのは私の信念です。集団の中で和を尊び、絶対的権力者に従う事を喜びとする日本人には、それぞれが戦略や考えを持って主張し合い、議論を尽くしてアイデアを磨き上げて、物事を決めていく欧米型の民主主義は向かないのです。
最後に一言だけ言っておきます。民主主義の御手本たるべき欧米諸国とても、最近では財政難と治安維持の低下などの問題が噴出しているのは御存知と思います。結局理想と現実は違うのです。これまでの政治が駄目だったら、日本人に合う政治形態を模索しながら人々を導いていくのが政治家の役目だと、私は信じています』長い有作の話は、その番組始まって以来の高視聴率を獲得し、Q州に住む人々の合併希望は遂に頂点に達して、遂にQ州全域に渡る合併活動が開始された。有作の誇る合併システムは、北Q州市の近隣から順々に広げていくだろう。それは決して侵略ではない。有作の政治理念が市民に理解され、これまでの政治の負の部分に鉄槌を下し、民主主義の理想の実現を追求するのではなく、現実を踏まえて日本人がより良く暮らしていける為の政策の広がりなのだ。
第十六章 弘吉を殺した連中
安倍弘吉を殺した三人の男達は、名前を李黄明、鬼束孝一、中西宗貴と言った。彼等は弘吉を殺害後、考えつく限りの証拠を消して街を去り、東京に落ち着いて二年が経過した。彼等は区役所に行き、全く怪しまれる事無く、例によって偽造したIDで住民登録を行い、そのまま偽名名義で3DKのアパートを借りると、銀行口座を開設してキャッシュカードとクレジットカードを3枚作成した。 勿論名前も住所も事実ではないが、引き落としは確実に出来るようにした。金が確実に引き落とせるのなら、クレジットカード会社としても、相手と実際に面識が無くても何処の誰でも問題は無い。彼等はその口座だけには定期的に金を振り込んで、家賃や税金、光熱費、生活費に使っていた。こうして三人は、誰にも怪しまれる事無く大都会東京に潜り込む事に成功したのだ。
秋葉原で生活必需品とパソコンや様々なIT設備を現金で買い込み、インターネットの光回線契約を締結すると、ネットの闇の仕事場から足の付かない携帯電話と銀行口座を大量に買い取り、得意のビジネスを開始した。オレオレ詐欺(現在の振り込め詐欺)、架空請求詐欺、未公開株詐欺、ヤミ金は勿論、その他あらゆる詐欺行為を殆ど毎日の様に働いて金を稼いでいった。
彼等の優れているところは、顔の見えない相手の微かな声の揺らぎで心理を読み取って、取れると踏めば、とことん金を振り込ませるテクニックだ。そして銀行口座から金をオンライン操作で移動させるところである。似た様な多くの犯罪グループは、ATMから直接金を引き出すしか能がないので、そこを警察に抑えられる場合が多かったが、彼等は海外のサーバを幾つも経由させて、金を一度USドルに替え、ケイマン諸島に作ったペーパー会社の口座に移動させていたのだ。仮に被害者が警察に被害届けを出したとしても、この方法を使われると、日本警察は非常に手間を強いられる。
そして時代は、類似の詐欺犯罪が多発しており、警察はそれらの対応に追われ、後回しにせざるを得ない事情が、彼等に味方した。使用した携帯電話や銀行口座は使い捨てて、証拠を消しては次のターゲットから金を取る繰り返しは、他のグループを含めると都内で一日数百件となり、警視庁の御苦労を察っすると気の毒な限りである。
但し彼等は殺人や強盗、放火・強姦・窃盗などの凶悪犯罪を全くやらないタイプなので、二年前のあの時に弘吉を殺害したのは、全くの例外であった。現金五百万円欲しさ。前から弘吉が気に入らなかった。弘吉なら脅せば金を取られても黙っていると思い込んでいた。先輩から散々殴られてフラストレーションが溜まっていた。タイミングが良かった。等の色々な条件が重なって、三人は確かに弘吉を殺害して金を盗ったが、罪の意識等微塵も感じていなかった。恐らく今ポリグラフ鑑定でも引っかかる事はないだろう。
つまり、凶悪犯罪は割りに合わないからやらないが、目的とタイミングが揃えば躊躇なく実行できる。というところが、彼等の恐ろしいところなのである。この三人は、古くからの知り合いだったわけではない。それぞれQ州の異なる出身で、年齢も二十四~六で大学も異なり、黒潮一家に入ったのも同時ではなかった。共通するところは、専攻がIT関係だった事と、簡単に大量の金を得るのが好きなところだ。合法・違法を問わず、効率良く、警察にも捕まらずにである。
彼等三人が黒潮一家の門を叩くまでには、それぞれの紆余曲折があったが、結局法律を無視してIT犯罪で金を稼ぎ、自分達を守る為に暴力という後ろ盾が欲しくて黒潮一家に入ったのだった。話が合い、考え方が似ていた事もあって彼等の才能が実を結び、IT詐欺システムで黒潮一家にはかなり貢献したのだが、挨拶しない、生意気、気が利かない、何を考えているのかわからない。等と難癖をつけられて先輩からの評判は非常に悪かった。
元々任侠道など面倒で、義理人情も理解不能。ヤクザ者等知能が低くて、ガラが悪く、暴力的で変な連中。としか見ていないのだから、馴染むわけがないのだ。彼等は、生まれて物心がついた頃から生きていく上で絶対に必要な金とは、現金ではなく、クレディット、数字・データだった。こんな実感を伴わない物が一番大事である現実が、どうも納得できないと思っていたのだ。
しかし人々は自分達のIDを銀行に管理されて、働いた報酬分の金(数字・データ)を与えられて、その中で税金を払い、消費して暮らしているのだ。しかしその金の管理や株・為替等の金融システムの管理は、全て無数のコンピュータとサーバで行われており、それが又無数のコンピュータや携帯電話でインターネットを介して繋がっているだけで、三人は、それらはとても脆弱なシステムの上に成り立っている事実を知った。
それだけでなく、インターネットは世界中の様々なシステムと繋がっており、世界中の国家の安全保障はおろか、財務管理に至るまでが基本的には同じシステムで繋がっている事実がある。勿論全てのシステムには、安全性と信頼性を保証するセキュリティシステムの壁があるのだが、所詮人の作り出したものである限り、乗り越えられる壁であるのは間違いない。
その壁を乗り越えてシステムの安全性や信頼性を脅かすハッカーやウィルス・プログラマが世界中に存在している事を知った時、彼等はそれぞれ異なる時、場所で、将来普通に就職して齷齪働いて僅かな数字・データの増減に泣き笑いしながら生きるのがバカらしく見えて、ハッカーやウィルスプログラマを目指したのである。彼等は同じ時間勉強をするのなら、これを専門に追求した方が手っ取り早く金を得られそうだ。と考えた。良い悪いで判断すれば悪いに決まっているが、それを別にすれば、この様な背景で自分の将来を決める若者がいる現実も理解出来る。
三人が黒潮一家に入る前からこうした確固たる信念を持っていたわけではないが、三人が一緒になって話をしている内に、無意識にそういう考えで、黒潮一家に入ったという動機の共通項が見えた様になり、三人の結束が固まったのである。三人は弘吉を殺害して黒潮一家を飛び出し、東京六本木に居を定め、共同生活をする上で快適に生活していく為に必要な食料の調達とゴミ出し、料理と片付け、部屋・風呂・便所の掃除は、平等に分担して行い、衛生・栄養上の問題は全く無かった。
三人の役割分担は、仕事に関しても自然に以下の様に行われた。携帯電話での対話や、プログラミングに関しては、相当の能力を持っている李黄明が主に担当した。対面詐欺行為については、外見が一番まともな中西宗貴が担当した。ネット犯罪に関しては、鬼束孝一が専門だ。彼はハッカーであり、ウィルスプログラマーだ。標的は銀行や金融会社、企業であった。
標的のサーバーに侵入してケイマン諸島などのタックスヘヴンへのアクセス歴を調べ、ペーパー会社、口座の有無、損失・所得隠しの有無を調べて、サイバー警察のアクセス捜査から守ってやりながら、鬼束がタックスヘヴンに作ったIT系ベンチャーのペーパー会社の社債を不定期に購入した様に操作するのだ。この方法なら、不定期で数百万円単位なら絶対にバレない。仮に発覚したとしても、薮蛇となるので警察に届ける事は殆どないのだ。
こうして三人が三様の活躍の結果、分散した口座には、二億円を超える金が貯まった。それでも三人は、若者にありがちな浮かれて豪遊する事はなく、質素に暮しながら更に毎日せっせと仕事に励み、自分達の偽名口座に金を貯めていったが、三人は少しも満足していなかった。彼等は目標金額を設定していて、三人で90億円貯まれば、一生遊んで暮せると考えており、目標金額に達したらさっさと足を洗う計画を立てていたのだ。もしこの先誰かが警察に捕まったとしても、詐欺罪の罪は基本的に軽い。刑務所で勉強して別の手口をじっくり考えてから出所して、又集まって活動すればいいと決めているのだから呆れたものだ。
従って彼等は更に活動規模を拡大する為に、オフィスビルを借りてアパートを半年で引き払い、居住費を節約する為にフロアに居住区を造って住み込みで活動を開始したのだ。それが六本木にある金森ビルだった。金森ビルは、築25年で少々古いが地上56階・地下3階構造で、241mの高さを誇る有名なビルである。
そこで中西の提案で、ブラック・ビジネスの傍らで、消費者金融会社「ビック・ワールド」を設立すると、これが当たった。当時は中国の急速な経済成長に伴う、所謂爆食景気で、日本企業は毎年最高益を計上していたのだが、派遣社員を増やして、人件費を低く抑える事に成功した企業は、只管に内部留保を溜め込んでいた。当時の世の中仕事は沢山あり、失業率が低いので、労働者心理としては悪くなかったのだが、実際懐に応分の金が入ってこない。という事態は、景気が良いのか悪いのかわからないという複雑な空気が漂っていた。
そういう背景があり、世間では企業を勝ち組・負け組に分け、収入格差が広がり労働者間でも勝ち組・負け組に分けられた。生活費はあるが、遊ぶ為の金が必要な時には無いので、消費者金融がよく利用されたのだ。「ビック・ワールド」の経営は直ぐに軌道に乗り、設備を増強して人を増やして右肩上がりの成長を遂げた。今まで組織を嫌い、全然馴染めなかった彼等が組織をつくり、より大きなビジネスを展開する時、部下達に黒潮一家時代の兄貴分と同じ様な事を言っていたのは皮肉な事だ。
但し彼等三人は部下の気持ちが良くわかるので、まともな高利貸し事業をホワイト部隊、そして金融犯罪と脅迫を伴う事業をブラック部隊に分け、部下の得意分野を伸ばす様に配置し、やる気を引き出して競わせて成果を褒めて臨時報酬を与えたので、業績は非常に好調だった。派手で人目を引くTVCMを連発して知名度と好感度を上げながら、人々に高金利を隠しながら金を貸し、なるべく元金を返させずに金利だけを取るビジネスは儲かるのだ。表向きはホワイトだが、裏ではブラックというスタイルが完成して、システムとして大規模に動き始め、三人は寝る間を惜しんで働いた。
彼等の様な連中が幾ら他人を騙して脅して金を取っても、十分な手掛かりも証拠もなく、適応する法律も曖昧なので、警察は手も足も出ない状態が続いた。彼等の悪事が全部ではないが、あの当時は、そうした金融犯罪・事件が急増し、被害の合計額が年間五百億円(警察庁調べ)を超える事態となり、社会問題に発展した。元々労働者の収入が低く抑えられているので、遊びを覚えてしまった人々は、自分への御褒美とばかりに軽い気持ちで借金を重ねて遊ぶ様になり、借りた金額はそれほどでもなくても高い金利で忽ち返済に行き詰まって、首が回らなくなる者が多発した。西暦20XX年になると、次第に悪徳な人材派遣会社や高利貸しが非難を浴び始めて、国は漸く重い腰を上げて法律の整備を始めた。一方、2001年以降、アメリカの執拗なアフガニスタン攻撃にも、アーカイダの首領オサマ・ビン・ラーディンは健在であり、不定期にインターネット上で引き続きテロを行うと明言し、それはアメリカの傀儡である日本も例外ではない。と示唆しており、大きな話題になっていた。それが精巧なCGである事も知らず……。
第十七章 東京テロ騒動
そういった時代背景の中、西暦2011年3月11日午前2時46分。東京港区六本木の金森ビルに、飛行機が突っ込んで爆発が起きた。というニュースが、殆どリアルタイムで報じられた。この日は日曜日で、たまたま起きていてTVを見ていた人は驚愕して釘付けとなったが、大部分の人はまだ眠っていた。TVのスウィッチをつければ、深夜にも関わらず何処のチャンネルも一斉にこの事件を報じていた。
「深夜ですが、ここで臨時ニュースを御伝えします。日付変わりまして3月11日午前2時45分頃、東京港区六本木の金森ビルに飛行機が突っ込んだ模様です。現在の現場の様子を中継で御覧下さい……」と、報じているアナウンサー自身も驚き、それを抑えた口調で冷静に報じていた。
画面が現場に切り替わると、金森ビルの北側の屋上付近を、幾つもの強力なサーチライトが照らしていた。屋上からやや下の部分に飛行機が突っ込んだ跡の様な横に長い穴が斜めに綺麗に空いており、そこから煙と小さな炎が出ていた。そして反対の南側にも大きな穴が空いていて、同様に煙と小さな炎を上げていた。
ビルの下では、既に警察が周辺を囲んで非常線を敷き、報道陣や深夜にも拘らず集まってきた野次馬を規制していた。多くの消防車が到着していたが、とても放水が届く高さではないので、消防隊員がビルに入り込んで中に設置してある消火栓で消火活動を行っていた。金森ビルに飛行機が激突したところを直接の目撃者はおらず、爆発の様な大きな音に驚いて外に出てみたら、金森ビルに穴が空いて火災と煙が発生していた。というのがここまでの状況であった。
高層ビルに飛行機が突っ込んだ。と聞くと、多くの人々が2001年9月11日にアメリカ・ニューヨーク・マンハッタンで発生した所謂911同時多発テロを連想した。そして近年、オサマ・ビン・ラーディンの、テロの標的は、日本も例外ではない。という不気味なメッセージがリンクして、これはテロではないかと恐怖した。
TV局のスタジオでは、少しでも現場の情報を視聴者に伝えようと、アナウンサーがリポーターに矢継ぎ早に質問をするのだが、現場は騒然としていてまともに質問に応えてくれる者はおらず、ただ金森ビルに空いた穴から煙や炎が出ている光景と、警察が治安維持活動をする中で消防隊が淡々と消火活動を行う映像を伝えるのみだった。緊迫した時間が流れる中で、幸いまだ他の事件は起きていなかったが、警察が予断は許されないと判断して警戒態勢を強化し、野次馬達を解散・帰宅させた。
やがてスタジオのアナウンサーと現場リポーターとのやりとりの中で、少しずつ情報が入ってきた。現場にいた人の情報によると、ビルの爆発炎上の前にジェット機か何かの爆音がした。消防からの情報では、火災は大した事はなく、程なく鎮火と判断。金森ビルはオフィス兼マンションビルで、住民は全員避難させて人は誰も残っていないので、現在のところ死傷者は出ていない。という限られた情報を繰り返し放送していた。TV局はこれ以上の変化があまりない現場の場を持たす為か、2001年当時の世界貿易センタービルに旅客機が突っ込むシーンやビルが崩壊する映像を繰り返し放送した。そして同時多発テロに端を発して世界規模でテロ被害が拡大し、アメリカがテロとの戦いを宣言し、日本も同調する姿勢を表明した経緯を放送した。
やがて急遽召集された専門家達が登場して紹介され、アナウンサーが今回の事件についてのあらましを説明すると、色々見解を述べ始めた。番組の最初は、今回の事件は単なる飛行機事故なのか、テロなのか?という議題だったが意見は割れた。事故かテロか現段階では不明。事故ならば、朝になって状況を調べて色々わかるだろう。テロならば、これから他に事件が起こるかもしれないから、大事をとって外出は避けた方が良い。という結論に達した。そして世界貿易センタービルに旅客機が突っ込むシーンが放送された。
「こうやって改めて何度も見てみますと、まるでビルが柔らかいプリンで、飛行機がスプーンの様にすっぽりと綺麗に入っていますねぇ、翼部分まで綺麗に入ってますよねぇ。飛行機の残骸が一片も落ちてこないというのは不思議な感じはします」
「あれはね、時速何百キロという高速で突っ込んだ時にみられる、アレですよ、ホラ、空手の達人がガラス瓶を手刀で綺麗に切るじゃないですか、アレですよ、きっと」
「金森ビルは、地上56階で、高さ241mなのに対して、世界貿易センタービルは110階で高さ411mですから、およそ半分のサイズです。あの、金森ビルに空いた飛行機の跡が世界貿易センタービルの穴とそっくりですねー。という事は、穴の大きさから推測して旅客機の様な大きなものではなさそうです」
「勿論深夜ですのでこの時間に飛行していた旅客機はありませんから、どこの所属のどんな飛行機が激突したのかは不明です。まー明るくなれば現場検証も進んで残骸が残っているでしょうから色々わかってくるでしょう」
死傷者がいない模様で、火災は間もなく消し止められるとなれば、スタジオの空気も一応の落ち着きを取り戻すと、話題は金森ビルも同じ様に崩壊するのではないか?という心配に変わっていった。
「だって世界貿易センタービルは突っ込んでから1時間後に崩壊したじゃない」
「あれは大きな旅客機がぶつかって、衝撃が大きかったからパン・ケーキ現象っていってね。あれで倒壊しちゃったんですよ。だから今回のは倒壊しませんよ」
「違いますよ。あれはビル自体が老朽化していたところにですね、飛行機が突っ込んじゃって水平方向からの衝撃で倒壊したんです。だから今回の金森ビルも、既に25年経っているわけですから危険性はありますよ」
各TV局も現場生中継放送を続けながらスタジオでは、専門家と称する人々を集めて議論を展開していたが、どこも同じ様に金森ビルが崩壊するのしないのと議論していた。そんな中、およそ1時間後の3時50分頃、高さ241mの金森ビルは突然、ガラガラ、ドンドンと大きな音を立てて、あっという間に上から下に綺麗に崩壊してしまった。
この事態に現場は勿論、スタジオも大騒ぎになった。幸いビルの中に入って消火していた消防隊員は崩壊前に火を消し止めて既に外に出ていて無事だった。警察は事前にマンションの居住者を避難させており、非常線を大幅に拡大して野次馬を解散させて報道陣をかなりビルから遠ざけていたので、崩壊による被害者は出なかった。
しかし次に起こったのは凄まじい量の粉塵である。巨大な粉塵の怪物が、周囲全てのものに襲いかかってきたのだ。こうなると、もう警察も消防も報道もなく、全員が周辺に広がる粉塵から一目散に逃げた。現場にいたレポーターやカメラマン達は、興奮してビル崩壊後に発生した怪物の様な粉塵から必死に逃げる様子を伝えた。
スタジオでは、崩壊しないと主張していた専門家が沈黙し、崩壊すると主張していた専門家がしてやったりという満足と興奮を抑えながら、滔々と自論を語り、これはテロの可能性が高いと主張して、更なるテロ事件が起こる可能性を示唆して警戒を呼びかけた。ビルに飛行機が突っ込んで、キレイに崩壊したから911同時多発テロと似ているから、これはテロだ。という結論は冷静に考えればおかしいが、この場では誰も異論を唱える者はなかった。
この日の朝、何気なくいつもの様にTVをつけた人々の多くは驚いた事だろう。各チャンネル一斉に深夜六本木で起こったこの事件をセンセーショナルに何度も放送したからだ。現場六本木では、夜が白みかけた午前6時過ぎ、自衛隊とアメリカ軍が軍用トラック数十台で現れ、まだ粉塵が完全におさまらない中、金森ビルの周辺を高さ5mはある簡易式のフェンスで囲みはじめた。責任者らしい制服の自衛官が報道陣に対して、キチンと所属と名前を名乗り後で記者会見を行うから、危険なので今は帰ってくれ。と言って警察や報道陣を追い払った。
午前6時30分の政府からの説明によれば、これからこの事件の発生原因を、日本とアメリカの専門チームが調査し、事故かテロかを判断して、これからの方針を検討するので、通達するまで消防と警察と報道陣、及び一般人は、簡易フェンスの立ち入りを禁じ、許可があるまで近距離と上空からの撮影及びその公開を禁ずる。そして更なる事件の可能性があり、それによる被害を最小限に止める為に、これから暫く旅客機や船舶の欠航、公共交通網の運休、外出禁止勧告を行う。と発表した。
そして更に多くの人々が目を覚ました頃の午前8時頃、六本木の金森ビルが一望できる某ホテルの監視カメラが、実際に飛行機がビルに激突する瞬間を記録していた。と報じられ、その映像を入手したとアナウンサーが興奮気味に伝え、各チャンネルで何度も放送された。
その映像には、音声が入っていなかった。画面やや左に金森ビルが映っており、所々窓に明りが点いていた。防犯上誰もいなくても明りをつけたままでいる状態は珍しくない。やがて画面右側から暗闇の中から微かに小型ジェット機らしい機影が入ってきて、金森ビルに突っ込むと、金森ビルの左側から激しい爆発が起こり、大きな炎と煙をあげた。この映像を見た多くの人々は、大きな衝撃を受けた。そして何度も繰り返し映像を見る度に冷静な判断力を削がれ、911同時多発テロの記憶とリンクして、遂に東京(六本木)もテロ被害を受けてしまった。と同時に、犯人はアーカイダのオサマ・ビン・ラーディン。という黙示が摺り込まれた……。
午前11時、リチャード・ギリガンは有作の自宅の庭で有作と散歩していた。有作の家はそれ程大きなものではないが、庭が広大で、敷地内に大きな森が三つあり、湖と川の流れがあった。そこには多くの虫や動物や鳥が生息しているのだ。有作はその自然を眺めながら、散歩するのを好んだ。とはいえ彼は要人なので、武装した自衛官が三名付かず離れず護衛しているが……。
この日のY県は晴れで、少し寒いが有作は上機嫌でリチャードとゆっくり歩きながら軽口を叩いて笑っていた。
「……所で、朝のニュース見ただろう。まさかあんな事件が起こるとはね、君があの金森ビルを買い取った時は、東京で不動産屋でもやるのかと思ったよ。しかしビルは他にも沢山あるというのに、運が悪いじゃないか」
『勿論見たよ。酷いなー。あそこでの不動産屋も悪くないと思ったんだ。しかし参ったよ。まさかテロに遭うなんてさ…… 』
「小型ジェット機が突っ込んだようだね。だけどその後はどうも、わからない点が幾つかあってねぇ…… 」
『あれ? 不運にも高層ビルに飛行機が突っ込んだ後は、あんな風に、まるで爆破解体の様にキレイに崩壊するもんじゃないのかい? 』有作の言葉には、明らかに皮肉的な意味が込められていて、その表情は、リチャードが何を言うのか期待する笑みが浮かび、挑む様な目をしていた。
二人共笑顔を浮かべて見つめ合ってはいるが、警護の自衛官はリチャードの殺気を感じ取り、後ろで静かに自動小銃の安全装置を外していた。緊迫感のある間が続き、それを絶ち切る様にリチャードは両手を上げて言った。
「わかったよ。降参だ。そろそろ本当のところを聞かせてくれないか? 有作。君にエシュロン網からの情報を伝えた後は、私は経緯をよく知らないんだ。何故なら君は、その後は私を飛び越えて本国と何か話を進めたんだろう? 私としては是非事の真相を知りたいところなんだ」
有作はリチャードの頼みを聞いて、少し湖に目を向けて考えを巡らせてから言った。
『……邪魔をしないと約束するなら、いいだろう。どうせここは俺と御前の二人きりだしな。どうする? 』
「わかった誓うよ。是非ロマンス抜きで願いたいね」と言うと、二人はゲラゲラ笑った。そして有作はこれまでの経緯をかいつまんで話し始めた。
弘吉を殺した三人組が姿を消して警察の捜査が手詰まりとなった後、有作は連中の肉声データを入手すると、リチャードに頼んでエシュロン網でスキャンしてもらって、四ヵ月後に漸くヒットした。
言葉の内容から直ぐに相変わらず悪事を働いている事がわかった。場所は東京・六本木の某所。有作にとってこれだけの情報で充分だった。彼等の本名や素性、弘吉殺しの証拠等どうでもよい。直ぐに黒潮一家の組長藤堂秀治を呼び出して事情を説明して首実検を命じた。
エスコートにはSP長官の毛利京太郎(注1)を起用した。結果は黒。有作は、彼等の金を稼ぐ才能を認めると、監視を続けながら暫く泳がせろと命じた。すると、彼等が金森ビルに住み込みで入居してくれた上に、その後のあくどい荒稼ぎっぷりを知った。
これで彼等が救い様のない詐欺師で、自惚れ屋のハッカー野郎である事に感謝した。ハッカーは、日本は元より世界中に無数にいるが、その技量は天地の差があるのだ。有作は県庁所属のハッカーチームに依頼して金森ビル37階にいるハッカーの腕前を調べさせると、結果は小僧レベル(大した事ない)というものだった。
有作陣営のハッカーチームのレベルでも世界レベルで見れば中の下クラスと評価されるのだから、その奥深さと裾野の広さは計り知れない世界である。勿論手に負えなければ、最高レベルのペンタゴンの知人に頼むつもりだったが、中レベルは小僧を制する事が出来ると判断して、どうやって弘吉を殺した連中に報復するかというシナリオを描き、それに従って行動を開始した。もしも彼等が彼等なりの考えを持って金森ビルに入居しなければ、今回のテロ騒動は無かった事になる。
有作は手始めに、テロ保険付きで金森ビルを買い取った。当時日本にはテロ保険は存在しなかったが、有作は、オサマ・ビン・ラーディンの不気味メッセージを保険会社に見せ付けて、それに脅える素人ビル・オーナーを演じて、高額な保険料を即決で支払い、テロによる損壊の保険に拘っても怪しまれる事無くオプション契約を締結する事に成功した。
その結果、保険会社はこれから金森ビルの崩壊による補償金額について、事故を主張するだろうが、アメリカの公式声明を聞いて蒼褪める事になるだろう。有作は、NDC社のジェネラル・マネージャー、テッド・ウィリアムに連絡を取って再び爆破解体の依頼を行った。今度は日本家屋のエリアじゃなく、ちゃんとしたビルだと伝えると、テッドは「俺達はそれが専門なんだ」と笑った。
有作がリチャードにここまで話した時、経緯を理解した上で質問してきた。場所は既に散歩の中継所のカフェに辿り着いていて、有作スペッシャルコーヒーと特製チーズケーキが出ていた。
「成る程。たかだか三人の小僧を殺すのにしては仕掛けが大掛かりなのは、テロ保険のおまけが目的だったワケか。しかし、これから激突させる小型ジェット機の手配などを考えると、あまり大きな儲けは出ないんじゃないか。
それに、言ってみれば有作個人の、その、報復プランの為に、本国にテロと認めさせる為に工作したというのは、私の考えでは荒唐無稽な気がするのだが、どうだろう? 」と問いかけると、有作は意外な質問という顔をした。リチャードは単にとぼけているだけなのか? それともCIA日本支部のエージェントとしては本当に知らないで言っているのか? その判断はつかなかったが、今はその確認は不要に思えた。リチャードが本当に知らないのであれば、彼の質問は妥当なものだろう。
金森ビルの爆破解体を請け負ったNDC社のテッドには、ビルの37階付近に、まるで飛行機がぶつかった跡の様な穴を空けるオプションを付けただけだ。機体の最も弱いはずの両翼の端まで、きっちりとビルに突っ込んだ跡(高さ約6m幅約20mの長い穴)を残す事。
それはおかしいという異論を無視して911映像を踏襲させたのだ。このサイズならボンバルドル社のビジネスジェット機と判断しやすい。実機を本当に突っ込ませる必要が何処にある? そんな物は今時CGで幾らでも作成出来る。但しプロ仕様のレベルは駄目だ。あくまでも出所は監視カメラレベルの粗雑な方がリアルで、たとえその映像の真偽を追求されても、政府が公認したものではないのだから、何を言われても黙っていればいいのだ。
幾ら東京に多くの人がいても、年中上を向いて金森ビルを監視している者がいるだろうか? それも時間は深夜3時前だから、目撃者がいる方がかえって不自然だ。その代りジェット機の音が聞こえて爆発音で目が覚めた。と証言してもらう人を1万円で10人雇ってTVカメラの前で顔を隠して証言させた方が説得力を持った情報になり得る。
有作は、この騒動をアメリカ政府に認めてもらう目的で、ワシントンDCに住む友人である政治家WH氏に電話で連絡して、何度かTV会議を重ねた。有作の特殊な才能は、人を説得する能力にあるのだろう。その要点をまとめると、近い将来東京で金森ビルを買い取って爆破解体してテロを偽装するから、所謂911同時多発テロ関連のテロ行為の一つと認めてくれ。というものだった。
それを聞いたWH氏の最初の反応は、有作との話はいつも楽しいのだが、今日はドラッグか何かやったのか? 出来たら話題を変えて欲しいのだが……。というものだった。しかしそれが後日覆って乗り気になってしまうのだ。
2001年、911同時多発テロが起こった時、日本はいの一番でアメリカを支持してテロとの戦いに名乗りを上げた。しかし、平和ボケした日本はその意味を真剣に考えていなかった。これから六本木の金森ビルが実際に911と同じ様に崩壊したら、眠っていた目が覚めて、オサマの言葉を思い出し、これはテロだと殆どの日本人が思い込むだろう。
そこに貴国の駐日大使が、残念だが、卑劣な自爆テロが東京でも起こってしまった。とでも言ってくれれば、もう完璧。それから、貴国の国家安全保障戦略に基づく基準を日本にも適用する事を提案すれば、日本政府は必ず飛びつくだろう。そうなったら貴国が本国と同じ様に日本の安全保障レベルを色付けして、青から黄、黄から赤に変えるだけで、日本政府は幾らでも金を出すに違いないのだ。
つまり、これから東京で起こる騒動に対して貴国の責任者が、911に関連する憎むべき動きだ。と言って安全保障レベルの色を青から黄色や赤に変えて、それに応じて在日アメリカ兵を空港や地下鉄、原発施設に立たせるだけで、日本政府は言い値で金を払ってくれる。というのか? 国家間だから、数億ドル単位で請求してもかまわんだろう。日本人は気前が良い。と説明すると、WH氏はもっと詳しくその話を聞かせてくれないか……? と興味を示したのだった。
この後、基本合意に達して大筋有作のシナリオ通りに計画準備は進んだ。有作がここまでリチャードに話した時、リチャードは完全に理解したらしく、コーヒーをやめてビールとピッツァを注文した。金森ビルの図面を見たNDC社のテッドの見積もりだと、二十名の専門スタッフで、週休二日の8時間で働いて工期は二ヶ月かかると報告があった。
WH氏からの注文は、決行日を日本時間20XX年3月11日午前2時46分と細かく指定してきた。その理由を聞くと、宗教上の理由で、6がつくと縁起が良いらしい。20XX年3月11日は、2001年9月11日から数えて66ヶ月後で、2時46分は、911テロの6時間前だそうで、これなら万事うまく行くらしい。
有作は、『それは日本人が結婚式の日取りとか大安吉日を望むのと同じ風習か? 』と訊いたら笑われたが、面倒くさいからOKした。その日をターゲットに逆算してテッドのチームには働いてもらった。金森ビルを買い取って東京消防の幹部とY県の消防幹部とNDC社の専門スタッフ十名で、各テナントの責任者とマンション区の住人に、ビルのオーナーが変わった事で耐震工事をするという説明をしたら、皆同意してくれた。
勿論37階の連中もだ。それからは遠慮なく爆弾のセッティングに入った。大掛かりの工事はテナントが休みの日に行ったが、テナントはその作業を耐震工事と信じているから、邪魔をする事はなかった。おかげで工事は予定通りに完了して、いよいよ決行の日を迎えた。この日金森ビルに残っている人間を三人だけにする為に、Y県警とSPが事前にあらゆる工作を行った。マンション区の住人達も爆発・火災が起きれば避難に同意すると計算していた。
そして37階に三人がいて、パソコンとサーバーが忙しく作動している事を確認した。爆破の前にいよいよY県のハッカーが金森ビルの37階のパソコンとサーバーに攻撃を仕掛けた。鬼束孝一が、いつもの様にパソコンの画面を眺めながらキーボードを操作していると、突然画面が真白になり、やがて安倍弘吉が笑っている写真が現れた。
この時点で鬼束はハックされたと思いパソコンとサーバーの電源を切ろうとしたが、やめた。たとえ電源コードを抜いたとしても、その場は大丈夫だが後が心配なので、そのままの状態で相手の出方を窺う事にした。場合によっては逆襲出来るかもしれない。仮に鬼束がとち狂ってフロア全体のブレーカを切ったとしても、無効になる様に既に細工を施していた。
どの道連中の命は既に10分を切っている。何も知らずに連中に死なれたのでは全然物足りない。せめてその間、充分に破滅の感覚を味わってもらわなくてはならない。有作の冷酷なシナリオは、時間と共に進行していった。
やがて画面に以下の様な弘吉らしいメッセージが表示された。
「御久しゅうございます。安倍弘吉でございます。御三方も息災で何よりでございます。私を刺して殺したその後は、大都会花の東京にうって出ての素晴らしい御活躍。私としても草葉の陰で喜んでおりました。御三方は、弱きものからも強きものからも、あくどく金を取る見事な手口で、貯めも貯めたり60億! ちゃーんと知ってるんでございますよ。
私も陰ながら応援しておりました。だってY県の『希望の家』で暮らす身寄りのない子達に全額寄付なさる壮大な野望の為に日夜働く御三方なんすから……。寝る間を削って一生懸命働いて、子等の安らかな寝顔を夢見て、よう頑張んなさった。あなた方の蓄財は、今日のこの日の為にあったのでした。ありがとうございました! 私も犬死じゃなかったんでございますね。
私がどんなに必死で働いても、こんな大金つくれませんからね。でもね、もうようござんすよ。御三方のこの世での御用はね、もう潮時なんすから。後は冥土でね、私の恨み辛みをたっぷり聞いてもらいますよ。それでは後程…… 」
鬼束は初めて受けたハッカー攻撃に呆然とし、メッセージを読みながら、弘吉を騙るハッカーが誰なのか想いを巡らせたのだが、これ程自分達を知っており、自分に手も足も出させない程のスキルを持っている人間など見当もつかなかった。
それに、自分達の金を寄付する等とんでもない話だ。鬼束は急いでケータイアプリのプログラミングをしていた李黄明のパソコンからパス・ワードを入力し、自分達の口座残高をチェックすると、全てキレイに0(ゼロ)になっていたのを確認すると絶望した。
二人は慌てて眠っている中西を起こそうと寝室に向かおうとしたその時、ドカーンと複数の爆弾が同時に爆発して、フロア全体を破壊し、北側に大きな穴を開けて間髪入れずにジェット燃料が引火したと見せかける為に高圧で保管しておいたジェット燃料缶と爆弾が爆発して、南側に穴を開けて派手に炎を噴出させた。連中の身体は、こうして瞬時に八つ裂きとなり、紅蓮の炎に焼かれたのだった。その1時間後、金森ビルは崩壊したのだが、強運にも連中が生き延びたのなら、有作はこれ以上の刺客は送らないつもりだ。
20XX年3月11日午後一時、日本政府は漸く非常事態宣言を行い、あらゆるメディアを使って更なる不測の事態に備える様に全国民に通達し、都市の駅や空港を閉鎖し公共施設に警察官を、その他全国の原発施設に陸上自衛隊を配置させて警戒した。全国的な小春日和の日曜日というのに、人々は外出を控え、固唾を飲んでTVを見つめて事態の進展を見守っていた。
TVの画面は、六本木で起きた事件の様子や金森ビルの崩壊シーンや、ビル崩壊後の周りを自衛隊が高いフェンスで囲んでいる様子。そしてアメリカ軍の兵士が大勢でフェンスの中で何か作業している様子を空撮は禁止なので遠巻きに放送していた。専門家による説明では、事故の状況と原因を911テロの関連性も含めて調査しているらしい。そして人々の不安がピークを迎えた頃、アメリカのJ・M・マクギャバン駐日大使が、大使館邸で記者会見を行う予定がある事を発表して、これで何かが明らかになる様だと視聴者に伝えた。
人々はこれまで経験した事のない大きな不安が募り、兎に角誰かと繋がりたいと願い、電話やメールで自分と相手の無事を確認し、又何かが起こるのではないかと語り合う午後4時、アメリカ大使館邸内で、J・M・マクギャバン駐日大使とW・H・ラムゼー極東地域総司令が並び、今回の事件についてわかった事について記者会見を行った。その頃には、Y県の自宅にいる有作とリチャードの二人は散歩から戻り、家のリビングでTVを観ながら雑談をしていた。
J・M・マクギャバン駐日大使は66歳。体格は大柄で、186センチ、顔は面長だが、白髪が薄く、青い目で鉤鼻の白人だ。暗い色のスーツに沈んだ色のネクタイをして有作の注文通りの沈痛な表情を浮かべていた。アメリカ大使館のセキュリティは、報道陣の数を制限して厳重なチェックを施してから、カメラのフラッシュを禁止したので、異様な静けさの中で同時通訳会見が行われた。
「親愛なる日本の皆さん、私は、ジム・ミックダーナル・マクギャバンです。この度の悲しむべき事件については、何と申し上げるべきなのか言葉が浮かびません……。しかし私は駐日大使という立場上、現時点でわかった事と合わせて、事件の経緯をお伝えしなければなりません。20XX年3月11日の深夜、2時46分。東京で大変にショッキングな事件が発生しました。
六本木の象徴的なビルディングである金森ビルに、小型ジェット機が突っ込み、爆発・炎上、そしてその約1時間後、ビルは無残に崩壊してしまったのです……。私が事件の知らせを聞いて起きたのが、午前3時頃の事です。それからすぐさまホワイトハウスに報告しました。ホワイトハウスの見解では、2001年に起きたあの忌まわしい911テロと相似点があるので、慎重に状況を分析・報告せよ。というものでした。私は今隣にいるウィリアム・ヘンリー・ラムゼー極東地域総司令に、事件の被害状況と出来れば原因までの調査を命じました…… 」
マクギャバン駐日大使の本当に辛そうな表情を察したラムゼー極東地域総司令は、彼を気遣い着席を促して、変わって説明を続けた。
「失礼します。私は、ウィリアム・ヘンリー・ラムゼー極東地域総司令であります。マクギャバン駐日大使に代わり、現場の調査結果と現時点での結論をお伝えします。命令を受けた私は、すぐさま基地のメンバーで動ける兵全員と日本の陸上自衛隊とで、準備を整えて現場に急行しました。
しかし途中でビルが崩壊したという知らせをうけて、我々はますます911の関連性を連想したので、ビルの周辺をフェンスで囲み、一切の邪魔なものを排除して精査する事にしました。そして様々な事が明らかになったので、これからそれらを報告致します」
ウィリアム・ヘンリー・ラムゼー極東地域総司令は、53歳。170センチの中肉中背だが、皺一つ無い制服に身を包み、誰が見ても屈強で精悍な印象を受ける。彼はペンタゴンから送られた情報として、穴の空いた金森ビルの写真を公開した。
そこには、ビルの高さと、そこに空いた穴の縦と横に長い穴の寸法が記入されていた。これらの寸法からして、激突したのは、プライヴェートジェット機ではないかと推測し、更にビルの残骸の中から、ボンバルドル社製のビジネスジェット機のものらしい、エンジンの残骸を発見した。と発表した時、報道陣達は身を乗り出して大きめな声を漏らした。
それから現場には、死体は全く確認出来なかった。と語り、遠隔操作によって無人のままビルに突っ込んだ可能性を示唆した。事前に有作から説明を受けていたリチャードは、顔馴染みの権力者達が有作のシナリオ通りの芝居をうっている現実に少し冷静さを欠いた。これも、有作が画策している新たな日米間の安全保障関係を構築する為の芝居と考えるならば、躊躇はしないという事なのだろうか。
この後はもう、日本人は、911に関連するテロ行為が遂に日本でも起きてしまった。さぁ大変だ。と思い込み、これから日本の安全保障をどうしよう。アメリカ様、御助け下さい。何でもします。と話が進んでいくのだ。これで二人が名演技を続けて日本人を恐怖させていけば、有作のシナリオは成功裏に完結するのだ。リチャードは、自分の目の前でコーヒーを飲みながらニコニコ顔でTVを見つめている男が不思議に映った。彼は日本人であるにも関わらず、まるで日本を売る様なシナリオを描いて実行しているところだ。
「有作、一つ質問していいかい? 」
『どうぞ、凄く緊張感があるねぇ』
「有作は日本人なのに、その、何故日本に不利益でUSAに利益があるシナリオを実行したんだい? 」有作はリチャードの質問を聞くと、少し考えて毅然とした口調で答えた。
『誤解の無い様に説明するが、それでは少し極端な表現になってしまうのだが……、つまり、平和ボケした日本政府と国民に、目覚めて欲しいからだよ。自分の国は自分で守る! という気概が無いと、このように高い用心棒代を払うハメになるって事さ。俺は日本政府に気がついて欲しいのさ』
「もう全部遅い話だが、どうすればよかったと? 」
『君から見れば、俺がシナリオを描いて日本を売った様に映るのかもしれないが、そうじゃない。政府は日本で起こった事件は、何であろうと日本が主導で調査して必要な行動をとるべきだったんだ。どんどん現場を調査すべきだったんだ。そうすれば実際アメリカ軍が軍用トラックで運び込んだエンジンの残骸が出てくるわけもなく、テルミット爆弾(注2)で切り刻まれた鉄骨の後がじゃんじゃん出てくるはずで、そうなれば俺のシナリオは崩壊して事態は又変わった事だろう。
アメリカが安全保障の名目で金を要求しても断ればいいのだ。君は「もう遅い話」と言ったが、俺はそうは思わない。日本政府にはこれに懲りて、今後は何があっても自分の国は自分で守る。安全保障についても自分で責任を持つと宣言し、アメリカが国家安全保障レベルを何色にしようと、鐚一文払わなければいい』リチャードは有作の主張を聞いて、「成る程」と言った。有作は地方自治体の一知事として、ここまで手の込んだシナリオを実行し、暗に日本の安全保障の有り様について警鐘を鳴らしたのである。
「……有作がここまでやって、何%の日本人がそれに気がついたと思う? 」とリチャードが尋ねると、有作は飛び切りの人懐こい笑顔をニカッと見せて、それには答えなかった。20XX年3月11日午後9時、多くの日本人が心配した次のテロは何も起こらず、日本政府は非常事態宣言を解除し、翌日の月曜日からはいつもと変わらない日常が営まれ、それから3日もすれば、皆話題にもしなくなった。
それは事件が死傷者がおらず、老朽化したビルが一つ崩壊しただけだったからかもしれない。しかし弘吉を殺した連中は、遺体も残らず殺害されたのに死者としても認知されず、日本中の誰にもその死が伝わらないのだ。この事が有作のもう一つ酷な罰だったのだ。その本当の酷さに今の若者はわからないのは、人としての尊厳が軽くなった時代の酷さなのかもしれない。数ヶ月後、金森ビルがテロによって崩壊したと認定されて、有作はごっそりと保険金を受け取り、国の税金によって新地となった六本木の一等地を高値で売却した。
それから約一ヵ月後、例の如く有作が知事執務室の机に両足を乗せて考え事をしていると、秘書のユリが、如何にも私は全部知っているのよ的な顔で執務室に入ってきた。その手には「都市伝説」と呼ばれる本を携えていた。
「トノ、六本木であったあの事件は世間で、311テロと呼ばれてるそうです。不気味な事に、20XX年3月(311テロ)は、2001年9月(911テロ)から数えて6ヶ月後なんですって、そして発生時刻の2時46分(311テロ)は、8時46分(911テロ)のきっかり6時間前なんですって、それで6が三つ並んで、666というのは聖書のヨハネの黙示録に書かれている不吉な意味を持っているんですって。
それから、日本政府はアメリカにテロに対する安全保障を依頼してとりあえず20億ドルを拠出したそうです。そして、アメリカ第43代大統領はジョージ・W・フォレストで、フォレストは森でしょ。そしてお金を貰ったんで、その発端が金森ビルで、金森が成立したのは偶然なのでしょうか? ですって。そして極めつけの言葉はこれです。
「世界的な事件は、偶然に起こることは決してない。そうなるように前もって仕組まれていたと、私は、あなたに賭けてもよい」米国第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルト。
トノはこの話どう思われます? 」それを聞いた有作は、少し吹き出し気味に笑ったが機嫌はそれ程悪くはなかった。
『……俺にそんな与太話について何か応えろというかユリ。コーヒーだ』
ユリは笑顔でいつものコーヒーを淹れている間に、有作はニヤニヤしながらその本をパラパラめくって中身を見始めた。
『なんだ。信じる信じないは、あなた次第です。って書いてあるじゃないか。だったら俺は信じない。これはコミック本と同じだよ。それとルーズベルトの為に言っておくけど。彼はそんな意図で発言していない。“政治的”という言葉が消されて変に和訳されたものだよ。政治的な意図を持って起こった世界的事件が、偶然ではないのは当然だ』
「えー、そうだったんですか。うっかり信じちゃうところでした。それじゃーあの6づくしの話はどうなんでしょう? 」
『それは事実だろうけど、だからなに? というレベルだ。どちらにしても人が仕組んでやった事なんだから、6が好きならそれに関連付けてやったんだろう』
「という事は、これはキリスト教系の誰かが仕組んだテロ? あれ? アーカイダってイスラムよりですよね」有作は笑いながらそれは断定出来ない。と言っておいた。
ユリは311テロについて、有作がシナリオを描いて実行した事を知らなかった。日本とアメリカ東部との時差の関係で、有作が帰宅してから自宅で国際電話や電子メールを使って計画を進めたのだから当然だ。それにあえてユリに伝える必要も感じなかった。それを陰謀だとか謀略だとか言うのは自由だが、それは世の人々の知るところとなった時だけだ。世に出た陰謀だとか謀略とか呼ばれているものは無数にあるが、それらは全部発覚したものに過ぎない。
つまり、世の中にはまだ発覚していないものが無数にあるという事実も知っておくべきだろう。ユリは、有作が単純にビジネスで金森ビルに興味を持って買い取り、耐震化工事が終わった直後に運悪く、後に311テロと呼ばれるテロに遭遇したと思っている。
そこに本屋であの無責任な都市伝説本に不吉な6づくしの事実が書いてあって、不気味に思って手に取ったのだろう。あの手の本を読んで自分は何でも知っていると思っている人は意外に多いが、それはそれで結構な事だ。只それを現実世界の現在にどう生かすか・生かさぬかで未来が決まるというものだ。
有作は安倍弘吉の死を深く悼み、犯人逮捕に警察が御手上げの状態を嘆き、通常ではない措置で犯人を特定し、首実検までして居場所を突き止めた。これだけでも異例な事だが、犯人が金森ビルに居住区をつくって入居すると、ビル毎買い取って吹き飛ばすシナリオを発想した。
更にこの密かな処刑計画に意味を持たせる為に、自分のコネクションを駆使して911テロを踏襲し、テロと見せかけてアメリカに国益をもたらし、日本政府に自国の安全保障について再考を暗に促したのだ。金森ビルは不動産として既に老朽化していたので、有名な割には安い買い物で、テロによる全壊で焼け太りと言われても仕方がなかった。
テロによる死者がいなかったという事で、土地にはマイナス査定がつかなかった上に税金で新地にしてもらった結果、有作が驚く程の高値で売れた。NDC社に着手金と成功報酬を支払い、工事費を差し引いても、有作には30億円を超える臨時収入が入った。
そして無記名による60億円の寄付を受けた『希望の家』の理事長は、喜び過ぎて熱を出して寝込んだらしい。これだけ異例のヒト・カネ・モノを動かしてまでして、有作は弘吉の仇をとったのだが、それでも有作の気はおさまらなかった。有作は弘吉に会って話をしたかった。それは、過去に弘吉の様な人物を本で読んだ事があったが、実際にそんな人物を見た事がなかったからに他ならない。有作が過去に本で読んで弘吉のイメージと重なった人物の名は、イエス・キリストであった。
注1 毛利京太郎 毛利は四十代後半の色白の小柄な男で、顔は顎が尖ったシャープな感じで目が大きく、唇が薄く、鼻は高く尖っていて耳まで尖った少し陰が入った男であった。毛利はSPの中でも一流のエージェントだったが、ある爆弾事件で瀕死の重傷を負い右脚を失ってしまった。有作は漸く一命を取り留めた毛利に詫びると、責任を感じて最高の職人や技師を集めて精巧な義足を作らせて毛利が問題無く歩行が出来るようすると、優秀な頭脳と豊富な経験を評価してSP長官に任命したのだった。
注2 テルミット爆弾 アルミニウムの化学的反応性を利用したもので、少量でも大きな熱量を発生させることができる。点火すると閃光を発して爆発し、三千度以上の熱を発生させる。一般的な金属の融点は三千度に達していないので、容易に溶解させることができる爆弾。