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社会改造の物語  作者: 小田雄二
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抗争の数々

 第七章


 千葉と梅木は、意気揚々とS警察署を車で出て行った。

「いやー、こんなに気分良う警察署出るのは初めてじゃ、これからも警察と仲良うしていけそうじゃのう、千葉ちゃん」

「御機嫌ですね、社長」

「今夜飲みに行こうで」

「今日はこれから事務所に戻って、大河原さんと打ち合わせでしょう。Q州連合は、覚せい剤の朝鮮ルートが関西に行ってしまった事を怒っているんですよ。今日は家で飲んで下さい」

 千葉は笑いながら、梅木の黒い車(メルセデス・ベンツ Sクラス S550 AMGロング)を事務所に向けた。それからの一週間は、梅木も千葉も、休みは1日しかなく、毎日仕事に明け暮れた。梅木は漸く自覚が出てきた様で、梅木連合の頭としての威厳が生まれてきたのでナンバー2の大河原を安心させた。

 組を取り巻く環境は、拡大の一途である。県外からやって来て、勝手に賭博や売春を行うヤクザの摘発と本家本元の賭博と売春の運営の指揮。人手不足を解消しようと組員を募集して面接。そして県外組織の西はQ連合、東は広島や関西系の暴力団との駆け引きによる、縄張りの死守である。携帯電話を使う事が多いのだが、始めは静かに紳士的でも、段々怒鳴り合い、脅し合いが多くなるので、梅木は疲れ、ストレスで病気になりそうだ。と愚痴をこぼした。

 県外組織としては、旨味の大きいY県で仕事がしたい。と言い、梅木は梅木連合の傘下に入れば問題無いと誘う。相手が同意すれば、交渉に入るが嫌だとなれば梅木は断る。しかしそれで終わらないのが暗黒世界なのだ。刺客を送り込んで殺してやる。とか戦争だとか物騒な事を具体的に考えながら、虚勢を張り合うのが梅木にとっては相当な負担になっているのだ。

 実際に賭場の摘発をする際には双方に怪我人が出始めて、警察や裁判所を通さない賠償問題だとかが増え始め、やがていつ死人が出てもおかしくない程の不穏な熱を帯び始めていた。千葉も警戒して酒を控え女色も慎んで、なるべく電話の内容を記録して梅木連合が拡大する全体像を把握しようと努めた。

「トノ(有作)はカジノ・シティの話しかしていないと言うのに、いつの間にかカジノ・シティが出来る前に、もう県内全域でカジノ・賭博・売春が解禁になった。と拡大解釈されているのが問題なんだ。事態は日々拡大していて、キチンと対応が追いつかないのも問題だ。警察もウチらを持ち上げといて頼りすぎだ。大体トノは何故、この事態を放っておくのか…… 」

 千葉は、有作のニカッと笑った顔を思い出した。

「いっつもあの笑顔に騙されるんだよなー。つまり全部織り込み済みで、宜しく頼むって事ですね。ハイハイ」

 千葉は軽く頭を左右に振って車を事務所に向かわせていた。時刻は午後三時過ぎ、少しずつ日が延び始めた陽気で、街は車の移動も落ち着いた時間帯だ。この日梅木と千葉は、馴染みの料理屋で遅い昼食をとった帰りだった。梅木は食欲が無いので、刺身を少しと香の物で茶漬けを食べて、千葉はしっかり懐石コースを堪能した。払いは勿論梅木だ。

 千葉は周囲を警戒しながら、買ったばかりの黒いメルセデス・ベンツ Sクラス S550 AMGロングの後部座席に梅木を乗せると、自分も左側の運転席に身体を滑り込ませた。外から見れば一見してヤクザの乗る車で迫力だけの感があるが、その性能は驚異的だ。

 梅木はスモークシールドが張られた後部座席で煙草に火を付けた。千葉は煙草を吸わないので少し顔を顰めながら静々と車を通りに出した。

「全く御前はよう食うのー。羨ましいで」

「社長ももっと食べないと、身体持ちませんよ」と笑ったが、バックミラーに映った後ろの車が気になった。先程から車一台を挟んで同じ車がついて来ている。

「どねーしたんか、千葉ちゃん? 」

「ええ、後ろのトヨタ ヴィッツ、小さい車にヤクザ風の男が三人も乗ってるんですよ」

 千葉は試しに交差点をわざと急に右折すると、その車も慌ててついてきたので、つけられている事を確信した。しかも二台。ヤクザ丸出しのこの車をわざわざつけてくるからには物騒な用件に違いない。

 千葉は梅木につけられている事を伝え、準備していたヘルメットと、胴部を守るプロテクターを着けてもらってシートベルトで腰を固定して横になってもらった。国道9号を東に車を走らせながら、後ろの車に注意を向けていると、相手はこちらが尾行に気付いた事がわかった様で、今度は堂々と後ろにつけてきた。運転席と助手席の男達はサングラスをかけて薄ら笑いで何か話している。

 二台とも同じ車で、Y県ナンバーのレンタカーだとわかった。千葉は右前方に関門橋を見ながら、壇之浦町の道路を左に入り、マニュアルモードに切り換えて北に向かってアクセルを踏み込んだ。ここからは殆ど信号が無く、大きな左のカーブを皮切りに左右のカーブが増えて、建物もまばらになり、緑が多くなる。

 千葉が運転するベンツはタイヤを鳴らして加速すると、ぐんぐんヴィッツを引き離していった。ヴィッツも負けじと追いかけてくるが、ベンツの相手ではない。車の性能差が大きく、直線コース、左右のカーブを曲がる度にぐんぐん差がついていった。忠実なステアリングとガッチリと路面をグリップする硬い足回りの感触は信頼出来た。千葉はここで振り切るのも簡単とわかると、あえてスピードを落として、ヴィッツ二台に付き合いながら、中国自動車道の下の道路を北に走り、山道に入った。

 ここで振り切って逃げたところで又狙われるのなら、ここで決着をつけた方が得策だ。と千葉は判断した。するとヴィッツの男達が、山道に入って人目が無くなってきた事で、これ見よがしに自動小銃や拳銃を出してきた。こちらにプレッシャーをかけているつもりなのだろう。

 千葉は苦笑した。このカーブの多い山道で前の車等簡単に撃てるものではない。運転手は運転をこなしながら右手で発砲する余裕は無いし、利き腕が右なら車の右後側からしか銃を外へ出せない。それでも前の車を狙おうとしても、今度は自分の車体が邪魔をして左ハンドルのベンツの急所を狙う事は困難なのだ。

 実際ヴィッツは右後ろから自動小銃(機種不明)を出してきた。この状況で片手で連射撃ちしてきたのには、千葉は「こいつらド素人だ」と失笑した。発砲の反動を制御できず銃口が踊って、全く当たらなかった。左カーブの時は完全に死角に入るので、今度は右カーブの時にヴィッツの男が右後ろの窓から半身を乗り出して構えて撃ってきた。今度は当たり、大きな着弾音の後、5.56mmの銃弾が2~3発ベンツの右後ろから内に飛び込んで来て、いつの間にか千葉の真後ろで小さくなっていた梅木が、その衝撃波に悲鳴を上げた。僅かな隙を狙ってよく撃ってきたものだ。

「社長! 何で車を防弾仕様にしなかったんすか! 」千葉が思わず首を窄めながら大きな声を出すと、梅木は「知るかいそんなもん! まだ買うたばっかりじゃっちゅうに、クソ、こうなったら、奴らブッ殺しちゃれ! 」と叫んだ。千葉は「承知」と言った。

 これでもう彼等に助かる見込みは無くなった。千葉はアクセルを踏み込んで、再びヴィッツとの距離を離すと、左カーブを曲がった先で鋭くハンドルを左にきりながらサイドブレーキを引き、ベンツを華麗にスピンさせてヴィッツを狙いやすい位置で停止させた。

 素早く車から降りると、いよいよ有作から贈られたコルト・パイソンをホルスターから抜き、撃鉄を起こして約3秒後に飛び出してくるヴィッツの運転手に狙いを定めた。

 ヴィッツが無理な姿勢で精いっぱいの速度で左カーブを曲がって来た瞬間と、助手席の男を避けて運転手の顔がコルトの照準に入ったところを、千葉はまるでその瞬間を切り取る様に引き金を引き、遂にコルト・パイソンが火を吹いた。千葉が狙いすまして撃った357マグナムダムダム弾は、ヴィッツの運転手の左目下あたりから入り、一瞬で眼球を潰して、その先の脳をグシャグシャに掻き回してから、右後頭部の頭蓋に大きな穴を開けて抜けた。

 運転手が即死して車内に脳漿と血を撒き散らしたヴィッツは、そのままガードレールを突き破って派手な轟音を残して飛び出し、崖下に向かって転がり落ちていった。男達の叫び声が聞こえ、車体のあちこちを岩にぶつけながら落ちて酷く変形した。千葉はすかさずベンツを発進させて壊れたガードレールに向かい、ベンツを楯にして車を降りて崖下を見下ろすと、ヴィッツはグシャグシャになって約30メートル下で裏返しになっていた。千葉は再びコルトを抜くと、「天国に行きな」と呟きヴィッツのガソリンタンクを撃ち抜くと、炎上して黒い煙を上げた。

 千葉は息のある者が車から這い出したら射殺するつもりだったが、そのまま燃え続けたのでベンツに乗り込んで、来た道を戻ってカーブを曲がると、もう一台のヴィッツが約100メートル先で様子を窺う様に止まっていた。この距離は拳銃の射程距離ではないので、相手が自動小銃でも撃ってくるかと警戒していたが、撃ってこないので運転席で身体を伏せながら、空ぶかししてベンツ独特のエグゾーストノイズを響かせてやった。するとヴィッツは意外にもUターンして逃げ始めたではないか。

「うそぉ~」千葉はそう呟くと、奴らは自動小銃を持っていないと確信して。アクセル全開で二台目のヴィッツを追跡した。

 相手がどんなにスピードを上げて逃げようと、ベンツはみるみる追いついてピタリと真後ろにつけた。更に千葉は時速百キロぐらいで走りながら、ヴィッツの後部を押し始めた。ぶつけてしまうとエアバッグが作動するので、あくまでも押した。まるで虎がウサギを戯れながら追う様に、千葉はヴィッツをどんどん追い込んでいった。ヴィッツが必死でブレーキをかけても、387馬力のベンツは、それをものともせずに直線道路を時速150キロで更に押し捲る。

 ブレーキをかけたヴィッツのタイヤは煙を吐き、ちぎれ飛んでホイールが火花を上げても、千葉は容赦しなかった。ヴィッツの運転手は、パニックになりながらハンドルとブレーキを必死で操り、横転しない様に車体を保っていたが、左手に大岩石がある右カーブの前で急ブレーキをかけたが曲がり切ることはできなかった。千葉は直前でスピンターンしてベンツを綺麗に止めた。

 ヴィッツは時速百キロ以上の速度のままで右カーブを曲がりきれずに左の岩石に突っ込み、まるでバターの塊が硬い物にめり込む様に大きく変形して停止した。大きな衝撃音の後の静寂。日の暮れ始めた田舎の山道は、ベンツとヴィッツ以外の車は一台も通らなかった。つまり目撃者がいないことになる。信じられないかもしれないが、田舎とはそういうところだ。

 千葉は素早くコルトの弾倉から空薬莢を抜き取り補弾すると、「おおーい、大丈夫かー? 助けてやるぞー、返事しろー 」と優しく声をかけた。千葉は不用意に敵に近づく事はない。重傷を装って隙を見て反撃してくる奴を幾らも見てきたからだ。

 少ししてヴィッツの後部座席からスーツ姿の男が転がり出てきた。「助けてくれ」と弱々しく這いつくばってこちらを見た。勿論千葉はベンツの中からコルトの銃口を男の眉間に定めていた。

「社長、奴の顔を見て下さい。知った男ですか? 」と梅木に声をかけると、梅木は忌々しげに男の顔を見て、「知らんのう」と言った。「武器を捨てろ」「……武器は持ってへん…… ほんまや…… 」「両手を広げて腹ばいになれ」と言うと男は素直に従った。関西系か……。千葉は男の微かな関西訛りを聞き取った。それからグシャグシャに壊れたヴィッツの前座席の壊れた窓の隙間を狙って発砲した。弾丸は窓の隙間から入って運転席と助手席をすり抜けていった。千葉は前の男二人の生死を確かめたのだ。腹ばいの男は銃声を聞いて反射的に両手で頭を守った。これが正常な反応だ。

 しかしヴィッツの前の男二人は、357マグナムダムダム弾の衝撃波を受けても、車体とエアバックに挟まれたまま反応しなかったので、死んでいると確信した。弾丸はヴィッツの外に抜けたので発見される事はないだろう。

 千葉はベンツのトランクを開けてから車を降り、泥まみれになって生き残った男のボディチェックし、本当に武器を持っていないとわかると、男の財布と携帯電話をポケットに入れてから、襟首を掴んでトランクまで引き摺り、腰のベルトを片手で吊り上げて乱暴にトランクに詰め込んで閉めた。

 千葉は男の財布と携帯電話を梅木に渡して、「こいつの身許のチェックしておいて下さい。社長は暗殺されかけて助かったんですよ」と笑ってベンツを発進させた。日が落ちて暗くなったおかげで、ベンツの後ろの弾痕は目立たなくなったが、信号待ちの時には後ろの車はライトで生々しい弾痕が映るので不審に思ったのか、車一台分位距離を置かれた。

 千葉は梅木に、怖かった。死ぬかと思った。助かって良かった。と大袈裟に言い立てて、車を防弾仕様のものにしてくれと懇願して梅木の了承を引き出すと、電話でベンツのSディーラーのマネージャーを呼び出し、梅木組だが、今から行く。と告げた。しかし実は梅木こそが、怖くて本当に死ぬかと思ったのだ。梅木から見れば、千葉は車二台で襲われた状況でも、冷静で用心深く、射撃の腕は噂通りで、見事に逆襲して自分を守ってくれた命の恩人だ。

 もしもウチの若い者が運転手だったらと思うとゾッとした。と同時にこの命の恩人は、襲われたと知るや、自ら街中まちなかから人気の無い場所に誘い込み、一人を除いて鮮やかな手際で皆殺しにする戦闘能力を発揮したのだ。梅木は、今起こった千葉の逆襲の様子は話題にするのが恐ろしく感じたので、努めて明るく千葉を褒め讃え、今夜は騒いで楽しもうと言って自分自身をも盛り上げた。

 男の財布から運転免許証とクレジット・カードが出てきたので、神戸市に住む金子喜一41歳とわかった。梅木には見覚えの無い男だがヤクザ者には違いない。そして神戸と言えば関西連合の拠点である。携帯電話のメール内容や登録者の情報は、これから役に立ちそうなものが沢山見つかった。しかし何しろ自分は初めて本格的に暗殺されそうになったのだ。詳しい事は後でこの男から訊くとして、この落とし前はキッチリつけないと組の沽券に関わる。梅木は恐怖から醒めると、今度は怒りが込み上げてきて煙草を何本も灰にした。

 千葉が運転するベンツがベンツSディーラーに到着すると、マネージャーが顔を強張らせながら応対した。そこに、ビジネススーツを華麗に着こなし、インテリ風で都会的な風貌の女がスペシャルブレンドのアイスコーヒーを上品に差し出してきた。

グッとくる女と香水の香りだ。千葉は礼を言ってそれを受け取ると、ブラックのままゴクゴクと飲み干して爽やかな笑顔でお代わりを頼んだ。漸く溜息をつく余裕が出来て、自分の喉がカラカラであった事に気が付いた。梅木も微かに震える手でミルクとシロップをたっぷり入れてグルグル掻き回して、一気に飲み干してお代わりを頼んだ。

 千葉は落ち着いた声で、今の車を売って、今度は防弾仕様車が欲しいとマネージャーに伝えた。「た、多少お車に傷が入っていますね…… 」車の状況を確かめに外に出たマネージャーは、生々しい弾痕と荒れた車内と微かに動くトランクから呻き声を確認したものの、顔を引きつらせながらとぼけてくれた。

「いやーハチが飛び込んできて暴れちゃってねー。おっと、トランクはゴルフバッグしか入ってないから触らない方がいいよ」千葉がジョークなのか、本気なのか明るく言うと、「さ、左様で御座いますか、ですよね」と更に顔を引きつらせた。そのかわり千葉は交渉の結果、アメリカに在庫してあった同系ベンツの防弾仕様車を発注し、それまでの繋ぎとして既に売約済みで明日納車予定だった同種のベンツ(濃紺メタリック)を、梅木のプラチナカードで購入した。

 それは、ヤクザの梅木も戸惑う程の強引さだったが、千葉は「だってヤクザだもん」の一言で伝説のエピソードになってしまった。千葉は人払いをさせてからトランクのゴルフバッグと生き残った男を、まるで荷物の様に移し変え、急遽オーナーが変わった車を運転して今度はS署の新警察分室に向かった。

 千葉は無造作にS署の駐車場にベンツを停めると、トランクから既にグッタリとしている男を再び吊り出してビンタを食らわせて立たせると、両手をタイラップできつく縛ってから署内に顔パスで入った。憐れにもこの男、顔は腫れ上がり、右腕と肋骨と左足を骨折していたのだが、千葉には分からないので、歩けと命じられると、激痛に耐えながらも健気に歩いて新警察分室に入った。この光景を目撃した警官達は、「無茶しよる」とニヤニヤしながら見守っていた。

 千葉は新警察S分室長の植木に敬礼をもって挨拶すると、「Y県庁職員千葉主査であります。突然ですが、今夕、市内藤が谷の山道で梅木組組長襲撃事件が発生。その実行犯の男を連行しました。これが男の所持品であります。尚梅木社長とは面識無い模様です。更に現場に乗用車二台に男六名が残っておりますので、救助願います。緊急の事で恐縮でありますが、この男の身元と動機の調査を要請するものであります」と真顔で口頭報告した。

 それを聞いた分室長の植木は、笑いを堪えながら、「藤ヶ谷の事故は既に今警察が対応しておる。残念だが生存者はいなかった。既に交通事故として処理せよと命じているので撤回しないが、主査の要請は承知した」と応えた。千葉も交通事故で処理と聞いて笑いを堪えながら、「御協力に感謝致します。後日又御伺い致します。それでは私にはまだ任務が残っておりますので、これにて失礼致します。以上」と言い残し下手な敬礼をして新警察分室を梅木と出た。その後千葉と梅木は、自分の縄張りに戻って命の洗濯とばかりに、酒と女に浸ってドンチャン騒ぎで夜を明かしたのは言うまでもない。


 第八章


 新警察は既にグッタリした金子を病院に運び込んで診察してもらった結果、命に別状はないが重症という事で、即入院・加療措置をとった。その後、警察からの詳細な事故報告書を精読し、自らも捜査して一般用と極秘用(関係者のみ)の二つの報告書を作成した。

一般用事故報告書の概要は以下の通り

 20XX年4月16日、神戸市在住の会社員の男性七人(暴力団組員である事は隠蔽、氏名、年齢、住所は公表)が慰安旅行の目的で、新幹線を使ってSを訪れ、二台のレンタカーを借りると、翌日のゴルフを楽しむ為にゴルフバッグ(武器弾薬が隠されていた事実は隠蔽)を積み込んでS市街に出て、名物のふぐ料理を堪能した(事実)後、余興の一つとしてスリリングなドライブを楽しんだ。(漆黒のベンツとのカーチェイスの目撃情報を無視、目撃者には、コミュニティ反逆条例(注1)を示唆して沈黙契約を締結)

 そして今度は峠道でレースやろうという事になって藤が谷の山道に入って、更に暴走行為を実施した。二台のレンタカー(銀色のヴィッツ)のレースは、三人乗りの方が軽い為か、大きく先行した。

 後続の車には四人が乗っており、追いつこうとして速度を上げ過ぎ、上りの左カーブを曲がりきれずにガードレールを突き破って、約30メートルの崖下に転落して炎上し全員が死亡。(事故の順番を逆にし、運転手が射殺体である事は隠蔽、ガソリンタンクの弾痕は無視)先行していた三人乗りの車は、先行して行き止まりに達して折り返した。(その時壊れたガードレールには単純に気が付かなかった。と説明)いつまで経っても仲間の車に出会わないのを不審に思う内に、下りでスピードを出し過ぎて右カーブを曲がりきれずに左の岩石に激突した。運転席と助手席に座っていた二名が死亡。

 後部座席にいた金子喜一氏が重症、命に別状無しで現在加療中である。(車のタイヤ四つの炸裂とホイールの激しい磨耗、現場の不自然なタイヤ痕は除去して無視、漆黒のベンツは終始存在自体を隠蔽)と結ばれていた。

 一方、極秘用の報告書の概要は以下の通り、

 警察の事故調査資料全てを採用し、これは交通事故ではなく、神戸市に拠点を置く広域指定暴力団稲瑞会の片桐会長が梅木連合会長梅木敏行氏の殺害を目的として七人の刺客を送り込み、梅木会長の護衛任務中のSP千葉が撃退した事件と結論している。

 二台のレンタカーの内、四人乗っていた方から、5.56mm自動小銃が2、9mm拳銃が4、その他相当量の弾薬が確認された。但し、車が炎上した時の熱によって大多数が暴発した。三人乗っていた方は、武器弾薬は確認されなかったが、旅行バッグから500グラムの覚せい剤を押収した。生存者金子喜一氏の証言によると、梅木殺害後、再び新幹線で移動して、博多の暴力団郷田組に売り渡す予定であった。

 刺客七人は、二台のレンタカーに分乗し、梅木会長のベンツを追跡後、停車させる為に自動小銃を発砲したが、ベンツは逃走、更に追跡後逆襲にあったものである。ベンツの運転手は千葉秀樹、県内の組織SPのエージェントであり、当時は梅木会長の護衛・補佐任務の遂行中であったので、一人を射殺、五人の殺害については不問(立件無し)とする。

 新警察は一般用報告書をメディアに送り、極秘報告書を県知事とSPに送った。これで大衆はこの一件を、単なる交通事故と認識して三日で忘れてくれる。そして新警察が梅木組と稲瑞会の抗争事件と認定したからには、捜査は続行された。この組織は、検察と裁判所を廃止してしまった有作が、強い思い入れを持って代替えとして創設したもので、人員と規模は非公開である。

 警察が国家の法律・刑法に従って立件・捜査して被疑者を検挙したら、新警察が被疑者を受け取り、本当に罪を犯したかどうかを、法律や刑法の壁を条例で飛ばして有罪・無罪を吟味し、有罪後は量刑も科す事ができるのである。特徴的なのは、その方法である。有作は税金の無駄遣いと長い時間をかけるのをひどく嫌うので、早く真実を解明する為には、法律を越えて、自白剤や催眠術を使ってでも真の犯人しか知らない物証や証言を得る事が許されているのだ。その他被疑者への接待は、利益供与になるので警察では禁止だが、新警察はそれを乗り越えて接待が許されているのだ。

 勿論全て可視化・公開が義務付けられている。軽犯罪の場合は、反則金で済ませるのが通例で、一度の過ちで検挙されて有罪が確定した者は、一万円の反則金と三ヶ月のボランティア活動が科せられて終わりだが、二度目は全財産の半分と、ボランティア活動一年、そして三度目はどんな罪であろうと全財産没収後、永久所払い(Y県外)か、悪人島送りとなる。だから県内には前科三犯の者はいない。勿論、有作が県知事に就任した時に、演説によって、治安を守る手段として十分に説明し、軽犯罪でも繰り返せば気の毒な事になると警告し、メディア演説で可決している。新警察創設の根拠は、県知事有作の演説中の言葉にある。

『……仏の顔も三度まで。という言葉がある。私は仏教徒ではないが、あの仏様だって三度やれば怒るんだろう。我々は未熟な人間だから、三度も許す事など出来ない。大体被害者がいるなら、罪人は被害者に賠償金を払うべきだ。そして軽犯罪なら、反則金さえ払えば何をしてもよいと勘違いする人間はもう要らん。県外か悪人島で、気の済むまでやってもらおうじゃないか』

 有作は罪を憎んで人を憎まず。という言葉が好きな男だが、どこの国の社会でも人間が集まって暮らすところに必ず起こる犯罪について、真剣に対策を考えた男だった。

『……人はこの地域社会に於いては、自由に生きて良い。善良に生きるも、罪を犯すも自由で良い。意識・無意識に関わらず、誰もが大小の罪を犯しながら、死ぬまで生きるのだから罪の無い者などいない。

 では、罪の大小とは何か? そもそも罪に大小はあるのか? 例えば、皆が大好きで小説や映画の永遠の出し物である殺人だ。そもそも殺人という行為は、何故罪なのだろうか? 我々は日々、牛や豚等の家畜や魚を殺して切り刻み、あらゆる手法を加えて肉や皮・腸、骨の髄まで貪っているというのに、である。が、これは、生き物を殺して食う事は、どうやら大した罪ではない様だ。

 一方、野性の中では弱肉強食である。皆生きる為に必要な分だけ、倒せるものを殺して食べて生きている。しかし同じ肉食獣同士、例えばライオン同士で殺し合う事は無い。縄張りや牝の争いで戦う事はあっても、殺し合う事は無い。又種が生き残る最後の手段として、共食いをする場合があるが、それはここでいう殺し合いとは本質的に違う。

 だから、人が人を殺す事は、殺人も戦争も含めて、人だけの行為ではないだろうか。そしてモーゼの十戒では、汝殺す事無かれ、や仏教の沙弥尼の十戒にも不殺生があって、禁止されている。ここがポイントだ。人間禁止されると興味出るよね。だから皆好きなんじゃないかな。だめだ。いけませんと言われると、逆に惹かれるんじゃないですか? ジョークはさておいて、殺人が何故罪なのか、私は“禁”を破った罪だと思う。皆も一度真剣に考えてみてくれ、答は色々あって良いと思うし、正解はケースバイケースで複数あり、終いには無いかもしれない。

 しかし映画を観ていて、悪人グループと警官グループが銃撃戦をやっていて最後に警官グループが勝つと、スカッとするのは何故だろう。作り物という事を除外しても、銃で殺し合いしているのにね。ワイルドでクールじゃないか。つまり殺人は、自分が関わるのはまっぴらだが、他人事ならば皆が大好きな行為なんだ。本屋やDVDセル・レンタルショップに行ってみるといい、その手の作品だらけだ。動機、方法、何人殺す? そして犯人はどんな奴か? とっ捕まえるのはどんな奴か? 多くのクリエイターは毎日、そんな事を必死で考えて物語を紡いでいるんだ。そんな実状を私はどうこう言うつもりはない。ただ、そんな優秀な頭脳と時間があるのなら、逆の事について考えてくれても構わないんだがね。

 そういう意味で勿体無いと思うが、絶対に誤解しないで欲しいが、私は殺人を肯定しない。無論否定もしないが、私は県知事として、殺人事件が県内で本当に起こらない様に手を尽くす。そして起きた殺人事件は、必ず真犯人を突き止める。その為に手を尽くす。殺人が何故“禁”で、それを破ると罪なのだろうか? という命題だが、これは人だけのものである事に反論する者はいないはずだ。野生の中では、誰に言われたわけでもないのに“禁”を守っているというのに、だ。これは私の考えであって、実験するつもりはないが、殺人の“禁”を無くすと、どうなると思う?

 きっとすぐに殺し合いが始まるだろう。殺し合いは駄目、話し合おうと主張する者から死を体験する。続いて弱者だ。そして凶悪な者、頭が良くて狡猾な者がイイ線いくだろう。しかしその上に怨恨、思想やイデオロギー、人種、快楽、無意味が重なって、休憩を挟みながらでも延々と続いてエスカレートし、最後は絶滅の静寂が支配するからではないだろうか? 皆そんな自治体に住みたいか? 命がある内に逃げ出すのが正常だ。

 ブラックジョークはさておき、殺人の“禁”は、人の絶滅を防ぐ方法の一つだと私は考える。では、一体誰が大昔から禁じたのか? 神様か? 本当に神様がわざわざ岩に刻んでモーゼに与えたのか? そう考える人がいても良いだろう。私は否定しない。だが、それでは野生の動物が“禁”を守って種を残している説明がつかない。それにこの類の“禁”は、万国の人間社会に必ずある。従って私は、それは種保存の為の誰でもが思いつく摂理だと考える。それを感じ取った先人が、人の絶滅を防ぐ為に、色々な“禁”を文字に残して掟としたんじゃないか。太古の人も中々の知恵者で、それ(掟)を私が書いた。と言っても説得力が無くて誰も守らないから、神の名を使ったのではないだろうか。だから掟は今も残り、多くの人が守ってるんじゃないか? そう考えた方が私には理解しやすい。そう考えたって良いはずだ。勿論それでも世界中で殺し合いはなくならない。だが、それでも私は悲観しない。太古にその掟があったから、人類は今も絶滅を免れていると考える。

 もしも、太古からあの“禁”がなかったとしたら、人類はとっくに絶滅していただろう。話が大袈裟になったかもしれないが、殺人の“禁”は人の絶滅を防ぐ為で、実は“禁”は他にもあって、盗みや騙しの“禁”は、治安や秩序を維持する為に必要だと考える。つまり人が絶える事無く、安心して楽しく暮らす方法は、たった十の掟を守れば良いという事なんだろう。そして“禁”を破った者には罰がある。

 だから“禁”を破って罰から逃げ隠れしている卑怯者を捕まえる組織が必要で、捕まえた者を吟味して罰を与える組織も絶対に必要だ。だから殺人事件が起きても解決できないと、県内の治安維持に重大な問題になるし、遺族に更なる深い悲しみと苦しみを与えるし、殺されて良い県民など一人もいないのだから、絶対に真犯人を捕まえなければならん。

 幸い県下では殺人事件は少ないが、今後も予断を許さないし、その他の、放火、強盗などの凶悪な犯罪もある。皆が安心して楽しく暮らしていくには、治安の維持が絶対なのだ。しかし、私はかつての様な憲法や法律を遵守した生温い捜査・裁判と懲罰に大きな疑問を持っていた。時間と優秀な人員と税金がかかり過ぎているからだ。どうして地域社会に何の貢献も利益も無い、むしろ不利益と悲劇をもたらした所謂悪人共に、弁護士を付けて何回も裁判し、懲役で何十年も彼等に罪を償っていただく為に衣食住を保障しなければならないのか。

 何故我々の血税で、悪人共にそれだけ尽くさなければならないのか。それは、公職者が憲法や法律を遵守するからだ! それが当たり前というくらいわかっているから、敢えて告白するが、この様な悪人共の処遇にかかる費用は、県の財政に大きな負担になっていたのだ。

 それでこの際、検察と裁判所と刑務所を廃止して、その代替として新警察を創設する議案を可決させた。勿論全てを県のホームページで公開して県民にチェックしてもらいながら、捜査の迅速化、効率アップ、経費削減の為に憲法や法律の壁があるなら、条例で超えても構わない。クスリ(自白剤)や催眠術も良いだろう。真犯人だと特定出来る決定的な証言や物証が出れば良いのだ。そうして冤罪をなくして真の悪人共が、まとめて悪人島送りになっても、私は少しも寂しくない。

 Y県はこれから暫く、憲法や法律の解釈を変えて効率重視で治安を維持していくが、いつの日にか財政が豊かになったら、必ず元通りの憲法と法律を遵守して治安を維持してみせると約束する…… 』

 又有作は罪に関しての見解を以下にみせている。

『断罪する時、一人殺した者と、五人殺した者の罪は、どちらが大きい(重い)か? という命題にあたる時がある。数で判断すれば、大きいのは五人殺しの方だが、それは見識が浅くないだろうか? 私は何かの物語で、一人殺すも二人殺すも同じ。という台詞を聞いた事があり、成る程と得心した経験がある。社会生活の中で、自分と同じ人間(同胞)の息の根を止める行為は、正常な人では中々そこまでには至らないものだ。とすれば、殺人行為の一線を越えた時点で、一般とは違う異常性を発揮した時点で既に罪であって、数の問題ではなくなるのではないだろうか。そう考えた私は、一人殺すも二人殺すも同じ。という台詞に納得したのだ。従って県下では、殺人罪を数で裁く事は無い。殺人者は、一人も県にいてもらいたくないものだ。そして一人で止められて良かった。五人で止められて良かったと考える様にする。

 人を殺したら死刑にすればいい。という話もよく聞くが、これにはあまりにも短絡的で納得いかない。それこそ一人殺しても五人殺しても、死刑は一回だから全く釣り合わないし、私は死刑そのものに反対だ。残酷に過ぎる』

 要するに有作は、犯罪者の方が、貧しくとも善良に暮らす者より税金と手間をかけている事に腹をたてているのだ。だから、誤認逮捕や冤罪を無くし、重罪人を悪人島に送致するシステムを考え出して実施したのだ。検察と裁判所を廃止して新警察に代替するとは、大胆な改革だが、有作は粘り強く交渉を続けて実験的に実施という条件で反対派を制して実際に施行してみると、治安が良くなり、莫大な節税に貢献したので、狙い通りの効果が出ているのだから、有作の支持率は高いままで安定しているのだ。

 新警察は、直ぐに唯一の生き残りの金子喜一から事情を聞き出して、既に死亡した六名の身元を調べ、稲瑞会とその家族に死亡の事実を伝えた。稲瑞会の使者と家族達はSを訪れて遺体と対面し、涙しながら遺体と共に神戸に引き上げていった。稲瑞会の使者が金子を見舞いたいと申し出たが、重症で絶対安静だと嘘を言って返させた。金子は警察病院に送られてから、万全の治療を施されて急速に回復していた。

 何しろ治療は本物の医師と看護士が最善を尽くし、身の回りの世話は、美人が交替で傅き、食事や酒もセックスも健康上無理のない限り好き放題なのだ。勿論これも新警察の意向が働いていて、飲み薬には自白剤が含まれている。おかげで金子の容態は好転し、新警察きっての太鼓もちである木暮大作の、相手を持ち上げながら雑談の様な取調べの術中に見事にはまり、自白剤の効果もあって新警察が必要な情報を、まるで子供の様な表情で快活に何でもペラペラ喋ってくれた。

 金子は証言の度に木暮が褒めそやすと、大喜びする始末だ。それによると、この事件の発端は、今や梅木連合の福龍会会長の大河原が、覚せい剤の朝鮮ルートを、関西連合の幹部清水に売った事で、関西の暴力団のパワーバランスが崩れ、稲瑞会が窮地に立たされた事にあった。

稲瑞会が持っていた覚せい剤ルートよりも、遥かに純度の高いものを安定供給できる朝鮮ルートを関西連合がとった事で、山野組に次ぐ勢力を誇っていた地位を関西連合に脅かされる事になったのだ。この事態に激怒した稲瑞会の片桐利夫52歳は、梅木連合の梅木を激しく憎み、暗殺を計画し、腕の立つ者を四人集めて武装させ、監視役三人の七人をSに送り込んだ。梅木がヘタレである事は、関西の裏社会でも知られており、別に殺さなくても監禁して脅かせばY県のシマをとれるかもしれないと安易に考えていたのだが、千葉の存在と反撃は全くの誤算であった。

 金子は稲瑞会の幹部なので、木暮はこの後も様々な事を訊き出した。情報は直ぐに裏取り捜査が行われ、事実と判明すると報告書用資料となった。稲瑞会の覚せい剤密輸・密売ルートの詳細や過去の殺人、脅迫等の凶悪犯罪の詳細、そして地元警察と抜き差しならない数々の癒着実態の証言は、神戸市民ばかりでなく、全国民がひっくり返りそうなパワーを持っていた。

 新警察はそれを証言DVDにまとめて証拠とし、事実に裏取りされた完璧な報告書を作成してマス・メディアと警察庁にY県警の名前で送った。メディアがこの情報を記事にすると、世論は忽ち大騒ぎとなり、警察庁も揉み消す事が出来ず、稲瑞会と地元警察署に内部捜査のメスを入れざるを得なくなった。木暮は世の中が大騒ぎになっている事実を金子に知らせないどころか、金子に見せていたのは、映画やドラマのDVDばかりで、新聞やラジオ・テレビの報道を入院当初から一切見せていなかった。

 そして金子から訊き出す事が無くなると、今や逮捕者が続出して蜂の巣をつついた様な状態の稲瑞会にさっさと連絡を入れて、金子の入院治療費六千万円を請求して身柄を引き取る様に命令した。「たった5日の入院治療で六千万やと! ふっかけんのもエエ加減にせえよ! 」

「嫌なら、このまま金子を預かり、兵庫で行われる数々の裁判に金子を証言台に立たせて証言させてやる。勿論我々は彼を24時間警護するから口封じは出来ないぜ。そうすれば御前等壊滅だ。そう考えれば六千万位安いもんだろう。どうなんだよ! 」

 木暮大作は、金子には笑い人形の表情で芸人張りの面白トークで御機嫌を伺っていたが、今は全く別人の様な顔で、ヤクザ顔負けの啖呵で本物のヤクザを脅迫するというそんな二面性がある男なのだ。木暮は自分のポケットに一千万円、県の税務署に五千万円を振り込む算段だ。

 この行為は県外ならば、公務員が職権を使った横領と恐喝だが、県内の者が誰も困らない場合、Y県では不問となり、むしろこの類の事案は沢山ある中の一つでしかない。但し、個人の利益のみの為に職権を行使すれば、厳罰に処されるのだ。勿論、木暮は税務署に五千万円入金の経緯を報告して、病院と偽女看護士に正当な報酬が振り込まれるシステムになっている。

 万が一、稲瑞会が断れば、望み通り金子を裁判で証言させて、世論の火に油を注いでやるし、本当にコワイ兄さん(SP)が動き出す事も匂わせるのだ。なにしろ稲瑞会きっての武闘派をあっという間に殺しておいて、自治体ぐるみで交通事故にしてしまう連中だ。ここは金で解決できる内にいう事をきいた方が得策だと、普通は考える。金が無いと渋っても、もっと働いて稼げとハッパをかけ、財産差押えと現金化のプロであるY県税務署員が護衛付きで行くから心配すんな。追加請求は勿論すると答える。稲瑞会がこの事実(恐喝)を地元警察に訴えたところで、訴状が警察庁に上がり、審査されて、問題となったとしても、厳重抗議文書がY県警に送られてくるだけで、受け取ったY県警では焼却ゴミが増えるだけだ。

 片桐会長がトチ狂って、戦いを挑んだところで勝つ見込みはゼロ、世の中で厄介な暴力団の一つが消えるだけの事だ。仮にそうなった場合、一体何処のどれくらいのマス・メディアが世論を焚きつけてY県を断罪するだろうか? 結局稲瑞会は木暮と交渉の末に、六千五百万円を振り込んで手を打った。元気で素直な子供の様になった金子を迎えに来た。五百万円の上積みは、ゴネたペナルティで、木暮と税務署と折半になる。稲瑞会の幹部は、顔を引きつらせながら、車椅子でギプス姿の金子を引き取って帰って行った。今後金子や稲瑞会がどうなろうと、木暮や新警察の知った事ではない。

 新警察の情報公開によって、神戸署と兵庫県警にとっては大スキャンダルが発覚し、稲瑞会の片桐会長は、数々の容疑で逮捕されて実質壊滅状態に陥った。しかし新警察は、それらを狙って動いたわけではない。むしろ警察に片桐会長を逮捕させて梅木組の報復襲撃を阻止して彼の命を守り、大物気分で調子付いた梅木会長に、今は東ではなく、西(Q州)に集中せよ。とメッセージを与えているのだ。勿論、千葉には直接その指示を与えている。梅木は片桐会長に報復しようと熱く主張したが、千葉はそれを抑えてQ州連合の統一に動き出そうと説得した。


注1 コミュニティ反逆条例 鈴木有作が県知事になり、県の統治を脅かす重大な反地域的な活動をした者・団体を摘発・永久追放が許される条例


 第九章


「はーい、皆さんこんにちはー、私は今Y県のJRS駅の東口に来ておりまーす。御覧下さい、国道9号の先のあの街並み。高いビルや建物の裏側には、昔ながらの住宅が立ち並んでいるんですよね」

 元気で明るい表情の女性レポーターが、竹崎町辺りを指差すと、テレビカメラが竹崎町全体を映した。「実はーここに、あのカジノ・シティSの建設される予定なのですがー、これからこの街並みの取り壊しが行われようとしているのです。そしてその方法が、日本初の爆破解体なのです。アメリカはアリゾナ州にある解体専門チームが綿密に計算してダイナマイトを設置して、非常に短時間でここを更地にするというので、私達はここでその光景をお伝えしようと思いまーす。

 しかも、古くからある大歳神社だけは残すというとても難しいプロジェクトなのです。地元の方々もその歴史的瞬間を一目見ようと、駅周辺の安全な場所から見守っています。勿論街の住人の方々は既に転居済みで無人なのですが、その転居先が、完成したばかりの都市機能付きマンションという所で、マンションと商店街が合体した様な所で、とても快適なものだそうです」

 女性レポーターは、多くの野次馬を背中に快活に説明した。これはやり直しがきかない全国放送の生中継である。そこへヘルメットを被った大柄な白人が画面に入ってきた。

「えー、この方は、この度日本初の爆破解体工事を請け負いましたNDC社のジェネラル・マネージャー、テッド・ウィリアムさんです」

 女性レポーターは、日本語と英語を巧みに切り換えてコミュニケーションを成立させていた。簡単な挨拶をしてから爆破解体工事についてテッドに語ってもらった。

 それを要約すると、アメリカでは、大きな建物を解体する時には、速くてコストが安い爆破解体が一般的に使われている。爆破解体について、あなた方が懸念している様な危険性は、我々は持ってない。我々は爆発物に関して、深い知識と多くの経験があるから正しく扱えばこんな便利なものはない。我々は大きなビルのピンポイント解体が専門なんだが、友人であるユサク(有作)に頼まれて来た。爆薬の量や名前などの詳しい事は話す時間はないが、一つの火災もなくフラットにする準備は整っている。

 今回は、小さいビルと沢山の木造の日本家屋がある街なので、結果についてはとても興味があってワクワクしている。女性レポーターは、あなたはヘルメットをしているが、私達もつけなくて大丈夫かと訊くと、ここは安全だ。だから私はここにいる。このヘルメットは、実はその下には髪が無くてね。とジョークを言って笑わせた。

 やがてNDC社のスタッフが、起爆スウイッチの大きなボタンが付いた箱を持ってきてテッドに手渡した。いよいよその瞬間が近づいた事が伝わってきた。テッドは無線で連絡をとり、問題が無い事を確認すると、3カウントダウンで、起爆スウイッチのボタンを押した。

 爆発は、安全なJRS駅から見て手前側から連鎖的に起こって横に広がり、更に時々閃光を放ちながら奥側に走っていった。思ったよりも大きな音はせずに不気味な地響きをたてながら、ビルは自重で崩れ落ち、家々も、まるでドミノ倒しの様に砂煙と共にバタバタと倒れていった。こうして十を超える町が僅か十分程で更地になった。

 こうして日本初の街爆破解体工事は、神社仏閣を全て残しながら火災は0(ゼロ)という大成功の内に終了した。Y県庁の知事執務室でこの光景をTVで見ていた有作は、満足気な笑みを浮かべて立ち上がって手を叩いていた。この破壊ショウを目の当たりにして女性レポーターが騒ぎ出したので、TVのスウイッチを切った。

 反対派団体の説得、用地買収、住民の転居を完璧にこなしてこの日を迎えられた事に有作は満足して、桑名S市長に電話連絡し感謝の思いを伝えた。爆破解体の予想以上の効果を認めていた桑名も、興奮していたところに有作からの感謝の思いを受けて年甲斐もなく泣いた。そして有作への更なる忠誠を語ってくれた。次に有作はテッド・ウィリアムに電話をして成功の喜びを分かち合った。

 しかしこれはまだ過程でしかない。これからすぐにこの更地に、いよいよカジノ・シティ建設工事が始まるのだ。待ちきれないといったらないというところに、梅木が狙われて千葉が撃退した報告など、二人が無事ならと僅か30秒で飛んでしまった。

「いやー全くよくやってくれたぜ。十分位のことだったよな。あの光景は素晴らしかった。神社仏閣も無事で良かった、良かった」

 有作は上機嫌で執務机に両脚を乗せてユリの淹れてくれたコーヒーを飲んだ。

「珍しく上機嫌ですこと」ユリも嬉しそうに一緒にコーヒーを飲んだ。

「そりゃーそうさ、あれで何か不手際でもあってみろ、俺は全国的笑い者で計画自体もけちがつくってもんだ。それに神社仏閣に何かあってみろ、神様仏様に申し訳がたたねー」

「トノがそんなに神社仏閣に御熱心だったとは存じませんでしたわ」

「あれ(神社仏閣)は人々の心の拠り所なんだ。それを俺が傷でも入れてみろ。大変な事になっちまう。あれは、今後もカジノ・シティの必勝祈願の拠り所にもなってもらってさ、ジャンジャン栄えてもらうんだよ」と有作は人懐こい笑顔を見せた。

 ユリはそんな有作を密かに慕っていたが、その想いをどうする事も出来ないというもどかしさがあった。しかし、梅木が刺客に襲われたと聞いた時は、初めて胸がギュッと締めつけられ、真っ先に千葉の安否を特に確認してしまった。結果千葉は無事で、逆襲して六人を殺害して梅木を守ったと聞くと、安心して嬉しいやら、怖いやらの複雑な表情になったものだ。その顔を有作に見られた時のあの恥かしさといったらなかった。まるで中学生の様な好奇の目でニヤニヤした有作の顔を見て、ユリは大人気もなく火が出る程に顔が熱く真っ赤になった。その恥かし悔し嬉しさは、その日の日記につけても良いくらいだった。

 今は日本初の街毎爆破解体工事が成功した喜びを有作と共有している。そして直ぐに次、有作は今夕Y県市民会館で施政演説会を控えているのだ。ユリは、最近Q州の各県知事から接待の招待状が届いている事実を思い出した様に伝えた。有作が目的は何だと訊いても、単なる招待状なので用件はわからないと答えると、「気をつけろ、甘い言葉と? 」

「暗い道」

「そういう事だ。きっと甘い罠だろう。どうせカジノ・風俗ビジネスの甘い汁を俺等にも吸わせろと言い出すに決まっている。そんなの自分等でやりゃいいんだ。俺や中央政府に関係なくね。それに俺はもうカジノ・風俗ビジネス等に興味はない。今は、次の構想に夢中なんだ」

「もう他の、他の事を考えていらっしゃるんですか? 」

「当然だ。あれはもう確実に立ち上がって儲かるに決まっているからね」

「それは、いつ公開なさるんですか? まさか今夕の施政演説会で? 」

「いや、それにはまだ早いだろうね。とにかく俺は今ワクワクしているんだ」と悪戯小僧の様に笑った。全くこの男のやる事は予想が付かない。と肩を竦めようとした時にユリの業務用携帯電話が鳴った。電話に出ると、県庁の受付からで、F県知事の麻生功治(63歳)が面会に来ている。との事だった。

 現職県知事がアポ無しで来る等異例の事で、ユリは早口で有作に伝えると、丁度今暇だから会うから通せ。と言った。ユリは有作に麻生県知事のプロフィールを早口に伝えた。要するに元財務官僚でエリートという事だ。ものの十分で、麻生県知事と連れの二人が自動小銃を持った護衛に連れられて知事室に入ってきた。麻生知事は身長155センチ程の小太りの男で、禿げた頭に薄い髪の毛を無理に横に撫で付けていて笑顔が板についていて口元には金歯が見えた。

 有作は自己紹介をすると、どうぞソファにお座り下さい。と言った。

 ユリは、全然乗り気でない有作の表情を察して、いつもより飛び切りの満面の営業スマイルで、飲み物を聞いて用意を始めた。有作には、絶対に変わる事のない有作スペシャルブレンドコーヒーだ。

 麻生の用件は察しがついたが、やはりカジノをF県でもやらせてくれというものだった。湯布院の温泉街でカジノを試験的にやってみようと中央政府に打診したのだが断られ、有作に口添えして欲しいらしい。麻生の話は有作の想定の範囲で面白くなかったが、なにしろ目の前にいるのでは仕方なく相手をした。

 麻生知事の長い話を要約すれば、福岡はカジノはやりたいが、売春は駄目。治安維持は警察で十分だと言い張る。暴力団等は根絶すべきだと主張して譲らない。Y県はカジノ・シティが出来る前から既にあちこちで賭博や売春を始めていて、さぞや税収が増えているだろうから羨ましい。財政難に苦しむ福岡としてもすぐにでも肖りたい。となる。この様な話はF県だけではない。既にKの他県からも招待状が来ていたのだが、断るのも失礼で、のる気もないので永久保留のままにしておいたのだ。従って他県の接待にものる事はないだろう。しかし麻生のこの訪問によって、有作はこれをQ州合併の足掛かりにしようと決めたのは確かである。

 有作は麻生知事の湯布院接待を公務で忙しいと丁重に御断りした上で、福岡の現治安維持体制でカジノを解禁すれば、儲かるが仕切り(運営・管理)をしっかりしておかないと様々なトラブルが発生するだろう。賭博が何故法律で禁止されているのか良く考えて欲しい。と忠告したが、麻生に理解してもらえず、中央政府に陳情を手伝って欲しいと頼むばかりであった。

 有作は、どうやってこのおじさんに何とか気分を害さずに御帰りいただくか対応に苦慮していた。ユリは有作の微かに苦笑いの困った顔を見て面白さを感じ、有作がこの状況をどう乗り切るのか興味をもって注目していた。有作は、麻生知事が湯布院でカジノを解禁すると本気ならば、陳情など必要なく、警察を説得し、自治能力の強化が急務だ。と忠告し、今回の麻生知事の御訪問は私共にとって大変嬉しい誤算で、同じ県知事として、我も我もと思われる事は嫌な気はしない。

 我々は、他が羨む立派な仕事をしているのだ。と今夕の施政演説会で、今回の麻生知事の御訪問を誇らしく御報告するでしょう。と言うと、麻生知事は血相を変えてそれは困る。控えてくれ! と懇願したのには、有作の方が驚いた。その理由を訊くと、こちらの面子が丸潰れになってしまう。という様な事を回りくどく言ってきた。有作は、執務室で訪問者の応対は公務である。この公務を隠す事は県民に対しての背信行為になって支持率に影響するから、隠す事等出来ない。

 既にあなた(麻生知事)が来てから今までの光景は、県庁ホームページでライブ公開されているのでもう無理だ。と告げると、面白い様に顔が崩れて、これは盗撮だ。訴えてやる。言い出した。有作は麻生の気分を極力害さない様に注意していたというのに、思わぬところで大失敗してしまった。

 訴えるのは自由だが、執務室での訪問者の応対を公開するのは私共の公約で、県庁ホームページでも表示されている。あなたは間違いなくアポイントメント無しでやってきて、私はそれでも応対してきたのに私共を訴えるとは道理に合わない。と言うと、麻生は血相を変えたまま失礼すると言ってそそくさと帰り支度を始めると、二人の護衛が自動小銃の安全装置を外し腰だめに構えて銃口を麻生等に向けて、「ゆっくりと! 」警告されて震え慄き、すごすごと静かに執務室を出て行った。

 有作は困惑した表情で肩を竦め、麻生F県知事の訪問ライブ映像は終わった。この肩を竦めた有作の顔で停止したライブ映像は、これから再生ボタンをクリックすれば何度でも閲覧出来るのだ。

 ユリは、彼等の立ち去る足音が聞こえなくなるのを待ってから、必死で堪えていた笑いを一気に爆発させた。「この茶番はなに?」ユリにとってはこの上もなく面白い光景であった。欲望を腹にひた隠し、御世辞と媚で有作に擦り寄ろうとする麻生。麻生の意図を知った上で、何とか相手の気分を害さないように苦慮する有作。

 有作の力を借りれば万事うまくいくと思い込む余りに、有作のアドヴァイスを無視して湯布院接待で取り込もうとする麻生。そして有作は、全く予想外の事で麻生の面子とプライドをズタズタにしてしまう。訳が分からずキョトンとする有作の表情。護衛に一喝されてすごすごと帰る麻生と連れの二人。それなりの権力と立場を持った男達が演じた台本無しの光景は、ユリが涙を流して大笑いさせるのに十分だった。有作は、ユリが意外な程の変顔で笑う光景を見てつられて笑った。

『いいよ。好きなだけ笑えよ』一頻り笑ってユリが落ち着くと、有作はいつもの様に笑顔で言った。『今夕の施政演説会な、KBC(注1)でも放送する様に手配しておけ』

「はい。え?えええー、今夕といってもあと一時間しかないじゃないですかー 」

『君ならできるさ。説得しろ、その大きな口でな。今度は北Q州の人々にも御挨拶するから、俺に恥をかかせんなよ』有作は、北Q州の人々に御挨拶がしたい気になったのだ。

 Y県市民会館は、一万人を収容できる多目的ホールである。有作の雄姿を見てその演説を聴こうと、多くの県民は学校や仕事帰りに詰め掛けて、中はおろか外も老若男女で一杯であった。有作は施政演説会で多くの人を集める為に工夫を凝らしていた。Y県市民会館を一日借り切り、その周辺を日本労働者党(注2)のお祭りにしてしまうのだ。

 有作親衛隊が、マーチ演奏と華麗な行進で人々を惹きつけ、大型バスをコンビニエンス・ストアに改造した移動式コンビニと、大型バスにトイレを沢山取り付けた移動式トイレ(注3)を配置して、野外ステージでは飛び入りのカラオケのど自慢大会を開催し、合間にEPS(注4)から漫才や手品ショウを入れて場が中弛みしない様にしている。一方市民会館の中では、EPSが日頃の訓練の成果である歌やダンス、ミュージカルやバンド演奏のパフォーマンスを繰り広げる絶好の機会なのだ。

 どれも当初の人気はサッパリだったが、経験を重ねる毎にレベルが上がり、自信がついてきて、今ではそこそこ人気が出始めてきた。全員が将来カジノ・シティSの多くのステージで活躍する目標を持って、必死に繰り広げるパフォーマンスは、県民に受け入れられる様になっていた。Y県市民会館を中心に、多くの県民がのんびりとした御祭り気分を楽しんだ頃、あちこちの電光掲示板に「鈴木有作県知事の施政演説会まで後60分」と表示されカウントダウンが始まると、今度は有作が何を言うのか? やるのか? という興味と期待が高まる。閉塞感、手詰まり感で一杯の西暦二〇XX年初頭、まずは自由民政党の安倍晴三が総理大臣となって市場開放と自立する地方自治体路線を宣言し、漸く日本は息を吹き返し始めた。

 それには功罪があったが、有作は市町村合併の波に乗った。ECS(注5)というIT企業会社を育て上げ、会長から日本労働者党を結党して美祢市長になり、市町村合併を繰り返して県知事選挙で勝ち、知事なっても成長拡大路線は変わる事はない。中央政府に媚びる事無く、大胆に社会システムを変えているにも関わらず、高い支持率を誇っているのは、県民の生活が良くなっているからに他ならない。有作とユリは、オープンに改造された三頭立ての馬車に乗って、街に繰り出して市民会館に向かった。御祭りムードのイベントの一つだが県民は盛り上がった。

 この男が、Y県の赤字財政を立て直し、福祉を充実させ、雇用を増やし、税金(所得税、県民税)を下げ、治安を良くしてくれたのだ。一度は生で見てみたいと思うのも当然だ。有作は大歓声に包まれながら笑顔で市民会館入りすると、有作の好きなヘヴィメタルのBGMが始まった。これもいつものルーティーンの一つでカウントダウンは一分を切ると、BGMが止まった。

 やがてカウントダウン表示が10秒を切ると、聴衆がカウントダウンの大合唱を始めた。3、2、1、0。ステージの緞帳が瞬時に消えると、そこには有作が笑顔で立っていた。大人しめの春用スーツに身を包んだ有作は、175センチの70キロで容姿は普通だが、その目は時々異様な光を放つ。それが笑顔で聴衆に向かって御辞儀をし、両手を振っていた。彼の後ろには巨大なスクリーンが用意されていた。これはコンサートではない。しかし聴衆は、笑顔で両手を広げて歓声に応えている男に釘付けなのだ。有作は、聴衆が静かになるまで笑顔でいくらでも待った。これもルーティーンの一つだ。やがて聴衆が聴く気になって静かになると、有作は口を開いた。

『皆さん、今晩は。今日は嬉しいニュースがあります。こちらを御覧下さい』有作がステージの上で右手を一閃させると巨大スクリーンに、県の税収がこの1ヶ月で20%も増えたグラフが映し出された。それを見た聴衆は歓喜の声を上げた。

『これは、私が前のメディア演説で、ギャンブルと風俗ビジネスを自由化すると宣言して、その監視機関に梅木組に決定して活動してもらった結果です。Y県税務署からの数字ですから間違いありませんし、数字はまだ伸びているそうです。皆さんがギャンブルの適度なスリルを味わい、酒と甘美な快感を味わった結果です。この利益は公約通り、福祉サービスに充てるので楽しみにしていて下さい。次回に発表します。そして次に、これを見て下さい』有作が再び右手を一閃させると、今度はこの1ヶ月の県内の110番と119番への通報量が大きく下がっているグラフが出た。それから、街の暴走族、ローリング族の激減のグラフ。県内の覚せい剤・麻薬取引が0(ゼロ)になった事実が映し出された。『これは全国の警察を監督する警察庁からの数字ですから信用出来ます。つまり、我々はカジノ・シティが完成する前に、既に税収が20%伸び、犯罪が減り、覚せい剤がゼロになったという事です。我々はここに、勝利をおさめたのです!』有作が力強く拳を振り上げると、聴衆は熱くなった。『この成果は一重に、警察指導の下に、今や梅木連合の仕切りと任侠活動のおかげです。梅木連合よ、ありがとう!これからも頑張れ!』有作は県民の勝利の余韻を味わってもらう為に、ここで一つ間を置いた。『そして県内の覚せい剤・麻薬の流通がゼロになったのは本当です。これは県内で麻薬を取り仕切っていた福龍会が流通ルートを手放し、その報復にH島で二人の犠牲者が出ました。それで外国から麻薬を密輸していた元締めが県内で、五人の犠牲を差し出して県から出て行きました。あの十字型の無残な遺体は記憶に新しいでしょう。そうした七名の犠牲の上で達成された事実ですから、もう、Y県では一粒の麻薬も手に入りませんよ。そして県内の薬物常習者のリストは、既に福龍会から警察の手にあり、その全員が24時間体制で監視され、禁断症状による異常行動を監視されています。県内の薬物常習者達よ。これを機に薬物から手を切るか、県外から出て行くか選択せよ。さもなくば、きっと警察が断固たる決意で御相手するでしょう。

 私は麻薬が大嫌いです。麻薬に手を出すと、人が人でなくなるからです。彼等はそれを手に入れる為なら何でもやるし、手に入らないと何をしでかすかわからないからです。この様な人は、私は危険人物と断定します。そして県知事として絶対に放置しません。心当たりがある人は、既に全員監視されているから手を上げて治療を求めて下さい。もしも、この警告から一人でも異常行動が出たら傍迷惑なので、直ちに問答無用で全員の身柄を拘束して強制処置します。しかしこれでもう治安は安心とはいきません。人間そんなに単純に出来ていないのです。誰もが持っている心の闇が起こす犯罪がまだ残っているのです。これは中々の難敵です。いつどんな形で現れるかわからないのですからね。人は皆、心に光と闇を持っているのです。善意と悪意とは違います。私が言っているのは、その前の段階です。光の部分が大きい心を持つ人は問題ありませんが、闇の部分が大きい心を持つ人は、当人にとっても社会にとっても厄介です。犯罪を含む問題行動の可能性があるからです。何を考えて何をやろうと自由が保障された社会では、事件が起きて初めて治安維持活動が開始されるのです。それには莫大な税金が当たり前の様に投入される現実が、私の頭痛の種なのです。政治家として、闇の部分が大きい心を持つ人を一人でも減らすにはどうしたら良いか、途轍もなく遠大な使命ですが、私は教育が重要だと考えています。

 ここでいう教育は学問ではありません。人の精神修養の教育です。私はこの問題について飽く事なく、取り組んでいきます。皆さんは、親族や友人を含むあらゆる人間関係が、学校や勤め先や宗教等の集会があって社会が成り立っているという現実を認識していますか?県民全員の心の光と闇の作用で、Y県は毎日成り立っているのです。我々は、人の心の闇に屈服する事なく、これからも治安を維持して、皆さんが安心して暮らせる社会を構築していきます! 』

 有作が再び拳を振り上げて、力強く宣言すると、場内は期待を込めた歓声と拍手が沸き起こった。この光景は、外でも巨大スクリーンで有作の映像と声が映し出されているし、TVやインターネットでも見られるので、Y県外の人でも自由に見る事が出来るし、勿論自分の意見を送る事が出来る様になっている。

『さて次に、カジノ・シティ建設の話に移りましょう。この事業を請け負ったのは、爆破解体業社がアメリカのNDC社以外は、全て県内の建設業社5社に決定しました。不公平ではないか?という声が聞こえて来ますが、私は気にしません。実際県外のゼネコンが、安い見積価格を出して幾つか参入して来ました。これは、半分は税金で実施される半公共事業ですから、安いにこした事はないと思うでしょう。しかし私は、今までここに落とし穴があったと気付きました。それは人件費です。実際今カジノ・シティ建設の為に働いてくれている方々は実感していると思いますが、我々は日当を全国平均よりも三割高く設定しています。そして働きぶりが良ければ、更に上乗せしているのです。

 参入してきたゼネコンは、それを実現出来なかったので契約しませんでした。私は知事であると同時に、日本労働者党の党首です。そんな私から見れば、県外大手のゼネコンは、コストダウンを追及し、十分な儲けを取ってから、実際に汗をかく労働を、下請け孫請けにやらせた挙句に労働者の日当をピンはねしてとことん削って、工事をやらせてくれと参入してきたのです。それは私からみればとんでもない事でした。私は、日本労働者党の党首として、設計者と実際の労働者にこそ、応分の対価が振り向けられるべきだと確信している!

 彼等が日々汗を流した対価を手にしてこそ、県内で消費活動が活発化してお金が回り、結果経済が活性化するのです。バブル崩壊以降、国がこれまで数々の大規模公共事業を行っても、少しも国内景気が上向かないのは、こんな簡単なからくりを見抜けず、目先の見積もりの安さだけで落札していたからに他なりません。民間事業であれば、見積もりが安い業社に発注してもかまわないと思いますが、私が公共事業を司る以上、もはや同じ轍を踏むわけに行きません。しかも今回のプロジェクトは半公半民事業なのです。私が契約した建設業社は、全て日本労働者党の理念に理解があり、社長は県会議員です。敢えて言おう。公平公正な競争と謳ってやった公共事業で景気浮揚の効果が出ていないのなら、我々は街を造り替えるこのプロジェクトに、更に県内景気浮揚を狙って労働者に手厚い業社と契約したのだと!戦略的な意図があったのだと御理解いただきたい! 』

 有作は右手を振り上げ殆ど絶叫して、聴衆の様子を窺った。聴衆の反応はゆっくりだが、やがて地鳴りの様な歓声と拍手が沸き起こった。プロジェクター画面には、有作政権の支持率が80%を超えた横棒グラフが表示されている。有作の政策は、昔日本がやっていた公共事業発注時の所謂御手盛りの復活であって、今なら批判の的になるのだが、有作は公平公正を謳って公共事業をやっても景気が上がらないなら、むしろ御手盛りで事業を発注し、賄賂や接待を廃して高い日当を労働者に必ず渡す。と公言しているのだ。勿論御手盛りの分、受注業社は応分の利益を得て公表する。何しろY県は知事や副知事はおろか、県会議員は全員議員報酬を受けていないのだから、せめて自分の会社が受注して良い仕事をして相応の利益を得ても良いのではないかという了解があるのだ。

『そして今回、特にF県の皆さんに挨拶をしよう。今晩は。県のホームページを閲覧した方は既に御存知でしょうが、先程まで麻生F県知事がお見えでした。御用件は湯布院でカジノがやりたいというものでした。私はその件について出来る限りのアドヴァイスをしましたが、あまり御理解いただけないままお帰りになりました。私は県のホームページには、県外の方々から沢山の賛成・反対の御意見を頂戴しているのを知っています。私がカジノや風俗ビジネスを解禁した真の目的は、人間の解放です。私は政治家として、人が法律等無くても、幸せに暮らせる社会を望み、その実現の為に働いているのです。私は、全員の精神が善も悪も程々のバランスがとれれば、実現できると考えています。

 現実社会を実験場にするなという御批判を頂きますが、既に先人は実験しまくってきたんですよ。始めは武力と権力を握った者が支配する社会。封建時代とでも言いましょうか。それから皆が働いて生産した物を皆で分配していく社会。共産主義ですか。一方皆が自由に競争して勝った者が生き残る社会。自由主義ですね。政治は一党独裁で共産主義、しかし経済は市場主義の合わせ技の社会。中国なんかそうですね。それぞれ長短はある中で、立ち行かなくなれば消えているのです。

 そして私は、自由主義日本の中で、善も悪も程々の社会を目指しているのです。人は実験して失敗や成功の結果から学び、又実験して理想を目指すものです。だから私はこれからも実験をやめません。但し失敗して弊害が出たら直ぐ止めて次の実験をします。最後に、今回のカジノ・シティ建設とカジノと風俗ビジネスの自由化について、他県の多くの方々から御意見を頂戴しました。勿論中身は賛否両論です。しかしその中身は、賛成意見が過半数を占めており、自分達もやりたいという御意見が多い事実をお知らせします。だからもし、おやりになるのであれば、その自治体の首長さんは、余程準備をしてかからないと、大変な事になりますよ。と御忠告しておきます。私は申し上げました。実験を止めないと!

 つまり、我が県に近いQ州は北Q州市の皆さん、Y県と合併しませんか? そうすればカジノ・風俗ビジネスがあなたの街にやってきます。そして自治体組織、自衛隊組織、警察組織が変わって税金が安くなります。警察と梅木連合が劇的に治安を良くします。今日から一週間、県のホームページで北Q州市合併の是非を国民番号付きで一人一票にて受け付けます。良く考えて御手持ちの携帯かパソコンでアクセスして投票して下さい。勿論国民番号で住所や名前等全部分かりますから北Q州市以外の方は無効ですよ。北Q州市がY県と合併と言っても、地名は変わりません。Y県北Q州市となるだけです。Y県と合併したら、実際どうなるの? と御心配な方は、Y県のホームページを閲覧して下さい。私はY県をかなり変えましたから不安に思うかもしれませんが、税金を無駄遣いしない人の暮らしは何も変わらないはずです。むしろ税負担は軽くなっています。但し税金で給料貰っている方や刑務所や裁判で税金を沢山使って何とも思ってない人々は気の毒な事になります。

 Y県としても、合併で人口が増えて税収額が増える事は良い事です。北Q州市もY県と同様の改革を行えば、もっと税金を安くする事が出来るはずです。そしてこれは北Q州市の皆さんに、私が頼み込んで御願いしているのではない事を分かって下さい。現状維持で満足ならどうぞ反対して下さい。

 その代り、カジノ・風俗ビジネス解禁によって得られる利益、地域経済活性化効果を今後一切望まず、独自に発展の道を模索して下さい。自称政治家や族議員、公務員や罪人が如何に皆さんの上に乗っかって、税金を無駄遣いしまくって財政を圧迫しているか? という現実に目をつぶって下さい。私はY県の知事になった時、そういう実態を目の当たりにして、吐き気を堪えて怒りの大鉈を振るいまくったのを忘れる事はありません。投票率が北Q州市民の80%を超えて、賛成が70%を超えたら、北Q州市合併案は民意として可決し、私は本気で合併活動を開始します』と言って有作は施政演説会を締め括った。市町村合併は、実際全国各地で行われたが、県の境を越えて宣言されたのは今回が初である。


注1 KBC Q州朝日放送の事

注2 日本労働者党 鈴木有作が創設した政治結社。労働の喜びを称え、労働の成果を分配して皆が楽しく生きて暮らし、子孫繁栄の実現。労働者中心の社会を目指す。労働者は、老若男女を含めて労働・納税・教育の義務と共に選挙権を有しているので、彼等を称え、暮らしやすい易い環境を整える事を第一義とした。その為には徹底した合理化によって公務員を減らし、罪人に使う税金をカットした。そして労働者が健全に働いている限り、窮屈な法律や刑罰を条令によって廃して、労働者を解放する事を公約としている。

注3 移動式トイレ 大型のバスを改造し、運転席以外は、おがくずを利用したバイオトイレを30基設置したもの。平時はイベントに使われるが、災害時にも役立つ。バイオトイレは屎尿の匂いが出ず、肥料になる。

注4 EPS Entertainment Performance Systemの頭文字をとったもの。鈴木有作が設立したIT企業。会員から寄せられた娯楽作品企画を実際に映画やテレビドラマやミュージカルなどの作品化する組織。


注5 ECS Entertainment Column Systemの頭文字をとったもの。鈴木有作が設立したIT企業。ホームページに娯楽作品について会員にコラム(書評)を書いてもらい、データベースに蓄積し、娯楽作品を探している人に検索してもらって求めているベストな作品名と概要を提供する会社。90年代後期のITバブルに乗って会社は急成長を遂げて有作は億万長者になる。有作は脱サラしてすぐに美祢市市長選に立候補するが、金もコネも無いので敢無く落選し、金持ちになる為に設立した会社。


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