弱小暴力団『梅木組』
第四章
「この度、梅木組に御世話になります。千葉秀樹です。宜しくお願いしまーす! 」
翌朝千葉は、イタリア製のダークスーツに身を包み、梅木組の事務所で堂々と挨拶していた。梅木組の事務所は、JRーS駅から歩いて10分程の古い雑居ビルの中にある。広さは30平米程でそれ程広くない。
千葉が組員達の顔を見回すと、皆ガラが悪く品格も無い弱々しい印象を受けた。今まで本物のヤクザを見た事はなかったが、こんなものかと認識する。しかし彼等の方は、なめられまいと精一杯の睨みをきかせていた。これまで陸自や傭兵、SPエージェントといった鍛え抜かれた男ばかりを見てきたので、落胆を含んだ驚きを感じていた。
「俺ならこんな連中、五分で殲滅出来る」
僅か十五人と聞いていたので、小数精鋭をイメージしていたが、現実のヤクザとは、こういうものだと受け止めるしかない。ヤクザや暴力団と聞けば、恐いイメージがあったが千葉はもっと恐い世界からやってきたのだから拍子抜けするのもわかる。
「これから二年で梅木を守りつつ如何にして県内を平定し、天下を取らせる、か……。延長してくんないかな」
任務はわかっているが、彼等を目の前にしてそれは非常に困難なものだと内心思った。
「あー、この千葉秀樹君は、高校を卒業後、陸上自衛隊に入り、それからアフリカの傭兵部隊の経験が3年程あるそうじゃ。
この度、県知事閣下の肝いりで派遣されてきたので、わしの右腕になってもらう。そんで、格闘技や射撃の腕はかなりと聞いちょるけー、御前等も強うなってもらわんといけんけー、しっかり習うてくれ」
「宜しゅうたのんます! 」
梅木組の組員達は、千葉にヤクザ流の挨拶をしたが、内心は「こんな若造なんぼのもんじゃい」と思っているかもしれない。
「早速ですが、武器の状態を見せて下さい。まずはそこからです」
千葉はヤクザがどんな武器を持っているのか知りたかったので梅木に頼んだ。梅木も別段隠す必要もないと思ったのか、「社長室」と表示されている四畳半の部屋に案内してロッカーの中身を千葉に見せた。
ロッカーの中には、鍔の無い小刀と長刀が5~6本あって、その中の一つを抜いてみると手入れが全然されていなかった。それから古い型の自動拳銃が5~6丁、弾薬は十年以上前の物だったので暴発するかもしれない。それと手入れのなされていない散弾銃が3丁立てかけてあった。自動小銃やマシンガン、手榴弾はなかった。後は木刀、ヌンチャク等の玩具みたいなものがゴロゴロあった。
千葉は溜息が出ない様に注意していたが、落胆の気持ちは伝わってしまった様だ。
「これでも揃えちょる方で、わしら軍隊じゃないんじゃけー、そこんとこ勘違いせんでーや、千葉さんよ」
唖然としていた千葉の顔を見て察したのか、パンチパーマで眉毛がない男(幹部の仲部)が言った。
「えっ? あーそうですよね」と千葉は無造作に言うと、初めて見る筈の銃器を手馴れた手つきでチェックを続けた。組員達は、挨拶もそこそこに淡々と武器を点検する千葉の態度が気に入らなかった。
「警察の手入れが厳しいんで、危ない物はあんまり持ってないですいね」
「ということは、他の組も大体似たり寄ったりの装備なんだ」
「わしらよう戦争ち言うが、千葉さんの戦争とは全然違いますけ、コロシまではいきません。それでも、まーええ加減のところで手打ちにしてうまーくやりよるんです」
千葉は手馴れた様子で、トカレフ拳銃をチェックしていた。驚いた事に弾倉には実弾が入ったままだ。薬室にも一発入っていた。
「射撃の訓練はやってんの? 」
「そねーなことわしらーがどこでできるん? 撃ち方ちいと習うてぶっつけ本番じゃけ。なーに、わしらは力と脅しとハッタリが商売道具ですけ、ちぃと使えりゃ、それでええんです」
「なるほど」千葉がクールに言うと、組員達は千葉が自分達を馬鹿にしていると思い込んで、急に場の空気が悪くなった。淡々と銃器のチェックをしていた千葉がふと周りを見ると、小柄で目付きだけ悪い男達が自分を取り囲んでいるではないか。
「ま、まーまーまー、皆さん、そんなに恐い顔しないで下さいよー 」
千葉は慌てて笑顔を作り、場の空気を和まそうと、武器の点検を放り出して、皆と話をする事にした。初対面という事で、お互いの自己紹介をしあった。名前や出身や家族構成、趣味や特技の話をして漸く場の空気が和んできた。梅木はその光景を見て安心した様子だった。
雑談の中で、梅木組はここT町の歓楽街の一角を縄張りとしていて、ソープランドや風俗店、キャバクラ、居酒屋等を経営していて、後は縄張りの店からみかじめ料を取ってそれなりに食べていける経済状態である事がわかった。
高利貸しはやっておらず、麻薬にも本当に手を出していなかったので、それ程悪質な組織ではないと言えなくもない。特に対立や抗争事件もなく、小さな暴力団として問題なくやっていけているので、皆それで満足していた。
それを県の政策として、二年で自分等が天下を取ってそれを維持せよ。と言われても、まだまだ全然ピンとこない様子だった。しかしその政策は既に実行中で県から千葉が派遣された事で、皆一様に緊張しており、もっと詳しい情報を欲しがっていて、やんわりとした質問が続いた。
「最近同業のもんが、ようけ蒸発しちょるけど、わしらマジで大丈夫なん? 」
「今のところは大丈夫です。仕事内容を訊いて俺も安心しました。ただ社長も御存知ですが、麻薬に手を出したら、その限りではないようです」
「あれは、誰がやりよるん? 警察じゃなかろう? 」
「僕もその辺はわかりません」
「一寸前によ、弥勒の堀内のカシラがおらんごとなったんじゃけど、次は誰か知っちょる? 」
「今僕に訊かれてもわかりませんよ。ただこれは県知事主導で行われているのは間違いありません。で、よっぽどの事が無い限りウチは大丈夫です」
「千葉さんは県から来たちいうけど、どねーな身分なん? 」
「何に見えます? 」千葉がおどけて尋ねた。
「警察にゃー見えんし、役人にも見えんしのー 」
と誰かが言って笑いが起こった。
「一応地方公務員で、主査という立場です」と答えると、おおという反応が返ってきた。
「それで蒸発したそ(者)は、もう皆死んじょるんじゃろ? 」
「それもわかりません」ととぼけた。
「ただ、鈴木有作県知事はメディア演説で支持された政策を確実に実行しています。
その中で、ヤクザの組長を集めて面談して選別したのです。梅木社長は、知事に選ばれたのです。そして梅木社長は県知事に忠誠を誓いました。だからこれから大きくなって天下を取らなければいけません。その援助の為に俺がここにいるのです」
「それっちゃ、わしはそれが無茶苦茶じゃと思うんよ、社長、どねーですか? 」
パンチパーマの仲部が言うと、一同は梅木社長に注目した。梅木は社長としての度量は持っているようで、それなりの指導力を発揮するべく口を開いた。
「わしもそう思う。思うが、わしは鈴木有作閣下(梅木はそう呼んでいる)と直に話をしたんじゃ、凄ぇオーラがあるお方でのう、ありゃやり手っちゅうもんじゃないで、わしはM市の市長の時から応援しちょったんじゃ、あのお方は信念をしっかり持っちょう。わしは心底あのお方の為なら死んでもええと思うた。皆もそねー思うと思うで。じゃけー皆もあのお方のいう事はきかんといけん。
これからこの街はぶち(大変)大きゅうなる。それにカジノや売春が解禁になるんじゃ、そしたらぶち儲かる話じゃで、じゃけどそうなったら、それにのめりこむボケがようけ出るし、甘―い汁を狙うて、シマ(縄張り=利権)に喰い込んでくる同業のもんらーがやって来るんは皆もわかろうが?
もし今のままじゃったら、そういうボケがようけ出て、自殺とかつまらん犯罪が増えるじゃろう、へて(そして)ヤクザもん同士がシマの取り合いでケンカばーかりしよったら、危のうて危のうて人がよりつかんようになるじゃろう。
もしそねーな事になったら、なんぼ警察が頑張ったって数が違うんじゃからこりゃどねえもこねえもならんし、有作閣下の計画が台無しになって何億っちゅう投資がパーじゃ。わしらだって儲け話がパーになってしまうんで? そうなっちゃいけんから、わしらが立たんといけんわけっちゃ。まずわしらが一つにならんとどねえもこねえもならん。
じゃからこの千葉が補佐で来てくれたんで、有作閣下がどんだけ本気かわかるじゃろ。有作閣下は千葉をうまく使うてやってくれち言うけど、御前は戦争のプロち聞いちょるが、わしはほんまの戦争はしとうないんじゃが、この先はそういうえらいことになるかもしれん。じゃけーそうなった時でも、わしらは勝たんといけんけ、そん時は宜しゅう頼むで」
千葉は神妙な顔つきで承知と言ってみせた。そしてこれからの為に日頃からの準備の大切さを説明し、身体を鍛えておくことを忠告した。
組員達は自分の状況と将来が大きく変わってくることを実感し、かかる自分達の仕事が大掛かりになってくるのがわかったので真剣に聞いていた。そしてこんな大仕事を今まで誰も請け負った事が無いだけに、組織について今度の定期集会で話し合うことになった。その後も事務所で長い議論になり、その間出前で食事をとって、皆が自由闊達に話し合い打ち解けたところで、腹ごなしにみんなで相撲をとろうという話になった。
千葉には、ここで何故相撲? と不思議だったが、皆が好きで、勝敗が直ぐ決まるし、誰が強いかわかるのでそれは彼らにとって自然の流れだった。
皆さっさと机と椅子を端に寄せて土俵線が描かれたマットを敷き、その場で全裸になって長めのタオルで即席まわしをしめたのには、千葉は驚いた。洋服のままだとすぐにビリビリ破けてしまうからだというが、千葉は初めての事なので面食らった。
それでも親睦を深める為ならと、同じ様に全裸になって左脇の下の特製コルトパイソンが入ったホルスターと、手裏剣と弾丸が入った特殊ベルトを外し、更に左脚の脛に付けていたダガーナイフを外してまわしをしめて軽く柔軟体操をすると、一同がどよめいた。「こいつどんだけ武器持っちょんか」という意味だ。
そして梅木が行司で、総当りで相撲をとった。千葉も相撲をとったが、殆どやったことが無いだけに、185センチの身長も引き締まった身体も上手く機能せず、いざ勝負になると、一~二回は勝ったものの、殆どこてんぱんに負けた。あまりに酷い結果に千葉自身も驚いた。しかし皆大盛り上がりで勝っても負けてもやんやの歓声が上がった。
最初は皆千葉さんと呼んでいたが、相撲の後は千葉ちゃんに変わったのも梅木組の一員になれた証だろう。相撲が終わると、千葉は梅木の頼みで手裏剣と射撃のデモンストレーションをする事になった。
皆ダーツは好きな様でダーツ用の的があったので、組員は嬉々として腕をL字にしてからちょんとダーツを投げて千葉に自分達の腕前を披露した。しかし千葉が自前の手裏剣を投げて見せると、その桁違いのスピードと威力に一同は唖然とした。僅か7メートルの距離から千葉が手裏剣を投げれば、的の中心付近が忽ちズタズタになってしまった。
射撃の方は、本当に発砲する訳にはいかないので、特製コルト実弾を抜いて速射のデモを見せた。千葉が自然体から、サッと素早く左脇下から特製コルトを抜き、高速でカチカチカチとファニングする妙技は、一同を愕然とさせた。
千葉は、有作から特製コルトを拝領した後、寝る間を惜しんでファニングをマスターしていたのだ。命中精度はまだ練習が必要だが、スピードはかつての有作に追いついたという自信がある。一同は、もしこれが実弾で自分が相手であったら、あっという間に蜂の巣になってしまうと想像して固唾を飲んだ。
千葉のパフォーマンスを目の当たりにして、相撲は大した事ないが、実戦においてはやはり頼りになる用心棒と認識して親しみと尊敬を込めて千葉ちゃんと呼ぶ様になった。
そうして日が沈む頃になると、歓迎会をやってくれる事になり、梅木組の縄張りの料理屋でふぐを食べた後は、やはり縄張りのキャバクラ「ローズ」に繰り出す事になった。この店はSでも人気の一つで、千葉もプライヴェートで通った程で、今日は貸し切りでタダで遊び放題というから興奮しないはずがない。
千葉はこの手の遊びが大好物で、女の好みもうるさく、酒、カラオケ、濃密なキャバ嬢の接待に千葉の欲情が爆発した。そのはしゃぎ様は組員達も呆れる程で、梅木が後は気に入った女をお持ち帰りしても良い。と言うと、大喜びで三人連れてタクシーで消えたのには、梅木も苦笑いしたものだった。
翌日千葉が疲労の後もなく、サッパリした顔で事務所を訪れると、事務所にいた組員が驚いた。昨夜のあの騒ぎ様では、多分今日は来ないだろうと思っていたからだ。梅木組は毎日事務所に顔を出す必要はないが、携帯で呼び出しがあれば絶対即出社だ。一見楽な様だが、休みも労働時間も決まっていないので土日や深夜に働く事もある。
千葉は梅木と社長室で定期集会の雰囲気を訊ねながら、どの様に今回の話を進めていくのかを入念に打ち合わせを行った。これは、如何に無用な反感を買わないようにしながら他の組織から協力を得て、自分達が主導権を握るのか重要な事だ。問題は、梅木組は県内ではまだまだ若輩扱いで、梅木自身も頭を抑えられていることだ。
それから千葉は、ここは都市計画区域なので早く立ち退いて、新しいビルが出来たら直ぐに引っ越す事を勧めた。新しい場所は有作が出資して建設するカジノ・ホテルエンペラーの裏側だった。
「この街はここから中心に放射状にスクラップ・アンド・ビルドで再開発が進み、一番先にこのビルが今から15ヵ月後に完成予定です」
千葉はビジネスマンの様に梅木組が入居する予定とされる五階建てのビルの完成予想図を見せながら言った。
「ええ! 、わしらそんなエエとこに入る金は無いで」
梅木は唐突に言われて思わず本音が出た。
「今は金の話は気にせんで下さい。用地買収と再開発工事が同時進行していますので、この書類のここに判を押して下さればいいのです。
先日まで個人商店の店主達が、立ち退きを渋っていたのですが、ここの所に住居付きのビルを作って無償で入居してもらうという条件でドンドン話が進んでいるのです。これは桑名S市長の辣腕です」
「ほう、それかい」と言うと、千葉に言われるままに書類に目を通して実印を押した。
「それから、ここの電話回線を直ぐに十は増やして、事務員をパートで雇って下さい。そうしないと、今に回線パンクしますよ」
「なんでじゃ? 」
「決まってるじゃないですか、例の風俗解禁ですよ。売春を生業とする者は、随時登録して半年毎に全員が保健所で健康診断するのですが、その窓口がここ梅木組に一本化されるんですよ。
今の所はソープだけですが、これから激増します。これから建設ラッシュで大量に職人さんが来られますから、早く対応しなければなりません」
「ほほう、それかい、閣下様様じゃの。直ぐにやらせよう。斡旋手数料だけでも儲かるで、おい、榎田、すけこましの雅に電話してこれやらせーや」と梅木が事務所に来ていた組員(榎田)を社長室に呼んで命じると、直ぐに携帯で、すけこましの雅の異名をとる、長谷川雅也を呼び出した。彼は優男なので適任だろう。
「それから…… 」
「まだあるんか」
「ええ、もう山ほどありますよ」
「そう矢継ぎ早に出されてものう。こっちにも頼みたい仕事があるんじゃ。ド緊急じゃなければ明日にしてくれんかえ? 」
「わかりました。プライオリティですね」
「何でもええっちゃ、千葉は榎田と二人で、隣のシマの近藤組に行って、これ持って詫び入れて来てや。詳しい話はあそこの榎田に聞きや、運転手でええから、へて、今回は非がウチにあるけ絶対に暴れたらいけんで」
「承知」
梅木は引き出しから手提げ金庫を出して、その中から百万円の新札の束を出し、封筒に入れて千葉に渡してそう言った。千葉はそれを受け取ると、榎田文太と言う頑丈そうな男と組の車を運転して近藤組という暴力団に向かった。
千葉は榎田に道を指示されながら、近藤組と何があったか尋ねた。話を聞けば、近藤組のシマのNO.1キャバ嬢の美咲を、すけこましの雅がスカウトしてローズに入れた事で揉めているというのだ。美咲と言えば、昨夜千葉が気に入って持ち帰った女の一人だ。彼女は裸にして化粧を落としても良い女で、久しぶりに本気になったことを覚えている。
今日はその女の為に、頭を下げねばならんとは因果なものだ。しかし張本人の長谷川雅也が二日酔いで寝ているのが気に入らない。長谷川がすけこましと異名をとっているのも羨ましい才能だ。程なく近藤組の事務所に到着し、中に入ると早速相手に榎田が一発殴られた。しかし榎田は骨太でビクともせず、殴った方が手を傷めた。
「痛う(つう)、こいつなんちゅうやっちゃ」
「よう、こちらの兄さんは見た事ないのう。名前は? 」
「はい、先日梅木組に入りました。梅木社長の補佐を勤めます。千葉秀樹と申します。以後御見知りおきを! 社長の近藤様に御目通り願います」
千葉は自分を兄さんと呼んだ男の目を見た。イラついた冷酷な目をしていた。相手は近藤組幹部の漆田と名乗った。相手は自分をどう見たのだろうか。答は直ぐにわかった。
榎田は殴られ役で、千葉は一つも殴られる事はなかった。漆田に慇懃無礼に社長室に通されると、近藤社長が椅子に座り、膝にミニスカートのOL風の制服を着た女を乗せていた。女は千葉達が入ってくると、やんわりと立ち上がって服を調えた。
「おう来たか、わしが近藤じゃ」
近藤は凶暴な目つきで立ち上がると、千葉と榎田を睨み据えた。千葉は自分は運転手でよいと言われていたので、てっきり榎田が詫びをいれるとばかり思っていたが、榎田がただ固まっていたので、近藤がいらつき始める前にしかたなく千葉が崩れる様に土下座すると、詫び口上を始めた。榎田も反射的に土下座して額を床に摩り付けた。
「私、縁あって梅木の補佐を勤めております、千葉秀樹という若輩にございます。この度は、長谷川の不始末で、近藤組様には大変な御迷惑をおかけしました。
梅木社長、長谷川になり代わりまして、御詫びに参上致した次第でございます。この度は、誠に、申し訳御座いませんでした」と言うと千葉は額を床に付けた。
「これは梅木からあずかり参りました御詫びの印で御座います。どうぞお受け取りを…… 」
千葉が内ポケットから封筒に入った新札の百万円を恭しく差し出すと、近藤は立ち上がって封筒を引き取り、フンとばかりに千葉の頭を踏みつけた。漆田も土下座している榎田の頭を踏み躙った。
「こんなはした金でわしらが黙ると思うかい、おう? さっさと長谷川連れてこんかいボケが! 」
と声を荒げ、土下座の千葉の頭を更に踏み躙った。漆田は横の榎田の腹を罵声と共に蹴り上げた。榎田はグゥと唸った後、「すんませんでした」と詫びた。千葉は、これはいかんと更に必死で詫びた。
「お怒りは御尤もでございます。しかしここは、何卒おさめていただいて、その上で梅木社長と御面会いただき、これからお互いが笑える良い仕事をしていただきとうございますぅ」
近藤はそれを聞くや、急に表情を緩めて豪快に笑い出した。机に戻ると、椅子にゆっくり座った。
「もうええで、千葉ちゃん。ここで手打ちじゃ。しかし、よう我慢しやったのう。気に入ったで。わはははは」
千葉が、バツが悪そうに立ち上がって、「御許し下さり、有難う御座いました」と言うと、近藤は笑顔で言った。
「いやーすまんかったのう。ヤクザの世界ちゅうのは、心意気が大事なんじゃ、さっきの詫び口上も堂々としたもんじゃったが、わしは最後の、あんたの必死の詫びで、ストンと気がおさまったんじゃ。ヤクザは口上が出来んのも駄目、心意気を見せられんのも駄目ちゅうことじゃ。
しかし千葉ちゃん。あんたええ男じゃ、ー気に入ったで、なんでも県庁からきやったんやろ。梅木社長から電話で聞いたけ。まーかけや、おいコラ、客人にコーヒーでも持ってこんかいボケが! 」
近藤に急に言われた女は、バネ仕掛けの人形の様に社長室を飛び出して行った。
「そんで千葉ちゃんは、相当腕が立つち聞いちょったけ、実はいつ爆発するんかと冷や冷やしちょったんで、じゃけどの、極道ちゅうのは、何かきっかけが無いと止められんのよ。まーよう堪えたもんちゃ」
漆田もさっきとは別人の様な笑顔で言った。
「梅木社長から絶対暴れるな、と命令されてましたし、実は俺、あの美咲を昨夜抱いてしまって、あの女の為なら何でも耐えられました」と言うと、近藤と漆田は再び大笑いした。それから話が弾み、女がコーヒーを持ってくる頃には、もう完全に社長室の中は打ち解けていた。千葉とは、そういう魅力のある男なのだ。
近藤は笑いながらも、千葉ちゃんがおるんなら、県の未来の為にも梅木組と合併しても良いと言ったのは驚きだった。いつの間にやら話はそこまで進んでいたのだ。いや、千葉の心意気が近藤の心意気と共鳴し、その気にさせたというのが真相だろう。大勢は県知事鈴木有作の計画の上で、梅木組が中心となって進んでいる。有作が無用と決めた組織の組長は、家族毎姿を消し、残された組員は他の組に吸収される他ない状況が今あるのだ。
梅木組以外の組織は、梅木組に組みするきっかけが欲しいのだ。県から派遣された千葉が、腕は立つし、憎めない男となれば、仕様がない、悪いようにはならんじゃろ。という機運になっているらしい。
「今回は御詫びの挨拶なので、此の辺でおいとまします。本当に有難うございました」
と出されていてすっかり冷めてしまったコーヒーを飲んだら、粉ミルクと砂糖たっぷりのインスタント・コーヒーで、吐き出しそうな程不味かった。近藤の手前吐く訳にいかず、眉を引きつらせながら必死でその液体を飲み込んだ。ところが隣でずっと大人しくしていた榎田は、それをゴクゴクと喉を鳴らしてそれを飲み干したのには驚いた。千葉はそれを見て、世界にはまだまだ自分の知らない人間がいるものだ。と思った。
第五章
千葉と榎田が梅木組の事務所のオンボロビルに戻ると、入り口の前から長い行列が出来ていた。一見してヤクザ者が四~五人の若い男女を連れていたので、いよいよ売春の登録業務が始まったのだろう。これから大勢の職人さんが働きに来るのだから、日払い銭を目当てに今から登録だけはしておこう。というところだ。
千葉は狭くて急な階段に並ぶ男女を避けながら、上がる途中何となく彼等を見ると、ド派手でセクシーな服装で、恥ずかしがるどころか自分を好奇の目で見つめ返してきた。勿論彼らは日本人ばかりではない。一方ヤクザ風の男は、既に自分を誰だか知っている様で、軽く挨拶をしてきた。
榎田は時々ヤクザに頭をはたかれていた。きっとあれが挨拶なのかもしれない。事務所に入ってみると、そこは臨時の面接会場になっていて、すけこましの雅が偉そうに煙草を燻らせながら、登録に来た者達に尋問していた。他の組員は三人程いて、揉め事にならない様にガードしていた。身分証明の確認とコピー、デジカメで本人と斡旋者の撮影、雅が質問した情報の記録をド派手な格好の女三人が記録していた。
ノート・パソコンに派手な長い爪でだるそうにキーを叩いて入力し、書類を作成している。おそらく雅の女達だろう。千葉を見ると、手を振って「あー千葉ちゃん、おかえりー 」と能天気な嬌声を上げた。しかし自分は、彼女等とは初対面だ。どうやら自分はこの世界で既に有名人らしい。照れくさいが悪い気はしない。
「おー千葉ちゃん。おかえりー、遅かったじゃーん。早速お手柄だってねー聞いたよー。こっちは急に呼び出されてもうてんてこまいっちゃ。ちょっと手伝うてぇやー 」
雅がこれまた能天気な声で社長室に入ろうとする千葉を呼び止めた。雅は自分なら絶対着ない様な派手な柄のスーツを見事に着こなし、相変わらす優男ぶりを発揮していた。
この男とは、昨日から初対面なのに妙に馴れ馴れしく話しかけてきたが妙に波長が合った。千葉はこんな男でも嫌いではない。千葉は大股で雅に近寄ると、胸座を掴んで身体毎持ち上げた。
「バカ野朗! 誰のおかげで呼び出しくらったと思ってんだ。御前は徹夜で働け! もう面倒かけんじゃねーぞ」
「嫌じゃ、千葉ちゃん。勘弁して、感謝しちょるっちゃ、この借りは直ぐに返すけー、あれがあったけ千葉ちゃん美咲とチョメチョメできたんでよ、今晩もどうね? 」
「そうだなぁ、別のがいい」
「くぅ、暴れん坊さんやけねぇ」
千葉は笑顔に戻り、雅を放り出すと社長室に入った。千葉と榎田が社長室に入ると、梅木は新聞を読んでいたが、笑顔で二人を迎えた。
「よう、御帰り。まーかけぇや、よーい、誰かコーヒー持ってきてーや。それにしても、近藤さんは千葉ちゃんにベタ惚れじゃったで、そらもう直ぐに電話が来てのう」
「俺にはそんな趣味はありません」
「それっちゃ、それが面白れーんちゃ、千葉ちゃんのおかげで、梅木組初の近藤組の合併がなりそうじゃ、榎田! 御前はもうええで」
梅木が鋭く言うと、榎田は身体を丸めて大きなネズミの様にちょろちょろと出て行った。榎田は無口で身体が頑丈なのだが、誰からもこんな調子で扱われる。
「千葉ちゃんが来てくれて、わしら上げ潮じゃけー、わしゃーもう嬉しゅうてのー 」
梅木は感激して涙を見せ始めたので、千葉は驚いた。
「俺昨日来たばかりで、まだ何もしてないすから、まだまだこれからっすよ。それより、近藤組の事をもっと教えて下さい。それから今度の定期集会の打ち合わせもしとかないといけません」
「そ、そうじゃの、あんたはしっかりしちょる。近藤組はの、非正規を含めると百人位での組織で、実際わしらよりも大きいんじゃ。あれは街のパチンコ屋を支配しちょるんじゃ…… 」
梅木が話をしようとすると、事務所からの色々な声が筒抜けで中々集中できないので、場所を変える事にした。そこにパンツが見えそうな位のミニスカートの女がコーヒーを持って来た。
「あ、千葉ちゃん。コーヒー持ってきたけ、飲みや、どこ行くん? 」
「あー、ここはちぃとうるさいけー、大事な話をする為に場所を変えるんじゃ、すぐ戻るけ、何かあったら電話してや」
梅木が海老茶色の上着に袖を通しながら言うと社長室から出て行った。女は「せっかく作ったんじゃけ、飲んで行きや」と言うので千葉がグイと飲むと、又してもあの甘ったるいインスタント・コーヒーだったので、今度は遠慮なく吐き出すと女に迫った。
「御前な、可愛いしイイ身体してるんだけどさ、コーヒー位ちゃんとつくれよ! 」
千葉は女にそう言い聞かせると、梅木のあとを追って外へ出た。有作の秘書の菊沢ユリが何気なく出していた旨いコーヒーが懐かしい。
「この通りですけぇ! 宜しゅう頼んます! 」
その数日後、紋付袴に正装した梅木は、県内最大の勢力を誇る福龍会の組長大河原修三(60歳)邸宅の大広間の、末席の末席で、畳に額を擦り付けていた。千葉には威勢良く「まかせちょけ」と言いながらこの体たらく。
全くこの男、この姿が良く似合う。隣の千葉は、こりゃ駄目だとばかりに小さく頭を振った。この席は、県内の組長達が心待ちにしていた定期集会で、二十を超える暴力団の組長と幹部が一同に集まり、裏社会での様々な揉め事を評議する場なのだ。あくまでも話し合いの場であるが、評議の結果によっては組の序列の昇降や指を詰める儀式の場にもなる。ヤクザにとって荘厳な場なのである。千葉があれ程最初が肝心だから強気に出ろとアドヴァイスしたにもかかわらず、自分に比べて錚錚たる面々に圧倒され、口上はしどろもどろ、筋道の立った説明もできず、有作の指示内容等はすっ飛んで、場が苛立つ空気を感じ取り、とうとう土下座に至ったのだ。
「こいつ(梅木)じゃ全然話にならん。そこの兄さん、千葉ちゅうたけの。あんた県庁から来たんじゃろ? このボケの名代として県知事閣下の考えと、わしらを一体どねぇするつもりなんか教えてくれんか」
胡坐をかいた大河原が、上座から千葉を指名した。千葉は内心「俺かよ」と思ったが、ここで踏ん張らないと、最悪有作の意思が通じず、彼らも疑心暗鬼になって大騒ぎになるかもしれない。と思うと、千葉は腹を据えて立ち上がった。
まず、この様な末席では、大事な事を伝えるのは困難である。と梅木を庇い、僭越だが自分は上座に行かせてもらう。と断って颯爽と上座に歩いて立った。
梅木もまずはこうすれば良かったのだ。梅木は序列の厳しい社会に飼い慣らされて出来なかったのだろう。千葉は、有作が描いた筋書きは既に知っていたので、簡単に自己紹介すると、皆の聞きたい要点から話した。
今県内の暴力団の組長と家族が次々行方不明になっているが、あれは県知事直属の専門組織がやっている事で、彼らを殺害する事は絶対に無い。これは今後も継続するし、いつ終わるかは不明。皆次は誰が狙われるか心配しているようだが、それは自分にもわからない。しかし、どの様な人物が消えているのかを類推すればわかると思う。それは自分よりも皆の方が知っているはずだ。ただ麻薬売買に関わっている者は次に狙われる可能性が高い。これは既に県知事が公表している。この計画を止めるには、県庁側と警察と戦って勝つしかない。彼らはいつでも御相手する為に日々訓練に励んでいる。
逃れる手段は三つ、
一つはヤクザから足を洗って堅気になる事。
二つ目は県外や国外に逃亡する事。県の組織は、四六時中監視しているから逃亡すれば直ぐに分かる。その時点で、通信手段は全て遮断され、クレジット・カードや銀行の預貯金や株等の財産、家土地の不動産は全て凍結される。
もう一つは、直ぐに麻薬売買を止め、梅木組の傘下に入り、指導に従う事。
しかし、それでも行方不明になる場合がある。それは県知事が事前に県内組長全員と面談して不要と選別したケースだ。
その結果、梅木組を中心に選んだ。経緯は不明。梅木は県知事に忠誠を誓った。梅木組は県知事が望む任侠道の追求活動をする。例え梅木が死亡しても計画に変更はない。
自分は、一刻も早く梅木組で県内暴力団組織を統一する為に派遣された。そして二年以内に天下を取れという使命を受けている。其の過程で自分が死んでも、更に強力な使者が派遣されて計画に変更はない。
カジノ・シティの建設は既に始まっている。梅木組はカジノ・売春解禁を含んだ利権を独占する事になる。県知事は、任侠道の追及によって県民から畏敬され、警察と組んで外からの侵略に対抗する以上、対価を保証している。これまでの経緯と序列関係はあるだろうが、それを議論する余地はもう無い。
逃げて新天地で0(ゼロ)再起するか、梅木組とここで生き残るか、廃業するか、決断と嘘の無い行動を求められている。
千葉が説明を終えると、広間は静まり返っていた。千葉の言う県の組織は、彼らから見ればやりたい放題で、どうにもならないという怒り、怨嗟はどうしても梅木に向かった。こんな男の下が嫌なのは理解できる。
千葉は、看板をあげている暴力団はそれぞれに強みと弱みがあるのがわかった。近藤組の様にパチンコ界を牛耳っているもの、梅木組に見られる風俗業に強いもの、その他金融に強いもの、そして麻薬売買に強いものもいるはずで、弥勒会の堀内も福龍会の大河原もそれに含まれるはずだ。
大河原も自分らが生き残りを賭けて、兵隊をかき集めて県側と戦ったとしても、万に一つも勝ち目は無い事は重々承知している。今回千葉の説明を聞いて、自分達が窮地に立たされている事がキチンと理解出来た。
しかし感情的に嫌なのは、梅木のボケの下に付く事なのだ。なにしろこのボケは千葉の説明を、まるで他人事の様に聞き入っている程のボケっぷりなのだ。一同それぞれが、黙って色々思案している中、沈黙を引き裂く様に「梅木! 死ねやこのクソボケが! 」と一人の男が立ち上がり両手で拳銃を構えて、下座の梅木を狙った。上座で立っていた千葉は反射的に腰のベルトから手裏剣を抜き取り、男の手を狙って投げつけた。
手裏剣が一直線に飛んで男の右手の甲に突き刺さると、悲鳴を上げてひっくり返り、銃を放り出した。そこを周囲の男達が取り押えた。千葉は銃を拾い上げ、梅木の盾になって拳銃を周囲に向けた。男達は撃たれてはたまらないとどよめきながら離れた。
梅木は両脚を前に放り出して両手を畳に付けて口をパクパクさせていた。恐らく初めて拳銃で狙われたのだろう。面白い様に取り乱していた。
そこへ弥勒会の名代を名乗る男が土下座しながら千葉の前に出て幹部の行動を必死の形相で詫びた。千葉はこれ以上の攻撃は無いと判断して苦虫を噛み潰した顔をして立ち上がり、口を塞がれて悶絶している弥勒会幹部に近寄った。
右手を掴んで見ると、手裏剣が手の甲に刺さり刃が裏に突き出ていたので千葉は手裏剣を掴んで一気に引き抜くと、ハンカチで手裏剣を抜いてベルトにしまった。
そして大河原が遂に叫んだ。
「誰がこねぇな事をせいてや! 皆話聞いたろうがや、梅木を殺ってもどねぇもならんそで! 今大事な時じゃ、ここで一発でも撃ってみい、外の警官どもが入り込んで来て大騒ぎになるんじゃ、止めや! 」
大河原の一喝で場は一応治まったが、それでも分厚い不穏な空気が漂っていた。そこへ千葉が「おーい、皆これを見ろ! 」と上着を肌蹴ると、腹にズラリと爆弾が見えたので、一同が再び大きくどよめいた。
「正直こんなに話の分からん親分さん達とは思わなかったね。梅木や俺を殺しても何にもならんと何故わからないんだ。俺はこの計画に命張ってんだよ! いつまでも結論出ないなら、ここで道連れに皆死んだ方が、よっぽど計画捗るんだぜ」
その目を見た大河原は、千葉が本気と察して場をおさめる為に再び声を上げた。
「千葉、ようわかったけ、ここはおさめや。皆よう聞きや、この千葉の言う通りじゃ。一旦落ち着き! おい、誰かこのボケを病院に連れて行き、警察に勘どられんなや」
一同は、頭に上った血をおさめる為に再び畳の上に腰を落ち着かせた。
「時間もないけぇ、もうわしから宣言するわい、わしはもうシャブから一切手ぇ引くわ、堀内が消えたんなら、次はわしじゃろうけの。せっかく作ったルートは惜しいがのぅ、皆も、もうシャブの商売はもう止めや。他に商売の道はようけあるんじゃ、それで行こう、どねぇじゃろうかい」
大河原が厳しい顔で一同を見渡すと、福龍会が本当にシャブを止めるなら、わしらもと同意するという者が出て来た。
「おい梅木! こっち来いや! 」と大河原が鋭く怒鳴る様に梅木を呼ぶと、梅木が下座からよろけながらやってきて大河原の前に土下座した。
「御前がどねぇして、わしらの上になるんかいや! 」と忌々しげに吐き捨てると、大河原は梅木を足蹴にした。
「千葉、わしら極道はの、県内でも二千はおるんで、こいつはそれらを束ねる器じゃないけぇの。そんならわしはいっそ県知事閣下の下につくわい。皆も閣下と話したろう。あの自信と確信に満ちたギラギラした目付き。それと腹に得体が知れんぶちでかい野望を持ち、揺ぎ無い言葉、そして人情じゃ。あの御方なら、わしはどこまでもついていくで…… 」と言うと、「わしもじゃ」「そうじゃ」という声が続いた。
「よう、千葉さん、わしらあんたぁのきっぷと腕にも惚れたで、ここは形だけ、梅木の下に入るちゅうことでもええかい、県知事とその名代があんたじゃったら、わしらなんでもするけ、それで梅木組で統一なるんじゃが、どねぇじゃろう? 」
大河原は梅木を足蹴にしたままそう言うと、賛同の声が多く上がったのは、千葉の予想外だった。しかしここで機を逃すわけにはいかない。
「わかりました。それで皆さん御異論は無いでしょうね。今後麻薬と言っても、他のクスリ、所謂飛ぶクスリも含まれるよ。それら売買を止め、任侠道を追求してくれるなら、名義上の梅木組の統一と、これ以上の組長消失作戦の中止を県知事に進言してみます」と言うと、一同は「おおう」と動揺と同意が混ざった声を上げた。
「ただし県知事がどういう御判断をなさるかはわかりませんが、一寸待ってください。知事に電話してみます」
千葉はそう言って、携帯電話で菊沢ユリに電話した。千葉は事務的に手短に事情を説明すると、ユリは有作本人に取り次いでくれた。有作は、梅木じゃやはり不足か。と笑うと大河原に代われと千葉に言った。
「大河原社長、鈴木県知事が、お話したいそうです。どうぞ」
大河原は急に表情を引き締めて電話を受けた。
「もしもし、大河原でございます」
「久しぶりだな、鈴木有作である。話は聞いた。やはり梅木では不足か」
「やはりあれじゃ厳しゅうございます。しかし閣下の御意向には全面同意します」
「では、麻薬についてはどうだ? 」
「はい、全面的に即時中止します」
「その言葉が聞きたかった。これで麻薬取締りのコストが削減できる。今後はあくまでも梅木を立てながら、千葉を俺の名代として、警察と連携し、県民に畏敬される組織になれば、お互い楽しくやっていけるさ。
麻薬無しでも十分潤うはずだ。それだけじゃない。御前達にはもっと先の展望がある。梅木組は二年以内に天下を取り、縄張りを守ってもらう必要がある。分かっているな。
但し、山本組の山本と七海組の加藤、そして流星会の高田は処分する。これは妥協しない。尤も連中が消えれば、御前も得するんじゃないのか。この情報は相手に伝えても構わん。所詮県外に出てもヤクザを止めないかぎり二年以内には消えるんだからな。これで県内のヤクザが消えることはもうない。尤も俺を裏切った者が出れば別だがな」
「はい、了解しました。それで結構でございます」
「これで話は済んだ。今後の活躍に期待する。それじゃあ」と言って、電話は切れた。
大河原は年甲斐もなく、ほうと溜息をついて携帯を千葉に返した。千葉は県知事が何と言ったのかを問うた。
「これからは名前だけでも梅木を頭にして、シャブを止め、千葉を閣下の名代とし、警察と連携して治安を守りながら商売して儲ける。そして、二年以内に天下をとる! 」と大河原が答えると、大広間で大歓声が上った。皆梅木組で、天下統一の為にやる気になってくれたのだ。
「これによって、県内は、梅木組に統一は、成ったという事でー、おめでとうございますう」
千葉が満面の笑みで涙を浮かべながら両手を上げると、全員が興奮して拳を上げて歓喜の大声を張り上げて一本締めで締めた。後は形ばかりであるが、梅木が上座で大河原が下座について梅木の杯を受ける儀式を行った。
後は一同が梅木に拝礼して挨拶をして明日から梅木組連合の○○と名乗って活動する事になる。最後に宴会となり、皆大いに飲んで打ち解けた。
弥勒の梅木殺害未遂は梅木の度量で不問にしてやった。新参者の千葉は、その男ぶり、仕切りのうまさ、度胸、腕前全てが大いに評価されて、気分が良く杯をあおった。梅木もここぞとばかりに酌をしながら挨拶して回り、サルのモノマネやドジョウすくいの芸が大いに受けた。これでなんとか県内の組長達に存在を認められ受け入れられた様だ。
しかし、序列絶対社会の中で、弱小組織が上を制する等通常は無い事だ。それを実現させたのは、有作の介入である。有作は県内の暴力団のリストアップ。組長面談による要不要の選別と軸組織の決定。不要組織の排除活動。更に使命を与えて生き残りの道を示唆したのだ。
そして一同を、麻薬ビジネスを止めて、天下を取る気にさせる等も通常は無い事だ。しかし有作はそれも実現させてしまったのだ。彼等から見れば、麻薬が無くてもカジノと売春が解禁されれば収入源として不足は無い。後はのめり込む者が出ない様に目を光らせてあしらうなどそう難しいことではない。
今まではカモと見ればとことんしゃぶりつくしていた者を生かさず殺さず扱えば済むことだ。県内組織が一つになった以上、天下統一の志を持って力を蓄え、足元を守りながら外に勢力を拡大していこうと、千葉が有作の意向に沿って語り、一同が納得したのは大きい。
第六章
千葉が梅木組に派遣されて僅か二週間で、不可能に思えた県内統一は実現した。それからの梅木と千葉は連日各地の組の見回りを行った。
組の状況、構成員や収支、強みと弱みを調べて上納金を決定して振込先を福龍会から梅木組に変更するのだ。同時に違法行為を行っていないかチェックした。暴利で金を貸し付けていないか、弱い立場の人間を虐待していないか、麻薬やクスリ売買を本当に止めたかの確認を行った。
これについては、自分達を欺いたところで、続けていれば消えてしまうよ。という念押しに留めた。警察よりも遥かに強力なSPが監視している事実は言わないでおいた方が恐怖を煽る。そしてギャンブルと売春を行う為の規則マニュアル(有作が企画部に作らせた)と任侠道の指導マニュアルを渡して指導・徹底させた。
後は夜の接待で、酒豪の梅木と千葉は、乱痴気騒ぎして翌日に帰るという日々だった。頼りないが与し易い梅木と、頭がキレて腕も立つ千葉のコンビは絶妙で、各地でもてはやされてその評判は決定的となった。
千葉は、ヤクザ世界がこれ程までに情報が伝わるのが早いとは考えもしなかった。彼らは、組の内情に特に口出しをするわけでなく、組の名前も梅木組連合の○○と名乗ることを許しているので、梅木組の配下になったところで別段変わる事は無いのだ。
有作が無能と判断して悪人島送りの標的に定めていた山本組の山本、七海組の加藤、そして流星会の高田は暴力団を廃業していた。大河原が彼らを呼び出して、標的になっている事実を伝えたのだ。
大河原程の人物であれば、消えた彼らの行き先位察しがついた。幾ら千葉が「県が彼らを殺害しない」と言っても、寒空に岩場の無人島に裸で放り出せば、一週間も持たないだろう。大河原が真剣に彼等に説明しただけで、自ら廃業を決めていなくなってしまったのだ。
そんな組の見回りの間、特に千葉が腕を振るう事態も無く、徐々に気が緩みだしたところに、遂に事件が起こった。
梅木組連合の福龍会の幹部一人と組員一人が、激しい暴行を受けて荒縄で絞殺された後、両脚を縛られて二人共一本の竹棒に両手を括り付けられてH島の海に浮いていたのを、地元の漁師が発見したのだ。
Y県で殺人事件は珍しいので、地元は大騒ぎとなり全国ニュースでもセンセーショナルに報じられた。司法解剖の結果、二人共顔を酷く殴られて腫れ上がり、肋骨は全て折れ、あらゆる臓器は破裂して、生きたまま執拗な暴力を受け、相当の苦痛を味わっていたことが分かった。
地元S警察署は捜査本部を設置して、組長である大河原を呼び出して事情を訊いた。遺体は遺族と大河原が顔を背ける程の酷い状態で本人確認が出来ず、背中の刺青で漸く本人と分かった。
大河原は沈鬱な表情で、幹部の山根と組員の高木だと認めた。その後指紋と歯型の照合結果で被害者が確認された。遺留品は下着だけで、車、(黒のBMW)革ジャンパー、ダウンジャケット、それぞれの靴、財布、腕時計、携帯電話、鍵、アクセサリー等は見つかっていない。大河原は、二人が殺害された経緯について警察に多くを語らなかった。殺った奴はもう分かっている。靴やベルトまで持っていく連中といえば、あいつらしかいない。こんなに酷く殺しておいて警察に逮捕・保護等させるものか。大河原は復讐を固く誓っていたので、警察の捜査に協力する気にはならなかったのだ。
実際は梅木組の県内統一がなった定期集会の後、既に覚せい剤の取引の約束があった為に、二人が事情を説明してキャンセルしようといつもの日本海側のある場所に金を持たずに出かけて行った結果だったのだ。
多分あれは、自分達を裏切ればこうなる。という強烈なメッセージのつもりだったのだろう。いつしか平和ボケした日本のヤクザは、麻薬の取引きを軽く見ていたのかもしれない。日本のヤクザは逮捕・裁判を恐れて、殺すとかバラバラにしてやるとかいう物騒な言葉を使わなくなっていた。
実際に殴ったり殺す様なことは、余程のことがない限りしない。相手が日本人ならそんな手荒な真似をしなくても、底知れぬ恐怖を与えてやるだけでよいのだ。この世界のゴタゴタは、金さえ出せば大概の事は解決する。
今回の遺体に刻まれたメッセージには、身に覚えがあるヤクザは震え上がっただろう。大河原も恐怖はあるが、同時に怒りに燃えて必ず報復しなければならないと胸に刻んだ。
つまり相手は、金の為なら人殺しを何とも思わないのだ。尤もシャブを持ち出して金を持たずに帰った犯人達も、もう生きていないかもしれない。警察署を出た大河原は、遺族に弔意と謝罪の言葉を伝え、香典を手渡すと、車(黒ロールスロイス)を梅木組に向かわせた。大河原は心中様々な想いが渦巻いて、気分が悪くなった。
そもそもこの覚せい剤のルートは、昔自分が開拓したもので、赤い龍が刻印された袋は、高純度の証として随分と稼がせてもらったものだ。しかし今回は、組織に対して卸し先と売りさばく先のルートがかわる連絡と説明をする前に、この取引きを断わる為に行かせたのだ。二人が事情を説明すれば、何とかなるだろうと思い金を持たせず向かわせてしまったことによる悲惨な結果なのだ。
大河原はその責任を感じており、早急に何とかしなければならないと思っていた。今回自らがこの利権を放棄するのだから、それを関係組織に周知して卸ルートをうまく切り換えないと、再び犠牲者が出るだろう。
それから、日本最大の暴力団山野組に納める上納金を止めるかどうかだ。下手を打てば止めた時点で、山野組に対しても宣戦布告となり、非がウチにあるとなって、抗争が勃発するかもしれないのだ……。
大河原の車が梅木組に到着すると、事務所の中は例によって売春の斡旋窓口の様になっていて、とてもシリアスな話が出来ない状態だった。千葉は大河原に明るく元気に挨拶すると、気を利かせてS駅近くのホテルの会議室を抑えて大河原の車に梅木と千葉が乗り込んで行く事になった。
ホテルの会議室は十分な広さで、空調も効いていて完全防音だった。千葉はコーヒーや煎茶等のソフトドリンクをサーバー毎持って来させた。千葉と大河原の側近である沢田が梅木と大河原の飲み物を用意し、梅木と千葉、そして大河原と沢田が対面する形でテーブルについて会議が始まった。
大河原が沈痛な表情で語り始めた。H島で浮かんでいた二人は、幹部の山根と組員の高木。酷く殺されたのは周知の事実。殺された理由は、シャブの取引を断るつもりで手ぶらで行かせたことだろう。事情を説明すればわかってくれるだろうと、軽く考えて行かせた自分に責任がある。
遺体を竹棒に括りつけて海に浮かべたのは、自分達と奴らの組織へのアピールだろう。この取引ルートは約二五年前に自分が作った。他よりも精製純度が高く安かったので、自分達が独占で契約して西日本全域に流していた。
これまで取引日時等は、電話で打ち合わせて相手とは面識が無かったが、お互い不手際は無かったし摘発された事も無かった。取引以外は一切の接触はないのだから、特に仲が良いわけでもない。今回初めて手ぶらで行かせたらこうなった。自分がシャブをやめた以上、卸販売ルートをうまく切り換えないと又無用の犠牲者が出る。と語った。
それと、威勢良く天下を取ると盛り上がってはみたが、これから山野組への上納金を払うかやめるか、どうするか決めて欲しい。場合によっては、抗争になりかねない。
おまけに山野組はカジノ・売春解禁特区がここに出来ると知って、このシマが欲しくて堪らないのだ。今のウチの力じゃ、山野組はおろかQ州連合にすらやられかねない。大河原は、今自分の抱えている案件を洗いざらい吐露すると、梅木と千葉の顔を見た。
梅木が下部で気楽にやっていた頃、大河原はもっと暴力団の頭らしい仕事をこなしていたのだ。梅木は、真剣な表情で話を聞いてはいたが、ものの十分でもう酒が飲みたくなってしまった。千葉は話をきく内に徐々に目が本気になってきた。
「なるほど、良く話して下さいました。大変御心配ですね。だから俺が派遣されたのかもしれません。一つは覚せい剤ルートの整理です。拠点はどこにありますか」
「T町じゃ。そこにおるジョンちゅう男がこっちでのシャブの元締めじゃ」
「成る程、事件後にその男と連絡をとりましたか」
「いいや、まだとっちょらんけ、まだ気持ちの整理がつかんけの、怒ったまんまで電話したら、とんでもない事になりそうじゃ」
「賢明な御判断だと思いますよ。殺された方にはお気の毒ですが、ここは梅木組の落ち度という事で、水に流した方が良いと思います。福龍会が梅木組の傘下になった以上、覚せい剤ルートは、大河原さんが県外で信頼出来る組織に引き継いだらどうでしょう。きっと大喜びで飛びつきますよ。それでウチは手を引きましょう。
それと元締めがS市にいるのはまずいので、これは県が別の所に移転させましょう」
「そねーな事が出来るそに、なんで山根と高木の仇をとってくれんのか。わしのせいであいつらは酷く殺されたんじゃ。あんたらがやってくれんのじゃったら、このわしが手を打つで」
「まー慌てないで下さい。急いては事を仕損じるです。どうせ連中はもう長くないです。ジョンと聞いてピンと来ました。実は県でも既に奴をマークしていて、今は泳がせているだけなんですから。今回の事件は大変挑戦的なメッセージが含まれているので、県はそれなりの対応を必ずとるはずです。だから仇討ちなどやめて様子を見ていて下さい。とにかく、ジョンに連絡を取る前に、引継ぎ相手を決めて了解を取って下さい。
それから山野組への上納金は、止めましょう。何か言ってきたら、対応は梅木組がやります。実はカジノ・シティにカジノを出す用件で既に傘下の株式会社の名で連絡が入っており、梅木組を通す様に通達して突っぱねている経緯があるそうです。梅木社長、これからも忙しくなりますよ。多分これは我々が一丸となって動かなければ、展望はありません。御覚悟をお願いします。先ずは腕試しにQ州連合を平定しなければ駄目ですね」
「あんたぁ県から来たんじゃけ、簡単に言うがねぇ…… 」
大河原が怒り出しそうなところで、千葉は続けて口を挟んだ。
「大河原さん、あなたも見たでしょう、あの時の俺の腹の爆弾を、俺は自爆覚悟で皆をまとめあげたんですよ。全然他人事じゃなく、もうとっくに覚悟は出来てるんですよ。それじゃ、俺も県からの使者として言いますよ。今県知事はね、Q州全域とSK国全域をも併合しようと計画しているんですよ」
それを聞いた大河原、梅木、沢田さえも驚いた。
「そんな事出来るわけないじゃろうが」
「何でそう決め付けるんです? 今の御時世は、自由民政党の安倍晴造総理が、地方の時代を提唱していて市町村合併がどんどん進んでいるんですよ。だったら都道府県合併や道州合併が実現したっておかしくないでしょう。
鈴木有作県知事も始めはM市市長になってからドンドン合併を繰り返して、とうとう県知事になられて、県の市町村の名前だけ残して、役所仕事は全部統合したじゃないですか。これは知事の野心で無理やりやったんじゃなく、市民・県民が望んだ所が凄いんですよ。その結果どうです? 公務員や政治家を激減させて税金を安くして、物価も下げて公共サービスは変わらずですよ。だから他の市民が合併を望むんでしょう。
そして今度は、カジノ・シティ計画で県の収入をガンガン伸ばして、本当に自立する地方自治体を実現させようとしているんです。これは中央政府の方針に大筋で沿っているんです。市町村合併が奨励されたら県合併だって良いでしょう。県知事や国会議員なども大幅に削減されて良いじゃないですか」
「ほんまかい」
「嘘じゃありませんよ。実はF県知事もY県と同様にカジノと風俗ビジネスを解禁して欲しいと中央政府に打診したら、断られたんです。どうやら増えすぎては困るからカジノ・売春解禁はY県だけの特別モデルだって言われたらしいんです」
「それで、県知事閣下は先ずはF県、末はQ州を併合しようとお考えなさるんかえ。こら又、ぶち凄えお人よのう」
今まで口を出せなかった梅木が漸く声を発した。
「あまりの凄さに鳥肌立ってきたで」と大河原の側近沢田が言った。
「全くあのお方は、平成の桂小五郎かいのう、へて、あんたは高杉晋作かいのう」
大河原はそう呟くと、急に元気が出てきた様だった。
「あのう、桂小五郎て、誰ですかいのう」梅木は本気で大河原に訊ねた。
「このボケ。幕末に活躍されて御維新を成し遂げた偉人じゃろう、あのお方がおらんかったら、わしらもおらんかったかもしれんそで、千葉さん、あんた出身はどこかいね」
大河原は少年の様に目をキラキラさせて千葉に出身を訊ねた。
「SK国のK市ですが」
「凄い。どんぴしゃじゃ、千葉ちゃん、あんたまるで坂本龍馬じゃ。いいや、やっぱり高杉晋作と合わせた様なお人じゃ、是非ウチの兵隊を本格的に鍛えちゃくれんか。
へて、もっと組員増やして一緒に奇兵隊をつくろうや。それじゃったら、この包囲網も何も怖い事ありゃせん。絶対勝つっちゃ。千葉さん、お願いします。わしが若い衆を気合入れて集めますけ、鍛えちゃって下さい、御願いします。
もう、わし若い衆を失いとうないんじゃけ、その為には訓練して強うなってもらわんといけんのっちゃ」
千葉は大河原の興奮に驚きながらも、大筋では同じ考えなので同意した。大河原は、かつて長州が朝敵となって江戸幕府から攻められて滅亡寸前だった頃、薩摩と薩長同盟を締結して盛り返し、近代兵器を掻き集めて戦って幕府軍を倒して遂に明治維新を成した歴史を、無理やり自分達の境遇にこじつけて興奮しているのだ。
千葉も梅木組に派遣されてから常々、天下をとる為には組員を鍛え上げる必要があると考えていたのだ。千葉は、暴言遊びと張子の虎で遊び暮らしているヤクザなど、本気でやればSPだけで殲滅出来ると思っているから、最初からナメていた。
しかし、鈴木有作県知事の意向は、暴力団の殲滅ではない。暴力団を畏敬される集団に改革して飾りでなく、日々活動させる事が目的なのだ。そんな県内暴力団の実質の権力者である大河原が、歴史というエッセンスでこれ程前向きになってくれるなど予想外であった。
鈴木有作県知事は、ここまで見通して豆腐のカスみたいな梅木を頭に選び、SPの中から高知県出身の自分を選んで派遣し、実際の権力者である大河原を消さずに残したのか。だとしたら、自分のすべき事は何か?
千葉は、梅木に説教しながら熱く歴史を語っている大河原を尻目に、菊沢ユリの携帯に二度目の連絡を入れた。
事情を説明してヤクザ者を県庁舎最上階のSP本部で教育と訓練させる必要がある旨を伝えて有作に代わる様に言うと、意外にも、それは有作に代わるまでもなく、既に織り込み済みで、早く志願者募れと有作から言われているそうだ。千葉は驚きながらも、今度はSP局長 澤村信康に電話すると、別に構わんが、五~六人なら予約すれば屋上と射撃場を使っても良いが、それ以上はキャパシティがないから別の方法を考えろ。と言われる始末で、千葉は逆にキョトンとしてしまった。
「大河原さん、今電話したら組員の教育・訓練の件あっさり許可出ました」と言うと、大河原は「よっしゃー」と声を上げて、「これで下克上なるんじゃー」と梅木と盛り上がった。
千葉も梅木同様に歴史に興味は無いが、自分の構想と同じ方向に大河原の方から乗ってきたので否定する事もない。しかしこの流れが、上層部では織り込み済みであった事が不気味に思えた。
S駅近くのホテルでの密談後も、梅木と大河原は、忙しく働いた。大河原は自分が開拓したという覚せい剤の北朝鮮ルートを、信頼出来る関西連合の清水という男に、事情を説明して譲渡の話をして僅か一千万円で売った。
そしてT町の覚せい剤ルートの在日元締めジョン・スン・フンに電話した。子分二名を惨殺された恨みをグッと堪えて話をして、今後の取引は関西連合の清水が行う事になった。と伝えて連絡先を教えた。ジョンが了解したので、これでもう梅木組が覚せい剤を扱うことは無くなった。
その夜、SPの等々力班が竹崎町のジョン・スン・フン宅を急襲した。自白剤を飲ませて山根と高木殺害の実行犯を白状させ、Y県から出て行き、関西へ行くという同意書を書かせた。
そして、実行犯のジョンの用心棒である五人の寝込みを襲って連れ出し、口をテープで塞いで、両脚を縛り、両腕を竹棒に括りつけて固定し、目覚めさせてからH島の海に浮かべた。
翌日になって、又してもH島の海に男五人が竹棒に括りつけられたまま溺死。というセンセーショナルなニュースを聞くと、大河原は手を合わせて喜び、ジョンは家族毎Y県を出て行った。そのニュースを見て、千葉はニヤニヤしていた。
これはSPの仕業に違いない。連絡は全く受けていないが、標的の家に音も無く忍び込み、家族を睡眠剤で眠らせて標的だけを連れ去る等SPならば簡単だ。SPは戸建やマンション、アパート等の条件や、鍵や監視カメラやセキュリティシステム等も全く問題ではない。今回の問題は、目標に執拗な暴力を加える事だったろう。
SPはそんな事をする程の恨みはないし、かかる手間と時間の必要性を見つけられないのだ。従って、同じ様に竹棒に括りつけ、口と顎を耐水性ガムテープで固めて、せめて目覚めさてやってから、海に流して死の恐怖と苦痛を味わわせてやったのだろう。象徴的な五つの十字架がH島の海に浮かべば、誰もが先の事件の報復措置と考えるだろう。警察が今や梅木組連合福龍会の大河原を調べても、動機は十分だが証拠は何も出てこないはずだ。例え新警察が自白剤を飲ませてもシロだろう。
梅木の方は、大河原に山野組の幹部である黒木の電話番号を教えてもらい、電話で、Y県の組織はわし(梅木)が統一したから、今後上納金は断つ旨を伝えた。相手は梅木組と聞いてカジノ・シティの利権が欲しいので、下手に出てきた。梅木は人と対面すると固まってしまうのだが、電話だと相手が見えないからか、見違える程に堂々とした態度に出る事がわかった。山野組の黒木も、不意打ちに近い梅木の予想外の高圧的な態度に戸惑ったが、今すぐは判断出来ないから一寸待ってくれ、会長と相談して又こちらから連絡すると下手に出て電話を切った。梅木の先制パンチは成功と言って良いだろう。黒木はカジノ・シティの件があるから梅木が強気に出て来たのだと思ったに違いない。(実際は違うのだが)山野組としても警察の監視が厳しいので、今時手荒な事はしたくないはずだ。上納金停止も今後の取引材料と考えて作戦を練って連絡して来るに違いない。梅木組はホテル密談後の組の見回りも、大河原と沢田が同行して、いつもの活動に加えて兵隊を募った。現会長の梅木に加えて大河原も同行するとあって、県内暴力団の緊張は更に高まった。今や梅木連合は、Q州連合と山野組連合に挟まれて危機的状況にある。従って自分達は生き残る為に武器を手に立ち上がらなくてはならない。これからカジノ・シティが立ち上がれば、多くの組織がその利権に群がってくるから、自分達は守るだけでは不足で、攻めていかないと駄目だ。自分達はカジノ・シティの資金力を生かしてこれからQ州連合を併合して、次は山野組を支配しなければならない。これは県知事の構想に含まれている。若い衆には御苦労だが、千葉さんの指導の下で強くなってもらいたい。と大河原が熱く演説して、志願者を募った。既に犠牲者が二人出ているので、皆真剣に聞いていた。千葉も神妙な面持ちで、教育・訓練は、基礎体力訓練、格闘訓練、射撃訓練を段階的に県庁舎の設備を利用して行う。と説明すると、志願者が殺到したので、千葉が中心になって携帯のメールアドレスを集めたが、僅か二日で七十人を超えた。これは組員の危機意識の現われなのだろう。千葉は、これからも志願者が増える事を予想してリストを作り、氏名・年齢・住所・携帯番号・メールアドレス・顔画像をつけて入力した。これで、一度で全員に情報を伝える事が出来る。
ここで千葉は、菊沢ユリに電話で組員の有志が沢山集まった。と喜んで言うと、菊沢ユリは冷静で、今後も志願者は増えるだろうから、志願者データを送って欲しい。と言った。千葉は自分が組員を教育するつもりだったのでその理由を聞くと、ユリは、上層部は、組員は今後も増えて志願者は二千人を超えると予測していて、それなりに時間も費用もかかるから、既に上宇野令にある陸自駐屯地で日程の調整中であると告げた。
千葉の職務は、あくまで梅木の警護・補佐であるから、教育する時間は無いはずだ。志願者を募るのも、梅木警護・補佐の支障が無い様に気をつける事、先程データを送って欲しいと言ったが、更にそのデータ管理も増えてきたら、私の職責範囲を超えるから別の管理者を設定するので、決まったら連絡する。以後はそちらに送る様に、とも言った。
千葉はユリのいう事が効率的で、そうするべきなのが良く分かった。分かったが、釈然としなかった。何故と言われても分からないが、多分仕事を割り振って効率的に仕事をこなした事が無いからだろう。とユリに言うと笑われた。その可愛い笑い声を聞いて、千葉本人も笑ってしまった。
千葉はユリには何となく頭を抑えられている様な気がしていた。こんな女は初めてだ。大河原が危機感を散々煽って回っているので、梅木と千葉が楽しみにしている夜の接待は、当然お流れとなってしまった。梅木は素直に残念がったが、千葉は酒が入らなければ優秀な男なので、肩を竦めて諦める事が出来た。
その夜、菊沢ユリが千葉に、以下の文書ファイルをメールで送ってきた。陸自駐屯地から、組員の教育・訓練の受け入れ許可が正式に来たので連絡する。受け入れの窓口は、広報部の三島麗子一尉(29歳)連絡先メールアドレスはXXXX。定員50名で、全寮制で完全3日間拘束を1セットとして1単位、週に2セットで週100名を教育し、12セット(単位)習得で、最短3ヶ月で修了する予定。上層部は、組員達を準歩兵と位置付ける。陸自の訓練で心身を鍛え、一般より上、警察官より上だが、陸自隊員より下が望ましい。教育・訓練にかかる費用は、全て梅木連合に請求する。
陸自教官が全員を査定し、特優・優・良・不可の四評価を付け、不可の者は良評価になるまで再訓練。脱落する者は、梅木組からも排除する。修了レベルは、以下の項目全て良評価以上とする。基礎体力、格闘技、陸自正式採用の拳銃(9mm拳銃)と小銃(89式8.56mm)の分解組立て技能と中精度の射撃能力。特優評価の者は、拳銃の携帯を許可され、事務所に小銃と弾薬その他を保管出来る。これから梅木連合は、警察の傘下に入り、銃火器の保管を許可される。銃刀法違反になるが、例によって条例で通す予定。千葉はASAPで警察に行って話をつけて来い。と書いてあった。
千葉はその文書ファイルをわざわざ印刷して真剣に読んで、軽く口笛を吹いた。酔っていない時にこれを読む事が出来て良かった。千葉は、今まで薄らぼんやりとイメージしていた事が、明確な計画と手段によって文書になり、現実に機能している快感と不気味さを味わっていた。
「トノ(有作)は本気だ。陸自にヤクザ者を鍛えさせるなど、あの方以外思いつかないし、陸自も受けるはずがない。銃刀法まで条例ですり抜けて鍛えたヤクザ者に武装を許可するなど無茶苦茶だが、これは条例だから県内限定だ。守りは万全だが、天下統一の起爆剤にはならないだろう。
しかし、トノは何故暴力団の全国制覇に拘るのだろう? 今度訊いてみよう。不要暴力団の排除。梅木組の県内統一。覚せい剤ルートの排除(県内)。組員強化プログラムの確立。山野組への挑発。そして梅木の健在。自分が梅木組に派遣されて以後、事態が信じられないスピードで狙い通りに進んでいる事を実感して嬉しいな。明日は、梅木社長とS警察署とY県警を訪問だ」などと考えていると、眠くなったのでベッドに潜り込んで眠りについた。
翌朝、千葉は菓子パンとブラック・コーヒーで朝食を終えて身支度を整えると、梅木組のオンボロビルに顔を出した。すけこましの雅は今日も絶好調で、売春の窓口業務の準備をしていた。と言っても慣れない事務仕事をやらされている女三人達は相変わらずやる気がなさそうであったが、雅がうまく御機嫌をとって働かせていた。
「ああ、お早う千葉ちゃん、相変わらずスカッとしちょうねー 」
「お早う皆。社長来てる? 」
「来てるなんてもんじゃないよー、朝からギンギンちゃー。ところで最近大河原社長と仲ええけど、なんかええ話無い? 」
「毎日ありすぎだろ。じゃな」と言うと笑顔で社長室に入って行った。
梅木は例の甘いコーヒーを飲みながら、難しい顔をして新聞を読んでいた。この頃梅木組の記事が増えてきているので気になる様だ。千葉は挨拶をして、昨夜の文書ファイルを梅木に見せた。それを読んだ梅木はやはり驚いた。
「ヘェー、自衛隊がわざわざ、本当に若い衆を訓練してくれるん? とても持たんじゃろう。はっきり言うて奴らヘタレばっかりで」
「今時皆一緒ですよ、しかし怪我させずにヘタレを克服させる腕前は一流ですから、安心して預けましょう。社長も是非激励してやって下さい」
「最短で、三ヶ月で準歩兵になるん?あいつらが?本当かいのう。信じられんちゃー」と笑いながらも、まんざらでもなく楽しそうだった。
「費用は全部わしが払うんか? なんぼかいのう。払えるんかいのう」
「大丈夫ですよ社長。何と言ってもこれから配下の組から上納金が沢山入ってくるんですよ」
「じゃけーなんぼくらいになるんかのう」
「わかりません」
「特優評価の者は、拳銃の携帯を許可。エエー? ほんまかいのう」
これについては、梅木は本当に驚いていた。
「県知事は、銃刀法違反を条例で通すと言っています。俺も驚きましたが、あの方ならやるでしょう」
「閣下も思い切った事をしなさるのう」
「この情報は公開されますから、県外のヤクザは相当ビビりますよー」
「そりゃあそうじゃろう、それが効いてエライ事にならんにゃええがのー。それで、今日はどこ行くんかいのぅ? 」
「今日はS警察署です」
「け、警察? 」
警察と聞いて梅木の顔が強張った。
「ヤダな社長、心配いりませんよ。御存知と思いますが、もう梅木組は警察の傘下に入ったんですよ。挨拶に行くのは当たり前でしょう。僕達は何も後ろめたい事なく、堂々と署長と話が出来る立場なのです」
「おお、そうかい。じゃけどS警察ちゅうのは昔から好かんけぇのぅ」
「それは、お互い様でしょう。でもここは、過去の経緯は忘れてうまーく手を組むべきですよ」
梅木は千葉にうまく丸め込まれて警察署に赴く事に同意して、大河原に電話して組の見回りを頼んだ。千葉はS警察署に電話して、署長の新実繁と会見のアポイントメントをとった。
梅木と千葉は、S警察署の特別応接室に通されて、署長の新実繁と会談した。新実繁は、小柄で太っており、黒ぶち眼鏡をかけ、頭髪が薄く署長の制服が似合う男だった。お互いが自己紹介したが、物腰柔らかで、梅木とも偏見無く話しができて、千葉は密かに安堵した。新実は千葉が渡してくれた文書ファイルに目を通すと、「これはエライ事になった。ウチだけじゃなく、県内の生活安全課と暴力団対策課が用無しになってしまう」と笑った。
「いやいや、そうでもないですよ。わしら調子にのって行き過ぎるかもしれんので、しっかり御指導下さい」
「これは、県知事の御意向と見て宜しいか? 私は、エライ時代になったもんだと実感しちょるんですよ。暴力団と警察が手を組んで治安を守るなどとは夢にも思いませんでしたわぁ。陸上自衛隊の訓練を受けるからには、武器弾薬の供給はあっちがするんじゃろ。くれぐれも一般市民には被害の無いように頼むよ」
「わしらは警察が手の届かんところからしっかり働きますけ、宜しゅう頼みます」
「正直に申し上げますと、皆さんは既に日々活動なさっている様で、暴走族と悪質な金貸しが姿を消しました。少年犯罪も減っておるし、更にDVやストーカーの被害も減っていると報告がありました。本当に御礼を言います」
「わし警察から褒められたのは初めてじゃけ嬉しいのう。わしらは多分鼻が利くんじゃと思います。そういう人らぁは、呼び出してちょこーっとシメたら、大抵はそれで直ります。元々はエエ人なんじゃけね」
「しかし一方では、県知事がカジノ構想を発表して可決した後、一般の人々が勝手に、博打や売春を始めています」
「それは、わしらぁもわかっちょります。まー、程度の問題ですいね。麻雀やおいちょかぶで百円レート位ならガタガタ言うつもりはないですけえど、堂々とルーレットや丁半博打で万札がびゅんびゅん出たらねー。こっちも踏み込ませてもらいますで」
「それについてはですねー。こっちも後から通報もらって事情を訊くんですけど、殆ど立件出来ません。第一賭場に寺銭はおろか金が鐚一文無いんですから、賭場におった者は本当の事を言わんのですわ。皆タンコブや痣つくって、博打やってたらヤクザが踏み込んできて、金ごっそり持ってった。とでも言えば、捜査も出来ますが、それじゃ一般人が賭博罪を認めた事になりますからねー、だからいつも話がグダグダになるんですよ。結局は撤収するんですが、まーこれぐらいならこっちも引き上げ易いので、これからもあの程度に留めておいて下さい」
新実は警察署長にしては捌けた男で、あの程度なら梅木組の行動は黙認出来ると言った。
梅木もヤクザらしくニヤリと笑った。今の程度なら任侠道の追求活動の一環という事で警察も黙認しやすい。と聞いて今後も指導を徹底しようと心に決めた。実は梅木組は、縄張りの中に情報屋を沢山持っていた。彼等は小遣い目当てに街で暮らす人々の情報を沢山持ちかけてくるのだ。
一般人の賭場や売春関連の情報は、高く買うのでほぼ百パーセントの確率で踏み込んで任侠道の追求活動ができるのだ。梅木組が賭場を開く場合は、事前に警察の生活安全課に届け出るが、梅木組以外の組織は認められない。それでも賭場を開けば摘発されて、巨額な反則金(注1)を徴収されるのだ。つまり一般人や梅木組以外の組織が賭博や売春をやれば、殆ど百パーセントの確率で梅木組や警察に摘発され、二度とやる気にならない位の社会的・経済的な制裁を被るので街の治安が良くなるのだ。他の犯罪も情報屋のおかげで、警察の検挙率が劇的に向上した事実は見逃せない。
それからY県警の多古崎本部長(警視監)とネット会議が始まった。多古崎がにこやかに挨拶をすると、梅木と千葉も軽く自己紹介した。多古崎は千葉を最強の県職員として知っていた。千葉が苦笑いすると、早速議題に入った。既に文書ファイルを読んでいるらしく、話が早い。県内の暴力団が梅木組に統一された効果は、新実署長が言ったものと同じ様な事が県内全域に見られるようで、多古崎も喜んでいた。これで県知事の厳命であるコスト削減が実現可能である事を伝えた。
それから県内の麻薬売買が本当に停止している事も確認して喜んで、梅木を持ち上げた。梅木組の組員が陸自の訓練を受けて銃器の所持を可とする件は、追認するが、ライフルマーク登録と許可証の発行を県知事に要請するつもりだ。と言った。多古崎は、これからS市がカジノ・シティとなって、県内最大の繁華街になるのは必至だから、組員を大幅に増員して、ますます県内の治安維持に尽力して欲しいと梅木に要請し、梅木も快諾した。多古崎は話し上手な戦略家タイプの様で、その他にも色々話をした。話す事で県警としての立場を伝えたい意図が窺えた。
つまり県警も有作の意向であるところの、税金で成立している警察は、法律でがんじがらめになっていて権限が制限され過ぎているから、なかなか細かい活動が出来ない。だから民間レベルで治安維持が出来る様に努めて欲しい。という前代未聞の事態を受け入れているのだ。多古崎は、暴力団統一など暴力団側のメリットが無いから不可能だと考えているらしい。
そもそも暴力団というものは、地元のやさぐれ者が集まった集団で、そこによそのやさぐれ者が各々集まったものである。その発端と隆盛の経緯も様々で、鍔迫り合いの抗争を続けながら、勢力の均衡が保たれているのだから、統一など必要もなかったのだ。しかし統一は、管理・指導する方からすればメリットがある。だから有作県知事支配下の組織が、無用と判断した暴力団を消し始めて、彼等に消える恐怖を与えた事が統一に繋がったと分析していた。更に多古崎は、我々の言う撲滅という言葉が陳腐になる程に、有作県知事が言う、消すという言葉は恐ろしいと言った。
県警が通報や相談を受けて捜査しても、消えた人々は、組の組長のきっかり二親等、家に入れば施錠されても抜けの殻、争った形跡は無く、目撃者はゼロ、指紋も足跡も無く、これじゃあ無い無い尽くしで手がかり無し。それで、被害者の全財産がきっちり税務署に入るんですから、もう県知事の意向としか思えん訳ですよ。
しかも消えている組長をリストアップしてみると、何と殆どがよそ者で、又は福龍会と敵対関係の人物ばかりでした。それで県知事からお達しがあって、捜査打ち切りですわ。それと、例のH島の殺人事件も、手がかり無しで、捜査打ち切りました。結果の出ない捜査は税金の無駄遣いだと言われましてね。全ては県知事の意向通りに、暴力団は梅木組に統一されましたな。全く畏れ入谷の鬼子母神です。そして今度は組員の増員と強化ですか。結構な事です。警察庁の定例幹部報告会でも、ウチ(Y県)としての犯罪発生率と検挙率、それから実質の覚せい剤撲滅、予算削減額、全ての項目でトップのはずですから言う事無しですわ。と嬉しそうに笑った。
多古崎は、妙に意味有り気な視線を千葉に送っていたので、千葉は、何か勘付かれた様な気がしたが、黙って笑顔で通した。多古崎も新実も有作の政策と実行能力を支持している旨を表明し、あくまでも梅木組は、警察の支配下にある事を確認し、これからも定期的に会合して時事の状況に対応していこうと決めて第一回の会合は友好的に終了した。千葉はこれで又一つ歴史の歯車が動いた様な気がした。
注1 反則金 県知事鈴木有作が実現させた政策の一つ 刑務所を廃止して凶悪な犯罪者は悪人島に送られ、凶悪でない犯罪者は、その量刑と前科によって反則金を裁判で決めて支払ってもらう制度。