閉塞感を打破するための行動
第一章
自由民政党が民政党から政権交代を果たして安倍晴三が総理大臣になり、日本を取り戻すと宣言し、国民は新しい時代の息吹を感じた。その後為替レートは一ドル七十八円から百十円程度で安定し、企業は息を吹き返して業績が好転した。日経平均株価は八千円から二万五千円まで上がって安定を見せている。しかし、国民は景気が好いと実感できていない。どこか息苦しく社会は明るいとまではいえない。
Y県知事に就任したばかりの鈴木有作は、全国で開かれたタウンミーティングの議題に、地域再生構想として、カジノと風俗の解禁を提案して一躍注目を浴びた。
カジノ解禁については政府がIR法案を強行採決して話題を呼んだが、有作はカジノに加えて風俗を解禁しても公序良俗が乱れない具体的な対策を掲げて粘り強く説得と交渉した末に、Y県S市を特別区として実験的に認可されたのだ。
有作は認可の知らせを受けると、念願かなって大いに喜ぶと同時にS市にカジノ・シティをつくって必ず成功させようと心に誓った。有作はカジノ・シティSの運営と治安監視機関に、暴力団を使うと中央政府に提案していた。悪い冗談のようだが、有作は真剣に関係閣僚を説得した。
彼ら(暴力団)ほど水商売や大人の遊びに通じたものはいない。暴力団とは、騙しや脅迫、暴力・麻薬を商売道具に悪事を働いている者が多い組織で、民衆は彼らを『反社会的勢力』と呼んで忌み嫌っているが、実際に面と向かうと恐れおののくという存在。しかしヤクザ世界を描いた娯楽作品は大好評だ。だから民衆は彼らを好きでもあり、嫌いでもあるといえる。
警察は暴力団撲滅といいながら、実際は勢力を抑えつけるにとどめている。多少の火器を保有している様だが、日々訓練している警察官や自衛隊に勝るとはいえない。ということは撲滅することは可能だが、果たしてそうしても良いものなのか……。
彼らも愛すべき国民と思えば、撲滅してはならない。社会の役に立つ組織にかえて指導し、生きる道を与えるべきである。とすれば彼らに必要なのは警察ではなく政治的介入だ。
有作は暴力団が好きでも嫌いでもないし、脅威を感じた事も無い。現状では社会的にはあまり役に立たないし、たびたび害悪をもたらすこの存在を生かすか否かを検討した結果、生かすと決めた。
有作は、どうやら暴力団には、コミュニティにとって良いものと悪いものの二種類があるようだ。という考えに行き着き、県内の暴力団全てについて警察から情報を得て、有作が創設した新組織であるSPに調査・選別させた。良いものはカジノ・シティの運営・監視機関として残し、悪い方は悪人島へ送るか、県外へ追い出すのだ。
悪人島とは、有作が実現させた施設の一つで、凶悪な犯罪者への刑罰である死刑を残酷であると非難し、長期懲役をコストが嵩むと非難して両方を廃止する代わりに、県内の無人島に老若男女問わずに裸で送り込んで放置するというものだ。
そこでは原始生活の中で適応できずに死ぬか、結束して生き残るかの自由がある。勿論重罪人の人権を支援する者達が悪人島に乗り込んで支援するのは自由だが、生命の保障はしないし、食料を含め物品を少しでも悪人島に送り込んだ者は、悪人島から出ることを許さず、一生をかけて支援せよ。と警告している。
しかし支援者が重罪人を悪人島から連れ出しても、ことごとく三日以内に死亡した。泳ぎが達者で泳いで逃げた者も全て行方不明になっている事実が、マス・メディアで取り沙汰されたことがあったが、有作はノーコメントを貫いている。その上定期的に悪人島を衛星撮影し、不自然なインフラを発見したら直ちに爆撃する。その場合の死傷者の補償は無い。と警告している。
その一ヵ月後、有作は県内の良いものと選別された暴力団の組長を、日時を指定して一人ずつ呼びだして面接を行った。彼らがどんな仕事をして収入を得て日々を生きているのかは、既に調べはついているので、そこに興味は無く、直接会ってこちらの用件は言わずに彼らがどんな人物なのか見極めるのだ。
その結果、どいつもこいつも似たようなもので権力に媚び、考えが浅く、口からは嘘と法螺が出てくるばかりで、とてもじゃないが信頼してカジノの管理運営を依頼する気にならない輩ばかりだった。組長クラスでこれだから、更にその下の者は話の他なのだろう。
しかしその中で唯一、嘘が無く有作に対して警戒心を持って組織を守ろうとした者がいた。名は梅木敏行と言った。暴力団を運営している理由を訊くと、勉強や運動ができない奴らでも、生きていく道は必要だから自分達で教育して一緒に生きていくんだ。と答えたのだ。言葉が荒いのは目をつぶり、まだ三十代と若く、上昇志向が強いのが気に入った。有作はその後も何人かの組長に会ったが、将来手が組めそうなのは、梅木組の梅木敏行だと決めてもう一度呼び出した。
その後日、梅木との二度目の面会の日にはアメリカのエージェントであるリチャード・ギリガンも同席した。
「ヘーイ有作、久しぶりだな。調子はどうだい? 」
「やあリチャード、(調子は)悪くないよ」
二人は笑顔で固い握手を交わした。このリチャード・ギリガンとは、有作がIT企業の社長だった頃からの付き合いで、ニューヨークで知り合った。今回もカジノ・シティ建設と聞いて大きな金の匂いを嗅ぎつけているのだ。有作にしてもカジノ経営に関してはアメリカの方が上手なのだから、始めはアメリカからディーラーなどを手配してもらうなど力になって欲しいと考えていた。
リチャード・ギリガンは身長186センチ、体重89キロ、金髪で明るいブルーの瞳と甘いマスクを持っている。手足が長くて高級スーツを着こなすダンディな白人だ。日本語があまりうまくないので、有作との会話は専ら米語を使っている。リチャードは有作にすすめられて三人掛けの皮のソファに腰を降ろすと、秘書の菊沢ユリが淹れてくれたコーヒーを、礼を言ってからブラックのまま口をつけた。
「カジノと風俗ビジネスをやるって聞いた時はジョークだと思ったが、本気だったんだな。全くよく認可されたもんだよ。しかしこうなったからには大きく稼ごうぜ。我々も中央政府への根回しはやったんだから、我々もホテルもカジノ・シティに参入してもいいんだろう? 」
「ああOKだよ。だけどこのプロジェクトには、管理運営機関と秩序を守る為の組織が必要なんだ。言ってみれば夜の警察ってところかな。それには街のヤクザを使おうと考えている」
「街の厄介者が夜の警察だって? ハハハ、君はどこまでもユニークな男だな。君らしいよ。となれば、だ。率直にいうと、我々のカジノが入ってくるついでにマフィアの参入も了解して欲しいな」
リチャードは笑顔のままで有作の反応を窺った。有作とリチャードの付き合いは長く、こういった話が遠慮なくできる間柄だ。二人は幾度も互いに協力して、利益を生み出してきた経緯がある。
「それはもう構想に入っているよ。但し俺がこれから決める監視機関の中の範囲だけと了解して欲しい。それは穏便にお互いが利益を得ていく為の紳士協定だ」
「When in Rome do as the Romans do.(郷にいらずんば郷に従え)だ。我々としても連中の暴走は抑える事にするよ」
「お互い抗争になれば国際問題になって面倒だからな。宜しく頼むぜ」
「全くその通りだ。ところで俺は疑問に思った事が一つあるんだ。どうして有作はこのプロジェクトで、ドラッグについて一言もなかったんだ? ギャンブルやセックスがフリーなら、それ(ドラッグ)も織り込みという事なのかい? 」
リチャードは笑顔だが有作の、目の奥の反応を窺った。有作もリチャードの目を見据えて少しおどけた様子でこう応えた。
「ドラッグだって? 良い質問だが、織り込み済みとはジョークがきついな。俺は県下で今どれくらいのドラッグがどこから誰がどうやって密輸して誰が使っているのか大体知っているよ。日本全体の市場規模からすればほんの少しだ。
今は警察に任せているけど、あいつら人と金(税金)と時間ばかり使いやがってさ、そのくせ成果はゴマ粒位なんだぜ。
それをさも大手柄の様に最大限に宣伝しやがってさ、全く嫌になる。だからこの機会に、俺はドラッグを根絶しようと本気で思っている。あんなもの、確かに儲かるが、政治家が扱うものじゃない。それは君と認識が同じな筈だ。そうだろ? 」
有作はリチャードがエージェントとして何と答えるのか楽しみになった。
「有作のその言葉を聞いて安心したよ。君は政治家として、そして統治者として正しい考えを持っている。勿論ドラッグは根絶すべきもので、我々も長年手を焼いているんだが、マフィアはドラッグを中々手放さないんだ。そしてそれは日本のヤクザも同じだろう。私はヤクザ相手にこれ無しでは話は進まないんじゃないかと思って尋ねたわけさ。
それにいくら我々がマフィア経由のドラッグを食い止めたところで、日本のヤクザがドラッグを街に入れるかもしれないし、他の国のマフィアと日本のヤクザ同士の抗争だって起こるんじゃないか? 」
以下は有作の内心、一瞬の煌きである……。
なるほど、ものは言い様だなリチャード。御前は相変わらず大した役者だと認めよう。しかし俺が何も知らないとでも思っているのか? 俺は君らが麻薬ビジネスで儲けた金をもう一つの自分らの財布に入れているのを知っているぞ。尤も財布は他にも色々持っている様だがな……。
俺にはそれなりの勝算があるから、ここで麻薬根絶作戦に出るんだよ。手の内はまだ見せられないがね。暴力団を我々に組み入れて麻薬を根絶するなど、変な話だろうけど、まあ邪魔しないで見ていてくれ……。
有作はそう思いながら、リチャードに屈託のない笑顔を見せていた。
「そうだなリチャード。心配してくれて有難う。しかしギャンブルとエンターテインメントとセックスはフリーだが、ドラッグはとりあえずNGだ。それでも十分儲かる筈だからいいじゃないか。
ここでギャング同士の内戦も抗争も俺が起こさせないよ。その為にSPがある。ところで今日一人の男が訪ねてくる。そいつは俺の片腕になるかもしれないんだ。リチャードもそいつを気に入ってくれると嬉しいんだがね」
リチャードはそれを聞いて、有作はフレッシュな政治家によく見られる、まっすぐに理想を追い求めている状態だと理解した。きっと将来政治家として成熟した時は麻薬ビジネスを匂わせればきっとうまく手が組めると判断して話題を変える事にした。
有作とリチャードが雑談をして暇を潰していると、秘書のユリの携帯が鳴って梅木敏行が来たと告げた。静かに執務室のドアがノックされて、有作の護衛が自動小銃を肩に携えて入って来て、梅木敏行を執務室に招き入れた。梅木敏行は身長160センチ位の痩せ型で派手な赤のスーツを粋に着た男だった。怒ると怖そうな目つきをしているが、何をしでかすかわからない類のもので、今はY県知事・有作と二度目の対面とあって緊張を隠せずにいた。
「やー梅木君、良く来たね。待っていたよ、ささ、そこにかけてくれ」
有作は緊張している梅木をリラックスさせようと気さくに声をかけて出迎え、自分の机の正面にある三人掛けの革のソファに座らせた。自分も机に座ると、大理石のテーブルを挟んで約5メートルの距離を置いて対面した。有作の右手には、にこやかなリチャードが立っており、梅木を観察していた。有作の左右後ろには武装した護衛が無表情で有作に危険が無いか警戒している。
梅木は「失礼します」とぼそりと言うと、革のソファに身体を落ち着けた。
秘書のユリがさり気なく梅木にコーヒーを出した。ユリはこれからの会話で、日本語になるとリチャード、米語になると梅木の通訳を務める事になる。
「あの、砂糖とミルク下さい」と梅木が反射的に遠慮なく言うと、ユリは詫びて砂糖とミルクを添えた。その優美な応対で振りまかれる甘い香りに、梅木は少し大きく息を吸い込んだ。目はユリの身体から離れない。その光景を見た有作は、こいつは意外と面白い奴かもしれないと思った。
「梅木君、紹介しよう。こちらは私の友人であるリチャード・ギリガンさんだ。イングランド系のアメリカ人だ」
「ドモ、ヨロシク」
リチャードが明るく右手を差し出すと、梅木もリチャードの目を見つめて握手に応じた。少々ぎこちないが許容範囲だ。
「私は秘書の菊沢ユリと申します。場合によって通訳をさせていただきます。宜しくお願い致します」
ユリも笑顔で一礼し、梅木に右手を差し出した。彼女は東京大学英文学科を卒業後、グラビアモデルとして活躍した経歴の持ち主で、有作がIT企業の社長時代に秘書としてスカウトしたのだ。その優秀な働きから有作は政治家になっても引き続き秘書として起用している。身長170センチの八頭身美人で、常に地味な色のビジネススーツを着こなしているが、スカートはタイトなミニが多い。梅木も、優雅だが一部の隙の無いユリに対して、必死に自分を自由業社の社長だと言って笑った。
空気が和んだところで、有作は話を始めた。
「我らY県は、これからギャンブルと風俗を解禁してS市にカジノ・シティをつくる。君と会うのはこれで二度目だが、これからも長い付き合いにしたい。率直に言おう。我々の配下で力になってもらいたい」
有作は机に両肘をついて指を重ね、梅木の目を見ながら言った。それを聞いた梅木は事情がわからず少しどもった。
「あ、あのー、大変に恐縮じゃけどあんまりに突然じゃ。何が何やら全然わからんちゃ。もちいと説明してくれんと返事もできんで」
梅木が必死の様子でこう言うと、有作は大笑いを始めた。梅木の言い分も尤もである。しかし有作は一言で、梅木を先ず安心させる意図があった。そして梅木の応対はますます気に入った。何しろ梅木組はまだ新興で十五人程の小規模組織だが、看板をはって日々警察に睨まれる仕事をしているのだ。前に会った時には、有作は既に梅木組の情報を全部知っていた。今回の呼び出しで梅木は逮捕を覚悟していたが、逆に協力を求められれば困惑するのも当然だが、そこを力になってくれという言葉で安心させる意図があったのだ。
「それもそうだったな。ではこれからキチンと説明するからわからない時は質問してくれ。勿論俺も確認する。但し一度しか言わないよ」
「お願いします」
と梅木は音を立ててコーヒーを啜った。
「知っていると思うが、俺はこれからカジノと風俗ビジネスをやる。平たく言えば博打と売春の自由化だ。わかるな」
有作がホワイトボードに簡単な図を書くと梅木は頷いた。
「昔はこれらは御咎め無しだったんだが、今は法律で禁止されているんだ。その理由は簡単、やってる方は儲かって仕方が無いが、客がのめり込んじまって貯金を使い果たす馬鹿が増えるし、大借金までする大馬鹿者が増えたことで、社会の秩序が乱れたんだよ。で、この馬鹿らが勝手に首括るだけならまだしも、田畑山娘・息子とか値が付くものを売り飛ばすし、或いは一家心中、あげくの果ては盗人や強盗とかの犯罪が増えて、それで泣く者がいっぱい出たんだ。おかげで街が目茶苦茶になってさ。
だったらいっそ御法度にしようじゃないかって誰でも考えるだろう。だけど、だけどだ! こっからが大事だぜ。御法度にしてはみたものの、人間味しめちゃったらそうそうやめられるもんじゃない。何故かってそりゃ誰もが持ってる欲をそそるからさ。だから法度破りが後をたたねえんだ。
だけどよ、もし、さっき言った馬鹿や大馬鹿者が出ないようにいつも見張ってる奴(組織)がいたらどうだ。それに酔って度を越して暴れる輩を腕ずくで黙らせる奴がいたらどうだ」
有作は梅木の顔を見た。わかっているようなので話を続ける。なるべく梅木にわかりやすい言葉を選んで……。
「昔はな、酒も博打も女も結構自由だったんだよ。全部ヤクザが取り仕切ってな。御前も知ってるだろう。清水の次郎長さんをよ。次郎長さんは代表格だが、あの頃のヤクザは次郎長さんとその子分みたいな人がいっぱいいたんだ。確かに恐れられていたが、愛されてもいた。何故かわかるか。
人の道を外れたヤクザ者が、俺の様になるんじゃねーと堅気を脅して宥めて説教したからだよ! つまりだ、昔のヤクザは自立の為に悪い事も怖い事もやるが、ちゃんと人の道はわきまえていて堅気をぎりぎりのところで支える良い事(尊い事)もやってたんだよ! ところがだ。いつしかヤクザは腐った。今御前等がやってる事は一体何だ? 高利の金貸しか? 年寄り騙して金ひっぱるか? みかじめというたかりか? 覚せい剤売買か? 女騙してフロ(ソープランド)に沈めるか? 人様を色々と満足させているかもしれんが、何か一つでも社会の為に働いてるか? だったら人に嫌われて当たり前だ。それだけじゃなくどんどん追い詰められているぞ。
俺は知事になってから、御前等ヤクザをどうするか困ったよ。俺は県民を良い方向に導きながらY県を発展させるのが仕事なんだ。人の欲を操り、人から恐れられて嫌われて、人を苦しめて儲けて自分らは贅沢な暮らしをする。そんな連中は排除したくなるのは当然だろう。今までのうのうとよく生きてこれたもんだな。
だがな、これからはそうはいかんぞ。俺の政治手法を知らんかもしれんが、俺の命令一つでプロの戦闘部隊が動き出すんだ。日頃遊んでる御前等と十分に訓練を積んだ部隊とドンパチやって勝てるか試してみるか? 彼等は手加減せんぞ」
有作は梅木の目を見ながらニヤリと笑った。傍らではユリがリチャードに通訳していた。梅木は有作から目をそらす事はなかったが、顔面蒼白で頭から汗を垂れ流していた。
以下は梅木の本心である。
このお人の目は本当に恐ろしいのう……。多分脅しやハッタリは全然通用せんじゃろう。この二ヶ月で県知事が組の頭を呼び出しかけてから、ちょくちょく組が蒸発しちょるんは知っちょうが……。このお人の言うドンパチは無しに、マジでおらんごとなって連絡も全然とれんちゅう話じゃ。こりゃー多分、今頃は死んじょって死体も見つからんそじゃろう。しかもニュースに全然ならんし、新聞にも載らんと噂だけが聞こえるんじゃ。このお方の言う消えるちゅうのは、いう事をきかんと皆殺しにするっちゅう事なんじゃろうか……。
「正直俺はそんな命令を出したくない。御前らも県民だからな……。ハッキリ言っておくが、俺がヤクザに協力を要請したのは御前だけだ。俺に威勢のいい啖呵きって断って帰るならそれでもいいぜ。だけどな、御前らこれからも生き残りたかったら、俺が御前らに何を望んでいるのかもうわかるよな。
ようするに、御前が県内の暴力団の頭となって、カジノ・シティを取り仕切り、治安を守りながら任侠道を追及して人々から受け入れられる組織になってもらいたいんだ」
有作は梅木の目をジッと見つめながら心理を読み取って話し、そして梅木の答を待った。物凄い圧力が梅木にのしかかり、梅木の全身からは汗が噴き出していた。
「話は……ようわかりました。わしは、閣下のいうことを聞いて、堅気の見張り役をお引き受けして任侠道を貫いていきます…… 」
「わかってくれたか。有難う」
梅木は有作の説得に相当衝撃を受けており、有作に有難うと言われて少し震えていた。梅木は、こんな事を考えて実行しようとする政治家を初めて見た。しかし目の前にいる人物の言う事は筋が通っている。
梅木は率直に物凄い迫力と凄みを感じた。そしてこの人物の力になりたいと無性に胸がときめいた。やがて有作のいう組織になる為には、不足なものが沢山ある事に気が付いたらしく色々と言い始めた。
「じゃけど、わしら十五人ぐらいしかおらんけ、とても手が足りんのですわ」
「OK! 帰ったら先ず組員を再教育しなさい。今までのヤクザではもう生きるに値せん。それから組員(子分)を増やすのに必要なものは全部協力するから心配すんな。それから御前の組織が本当に強くなれるようにこちらからプロを一人出そう。困ったらそいつの言う事を聞いてくれ」
「あ、有難うございます! それとわしの上にはまだまだこの話がわからんオジキがようけ(沢山)おるんじゃけど、わし説得できるかわからんです」
「ヤクザ者同士で御前がしっかりせんでどうする。そもそも御前が三十そこそこの若さで組が持てたのは、御前が元々は福龍会(注1)の幹部で山野組(注2)とシノギがあった時に身代わりで自首して服役し、口を割らなかった褒美だったのは知っている。だから御前はまだ麻薬の売買に手を出していない。俺はそこにも注目しているんだ。いいか、これからも麻薬だけは手を出すな。俺はこれとは別に麻薬撲滅活動を展開しているから、俺に隠れて麻薬に手を出せば御前はその手にかかって消えてしまうだろう。
それはそれとして、御前の上にはまだ頭があがらない者が多くいるのは知っているが、梅木組の下に入れと何とか説得しろ。俺の名前を出してもかまわん。いう事をきかなければ言ってくれ。害ばかりで何の役にもたたんヤクザは一掃する。これはY件の為でも御前らの為でもある。御前はY県で一番の暴力団になるんだ。邪魔な奴はドンパチを仕掛けろ。俺が加勢してやる。必要ならば、作戦計画の準備と指導は、参謀部にやらせよう。後始末は警察がやるから心配すんな。そして組員の軍事訓練や武器弾薬の供出もまかせろ」
「色々と有難うございます!わしシャブは絶対手ぇ出しません!御支援宜しゅう御願いします」
梅木は、有作が事も無げに話す内容が、自分にとっては凄すぎて眩暈がしていたが、とんでもない味方を得たとわかって、これから大出世できそうな実感を持って思わず大理石のテーブルを横へ押しどけて土下座して額をペルシア絨毯に擦り付けた。
「それだけじゃない。御前には日本のヤクザの頂点に立ってもらう。そこまでなってもらわんといかん。何故なら、S市はこれから大きな国際都市になる。すると大きな金が動くんだ。その匂いに誘われて世界中からヤクザが集まって甘い汁を吸い取ろうとするだろう、御前等はそいつらを蹴散らして街の縄張りをしっかり守ってくれ」
「ひえー! 」
梅木はこれで完全に有作に忠誠を誓った。そして自分が山野組を越えて日本一になれると思うと、体の震えが更に激しくなり、額を更に激しく絨毯に擦り付けた。すると有作がそんなに擦ると火事になるから止めてくれ。と米語でジョークを言うと、リチャードが笑い、ユリも笑い、そして梅木にも笑いが伝わった。有作は梅木をその気にさせる為に、わざと威勢の良い言葉を連発したのだ。
リチャードは笑いながらも、有作の人身掌握の巧みさに舌を巻いていた。通常マフィア間の抗争鎮圧の為に軍を投入する場合があるが、有作は見込んだマフィアに軍を投入して加勢するとは驚きだ。まるで草野球にプロ選手が助っ人に入る様なもので、そうなれば相手マフィアに勝ち目はない。有作が現実にそこまでするとは思えないが、近い内にあの赤スーツの貧相な小男が日本の裏社会を制する事になるだろう。すると日本のドラッグ市場は限りなく小さくなってしまう。有作の統治能力と行動力は認めるが、ドラッグに否定的な所が今後大きな摩擦になるかもしれない。だから自分がゆっくり時間をかけて、有作を変えていくのが任務だと静かに認識した。
注1 福龍会 Y県内最大の暴力団 梅木敏行はその幹部だった。
注2 山野組 当時の日本最大の暴力団
第二章
有作は梅木組の組長梅木敏行と二度目の面接後の翌日に、カジノ・シティの管理運営に梅木組という暴力団を起用する事を発表した。最初は皆驚いたが、県民を守り外敵から街を守り、県民から畏怖される存在に指導するから心配無用と補足説明をした。
「任侠とは、弱きを助け強きを挫く事であり、それを貫くのが古来からヤクザの存在意義であると私は考えます。
私は、暴力団を根絶か存続か決定するにあたって真剣に検討しました。それは今までの政治家や警察が、散々根絶を宣言しておきながら実質存在を許してきた経緯があるからです。それもタダではありません。毎年膨大な暴力団対策費という税金が費やされても一向に根絶出来ていない。おまけに責任者は責任をとる事も追及される事も無く、いけしゃあしゃあと来年度の予算を要求する現実が、県知事としての私の神経を逆なでているのです。いいですか、この事案のポイントはここにあるのです。根絶すると議会で可決したからには、50億円かけてでも実行し根絶すれば、翌年予算は0(ゼロ)にならなければいけません。根絶を排除と言い換えても詭弁に過ぎないのです。
もしも私が暴力団を根絶すると宣言して可決したら、私は根絶活動を完遂しなくてはなりません。具体的には、警察から関連情報を頂き、警察と陸自(陸上自衛隊の略)を出動させて暴力団を構成する者全員と配偶者と二親等までの者を永久に追放するか殺害し、財産を全て没収します。こちらにも多少の犠牲も出るでしょうが、根絶作戦期間は十ヶ月もあれば終了するでしょう。
しかし私は熟慮の結果、暴力団の根絶を否定し、存続を認めます。県民の皆さん! そもそも暴力団根絶・排除を謳うなど無茶苦茶なのです。人として政治家として、やってはならん事です。根絶など軽々しく言うべからず! 根絶とは根絶やしにする事で、実行すればかなり悲惨な結果になりますよ。仮に予算をつけて暴力団を根絶しても、又ヤクザになる者が出たらどうします? その時点で摘発して根絶しますか。外部から暴力団が入ってきたらどうしますか? 又根絶しますか? これじゃあきりがありません。
我々はこんなところでも到底実現出来ない夢と理想の為に膨大な税金を毎年使い続けてきたのです! しかも責任を問われる事なくです。この件についての責任は、当時の指導者と警察関係者にあります。後できっちり処分して公表しますからお待ち下さい。
一体人はどの様な経緯でヤクザ者になるのでしょうか、一々インタビューして分析したわけではありませんが、第一に世襲、第二に適正が判断されて誘われる、第三に自分から門を叩く等色々なケースがあると思いますが、子供の頃から勉学や運動、思考などの能力が優秀な者が、進んで選ぶ道でない事はわかります。元々社会的に適合しない者や、たまたままともな事が出来ないで社会から弾き出された者が、ヤクザ者になるケースが多いのです。しかしそれは根絶されるに値する程の事でしょうか、死に値する程の悪でしょうか、断固違います。
実はこの厳しい社会環境が人を爪弾きにしてヤクザ者を生み出しているのではないですか。社会環境には誰がいますか。私を含めたあなた方です。私やあなた方の生き残りを賭けた日々必死の活動が落伍者を生み、果てはヤクザ者を生み出してはいませんか。
しかし、私はあなた方を非難しません。厳しい社会環境も否定しません。それらがヤクザ者を生むのは必然だと言っています。その責任は知事である私にあるのです。そこに根絶と称してダラダラと税金を浪費しておいて放置するという構図が生まれているのです。
この件については公約項目に入っていませんが、私が知事になった以上は手を入れます。これから私が暴力団を本当に根絶したら、さぞやクリーンな良い社会が出来る事でしょう。とんでもない!逆です。
今でも厳しい社会環境はもっと厳しくなって、多少は向上するのでしょうが、再び新たな落伍者をうみ、果てはヤクザ者を生み出すのです。今はヤクザ者でない皆さんは、関係ないと思っているかもしれませんが、うかうかしてると直ぐに社会から弾き出されてヤクザ者になってしまうかもしれません。そうなったら、これは政策として徒党を組んで暴力団になる前に、殆ど機械的に処理しなければなりません……。
私はそんな不毛な社会を望みません。何故なら皆大事な県民だからです。私は暴力団の存続を決めた以上、ヤクザ者の集団である暴力団に生きる道を与えます。但し反社会的な活動を止めさせて、本来の任侠道の追求活動をしてもらうのです。つまり今までの暴力団を改革するのです! 具体的には、カジノや風俗を取り仕切り、警察と連携して、人々がのめり込んで、経済的破綻を起こさせない様に監視・指導してもらいます。
それと国内外の暴力団やマフィアの侵略を防ぎ、警察とカジノ・シティの治安を維持してもらいます。勿論それに関わる相応の報酬を認めます。その他の任侠道を外れた反社会的な活動は、私が一切許しませんから安心して下さい―― 」
有作はこのメディア演説で、暴力団の存続と改革を宣言し、カジノと風俗を仕切らせて人の監視・指導と外敵から街を守る役目を与えた。更に独立した組織ではなく、警察の配下に置いて監督・指導を受けつつ情報交換等連携して任務を遂行せよ。と命じた。
そもそも政治家が暴力団と関係があるというだけで大スキャンダルとなって命取りになるというのに、有作は知事として関係があるどころか存在を認めて改革して支配下に置くという発想は前代未聞であった。
有作の発想には前代未聞という言葉が多いが、その理由を聞いていると、筋が通っているので聴衆は引き込まれてしまう。そして今の所は良い結果を出して県民の支持を裏切っていない。始めは伸び悩んでいた賛成票も有作の演説後は、暴力団が改革されて警察の配下に入るのならと安心感が広がり、90%を超えて政策実行となった。これまで暴力団撲滅を謳って大した成果をあげていなかった警察関係者は、有作から公式に非難されて恐れ戦いた。既に議会で散々吊るし上げられて非難されていたのだが、こうして公開されると、今後自分の氏名と処分内容が公開されるのだろうから、下手をすれば社会的に破滅するかもしれないからだ。
又当事者である県内の暴力団関係者は、一時は二親等まで殺されると理解して逃げる準備を始めたのだが、存続が決まり安堵したのも束の間、今度は改革されて警察の配下に入り任務と報酬が約束されると聞いて複雑な表情を浮かべていた。
既に彼等は県知事との組長面接の結果、弱小の梅木組が県知事に見込まれたという情報を噂で聞いており、二ヶ月程前から県内の組が忽然と消えている話も聞いている。警察に手を回しても全然情報が取れない(こんな事は一度もなかった)し、死体や怪我人の情報すら出てこない。騒いだ(抵抗した)という話も聞こえない。ましてやニュースにならないのが不気味だ。組間の抗争ではないのはわかるし、警察がそんな事出来るわけがないから、多分県知事配下の新組織の仕業に違いない。
何しろ彼等と全然連絡が取れないのだから、もうこの世にいないに決まっていると思い込んでいた。では次は誰か(わしか)……。と彼等は、次は自分が消されるのではないかと戦戦兢兢としていた。とにかく格下ではあるが梅木に挨拶に行かないとならないのはわかるのだが、プライドが中々それを許さず浮き足立っていた。直ぐにでも集会を開きたいところだが、恐くて誰も言い出す者がおらず、先ずは福龍会が執り行う五日後の定期集会の時に県内の組長が一同に会するので、そこで話を聞いて出方を決めようと考えていた。組長や幹部達は、自宅を子分に見張らせているが、それでも忽然と消される恐怖に怯えてすっかり萎縮していた。そして今夜も静かで不気味な夜は来る。
「もう2時(午前)をまわったし、家の明りが消えて一時間以上経ちます、そろそろいいんじゃないすか? 」
千葉秀樹がライフルの狙撃用スコープを覗きながら助手席の等々力和夫に言った。
「そうか、わかった」
等々力は携帯無線のスウィッチを入れると、チーム全員に呼びかけた。「皆、聞こえるか、今午前2時7分、これから目標宅に向かって行動せよ。電話線を切って妨害電磁波を発生させよ。これから想定外の事態以外の発信を慎め。行動開始」と言うと「承知」という複数の声が携帯無線から聞こえた。
等々力が横を向いて千葉を見ると、千葉も自分の携帯無線に「承知」と言った。
「ふざけんなよ千葉」
「冗談っすよ等々力さん」千葉は少し笑いながら黒塗りのクラウンを静かに走らせた。
この車は電磁気モータ仕様に改造されているので無音に近い。タイヤも特別仕様で音を吸収する仕様なので静かだ。今夜はY県下で三番目の勢力を誇る弥勒会の組長堀内幸之助(74歳)の家に侵入して全員捕縛する計画なのだ。彼等はSPである。
SPは、有作は県知事に就任してすぐに創設した組織で、スペシャル・ポリスとも、サイレント・ポリスとも呼ばれている。犯罪が複雑巧妙化して発生件数も激増し警察の検挙率が四十%をきり、予算も増える一方の状態を打開する為に、新しい治安維持組織が必要だと考えたのだ。警察は通報を受けて、事件を早期に解決して評価されるのだが、SPは事件を防止する活躍が評価されるという組織だ。
千葉が運転するクラウンは予定通りに堀内の屋敷の外を見張っている子分二人の近くに車を停めた。彼等は一見してヤクザ者で、タバコを吸いながら小声で話をして笑っていた。
「どうもー、ご苦労様でーす。差し入れに伺いましたー」等々力が満面の笑顔で小さな声で言いながら後部座席に控えていた川村大介と共に飲み物と弁当が入ったコンビニ袋を持って見張りの二人に軽やかな足取りで向かった。見張りの二人は夜なのにサングラスをかけて、走りにくいセッタを履いていた。二人は全く警戒することなくコンビニ袋を受け取る隙に、あっさりと背後をとられてしまってから慌てふためいたがもう遅い。
「声を出すな、静かにしろ」
等々力と川村は見張り二人の後ろから素早く左腕で首を捻り絞めてから右手でダガーナイフ(両刃ナイフ)を夜の闇でも彼等にハッキリ見える位置にかざしてから左手で口を塞いで鋭く言い放った。二人は目を見開き激しく頷くしかない。
「ポケットの中の物を全部出して下に落とせ、下手な動きすると死ぬぞ」と言ってダガーナイフを心臓に軽く付けた。ナイフの切れ味は鋭く、シャツの左胸が裂けて少し血が滲んできた。
「相変わらず御見事。シンクロしてる」
クラウンの運転席で周囲を警戒していた千葉は小さく呟いて二人の手際を褒めた。長細い財布、飾りがジャラジャラ付いた携帯電話、車や部屋の鍵等が路上に落ちた頃、黒塗りの大型トラックが静かに近づいてきて助手席から森田秀一(29歳)が颯爽と降り立ち、トラック後ろの扉を開けてステップをつけると、見張り二人が路上に落とした物を拾い集めてバッグに入れ、差し入れのコンビニ袋二つを手に取った。等々力と川村は当然の様に見張り二人にコンビニ袋を持たせてトラックの荷室に詰め込んだ。
このトラックも電磁気モータに改造されているので静かだ。トラックの荷室は三層構造になっている。扉は上中下の三箇所に電磁式ロックが付いていて、外からは開くが内側から開かない仕掛けになっている。勿論集中制御スウィッチは運転席にある。逃走や中からの逆襲を防ぐ為の狭い前室が二つあって一番外の扉が閉じないと二番目が開かず、一番目と二番目が閉じないと三番目が開かない仕組みになっており、扉の大きさも徐々に小さくなっている。各室ライト、マイク、スピーカーと空調換気システムがあるので、彼等が窒息する事はないが、運転席には高濃度酸素、睡眠、沈静、催涙、毒のガスが入ったカセット式小型ボンベが用意してある。
運転席には液晶カラーモニター、マイク、スピーカーが付いており、各室の様子が小型CCDカメラとマイクでわかる様になっていて必要に応じてスピーカーから声を伝える事が出来る。中には既に四人が入っていて、これで見張り六人が全員確保出来た事になる。彼等は黙って差し入れの弁当を食べていた。騒ぐと毒ガスを流すと言ってあるので大人しいものだ。
堀内幸之助邸のセキュリティーシステムは、事前に警備会社に命令して切ってあるので、千葉が運転する車と同種の黒塗りクラウン三台と大型トラック二台は、静かに悠然と正門から入っていった。堀内邸は大きな日本家屋で庭も広く、車三台と大型トラック二台が余裕で停める事が出来た。SPメンバーの内トラックに乗っている四人は待機して、三台の車に乗っていた九人が静かに車から降りると、周囲を警戒しながら表玄関前に向かった。車のドアは特別仕様で、自動で静かに閉じた。
ペット兼番犬のシェパード二匹が低く唸っていたが、千葉が用意していた高級牛肉をばら撒いてやると喜んで食べ始めて大人しくなった。実は先週から一日おきに同じ時間帯に千葉が忍び込んで餌付けに成功していたのだ。それにしても頭が良い犬で無駄吠えしない躾のおかげで助かった。
「しかし立派な御屋敷ですねー。ヤクザって儲かるんすねー」と川村が言うと「シーッ無駄口きくな」と千葉が短く言った。二人は仲が良いようだ。全員暗視スコープを付けているので、暗闇でも視界は良好だ。屋敷の入り口は大きなジュラルミン製の頑丈な引き戸で、千葉が顎で合図すると川村が銃撃に備えて匍匐全身で引き戸に辿り着き、右腕を伸ばしてあらかじめ作っておいた合鍵で難無く開けた。ゆっくり引き戸を開けたが、誰も息を潜めて銃を構えていなかった。情報によれば屋敷内に武装した用心棒が三人いる筈で堀内家は七人家族のはずだ。全員家の間取りは頭に入っているので、各々音も無く用心棒と家族を確保に向かう。
千葉・等々力・川村のチームは、予定通り堀内幸之助夫妻が眠る奥の寝室に迷わず向かった。寝ている隙に両手両脚をタイラップで縛っておく。「堀内さん、起きて下さい」等々力が声をかけて身体を揺すると堀内が目覚めた。
「……誰かー御前ら……うっ」
堀内は凄みをきかせようとしても敷き布団の上で寝たまま縛られている事に気が付いて大声をあげようとした時に等々力は手で口を塞いだ。非常に手馴れている。隣では千葉が堀内の妻に対して同じ行動をとっていた。
「おっとっと、御静かに願います、いいですね」
等々力が小声だがしっかりした口調で言うと、堀内は状況を理解したらしく覆面から出た等々力の目を見据えて頷いた。
「御前達ぁ誰かぁ? 」
「故あって名乗る事できません。しかしあなたは御命狙われております。ささ、我々が用意した安全な所に避難しましょう」
「わしを殺す気か? 」
「滅相もありません、もしそうならあなたはもう死んでます。早速着替えて下さい」
等々力は堀内の軽い老体を軽々と抱き起して縛っていたタイラップを切って自由にしてやった。堀内は等々力達を見て極道ではないと感じた。
「見たとこ警察じゃなさそうじゃ、軍隊みたいじゃの、最近ヤクザもんが家族毎頻繁に消えよるけども、ありゃあんたらの仕業じゃろ? 」
「そうです」
「殺したんか? 」
「皆さんある所におられます、もう直ぐ会えますよ」
「そうか、皆隠れちょるんか。ところで電気つけてくれ、どこへ何があるかわからん」
等々力はすかさず持っていたLEDライトで辺りを照らしてやった。今の所は大きな物音・声は聞こえてこない。おそらく今頃堀内の屋敷内では全員着替えている所だろう。ここで財布や携帯電話や端末は一切身に付けない様に指示する。
「ところで現金はありますか?逃走資金としてあった方が良いと思われます」と等々力が真面目に言うと、堀内はジッと等々力を見つめて、「そこの物入れに百万位ある」と答えた。川村が物入れを開けると一万円の束を一つ見つけ、等々力に渡した。
「これは貴方がお持ち下さい」と差し出した。堀内はそれを受け取って背広の内ポケットに入れると、等々力を信用したのか「金庫の中にもう一寸ある。わしが開けるけ」と自分で金庫のある場所に行って開けた。中の現金は一寸ではなかった。二千万円は下らない札束が出てきた。堀内は札束を旅行バッグに詰め込むと、安心して腹を決めたのか「行こうか」と玄関の方へ歩き始めた。妻の方もワンピースを着けて堀内に付いて行った。玄関の踊り場では息子夫婦と小学生の男児二人と中学生の娘、そして頼りない用心棒三人が立っていた。堀内が一家全員の無事を確認すると、どこに行くかも知らないのに、ここは危ないらしいから皆で安全な所に逃げる。と伝えてくれた。
おそらく金を持っている事で安心して自信を回復したのだろう。等々力はこんな光景は何度も目撃している。全員に靴を履いてもらって外に誘導し、女子供はまだ誰も乗っていないトラックに差し入れを渡して乗せ、男達は既に見張りの六人が乗っているトラックに差し入れを持たせて乗せた。
ペットボトルのお茶には、底から細い注射器で睡眠薬を注入して透明テープで止めてある。旅行バッグを抱えた堀内幸之助だけは千葉が運転する車の後部座席に乗せた。堀内の右に等々力、左に川村が固めている。土足で上がりこんで行動したので、他のメンバーが丁寧に拭いて足跡を消して最後に玄関の鍵をしてから車に乗り込み、等々力の携帯無線に「状況終了」と報告が入った。
等々力は堀内に目隠しして、出発命令を出した。千葉が時計に目をやると午前2時44分で予定よりも7分オーバーしていたが、車と三台とトラック二台は、予定通りの編隊で音も無く動き出した。大きな通りに出るまで対向車が一台も無いのは、深夜だからという理由もあるが堀内邸に続く道路は全て警察が検問をして事実上封鎖していたのだ。警察官は黒い編隊を認めると敬礼して直ちに検問を解除した。そんな一行の行く先は悪人島である。
S市から北へ車で1時間程走ると、非公開の小さな港と建物があり、堀内家族と子分達はその建物内に入れられた。SPの任務はこれで終了し、撤収後は解散して24時間後には次の作戦準備に入る。今回は対象の二親等親族が全員家にいたので簡単だったが、目標と二親等親族の所在がバラバラのケースは、全員の生活パターンを地道に調査して綿密に作戦を立てて慎重に連れ出しているので、今の所失敗は無いし死傷者も出していない。これが県内のヤクザ共を震え上がらせている噂の一つの一部始終である。
SPは様々な任務をこなすが、ヤクザの移送は楽な部類に入る。傭兵経験のある千葉秀樹にはむしろ退屈な位だ。海外ではこの装備では恐くて仕方が無いが、日本では銃刀法があるおかげか、銃撃戦になる事は殆ど無い。勿論銃火器はクラウンのトランクに準備しているが、今回の任務は音も無く忍び寄って任務を遂行するニンジャ・スタイルだ。日本のヤクザは、囲まれたり武器を突きつけられたりすると意外な程大人しい。おそらく怪我をしたくないし、死にたくもないのだろう。尤もSPに抵抗すれば、いやその気配だけでも殺す準備が常に出来ている。しかも静かに速く、なるべく血を流さない方法が求められるのだ。殺害を躊躇う様ではSPにはなれない。
以後堀内家族と見張りの三人は、別動部隊の管轄になり、彼等は広い和室に通され、午前6時に食事が出ると通達された。それまでは自由に過して良いが、外に出られない事と外部通信が出来ない事が通達された。質問・反論は許されない。暴れたところで外にいる武装した屈強な海自隊員に取り押えられるのがオチだ。
午前6時に女中の服装をした女性三名が比較的豪華な和食の朝食を運んで来た。ビールも持ってきたので場の空気が和んだ。全てお代わり自由で、他にもコンチネンタル・スタイルの朝食、コーヒーやジュース、トーストや卵も幾らでも運んで来た。女中は明るい笑顔を振りまきながら、甲斐甲斐しく給仕したり酌をしたりしているが、質問されても核心についてはうまくとぼけていなし、少しの隙も無いきびきびした所作は徒者ではない事をうかがわせている。
女中に扮した女性が、一通り食事が終わって皆が寛いだ頃を見計らって、御風呂の用意が出来ているので、昼までには全員入って下さい。御風呂は二十人が一度に入れる物で、広くて綺麗ですよ。それから又移動になります。と通達した。
風呂は一人ずつ入ってもかまわないが、大抵女子供が先にまとまって入り、後で男がまとまって入るケースが多い。脱衣場と浴場は、海自隊員が実際使用しているもので、実際二十人が一度に入れる広さがあってタオルやシャンプー、リンス、ソープ等の他サウナ、マッサージ機やソフト・ドリンクが冷えていて快適だ。
しかし、彼等が快適な気分を味わうのは、これが最後かもしれない。先ず、風呂から上がって着替えようとしても衣服が無い。おかしいなと思っていたら完全武装した隊員が五~六人自動小銃を構えて全裸のまま船に乗るか射殺かを選択させられるのだ。これまで射殺を選んだ者はいないので、裸のまま外に出て用意している大型クルーザーの密室に詰め込まれて、そのまま悪人島に送り込まれるのだ。ここで彼等は悪人島での生き残り術というパンフレットを渡されて、初めて有作が設立した悪人島をイメージし、自分達が送り込まれる現実を実感するのだ。
等々力が言った様に、安全な場所と言えなくもないが生き残るのは困難なところだ。等々力が言った様に、顔見知りに会えるのは確かだ。生死は別にして……。彼等の衣服はゴミとして焼却される。残された現金はここの運営費に当てられる。
彼等の預貯金は税務署が全て没収して県の収入になる。残った土地・建物や車やバイクなど金目の動産・不動産は全て競売にかけて換金してから県の収入になる。彼等のこれまでの悪事の結晶は県政の為に使われる取り決めになっている。賃貸マンションやアパートは直ちに解約、理由は転居、転居先は全て税務署住所で、電気・ガス・水道のインフラ、保険や携帯電話等の解約手続きも三日以内に税務署が行う。
数年前一度だけ雑誌社が悪人島をスクープとして、この事実を記事にして発表したが、県側は一切ノーコメントを貫いた。否定も肯定も無く粛々と活動を繰り返して凶悪犯罪者の財産は県の懐に入るのだ。余談だが、有作は税務署にも捜査権と強制執行権を与えたので、他県の税務署と比べても格段に活発である。
税金の滞納には滞納期間の利息と反則金と捜査費用実費と人件費を徴収する。脱税が摘発されると、前述の費用の他に財産差し押さえと追徴課税が加わる。勿論税金滞納・脱税法人名と住所、徴収金額は県のホームページに公表している。だからY県の税務署は、県民に対して税金の滞納や脱税行為を止めろと言わない。
今回の様に、ヤクザとその家族も含めた移送作戦の場合は、無辜の乳児や子供、未成年が含まれる事がある。その場合は、学生は転校手続きが行われ、親の意思と本人の意思を確認して、親族と悪人島で暮らすか、有作が身元引受人となって『希望の家』(注1)に行くか選ぶ事が出来る。乳児や幼児で選択出来ない場合は、『希望の家』に送致される。切り立った岩場の無人島に、全裸の悪党がうじゃうじゃいるだけの環境では、子供が養育出来る筈がないからである。因みに悪人島から『希望の家』までの送致のケアは警察の受け持ちだ。
悪人島は本来凶悪犯罪者を送り込む刑務所の代替施設だが、この数ヶ月は有作が県内の暴力団組長と面接した結果、人格や組織に問題があり、将来役に立たず、手を組めないと判断した人々と家族が送り込まれるケースが連続している。見張りと用心棒の六人については無関係なのに甚だ御気の毒だが、この期に及んだ人々の悲喜こもごもはそれほどドラマチックなものではない。
注1 『希望の家』 県知事鈴木有作が実現させた政策の一つ 県内の孤児、育児放棄された子供、虐待を受けた子供(不自然な傷を学校側が発見した場合、新警察が主導で条例の基に調査する。本人と保護者に自白剤を使って証言をとり、虐待有りと認定された子供)、又は本人からの申し込みがあって条件を満たした子供をあずかり、衣食住を保証しながらY大学の専門教授の指導の下で農作業実習や漁業実習を毎日こなして食料を確保する。
日々の生活の世話は保育学科の学生が専門教授の指導の下で行う。本人の性格・才能・能力・適正を検査して、どの様な職で自立するか面談しながら特化専門教育を行う施設。
第三章
有作は自分でもカジノ・シティに『エンペラー』というホテルを建設する計画を発表した。そして『希望の家』で日々鍛錬している若い才能にショーやダンス、アクロバットやミュージカルやコンサート、手品等の芸をカジノ目当てのお客様に見せてお金を頂く経験をして欲しい、つまりエンターテイナーとして活躍して欲しい。と語った。
地下にカジノ、一階にフロント、シネマコンプレックス、ネットカフェ、書店、音楽・映画販売ショップ、2階に劇場とレストラン、屋上にはテーマパークを備えた25階建ての豪奢な設計は、他のホテルと引けをとらない存在感があった。
そして県の都市計画課がカジノ・シティとして街全体の完成予定図を公開した。有作が街の監視機関を公表した翌日だ。有作のホテル、エンペラーがほぼ中心に位置して、国内、アメリカ、EU、マカオの大手ホテルがおよそ二十棟建設される予定で、工期は二年の大規模都市計画だ。延べの作業人員がS市の人口を上回るのだから、これから一大建設バブルが発生する。
都市機能も街毎再改築する計画で、道路網や交通機関の再整備、インフラ整備もソーラー発電・逐電システムを導入し、観光スポットの再整備等美観と機能性を追及した姿になっていて良い評判を得た。
問題は用地買収だが、これまでの廃れたシャッター街を何とかしたいという市民と話し合ってうまく進めていけそうだ。要するに街を活性化したい、させたいという熱が官民を一つにしているので早晩良い答が出るであろう。そもそも有作が風を起こさなければ、こんなに沢山の人の心に火を付ける事はなかった。一方で利益誘導だという批判があったが、有作はそんなもので怯む政治家ではない。
有作は県知事になって県政を大きく変えた。県議会と市議会議員数を削減して中央政府が推進する市町村合併を強力に断行して市議会と県庁をオンラインでつなげて、県庁が各市政を集中管理化した。その理由は、赤字財政の改善対策の一点である。
有作は県知事選に立候補した時から、公明正大という美名の下で政治をやった結果、財政赤字が巨額になった事実を激しく批判した。しかも正義や公明正大を謳っても100%達成された事はなく、詭弁を使っては法の網の目を掻い潜って公明正大をごまかし、結局赤字が膨らむ一方である事も、有作が目の色を変えて怒って批判した経緯がある。
これまでの慣行で政策実行すればするほど赤字になる体質を暴露し、我々日本労働者党が、必ず財政を回復させるから是非力を貸して欲しい!と訴えて知事となったのである。政策が成功すれば支持率が上がるし、失敗すれば非難の的である。それが知事の当たり前の職ではないのか。
知事を名誉職と考え任期四年の間、恙無く過す事ができれば安泰と考えている者などもういらぬのだ。別に政策実行で誰がどれだけ儲けても構わないが、必ず情報公開を行う様に義務付けている。違反したり虚偽報告をすれば、即悪人島でその見事な手腕を振るっていただく。
有作は都市再構築計画を発表すると、翌日に会議を開いた。有作はいつもの様に執務室のデスクに両脚を載せたままコーヒーを飲み、傍らに秘書の菊沢ユリが立ち、一番手前にリチャード・ギリガンが座り、その向かいに副知事 立花春彦(36歳)都市計画課 課長 佐藤宗徳(47歳)農業経営課課長 矢沢幸吉(40歳)水産振興課 課長 高野洋一朗(52歳)S市代表 桑名三朗(63歳)と秘書 佐々木拓郎(29歳)の7人が集まり、皆顔見知りなので簡単な挨拶を済ませると早速始めた。
「これから二年でカジノ・シティをつくる。となれば、日本はおろか世界で通用する人材をはやく沢山育てなくてはならない。今までいなかった相応しいカジノディーラー、相応しい運営スタッフをね。
とにかく我々にはノウハウが何も無いんだから、ここはやはりリチャードに頼んでラスベガスやアトランティック・シティの専門スタッフを呼んでもらって教育してもらえないだろうか。そしてディーラーにも来てもらって暫くカジノ仕切りを御願いしたいのだが、如何か」
有作に依頼されたリチャードは、微笑みながら答えた。
「この話は既に有作から依頼されていたので、ラスベガスの相応しいディーラー四人とマネージャー二人の日程を、移動を含めて二週間抑えています。後は日程とギャランティーについて合意すれば、直ぐにでも来日が可能です。
又カジノのルールやマネージメントに関する書籍は既に沢山出版されているので基礎的な勉強は済ませておいて下さい」
菊沢ユリの通訳を聞いて一同が安堵した。
「迅速な対応有難う。リチャード。タチバナ(副知事)御前、至急予算担当と相談してギャラと日程を調整しろ。
それからこれは訳さんでいいぞ、この兄さんは油断してると笑いながらフッかけてくるからな、相場を調べて絶対言い値で契約するんじゃないぞ。
直ぐに県庁に仮のカジノ場を作って、カジノレクチャーの受講生をリストアップしろ。勿論その日まで基礎的な勉強はやらせとけ、そうじゃないと実働十日じゃ全然足りん。
それから俺が欲しいのは勝てるディーラーだ。儲かるマネジメントなんだ。場(賭場)が立って勝負は神のみぞ知るだったらこっちが破産するぞ。そしてレクチャーの様子は全て録画しておけ、それをマニュアル化するんだ。いいな」
立花(副知事)は実直な性格で、思いつきと閃きで動く事が多い有作の政策の実現には欠かせない人材として信頼が厚い。立花は、自分では到底思いつかない打開策をサッと出す有作の発想力を敬服している。今回のカジノ構想や暴力団の改革付き存続と支配も畏れ入っていたし、ここでも勝てるディーラー、儲かるマネジメントを育てる等全く考えていなかっただけにドギマギしながら承知した。
「では桑名市長(S市)カジノ・シティの用地買収は順調だろうな」
「いえ、実はその…… 」
桑名市長は、用地買収が難航している理由を述べようとしたが、有作の迫力に口ごもってしまった。
「俺はここで言い訳は聞かない。二週間以内に完了してくれ。俺がこれだけアドバルーン上げて注目されてんだから恥かかせんな。御前には熱が無い。この計画に皆熱くなってんのが御前に伝わってないんだよ。御前は俺が熱くなってんのがわかんないか」
「それはもう、わかります」
「だったら俺の様に御前も熱くなって夢を語れよ。熱が伝わんなきゃ人は動かんて、難しいのは知ってる。どうしても駄目なら俺が説得に出るけど、俺は自信あるね。ここは一つ御前市長なんだから先ず御前が熱くなって夢を語れよ。そして部下を熱くするんだ。それを地主にぶつけるんだよ。金がどうのこうのじゃないんだよ、いいかい? 」
有作が熱いのは皆知っている。夢を語らせたら止まらない男だ。それをわかっていても熱くなれない男だっている。それが桑名なのだ。
しかし有作と会って話を聞いていると不思議に熱が伝わる、用地買収がうまくいっていないのが見抜かれているが、それでも自分を頼りにしてくれて熱くなって部下も熱くして地主に熱く夢を語れと仰っている。自分だってS市を活気ある街にしたい。カジノに来た御客様に美味しい料理を提供して観光スポットを観て喜んで頂きたいんだ。それを語れば良いんだ。と目を輝かせて承知した。
「それから御前等、(都市計画課 課長 佐藤宗徳、農業経営課課長 矢沢幸吉、水産振興課課長 高野洋一朗)これから一つの街をビルドアップするんだ。とてつもない物資と人がやってくるのはわかるよな。そこで何を準備してるのか聞かせてくれ」
「…… 」
「誰も何も応えられんというのは、何も準備しとらんてか? 呆れてモノも言えんわ。御前を含めて部下ものほほーんと俺の演説を聞いてた訳? これ、もう政策実行かかってんだよ。半公共半民間の大プロジェクトなんですよ」
「……ですから、今日トノから何か任務を仰せつかるものと思っていました…… 」
有作は矢沢からこの言葉を聞いて、ゲラゲラ笑い始めた。
「それじゃ何か? 俺は何か仕事を命令する時は一々俺が辞令を発布せにゃいかんの? 後二年しかないんだよ、もう直ぐにでも工事始まるんだよ。
県内の業者さん優先で仕事をまわすけど、それでも足りん時は県外からも来て貰って延べ何百万て人が来るんだよ。物資・物流だって半端ないよ。そんな人達の宿は確保できるの? 飯は足りるの? 騒音や大気汚染とか土壌汚染の心配しなくていいの? 瓦礫の処理はどうすんの? 御前等がそんな調子じゃ、絶対パンクするわ。
もし俺が職人さんだったら、怒り爆発だね。仕事でこんな田舎に来て、宿が足りません、飯も足りません、酒は? ねーちゃんは? おばちゃん相手にカップ酒飲んどけってか? もっと人の身になって働けよ! 」
「すいません!そこまで考えが及びませんでした! 」
「タチバナー! こいつらにどんな教育してるんだ。もっと熱くなってしっかり働け。職人さんはな、そういう事が仕事に響くんだよ。直ぐ取り掛かれ! 解散! 」
一同は有作が勢いで解散と言ったと思って固まってしまったが、有作は皆を睨み据えて声を抑えて机を叩きながら言った。
「俺は今直ぐ仕事に取り掛かれと言ったんだ。日々の進捗は菊沢ユリの携帯に必ず連絡しろ。少々困難に当たっても泣き事言うんじゃねーぞ。どうしても駄目だったら俺がやってやるから心配すんな。だけどそん時は御前等なんかいなくてもいいって事だよな」
一同は有作が本気で怒っていると悟り、次の瞬間に又雷を落とされてはたまらんと蜘蛛の子を散らす様に執務室を飛び出して行った。
「全く何の為に俺が連中を選んで呼び出したと思ってんだ。これから何が起こって何をしなくちゃならんか全然わかっとらん」
「トノ、そんなに怒らないで下さい。もう十分薬になったと思いますよ」
菊沢ユリは有作を労わる様に見つめて言った。一部始終を見ていたリチャードは苦笑しながら顔を左右に振った。尤も怒りっぽいボスに使えない部下のこんな光景はよくあるのかもしれない。しかし有作は直ぐに英語に切り替えてリチャードに話しかけた。
「失礼したリチャード。多分彼等はこんなに大きなプロジェクトに関わった事がないからいい経験になったと思うよ」
「まあ、ここでは大きい方かもね。しかし二年は早いな、まるでゴールドラッシュの勢いだね」
「そうさ、ゴールドラッシュさ、良いこと言うね。今までどうして誰もやらなかったんだろう。と思うから一刻も早く実現させたいんだ」
「こっちも政策について日本政府を黙らせる工作をしているよ。しかし二年という期間は案外黙認させるのに有効かもしれない。ホラ、彼等何かにつけて遅いだろ? パッと作っちゃえば黙認しやすいかもね」
「その辺根回し頼むぜ。俺はゴールドラッシュの番人の教育があるんだ。これが又頼りなくてね。あと二年であいつ(梅木)に天下を取らせなくちゃならないんだ」
「何て言ったっけ、ユメキ」
「梅木だよ」
「そうそう、あれは難しいと思うよ。今にも消されそうな気がする」
リチャードが冗談半分に笑いながらコーヒーを飲んだ。有作も菊沢ユリがいつも気を配ってフレッシュを保ってくれているコーヒーを飲んで笑った。
「俺もそれを心配しているんだ。だから助っ人を付けようとしている。でも消えちゃったら、又次を探すさ」と言って二人で笑った。米語の分かる秘書菊沢ユリにはブラック過ぎるが……。
リチャードが帰った後、有作は秘書ユリと共にSP本部に向かった。SP本部は県庁の最上階フロアにあった。万が一階下から武力攻撃を受けた場合、上から有利に対応できるし、上(屋上)からの攻撃にも直ぐに対応できるからだ。菊沢ユリは歩きながら、SP局長 澤村信康(五一歳)に、今から三分後、トノが向かいます。尚今トノは御機嫌悪いです。と携帯電話で手早くメールした。
有作が本部フロアに入ると、澤村が号令をかけた。「総員 敬礼! 」フロアにいたおよそ50名が号令と同時に立ち上がって一斉に敬礼して有作を迎えると、有作も短い敬礼で応え、澤村に「チバはいるか」と尋ねた。
「千葉は今射撃訓練室におります」
「そうか、丁度良いや。俺の木箱を持って来てくれ」と命じると、澤村が承知して下がり、少しして金庫から磨きがかかった木箱を持ってきた。有作はそれを受け取ると、今いるSP職員に「皆がんばれよ! 」と手を振って射撃訓練室に向かった。
千葉秀樹は川村大介と談笑しながら、射撃と手裏剣の腕前を賭けていた。そこへ突如有作と菊沢ユリが入ってきたのだから、驚いて直立不動で敬礼した。
「楽にして良いよ。訓練中だって? チバとカワムラじゃどっちが腕がいいんだ? 」
「千葉であります」と澤村が即答した。
「ほう、この目で確かめたいもんだな。出来栄え次第では褒美をやるぞ。先ずはその手裏剣からやってみてくれ」
有作が笑顔でそう言うと、二人はパッと笑顔になり、射場から十五メートル離れたマネキン人形を二つ新しい物に代えた。ユリは有作の為に椅子を用意した。澤村は頃合いを見てオフィスに下がっていった。
手裏剣といっても、鋼製の両刃剣で全長十五センチ程の物で柄が短く丸い輪が付いている。そこに指を引っ掛けて投げると、肩を基点として遠心力が肘、手首、指に伝わり、初速が130キロを超えて真っ直ぐに飛ぶのだ。これが訓練によってコントロールされれば殺傷能力十分の音が出ない武器になる。
SPは作戦中全員皮製ベルトに五本程度さして携帯し、必要に応じて使う。勿論放置すれば証拠が残るので、持ち帰らなければならない。千葉は一瞬菊沢ユリと有作に視線を合わせて、野球のピッチャーがボールを投げる要領で小さく振りかぶって手裏剣を投げると、凄い速度で一直線に飛び、マネキンの額にズコリと深く突き刺さった。菊沢ユリは、自分の予想以上の速度と威力に小さく声を漏らした。
勿論自分が投げてもこうはいかない。有作はそれをジッと見つめていた。次に川村も負けじと手裏剣を投げると、隣のマネキンの心臓部に突き刺さった。十本勝負で、二人とも有作の指示通り額、心臓、腕、腿、に命中した。二人とも見事な腕前だが、威力において千葉が勝っていた。この手裏剣は、有作が日本では至近距離で威力を発揮する武器が必要として考案してデザインした事を彼等は知っている。
次は射撃勝負だ。二人共S&W357マグナム6インチ銃の量産品を使っている。SPはリボルバーを正規採用しているのだ。理由はオートマチックで派手に空薬莢をばら撒いたのではSPの証拠をばら撒く様なものだからだ。
千葉と川村は標的をマネキンから人型の紙製の物に変えると、有作と菊沢ユリはイアーマフをつけたが、SPはつけない。脇のホルスターからの抜き撃ちからの速射で勝負した。暫く357マグナムの轟音が続いたが、銃を抜く速さと精度において千葉が勝っていた。しかし有作はそれでも「遅い」と言い放った。
千葉は大げさに「ええー!?そらオートマチックの9ミリ弾に比べたら遅いっすよー 」と声を上げた。
「チバ、俺はそんな卑怯な比較で遅いといったんじゃない。御前は全然遅い。それはまだ銃を自分のモノにしていないからだ。俺の方が倍は速いぜ」
「まさか、そんなぁ―― 」
千葉が愛想笑いで疑っていると、有作は持って来た木箱をテーブルに置いて中の物を見せてやった。そこにはコルト・パイソン6インチ銃が入っていた。コルトロイヤルブルーの独特の藍色が美しい。特徴的なベンチレーテッドリブとフルレングスアンダーラグが他のハンド・ガンと一線を画している。
「うわっすげぇ」
それを見た千葉と川村は目を輝かせた。
「フォー・ユーサクって刻印されてるじゃないですか。これトノのですか? 」
「そうだ、俺のだ、懐かしいな。ニューヨークにいた頃を思い出すぜ。次にこのDVDを見てくれ、きっと驚くぜ」
有作は箱に入っていたDVDをユリに渡すと、そのDVDを再生した。すると40インチ液晶画面に若い頃の有作の姿が映し出された。VHSビデオ画像をDVDにしたものなので、画質は粗く古めかして見える。
「あれ誰っすか? 」
「昔の俺だよ」
ビデオ映像の場所はどこかの射撃場で、若き有作(二八歳頃)が警官の制服を着た白人と黒人の三人で談笑していたが、やがて白人警官がオートマチック・ハンド・ガンを抜き身で空薬莢を撒き散らしながら全弾速射した。流石プロという貫禄で、人型の標的の胸辺りに全弾命中していた。少し照れながらもそれでいて誇らしげなのが面白い。続いて黒人も抜き身で速射した。これも全弾命中で無邪気に喜んでタッチしていた。
次に若き有作がコルト・パイソン6インチ銃をホルスターにおさめて身構えた。やがて鮮やかにパイソンを左手で抜くと、ファニング(注1)で速射した。その速度は前の男達よりも明らかに速かったし、標的の顔部分に全弾命中していた。有作の弾丸は357マグナムで、彼等は9ミリだから有作の方が速さ・破壊力も上回っているので二人の男は驚嘆した。
若き有作と制服男の三人はそれぞれに銃に弾をこめると、もう一度速射した。今度はストップウォッチで時間を計測している様だったが、客観的に見て有作が速かった。
「凄。速」
川村がポツリと呟いた。
「こいつがあの銃なんだ。リボルバーなのに速いだろう。自分のモノにするってのは、ああいう事だ。わかったか、今の俺はもうこんな物必要無いからチバ、御前にやるよ。御前もやってみろ」
有作は木箱からコルト・パイソンを取り出すと、懐かしそうにグリップの感触を楽しみながら言うと、千葉に渡した。
「ええー、ホントにいいんすか。何か色んな意味で重いなー。何で俺なんすか」
と言いつつ、既に千葉は有作コルト・パイソンに魅了されていた。
「御前を見込んでいるからに決まっているだろう。勿論この銃は改造してある。あのDVDは試射の風景だったんだよ」
有作は少し得意気に銃の説明を始めた。
「この撃鉄の形をかえて、ホラ、メイン・スプリングがこんなに軽くなってんだろ、それと弾倉の回転も凄く軽くしてあるんだ。だから引き金を引いたまま撃鉄をこうやって起こせば速射が出来るってわけだ。そしてこのレバーを切り替えれば、ダブルアクションでも撃てるんだ」
有作は昔を思い出しながら左手で銃を固定して引き金を絞った状態で、右手で激鉄をパパパッと起こして見せた。撃鉄と弾倉はまるで生き物の様に速く作動した。
「うわ、カッコ良過ぎですよトノ。有難う御座います。一生の宝にします。一寸試射してみていいすか? 」
「一生の宝か、その一生長ければいいな」
有作は目を細めて言うと、
「何言ってんすか、トノ。俺こいつ使いこなして目茶目茶長生きしてみせますよ」と笑いながら言い返した。川村はただ羨望の眼差しで、その光景を見ていた。有作とふざけ合える人物はそう多くない。
菊沢ユリは、自分がまだ有作の秘書になりたての頃、有作とニューヨーク出張に同行し、射撃の手ほどきを受けた時の事を思い出していた。この三人は今、まるで子供の様な目をして一つの拳銃に夢中になっている。男っていいなと素直に思った。
しかし、ユリは有作の秘書になってから男性観が変わった事に気付いていた。子供の頃から学生時代、グラビア・アイドルとマルチ・タレント時代・絶頂・低迷期と色々な男を見てきたが、男が子供の様な目をして手にする物と言えば、ゴルフクラブ、釣竿、骨董品等だった。決して殺傷能力を魅力にする銃ではなかった。
有作の秘書になってからというもの、自分の周りの男はガラリと変わってしまったのだ。周囲からチヤホヤされる事に慣れていたので、ただの秘書としてコキ使われる事に面食らったが、今では毎日ハードで充実した日々を送らせてもらっていると実感している。尤もそれは全て有作が巻き起こす風のおかげなのだが……。
ユリはアイドル時代に、自分を含めたアイドル達を見る男の目付きがあまり好きになれなくなり、嫌悪感さえ抱いていた。それが周囲に伝染したのか、いつしかアイドルとしての輝きを失ってしまった。男から好奇の視線を得るのが商売の筈であったにも関わらず皮肉な事だ。
ユリは、あの頃の男達のあの欲望をもっと満たしてやれば、もっと成功できていたとわかっていた。しかし今はそれさえもが甘かったと思っている。つまり男には色々な種類がいる事を痛切に感じた。自分が持て囃された世界の男はいわば大衆だった。
しかしここではそんな大衆的な要素を持った男は一人もいない。特にこの目の前の男達は――。トノ(有作)は自分の女としての魅力をビジネスに利用した。それでいてもしかすると自分を女とも見ていないかもしれない。そう思うとユリは少し腹がたった。
そんな想いを巡らすユリを他所に、千葉は喜び勇んで有作に教わった通りに(右利きなので有作とは逆になるが)そのカスタム・チューンを施された銃を構えて速射の練習を重ねた。川村も自分にもやらせてくれと懇願するのだが、千葉はムキになって許さなかった。触れる事すら許さない勢いだ。
「狙って撃つな遅くなる。速く撃て、抜いて直ぐ撃て、的は外すな」
「ああー、もうムリばっかり、その上357(マグナム弾)の衝撃をコントロールしなきゃ当たらないじゃないですか」
「それを苦もなくやるのが御前だろう。昔は皆やってたんだぞ。ウォール街の靴磨きだっていざとなればやってたんだから」
「嘘ばっか」
千葉と川村が笑うと有作もゲラゲラ笑った。ユリも「何で靴磨きなんですか」と言って手を叩いて笑った。そして久々に有作の別の顔を見たと同時に、いつもクールな千葉が熱くなっているところを見て、そのギャップに男を感じていた。
有作のカスタム銃は、帰国時にリチャードに預けていたのだ。そこへリチャードが気を利かして外交官特権を利用して、この銃を日本に持ち込んで有作が知事になってSPを創設した時に、武器庫に保管しておいてくれていたのだ。それを知った有作は、時々この銃を眺めて昔を懐かしんでいたのだった。
これでこの銃は、新たな主を持って再び火を吹く事になる。今度の主はただの道楽男ではなく、命懸けで任務を遂行する男だから実戦で威力を発揮出来るのは本望だろう。千葉は慣れた手つきで特製コルトの弾倉にストリップ型のスピードローダー(注2)を使って357マグナム弾を装填すると、脇のホルスターにおさめて抜き撃ちの練習を始めた。今度は実弾が入っているので真剣だ。
身構えて動き出し0.3秒後には初弾を撃っていた。流石に速いが的は外した。
「引き金軽」
と言うと、再び銃をホルスターにおさめて身構えてから抜き撃つと、今度は心臓部に穴をあけた。しかし遅い。
「次速射いきます」と言って弾を補充して身構えて深呼吸して集中してから、おそらく初めてのファニングに挑戦したが、結果は散々だった。彼にはまだまだ練習が必要だ。千葉自身も有作も、練習すれば速さも精度も上がると確信していた。千葉はもうこのカスタム・チューンのコルト・パイソンに夢中になっていた。
すると川村も有作の気を引こうと進言した。
「トノ、今度は自分の秘密兵器を見て下さい。これっす」
川村はそう言って自分の手裏剣を取り出して見せた。それは手裏剣というより、CDサイズの円盤で鋭い刃が12枚付いていた。川村は手製だと自慢気に言った。
「こいつは……、威力を見せてみろ」
川村は有作の言葉を聞くと待ってましたとばかりに再びマネキンを用意して、15メートルの距離から円盤手裏剣を思い切り投げた。
円盤手裏剣は鋭く弧を描くと、マネキンの顔の右斜め部分から入り、ザックリと削ぎ飛ばして後ろに抜けた。マネキンとはいえその異様さにユリは小さく声を上げたが、有作はゲラゲラ笑い始めた。
「全くしょうがねーなカワムラ、今度は頭落とせるか」
川村は、二投目は外し、三投目に見事にマネキンの頭部をすっ飛ばした。
「カワムラ、御前はその円盤手裏剣を自分のモノにしたわけだな、もう実戦で使ったのか? 」
「いえ、まだです」
「なるほどな、御前はもう何人殺した?」
「まだゼロ(0)です」
「だろうな、俺もだ。SPは任務遂行中なら何をしても構わん。人を殺しても罪に問わない。だがな、重要なのは作戦の成功のみであって殺しがメインではない。俺はあの円盤は余興ならいいが、実戦では使用を許さん。理由はわかるか? 」
「……わかりません」
「あんな風に生身の人間の首切ったら、大量の血が噴き出すだろう? 誰が証拠を消す為の掃除をするんだ? 時間もかかるだろう。
万が一警察が嗅ぎつけたらどうするんだ。メディアは大喜びで飛びつくぜ。規模に関わらず事件にしないというSPの鉄則を忘れたのか? 」
有作がそう言うと川村はハッとして項を垂れた。川村は有作の意図が分かった様だ。
「御前はまだ若いんだから、もっとSPの任務そのものを考えろ。
作戦遂行上は何をやっても罪に問わないが、自責の念からは逃れられない。それで潰れる奴もいるだろう。一方殺しに何も感じない馬鹿やそれを楽しむ大馬鹿野郎も出てくるだろう。俺は御前にそんなふうになってもらいたくないんだ。SPはまだ発足したばかりだから、御前等の行動が今後の規範になる。つまり御前等の言動が伝説となるのだ。SPについてもっと良く考えて行動してくれ。
まー、余興は面白かったから御前にも褒美をやるから、これで楽しんで来い」と笑顔で言うと、胸ポケットからパーティー券(注3)にサインして川村に渡した。川村は恭しくそれを受け取ると、敬礼して射撃訓練室を出ていった。
「チバ、もっとカワムラを教育しとけ、危なっかしくていけねー。調子にのってたら早死にするだけだぞ」
「承知」
と千葉は真面目に答えた。
「チバ、御前にも同じ質問をしよう。もう何人殺した? 」
「五四人です」
「そうか、重い十字架だな。御前は傭兵経験が三年あるから仕方ないだろう。その死がなければ自分は今ここにいないと考えろ。俺は殺しを何とも思わない奴やそれを楽しむ奴が好かん。御前はまだ冷酷な目をしていない。それを忘れるなよ」
千葉は神妙な表情で「承知」と言った。確かに傭兵時代、任務とはいえ敵兵を殺すのは気分が良いものではない。しかし自分も殺されるかもしれない戦場だったので、自分を納得させる事が出来た。生き残った事は幸運だったと実感している。
千葉は陸上自衛隊から自分で志願して傭兵になってアフリカに派遣されただけに他の傭兵に変り者と思われた。好き好んで地獄にやって来たのだから当然だろう。有作の言う馬鹿野郎や大馬鹿野郎は沢山見てきたが、それでも戦い抜いて生きて帰国して成田空港に降り立った時、千葉は最大の幸福感を味わった事を覚えている。
その後は貯金を使って命の選択をしていたら、SPにスカウトされて有作に出会った。千葉も色々な人物に出会ってきたが、有作の様な人物は見た事がなかった。
明るくて人懐こい、それは普通として、信念と理論に基づいた発想が奇抜で行動力がある。そして弁舌が巧みで、気がつくと言う事を聞いている感じがする。そんな人だ。
今度も何も無いのに、自分のカスタム銃をくれるはずがない。きっと何かある。千葉はそう思い、何を命令されるのか恐くもあり期待もした。
有作は椅子に座ってユリが持ってきたコーヒーを飲むと、千葉の目を見てこう言った。
「ところで、一つ命令がある。御前は明日から梅木組に入って梅木を守りながら組を鍛え上げ、二年以内にどんな事をしてでも天下を取らせてやってくれ。色々候補を検討したが御前しかいない。ただ、どんな事をしてでもと言ったが、命をかけてとまでは言わん。必ず生還せよ。奴と御前を比べたら当然だ」
有作の命令を聞いた千葉は、弱小暴力団に入って鍛え上げ、天下をとるという育てゲー(育成ゲーム)か何かを連想してニヤリと笑った。
「それでこれ(特製コルト)をくださったのですね。承知」と答えた。
「そうか、引き受けてくれて有難う。やり方はまかすよ。先ずは県内の平定だ。何をやってもいいがSPの身分は隠せ、それからSPも援護はないと思ってくれ。
御前が連中を教育し鍛え、仲間を増やして戦って勝て。それと麻薬には手を出すな。県内を平定したら次は全国だ。御前なら出来ると思う。では、トドロキとサワムラには俺から話を通して、梅木にも言っておくから明日の朝から御前は梅木組の組員だ。何かあったら秘書に連絡してくれ。金や物資が必要なら幾らでも言ってくれ。以上だ」
有作は千葉にそう言い残すと、次の仕事の為に射撃訓練室を出て行った。ユリも千葉に一礼して出る前に何気なく千葉を見ると、千葉はウィンクして笑って敬礼した。ユリはそれを見て気持ち悪いと思いながら、無言で有作の後を追った。
注1 トノ Y県知事鈴木有作の通称
注2 ファニング 回転式ハンド・ガンの速射方法の一つ、引き金を引いたまま撃鉄を指ではなく手で起こして連続発射する。マカロニ・ウエスタン映画でよくみられる。
注3 スピードローダー 回転式ハンド・ガンの弾丸を早く装填する道具。