魔物使いの弟子
「……体が動かない。もう勘弁してくれ」
首輪を巻かれてすっかり大人しくなったエンプライは、空を見上げたままジョシュアに訴えた。疲労もあるのだろうが、今彼女が動けないのには理由がある。ジョシュアの使役魔法を受けた彼女は、彼の使い魔として、彼の命令に逆らえない身体になってしまったのだ。
彼女の中にあった企みが折れたのを見て取ったジョシュアは、駄目押しとばかりに最後の仕上げをする。
「ごめんなさいは?」
「……悪かったと思う」
彼女は他人を褒めることが苦手だが、謝ることはもっと苦手なのだ。
「まあ、今はそれでいいでしょう」
彼に差し伸べられた手を握り、エンプライは立ち上がる。
「まったく、弟子の使い魔にされるなんてな……誇り高きギガンテスサキバスの名が泣くよ」
そう言ったエンプライの横顔は、しかし悔恨や嘆きの色を含んではいなかった。声色からむしろ喜びすら感じてしまうのは……流石にジョシュアの気のせいだろうか。
「反省してください。これはあなたの業が招いたことです」
弟子に説教されるエンプライの姿を見て、ひとり腹を抱えて笑う魔族の姿があった。
「いやー、面白いもの見せたもらったよ」
エンプーサ……元凶のようなものだ。ジョシュアは非難の視線を向け、冷たい声で言った。
「残念ながらあなたを使役できる道具は持ち合わせていない。僕の中ではあなたも業の塊なんですけど」
今のジョシュアにできる全力の非難を受けた彼女はおどけたように笑う。まったく反省していないようだ。確かに結果オーライと言ってしまえば、それまでなのだが。
「おー怖い怖い。かわりに良いこと教えてあげるよ」
彼女は言うと、ビシっとエンプライを指差した。話を逸らそうとしているようにも思えたが、施しは受けてやることにする。
「エンプライ、あんた自分の生気への渇望は解決してないと思ってるでしょ」
言われると、エンプライはうつむいて肯定する。
「それは……まあな」
生気への渇望――ギガンテスサキバスは人間の生気を食らう魔族だ。十年以上耐えていたようだが、我慢にも限度があるのだろう。それに関してはジョシュアもあまり考えていなかった。
「そんなエンプライちゃんに朗報! なんと人を殺さなくても生気を補給する方法が、ここ数年で確立されたのです!」
「……なんだと?」
エンプライは怪訝な視線を向ける。ジョシュアもだ。そんなふたりをニヤニヤしながらエンプーサは見つめる。心底楽しそうな声は、気軽に衝撃の事実を告げる。
「その方法は、なんと……性器と性器の結合です! 生気だけに!?」
「!!」
まさかそんな。
「おい、もったいぶってないでハッキリ言え」
彼女はわかっていないらしく、エンプーサに抗議の声を上げる。対するジョシュアはエンプーサの助言がなにを意味しているのかバッチリわかっていた。とどのつまり、アレだ。自分の顔が耳まで赤く染まるのを感じながら、エンプーサの顔を横目で見る。
エンプーサの表情は愉悦にまみれていて、ジョシュアは狙い通りのリアクションをしている自分に少しだけ悔しさを覚えた。
「わからないの? セックスだよ」
次いでエンプライもフリーズする。まるで凍結魔法でも食らったようだ。彼女のこんな姿はとても珍しくて、楽しそうなエンプーサの気持ちが少しだけ理解できた気もする。
ひとしきり――ジョシュアの顔が元の色に戻るぐらいの時間は経っていた――衝撃を受けたエンプライは、遅れて非難の視線を向ける。
「お、お前、そんな、そんなこと……」
「魔力の強い人間とセックスすると、普通の人間を二千人殺した時と同等の生気を得られるらしいよ」
非難などまるでお構いなしと言わんばかりにエンプーサはジョシュアを見ながら言う。彼女の言う魔力が強い人間が誰を差すのか、二人は言われなくてもわかっていた。
脇腹をエンプライの肘に小突かれる。
「ジョッシュ……なんか、なんか言え」
珍しく生娘のような反応を示す彼女を、ジョシュアは初めて可愛いと思った。もっと恥ずかしがらせてやろう。そう思わずには居られなかった。
「僕は……師匠のこと、嫌いじゃないですよ。結構……好きです。」
だから勇気を振り絞り、そんなことを言ってみた。
「!? ~~っ!!」
声にならない声を上げ、エンプライは両手で顔を隠してしまう。
「師匠は僕のこと、どう思います?」
顔を隠す手を払い除けてジョシュアは問う。それでもなお視線を下に向けて抵抗するエンプライに、ダメ押しの一撃。
「答えろ」
使い魔は魔物使いには逆らえない。もっとも、別に魔力を込めた命令ではないのだが。
僕だって恥ずかしかったんだ。答えろ……! 答えてくれ……!
「私は……私は……あ~~っ!」
耳まで真っ赤に染めたエンプライは、腰を曲げてジョシュアと同じ位置まで視線を下げる。お互いの視線が絡み合い、一瞬の沈黙を産んだ。ここまで長く感じた一瞬は生まれて初めてかもしれない。先程の戦いよりも緊張している自分を、ジョシュアはようやく自覚した。
吐息が鼻腔をくすぐる。魅惑的な、甘い匂い。
沈黙を破ったのは、彼女の囁き声。
「私は……お前と一緒に居られたら……その、嬉しいと、思……う……」
甘い囁きはジョシュアの脳髄を揺さぶり、彼の顔さえも再び赤く染め上げる。
「あー愉快愉快。まあ慣れないなら口から白子を摂取するのも効果的みたいだから頑張ってね」
茶化すように言うエンプーサに、二人は声を揃えて言った。
「お前は」
「アンタは」
「「黙ってろ!!」」
※
「師匠、朝ですよ」
あれだけいろいろなことがあったというのに、小屋に戻ってからの彼の生活はそれまでとあまり変わっていなかった。
「起こすのが遅い……減点だ。もう一眠り」
変わったことがあるとすれば、ふたりの関係性だろうか。
それも変わったというよりかは、増えたと表現したほうが適切なのだろう。
「グズグズ言ってるとまた泣くまで犯すぞ」
弟子の強い語気に、昨晩の記憶が蘇る。
「――っ、チッ。起きれば良いんだろ起きれば」
エンプライが起き上がると、ジョシュアは壁のからくり時計を見ながら言う。
「それでいいんですよ。今日は時間指定の依頼があるんだから、グズグズしてると間に合わないですよ」
「あんなヤク中待たせておけばいいんだ……」
エンプライの悪態にジョシュアが鋭い視線を返す。彼女は小さく舌打ちをし、わざとらしく頭を抱えた。
「あー、朝から頑張るには生気が足りないなー、特濃生気がないと頑張れないなー」
泣くまで犯されるのは勘弁してほしいが、しかしまぐわいが嫌いなわけではない。
エンプライがチラリとジョシュアに目配せする。彼はわずかに頬を赤らめ言う。
「もう、仕方ないですね……一回だけですよ」
ジョシュアは師の肩を抱く。
師匠と弟子。使い魔と魔物使い。
今は、これだけ。ふたりで話し合って、とりあえずはそういうことにしてある。
しかしそんなの時間の問題だ。
ふたりで一緒にいる限り。
ふたりをつなぐ関係性は、これからもきっと増えていくだろう。
fin




