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崩壊―Ⅰ

「なぁんとこの馬車!? トラップホームの剥製ではあ~りませんか!?」

 とある街で暗黒竜の討伐依頼に参加した帰り、馬車停めで妙な男性に絡まれた。

「なんだテメー」

 白手袋越しとは言えベタベタと馬車に触る男性に、エンプライは露骨に不機嫌な対応をする。

「おおっと失礼。申し遅れました。私は骨董品収集家のエイロニー・マイズの申します」

 男性が自己紹介をしてもエンプライは不機嫌な対応をやめなかった。それどころか、輪をかけて対応が辛辣になる。

「ゴミ収集家が私の馬車になんの用だ」

 相手のアイデンティティーを真っ向から否定する酷い罵倒だが、エイロニーは気にも留めていないらしく飄々としている。もしかするとこのテの中傷には慣れているのかもしれない。

「もしよろしければ、この馬車をお譲りいただけないかと」

 しかしその余裕もすぐに崩れる。

「あぁん!?」

 怒りのあまりかエイロニーの背後に電撃を放つエンプライ。当たらないようにはしているようだが仮に当たれば焼け死んでいた威力だ。彼女の怒りを察してか、エイロニーは馬車から離れて言い訳を始めた。

「これは申し訳ないです。ホントすみません。でもトラップホームの剥製はホントに貴重品なんです。ですから、その……」

 先程までの芝居がかった喋り方は演技だったらしい。怖気づいたのかエイロニーは自分の馬車から金貨袋を持ち出してエンプライに見せ懇願する。

「今はこれしか持ち合わせていませんが、帰ればこの三倍は支払う準備があります。なので、どうか……」

 金欠は続いている。目がくらむような大金に思わず息を呑んだジョシュアは、ちらとエンプライを見やる。そこにはまるで火竜のような形相をした彼女が居た。

「どんだけ金を積まれてもこいつだけは絶対に売らねえ。他所を当たるかここで死にな」

 あまりにも辛辣な発言。取り付く島もないことを察したのかエイロニーは大きく頭を下げてから一目散に逃げ出した。

「あの野郎……次に顔を合わせたら念入りにブチ殺してやる」

 長く彼女に師事して来たが、ここまで大きな怒りの色を見せたことはこれまで一度もなかった。取り乱してはいないものの恐らく以前に賊と戦ったときよりも怒っているだろう。

 しかしジョシュアにはその怒りの理由が理解できなかった。以前もそうだったが流石に度が過ぎる執着だ。

 確かに大きく使い勝手のいい馬車だ。長く使っていたなら愛着も湧くだろう。

 だがしかし、あれぐらいの大金を積まれたら売ってもいいのではないだろうか。今は路銀も尽きかけているのだし、あれだけの大金があればこれぐらいの馬車を他に買うことだって可能だ。

「師匠、どうして……」

 ジョシュアが疑問を口にすると、エンプライはその怒りの形相をこちらに向けた。

「どういうことだ?」

 今回の一連の出来事は、彼女の不可解な行動の中でもトップクラスに理解しがたいものだ。

 その怒りは恐ろしいが、しかし勇気を持って訊ねてみた。

「あれだけのお金があれば、新しく馬車を買うことだってできます。それに、今はお金にも困っているし――」

 ジョシュアが最後までいい切る前に、すぐ目の前に雷が落ちた。とっさに防壁を張り、再び彼女の顔を見上げる。

「あ、ご、ごめんなさい。で、でも……」

 恐る恐る見上げた彼女の表情は、夢にも思わないものだった。

「お前も……」

 その顔は怒りに満ちていながらも、同時に今にも泣き出しそうになっていたのだ。

「師匠……?」

 ジョシュアの疑問符にも彼女は答えない。

「お前も……あいつを私から奪うのか!?」

 何かがおかしいと思った。

 あいつなんて、普通馬車には言わない。

「お前は、金を積まれたらあのギラガサギを売れるのか!? 売れないだろ!?」

 急に飛び出した名前はそれこそ突拍子のないものに思えた。ギラガサギと馬車にどんな関連性があるのかジョシュアには理解できない。

「ギラガサギは関係ないでしょう」

「あるさ! どこまでもな!」

 エンプライは一度馬車へと振り向いてから、再びジョシュアを睨む。

「あいつは……あいつは……私の最初の使い魔なんだよ……っ」

 あの馬車――トラップホームが、エンプライの最初の使い魔。そうか、そうだったのか。

 ジョシュアは馬車の煙突に使役の首輪が着いていたことを思い出す。そうか、だからあそこに首輪がついていたのか。だから彼女はあの馬車をあんなに大切にしていたのか。やはり彼女も最初の使い魔には思い入れがあったのだ。

 しかしジョシュアは、それ以外にも思い出す。

 ――「千年ぐらい前までは居た魔物だよ。今はもう絶滅しちゃったけどね。伝承なんかで見聞きした姿にソックリだ。ディテールも細かいし、きっとすごい職人が作ったんだろうね」

 あの馬車をエンプライがどこで手に入れたのか。ジョシュアはちっとも知らなかったし、考えたこともなかった。

 しかしそれは千年ぐらい前に絶滅した魔物で、エンプライの最初の使い魔だ――

「わかりました、師匠。すいません。僕が間違ってました。もう馬車を売ろうだなんて言いません」

「……わかればいいんだ。わかれば」

 落ち着いたエンプライに、ジョシュアは続ける。

「でも、師匠……師匠はいつ、アレを使い魔にしたんですか?」

「――っ」

 彼女の顔が焦りに歪む。一瞬で冷や汗をダラダラと流し始めるその姿からは普段の自信満々な様子など想像できないだろう。

「トラップホームは千年前に絶滅した魔物のはずです。なら師匠はそれをいつ、使い魔にしたんですか?」

 ジョシュアは追い打ちをかけるように続ける。

 彼女の疑惑はそれだけではない。

「そ、それは……」

 なぜ、ギガンテスサキバスの生態に詳しいのか。

 なぜ、集落を滅ぼした魔物がそれだとわかったのか。

「師匠。あなたは一体、何者なんですか?」

 なぜ、いち早くジョシュアを見つけることができたのか。

 点と点が繋がって線になり、疑惑の矢印を彼女に向ける。

 すると、不意に。

 黙るエンプライの表情を、大きな影が隠した。

「あーあ。エンプライ、バレちゃったみたいだね」

 唐突に降り掛かった声の持ち主をジョシュアは見やる。

 エンプライと同じ亜麻色の髪。エンプライと同じディープクリムゾンの瞳。明らかに人間のものではない、 "背中に生えた翼" で、二人の間へ降り立つ。

「へえ、キミが噂の助手君かい」

 人外の女性はジョシュアを見るなりからかうように言う。

「やめろ。おい。構うな」

 エンプライは慌てて女性との間に割り込むが、ジョシュアはそれを押しのけて女性に対峙した。

「なんなんですか、あなたは」

 女性はもったいぶらずに答える。

「私は疾風のエンプーサ」

「やめろ……やめろ!」

 エンプライは必至で止めるが、エンプーサと名乗った女性は構わずに続けた。

「エンプライと同じ、 "ギガンテスサキバス" さ」

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