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出立準備

 深い森に、薪を割る乾いた音が響く。

 割れた薪を手に取ったジョシュア――ジョシュア・ライヘンバッハァは思わず感嘆の声を漏らした。

「ああ……、完璧だ」

 切断面は鉋をかけたかのように滑らかであり、とても人の手で割られたものとは思えないほどのもの。これをただ燃やしてしまうというのだから、勿体無い。

 ジョシュアは一抱えほど貯まった薪を手を使わずに持ち上げる。念動魔法の初歩の初歩。ファイターでも簡単に扱える基本的な魔法だ。

 とは言え、その精度や持ち上げられる重量――加えて持続時間などは、本人の素養に大きく左右される。

 魔物の多いこの森で伐採した木から薪を作り、森を抜け川を越えた先にある小屋まで薪を運ぶのがジョシュアに任せられた日課であり、五年間毎日続けてきた最初の修行でもある。

 伐採、薪割り、薪の輸送――これをすべて念動魔法で行うのは、決して容易な事ではない。

 しかし五年間修業を続けてきたジョシュアにとっては文字通り朝飯前の話であった。

 そもそもジョシュアの朝食は、この薪を使って調理されるのだから。

 魔物を二、三体屠りながら森を抜け、川の手前に差し掛かったところで不意に "不自然に強い" 風が吹いた。ジョシュアのウェーブのかかった金髪が風に揺れる。しかし薪は微動だにしない。

 この意地の悪い風は、間違いなく師匠の仕業だ。

 彼女はこれも修行の一環と言わんばかりにことあるごとに邪魔をしてくる。いい加減慣れたので気にも留めず浮遊魔法で川を飛び越えた。川向こうで待ち構えていた使い魔マーモット(首輪の有無でわかる)も軽くいなして帰る。

「……遅い。減点だ」

 小屋に帰ると、不機嫌そうな顔をした師匠――エンプライが腰に手を当て待っていた。

 腰まで伸びた亜麻色のロングヘアーは寝起きのままらしくボサボサだ。ジョシュアは黙って念動魔法を使い、彼女の髪をブラッシングした。最初はブラシを動かしていたのだが、最近直接髪を制御したほうが早いと気づいてしまったのだ。

 不機嫌なエンプライを見上げ、ジョシュアは抗議する。

「減点ってなんですか。別にそんなシステムないでしょう」

「昨日寝る前に考えた。持ち点が二十五点で、ゼロになったら三日間飯抜きとか」

「御飯作るの僕ですよ。因みにさっきはいくつ引いたんですか?」

「二十五万点ぐらいかなあ。残念ながら三万日飯抜きだ」

「作らないんで付き合ってくださいね」

 売り言葉に買い言葉で突き放すと、エンプライは眉をひそめデコピンの仕草をした。ジョシュアはすかさず見をひねって回避。遠隔デコピン……彼女が不機嫌になるとよく使う魔法で、直撃すれば足の骨ぐらい折れる。流石に最初は治してくれたのだが。

「……もういい。飯の時間だ。とっとと作ってこい」

「はいはい。キノコのスープでいいですか?」

 彼女は朝食はキノコのスープと決めていると宣言しているのだが、月に一度ぐらいのペースで白子の煮付けを欲しがる。規則性はないので毎朝訊くしかない。

「今日はガニタケの気分」

 ガニタケは真冬のキノコだ。そろそろ広葉樹の葉が落ちる時期だが、まだ生えてこない。

「ごめんなさい。ガニタケは来月からなんですよ」

「お前の出鼻をくじいてやろうか」

「意味わからないんですけど……」

「ないなら育てればいいだろうが!!」

 無茶言うなよ。どこに生えてると思ってるんだ。

 ジョシュアのしかめっ面から何かを察したのか、エンプライはディープクリムゾンの視線で裏庭を指し示した。

「裏庭に去年生えてるのを見た。早くとってこい」

 相変わらず我儘な女である。まあ、場所さえわかればなんとかなるのだが。

 植物に治癒魔法をかけると早く育つことは意外と知られていない。もっとも死者蘇生レベルの強力な魔力が必要なのでそうそう一般化することはないだろうが。

 裏庭の木陰にでたらめに治癒魔法をかけると、様々な植物が芽を吹く。その中からガニタケの芽だけほじくり返して直接魔法をかければ、あっという間に立派なガニタケの完成だ。

 ガニタケは縦に割くと細胞が破壊されず加熱してもうま(あじ)が逃げにくくなる。間違えても横に切ってはいけない。独特のえぐ味が漏れ出して、とても食べられたものではなくなるのだ。

 クリームベースのまろやかなスープにガニタケのうま(あじ)が染み出した定番の調理法。確か西の街では郷土料理として愛されていたはずだ。

「できましたよ」

 二人分の朝食をテーブルに並べる。因みにこれまでの作業はほぼ念動魔法で行っている。これも修行の一環だ。

 スプーンで一口掬ったエンプライは今日の感想を漏らす。

「……普通」

 彼女は美味しいと言えないタイプの人間であり、食事中の 『普通』 はネーテルド語で 『美味しい』 を意味する。

 つくづく面倒な人だ。ジョシュアはそう思いながら、自身もスープを掬う。いい出来だ。やはりガニタケのスープはこの優しい味がたまらない。

 半分ぐらいスープを飲んだところで、エンプライは唐突に切り出した。

「明日から旅に出るぞ」

「え?」

 彼女の唐突な宣言はいつものことだが、旅に出ると言われたのはこれが初めてだ。

「これまでの単調な修行じゃあもうお前の頭打ちした魔力は伸びない。これからはもっと実践的な修行でお前の力を伸ばしていく」

 基礎ができてきただとか、もう少し気の利いた言い方はできないのだろうか。

「出発は明日の朝。今日の修行はもういいから、支度をしておくように」

 そう言って彼女は器を持ち上げると、ペロリとスープを飲み干して部屋に戻ってしまった。最初の支度は皿の片付けになりそうだ。

 それにしても……旅、か。

 具体的な目標はあるのだろうか? 移動手段は? 寝床は?

 どうせ訊いても教えてくれないだろうから、何があっても大丈夫なようにありとあらゆる準備をしておく必要がありそうだ。

 そんなことを考えていると、エンプライが部屋からひょっこり顔がけ出して言った。

「表の馬車を使うから、何が必要かはそれを見て考えな」

 言われて窓から外を見ると、いつ用意したのか確かにそこには馬車があった。それも、馬車というよりは移動式の小屋とでも呼んだほうが良さそうな豪華なものだ。

 こんなものを用意するぐらいなのだから、きっと長丁場になるだろう。そもそも帰ってくる保証もない。

 引っ越すつもりで準備したほうが良さそうだった。

用語解説:ガニタケ

冬場に広く自生する中型のキノコ。うま味成分を多く含んでいるが調理法によってはそれを台無しにしてしまうため、初心者向けではないとされている。

しかし愛好家は多く、似た外見の毒キノコも多いため正規の流通ルートではなかなかの高値がつけられていることが多い。

また、たまにスラム街の市場に出回っている格安のガニタケは八割以上が似た形の毒キノコであるところの "チャカサ" だと言われている。食べるとだいたい死ぬ。

エンプライはたまに引っかかるのだが、その度に治癒魔法で治しているのであまり気にしていない。

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