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ユニゾン

作者:黒井ここあ
 日下部サヨリは日ごろから模範生徒として廊下を走るような子ではなかった。
 堀部リンコは積極的に何かにつけて廊下を駆け回っていた。
 いつからだったろう、彼ら二人の行動が一八〇度変化したのは。あれはまるで人格や精神をそっくりそのまま交換したかのような……。
 私は今年採用されたばかりの音楽教師一年生。三か月もたつといろいろと余裕も出てきて、顧問をしている部活の生徒の名前と顔も一致するようになった。部活は合唱部。この私立S中学校では県大会への常連として一目置かれている部活でもある。ここ数年、ベテラン音楽教師ばかりが転勤してくることで、生徒らの実力は衰えを見せるどころか進化すら見せている。そんな中での私の赴任だ。責任が重く肩へのしかかってくる気持ちでいっぱいだった。それは今もさして変わらないが、部員の活動へ対する真剣さ、音楽で生き生きと変わる表情をみていると、私も負けてられないと思う。そして、自分はS中で一番フレッシュな先生なのだと自分に言い聞かせて毎日部員と音楽をやっている。生徒たちと同じで、私も授業より部活のほうが楽しいかもしれない。
 新任教師をいびりつくすのが中学生だと鼻から信じ込んでいた私に、最初に近づいてきてくれたのが、伴奏者の日下部サヨリであった。楽譜を指さして、確かこうだ。
「先生、ここのところ、私すき」
 身長は私のほうが少し高かったと記憶しているので一五〇センチメートルくらい。手も足も、声までも小さな女の子だ。遠慮がちにぽつりと発言するものだから、つい聞き返してしまう。せっかくいいことを言っているのに、聞き返されると間違いを指摘されたように思うのか、縮こまる傾向がある。それと楽譜を見るときにずり下がったメガネをしょっちゅうかけなおしている。私もコンタクトレンズを日常的に使うまではああだったなとほほえましく思う。
 サヨリは丁寧に音楽を作るタイプの人間だった。幼少からの音楽教育の賜物だろうか、彼女の性格だろうか、その演奏はよく練られたタッチでもって構成されていた。芭蕉のいう「しみいる」音。そういった類の音楽を得意としていた。その伴奏をふっとばすような威勢のある声を持つ存在こそが堀部リンコである。
 リンコはスカートをちょっと短くしたり、お菓子をちょっぴり持ってきてみたり、学校の帰り道に何か買ってみたり、体育大会で活躍してみたり、数学の時間に寝てみたり、社会の教科書に落書きしたりする人種だ。ファーストコンタクトも確か生徒指導として職員室で話す時だったと思う。いや、そうだ。でも彼女はいつも何が悪いのかよくわかっていないそぶりを見せていた。
「また二年三組でお菓子の包み紙が落ちていたらしいのだけど。堀部さん、もうもってきていないわよね?」
「あれってぇ、包み紙って言うけどもう紙じゃないよね? セロファン? プラスチックごみ?」
「話を逸らさない!」
「えへへ、よっしーも食べたかった? ごめんねー」
「私は吉宮です。いいから、鞄を見せてごらんなさい!」
「ごめんなさーい。ほら、もうないでしょ?」
 そう言って彼女はすべて食べてしまった後のキャンディの個装ごみのたくさん入った学生鞄を広げて見せたのだ。あれには怒りも通り越してあきれてしまった。周りの教師は、もうこんなものだとして見て見ぬふりをし、助け船を出す様子もない。私はリンコよりも同僚のほうが悪意に満ちていると時々感じるが、これが社会なのかと半ばあきらめてもいる。
 さて、この二人だが、どう見ても志向の違う人間であることは明らかだ。この学校がいじめの巣窟ならばどちらかに対し被害が及んでいる可能性も否定はできない。が、そんなことは一切起きていない。しかし二人の間には若干のわだかまりが見て取れる。話す時にお互いちょっと目線を逸らす。二人きりにはならない。なったとしても話さない。そう、これが一週間前の様子。
 しかし、今週から何かがおかしい。
 月曜日、帰りの会を終え、合唱部部室である第二音楽室へ到着すると、みなれないものがある。サヨリがいつも丁寧に編みこんでいた二つのおさげを急にやめ、ポニーテールにして登校したとおもいきや、リンコはいつも出していた額を隠し、短い髪をひっつめてお下げにしているのだ。
 これは新しい遊びなのかと思い放っておいて水曜日。三つ編みリンコが仲良しグループでおっかなびっくり話しているのを遠巻きからポニーテールサヨリがああでもない、こうでもないとリンコへ指示を出しているような動きがあった。ちょっとおもしろかった。などと感想を述べるにはへんてこな事態である。私だってもう大学生ではないわけだから、面白いことの裏に潜む悪だとか、そういうものに気付いて子供を守ってやれねばならぬ。
 そう思って本日金曜日、彼らよりちょっと距離のある部員に二人の様子に変わったところがないかきいてみた。みな口々に言った。
「サヨリはイメチェンしたんだっけ? あんなに元気な子だったなんて、みんなびっくり」
「うんうん、今まで話しかけにくかったけど、もう仲良しだよね」
「リンコはぁ、急にイイコになっちゃった感じ?」
「たまにメガネかけてるふりしてるよね、こう、くいっとさぁ」
 なるほど、私と意見は違わないようだ。礼を言って学校から帰ろうとすると、数少ない男子部員の瀬川ヒロシが息を切らして私のところへやってきた。
 文化系部活の男子だが根暗どころかネアカな彼は、動機こそ知らないが女性社会になりかけていた合唱部に友人を数人巻き込み勇んで入部してきた。
 これは個人的にはうれしいことだった。女声合唱も美しいものがあり良い勉強になるが、混声合唱の響きだってそれには負けていないのだ。彼のおかげでこのどちらも学べる可能性を得られたことと、部活運営への多大なる貢献で私は彼に一目置いていた。大学生だった私ならば、「コイツ、出来る!」と端的に評価を下したかもしれない。いまもそのような傾向があるかも、反省。出来る男は駐車場までついてきて、あたりをきょろきょろと伺ってから口を開いた。
「先生、日下部と堀部のことで話が……」
 彼は何かいぶかしげな表情で話を持ち出した。先ほどの女生徒との会話を聴いていたのかはともかく、彼も現状に疑問を抱いているのだろう。
「おや、瀬川君はどっちが好きなの?」
「からかわないで下さい、真剣なんです!」
「ふふふ。それとも先生のこと? いやあ、照れちゃうなあ」
 だんだんと肩をいからせてくるヒロシをみて少し気の毒になり、本題を促した。
 彼が言うには、先週金曜日に事件が起こったとのこと。事件というには大げさかもしれないが。
 ヒロシ、サヨリ、リンコは二年三組のクラスメイトなのだ。それは五時間目の美術の時間へ行く最中のことだったそうだ。サヨリが急いで廊下を駆けて美術室へ行く、その曲がり角にたまたまリンコがいて、盛大にぶつかったという。その直後ヒロシが駆けより、大丈夫かと声をかけると二人して保健室に向かい、午後の授業を欠席し、部活も欠席していた。
「それからですよ。あの堀部が、俺のことを“瀬川君”ってよぶようになっただけじゃなく、日下部が何につけても大雑把になったんです。机の上に座ってみたり、字が汚くなったり。それから、先生も御存じとは思いますが、ピアノがまるで駄目になったんですよ、あいつ」

 私が小学六年生だった時、学年で演劇を発表した。もとにしたお話はあったけれども脚本もすべてオリジナル。オムニバス形式でいくつものお話を演じたのだが、一貫したテーマがあった。それは、「中身が入れ替わるということ」。
 オーソドックスな男と女にはじまり、老人と若者、母と子など人格の入れ替わることで起きるハプニングやお互いの相違を知ることがストーリーを構成していた。夢見がちな小学生ではないから、実際にそんなことは物理的にも起こり得ないということはすでに分かり切っている。人間の心は胸にはなく、脳のなかで環境や経験とともに培われていくものなのだから。
 まさか。そんな。
 ばかばかしくなってきた。
 今日のところは考えるのをやめよう。
 きっと、ふたりは知らないところで仲良くなれたんだわ。
 この投げやりな考えがどうやら正しかったことを、私は後になってから知ることになる。

「ちょっと、サヨリ、これってどういうことよ!」
「わ……わたしにだってわからないよ……」
「あ、目が見えてないし! ぼあっとする、なにこれえ!」
「はい……めがね……。気をつけて……」
「これじゃ授業に出られないなぁ、いくよサヨリ!」
 雨もしとしと降る六月は第三週。
 サヨリとリンコはひょんなことから中身が入れ替わってしまったそうだ。信じられないことに。
 中間テストの期間が終わったからよかったものの、とサヨリはあとになって述べていた。
 廊下でぶつかりあった彼らは、美術と部活の時間を削ったことで現状を把握することに成功したらしい。
 リンコに引っ張られサヨリは三階の女子トイレに二人で逃げ込んだ。肩で息をしてリンコが、いや、サヨリが悲しそうに言う。
「今日はもう、お家に帰れないね……」
 しょげかえるサヨリに対してリンコは常に前向きだったようだ。
「なに言ってんの。あんたあたしの体になっちゃったんだから、あたしんちに帰ればいいのよ!」
 泣きそうな顔をしたリンコ――中身はサヨリだ――はトイレの鏡とすっかり勝気な表情になっている自分の顔をしきりに見比べていった。
「私の顔と声なのに、表情もしゃべり方も堀部さんだぁ……」
「そっちこそ、あたしの声でそんなふにゃふにゃしゃべって! あ、いつの間にか前髪おろしてるし!」
 二人は一通り驚いてから、職員室でこっそりお互いの住所のわかる地図をコピーし、初めてお互いの家庭を訪問する形となったらしい。それはもう大変だったと二人は口々に話して聞かせてくれた。
 それから一週間、なんとかお互いを励まし合いそれぞれの人間関係を回してきたが、限界が来たようで、ようやく自分たち以外にこの状況を分かってもらおうと私のところに来たのだ。
「ねえ、よっしー、どうにかしてよぉ。あたし、サヨリは嫌いじゃないけど自分の方が好きだよぉ」
そう、ポニーテールのサヨリが発言するとひっつめ三つ編みのリンコもぶんぶんと首を縦に動かし同意した。
「わたしもです吉宮先生。自分の体に戻りたいです!」
「うわぁ、改めて思うけれど、あなたたち二人って本当に正反対の性格なのね!」
「よっしー、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょー!」
 ふむ。どうやら大げさなお遊びではないらしい。リンコ――いや今はサヨリか、なんて紛らわしいのかしら――なんて涙を浮かべている。
 そういえば、リンコはピアノのレッスンをすっぽかしたり何かと粗相をやらかしているらしい話も聞いた。彼女は真面目だからそういうのが許せないのだろう。
「またふたりともぶつかってみたらいいんじゃないの?」
「やってみたけど……」
 どうやら何度もやってみたらしく二人はしょげかえった。本当に何も思いつかないからと私を頼ってくれているのに私は……。
 音楽準備室に静寂が訪れる。
 開け放たれた窓からは外でトレーニングに励む野球部の声、金管楽器の調子外れたチューニング。
 なぜ野球部の掛け声は一致していて、管楽器のBフラットは全く合わないのか。
 音程なんて合わせる気がないと合うものも合わないのに。
 そうか、もしかしたら!
 私の中のパズルがかちりと音を立ててはまってゆく。
 音楽準備室は学校の楽譜庫も兼ねている。吹奏楽部の楽譜コーナーはいろいろと荒れているが、合唱部のコーナーはこの間整理したばかりでまだ美しい。この間見た気がする。背表紙の日焼けした、だが極めて美しい旋律の小品を。
 急にがさがさと楽譜を探し出す私を胡散臭そうに眺める二人。
「あたしたち、もうだめなのかなぁ、サヨリ」
「リンコちゃん、大丈夫だよ。だめじゃないよ、がんばろ、ね?」
 ひそひそと励まし合う二人。こんな非常事態ではあるが、二人が仲良くなれたことには素直に喜べた。
 だからこそ、元通りにしてやらねばならぬ。これは教師の義務ではないけれど。
 楽譜棚に見当たらないと思ったら、それは机の上に置いてあった。ちょうど二つある。それをリンコとサヨリに手渡し私は言い放った。
「これを暗譜して、二人で私に聴かせて」
 目を丸くする彼女らを後目に、私は職員室へ向かった。

「先生は意地悪でした。私たちに何の説明もしないまま、グレゴリオ聖歌の楽譜を置いて行ってしまうんですから。ね、リンコちゃん?」
「そうだよ、よっしー。あの時は絶対見捨てられたって思ったし! ホント、今までそんなことなかったからさ、すっごい悲しかったし!」
「でも私たちちゃんと練習したんですよ、朝も早くきたし、夜も公園とかで。でもやっぱりユニゾンは難しくって……」
「てゆうかサヨリが、声が小さかったんだよー。全然聞こえなかったから合わせられなかったし」
「リンコちゃんは威勢が良すぎたんです。私の声も小さいかもしれなかったけど、それでも聴いてくれたってよかったと思うよ?」
「それはあたしも悪かったってわかったから、もう勘弁してよ~」
「あはは。それでですね、つづきなんですけど、リンコちゃんと私、最初絶対合わないと思ってたんです。ほら、今見たく声の大きさとか歌い方とか全然違いますし、意見も違うわけですから」
「でもでも、部活で先生の言ってたこととか二人で思い出してさ、頑張ったんだよ!」
「そう、小さくてもきれいな声で歌うとか、相手の声をよく聴くとか」
「あたしの苦手なことばっかりでもういやんなっちゃったけどさ、でもなんか歌ってると楽しいんだよね!」
「リンコちゃんのそういう前向きなところがいいとおもうなぁ」
「照れるからやめろって」
「まあそんな感じでですね、私たち、いつもどおりに練習してたんです」
「そしたら元に戻ってたんだよー!」
「ちょっとリンコちゃん、端折りすぎだよ、先生にわからないよ」
「えー。歌ってたら、なんか気持ちよくて、目をつむったわけ、そしたら、戻ったー!」
「まだわかりにくいよ? とりあえず先生。わたし、歌っていたらどっちがどっちの声かわからなくなっちゃったんです。完璧な音程でユニゾンが成立すると自分の音が聞こえなくなるって先生が言っていたあれが、ほんとに起きて、気がつくと元に戻っていたんです」
「あたしもそう思った! なんか、サヨリの声があたしの声と重なってるとかじゃなくてひとつになったんだよ」

 失礼しましたあ、と元気に笑ってここを去ったのはもちろんリンコとサヨリだ。
 私は二人がいなくなった音楽準備室で一人、笑顔を殺しきれずにやにやしていた。
 まさかまんまとユニゾンでうまくいってしまうとは。
 それから二人の人格にもどうやら変化があったらしい。それは出来る男瀬川ヒロシからの報告で知ったのだが、サヨリは人付き合いにそこそこ参加するようになり、リンコはほどほどにおてんばをコントロールできるようになったらしい。
 ノックが三つきこえた。これは合唱部員のサインだ。入ってきたのは、やはり出来る男。なんというナイスタイミング。さすが出来る男。
「やあ、出来る瀬川君。今日の報告は何だね?」
 彼に対し少々いたずら心を起こす教師は何も私だけではないらしいが、それはまた別のお話。瀬川君もにやにやを隠せていない様子。
「はっ。吉宮先生、実は内密なお話しがございまして……」
 まだまだうら若いお姉さんには言われなくてもわかりました。好きな子がいるのですね。それも合唱部の。そうとは声に出さず平静を装い彼に告げる。
「恋愛は自由ですが、不純異性交遊は許しませんよ?」
「っそ、そんなの興味ないですから自分!」
 目が金魚のように右往左往しているのを見過ごしてやっていると、音楽室からミーティング開始の掛け声が聞こえてきた。出来る男よ、すまぬ、本当はもうそんな時間だということを告げに来てくれたのだな。
 お疲れ様でしたの声で一斉に帰宅準備を始める部員の中で、こっそりとノートを手渡しする男女がひと組いるのを見つけた。グランドピアノの方を見ると、その様子を見て見ぬふりをしながらたどたどしくピアノを弾くリンコがいた。初々しい男女はさっと離れ、それぞれの友達の方へ。ノートを胸に頬を染めてリンコのところに来たのはサヨリ。私も見て見ぬふりをして帰宅の途へ着くよう促した。
「みんな、気をつけて帰りなさいよ。また明日ね!」

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